第6章 異界からの勇者 2
セシル・ファーガス率いるシュティーミル騎士団一五〇騎は、山間にある平地の手前に布陣していた。
皆、徒となり山の中に潜むような格好だった。
前回の戦闘で、突撃は魔人に対して有効でないことは分かっている。まともにぶつかれば、勝機が薄い。なので、牽制のため防御を固めて山を要塞のようにしている。
その構えに二〇〇を優に超える魔人どもは、様子を覗うように一気に攻めかかって来ない。
「多少なりとも、時間を稼げればいいのですが」
セシルは、天を仰いだ。
蒼は薄くなり、あと少しすれば暮れかかる時間となっていた。
暗くなれば、一層不利になる。
三つの月が夜空に浮かぶ刻限は、今は夜更けだ。最も近い月の出が遅く、それぞれかなり欠けていた。月明かりは期待できない。
木々が鬱蒼と生い茂った山の中であり、夜闇に辺りは沈むことだろう。かがり火を焚かなければならない自分たちに対し、魔人は闇の中自由に動き回れる。魔人は、夜目が利くのだ。
魔人を退けるなら日のあるうちだが、今戦っても勝ち目がない。レノアが、ジャンヌを救出し連れてくれるのを待つしかなかった。
薄紅色の唇を、セシルはきつく引き結んだ。
平地の反対側にいる魔人どもを、琥珀色の瞳で睨み付ける。
「セシル様、また魔人どもが攻めてきました」
騎士の一人が、そう報告してきた。
睨み合ってからずっと、小競り合いが続いていた。
魔人どもは、山に布陣するセシルたちシュティーミル騎士団を、少数で突いては引くを繰り返していた。
「分かりました。油断なく守るよう伝えてください」
大きな盾が構えられている前衛を、さっとセシルは見渡す。
身の丈二ルアンほどの化け物どもが、七匹襲いかかっていた。黒々とした体皮に覆われた巨躯と頭にはねじれた角が二本突き出ている。分厚い鎧を纏い、手に大剣や戦斧を持っている。
「「「「グルァアアアアアアアアアアアアアアア」」」」
幾つもの咆哮が上がっている。
さしもの魔人も人の身体より大きな盾を隙なく並べられては、突破はできない。
大剣や戦斧を叩きつけても、分厚い巨大な盾は砕くことはできない。一つの盾を騎士二人が身体全体で支えているので、前からでは力任せに崩すこともできない。
過去にも異界から魔王が軍勢を引き連れ現れたことが何度もあり、対抗手段として南方の国で考案された盾だった。
エスターク公国が魔王に乗っ取られ父を失い当主となったレノアが、取り寄せた盾だ。歩兵が軽視されがちなイシュタリア王国にあって、それを見た騎士たちは蔑視の視線を向けたものだ。騎士の戦場に歩兵の武器などを、と。
が、役に立っている。
レノアの聡明さを、セシルは改めて実感した。
突進力を発揮できなければ、騎士はその力を封じられたも同然だ。
「守るだけなら、どうにかと言ったところですか」
攻めあぐねる魔人を見て、セシルは呟きを落とす。
それは、守るだけで精一杯ということだ。攻勢に出ることはできない。
いずれ夜が来る。
そうなれば、守り切ることができるか分からない。
かがり火を焚くこちらは丸見えだ。対して、魔人は闇に隠れ見張りの発見が遅れるだろう。
夜陰に乗じて接近されたとき、大盾の並びに隙があれば崩される可能性がある。緊張状態をずっと維持することは難しい。必ず気の緩みは生じる。見えないということは、不利であることこの上ない。
「陽が落ちる前に、ジャンヌ殿が間に合えばいいのですが……いいえ、レノア様が約束されたのです」
敢えてセシルは、救出がうまくいくかとは考えまいとした。
気持ちを挫けさせるわけにはいかないのだ。
そのとき、俄に陣中が騒がしくなった。
何ごとと、そちらを見る。
「なッ!」
琥珀色の瞳を、セシルは見開いた。
「グォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ」
咆哮が響き渡った。
大盾の内側から。
「しまったッ! これまで少数で攻めてきた魔人どもは、囮でしたか」
絞り出すような声を、セシルは発した。
目に映るのは、防御陣の一角が崩れ去る様。
地が震えるような音が聞こえた。
振り返ると、地を踏みならし魔人の軍勢が進撃してくる。
「これは……総員迎え撃て」
無理矢理声を励ましながら、セシルは激しい悔恨の念に駆られた。
少数の魔人が、背後へ回り込んでいたのだ。陣中に侵入した魔人どもは、大盾を持つ者たちを蹂躙している。
前方から、魔人が迫る。
大盾の壁が崩れたところから、なだれ込まれれば終わりだった。
「おお、世界を作りたもうた神々よ」
祈りの言葉を唱え、セシルは腰に下げた長剣を引き抜く。
キッと、迫り来る魔人どもを琥珀色の瞳で睨み付ける。
死ぬ覚悟は定まった。
前衛が崩れた場所へ駆け出そうとしたそのとき――、
五つの光の槍が戦場を掠めた。
迫り来る先頭の魔人数匹が、なぎ払われた。
「これは……ジャンヌ殿ッ!」
山間の道から、馬を駆る鎧下姿のジャンヌが姿を現した。
少し遅れて、馬を駆るレノアとその後ろに乗ったバニーも。
「レノア様、バニー殿、間に合いましたか」
歓声が、セシルから漏れた。
バニー、レノア、ジャンヌは大盾で作られた防御壁の一部を開けてもらい、中へと入った。
騎士たちから、歓声が上がった。
英雄ジャンヌ・ダルクを連れ、危機的状況の中領主のレノアが現れたのだ。
嫌でも士気が上がった。
だが、喜びに浸ってはいられなかった。
「中に魔人がッ!」
碧い瞳を、レノアは見開いた。
陣中に一〇匹の魔人が入り込んでいる。分厚い大きな盾で作られた壁の一部が、魔人どもによって破壊されている。それを阻止しようと、セシルが挑んでいた。
「風の斬刃」
魔術を発動させるキーとなる言葉が、セシルから発せられる。
長剣が、緑色の輝きを帯びた。
切っ先を向けられた魔人が、切り裂かれていく。
が、魔人は一匹ではない。大剣を振り上げ、背後からセシルへと迫った。
「セシルッ!」
悲鳴のような声を、レノアは上げた。
バニーは、咄嗟に右手の人差し指と親指を残して折り曲げ、それへ向ける。
指の先が青黒く光ったと思ったら、黒みを帯びた青い魔力の球弾が飛び出て魔人へと吸い込まれていった。
大剣を振り上げた腕の付け根に、命中する。
「やったわ」
レノアは、喜色を浮かべた。
魔人の体勢が、ぐらりと揺らいだ。
が、倒すには至っていない。
バニーは、指弾を連射した。何発もの青黒い魔力の球弾が、魔人に叩き込まれる。
指弾を連射するバニーを横目で見ながら、ジャンヌが飛び出した。
「魔人から離れてください」
大声で、ジャンヌが呼びかける。
意を悟ったセシルや騎士たちが、魔人の周囲から遠ざかる。
すっと、長剣をジャンヌが差し出すと、身体の周囲に光の槍が五つ浮かび上がる。
光の槍は、魔人へと向かって猛進していく。
一度の攻撃で、三匹の魔人が引き裂かれた。
その間にも、バニーは指弾を放ち、もう一匹魔神を倒す。
再び、ジャンヌの身体の周囲に光の槍が浮かび上がる。
残った魔人が、一掃される。
「盾部隊、防御を急いで固めて!」
平地から地を揺るがし迫る魔人の軍勢に対して、レノアが防御陣を敷き直すように命じる。
陣中に入り込んだ魔人によって開けられた穴が、塞がれていく。
突破できぬと分かったのか、魔人の軍勢は平地の中ほどで歩みを緩めた。
ゆっくりと前進してくる。
その威容に、ゴクリとバニーは生唾を飲み込む。
前回の侵攻よりも、数は遙かに多い。四倍以上と聞いていたが、それより多くバニーの目には映る。これほどの魔人の大軍を相手できるのかと思うほど、圧倒してくる。
「助けていただきありがとうございます、バニー殿」
走り寄ってきたセシルが、細やかに整った面に微笑を浮かべた。
聞き心地のいいアルトは、優しさを感じさせる響きがあった。
「い、いいえ」
以前にも増して親しみを込めてくるセシルに、一瞬対峙している魔人の軍勢を忘れ、バニーは少し頬を赤らめ照れた。
「間に合ったみたいね。よかったわ」
ホッとした表情を、レノアは浮かべた。
「レノア様、見事ジャンヌ殿を救出できたのですね。ジャンヌ殿もご助力感謝いたします」
丁寧に、セシルは頭を下げた。
「セシルこそ、よく持ち堪えてくれたわ」
労をねぎらうように、レノアはセシルの手を取って顔を上げさせた。
「いいえ。あわやというところでした。レノア様たちが駆けつけてくれなければ、どうなっていたことか」
言いつつ、セシルは表情を引き締めた。
「もうじき日が暮れます。そうなっては、こちらは不利かと」
怜悧な表情を浮かべるセシルは、そう進言した。
「そうね。その前に片をつけないと」
形のいい頤に、レノアは指をあてがい一瞬思案顔をする。
決意が、碧い瞳に宿った。
「大規模な聖技と魔術を使う必要があるわね。丁度、範囲内に魔物どもはいるわ」
魔人の軍勢を、レノアは一望する。
「はい。こちらの被害を最小限にして勝つには、それしかないかと」
セシルも賛成した。
「ジャンヌ。申し訳ないけど、今の場所に敵を足止めできないかしら? 混戦になったら、大規模な聖技や魔術を発動させる余裕がないわ。これ以上、騎士団に被害を出すわけにはいかないから。準備にも時間がかかるし」
問いかけるように、レノアはジャンヌに碧い瞳を向けた。
「……どのくらいの時間でしょうか?」
ジャンヌは、緑色の瞳で魔人の軍勢を一瞥する。
慎重に敵を見定める。
自分自身だけでなく、ここにいる者たちの命運がかかったことだけに、軽々しくできるとは口にしなかった。
魔人は二〇〇を越える。
いかな強力な異能を有するジャンヌとはいえど、包囲され攻撃されればひとたまりもない。
バニーは、正直魔人の大軍を恐ろしく感じた。
二メートルはある厳めしい黒々とした体躯に秘められた力は、脅威の一言だ。
先ほどは、魔人から離れていたことと、咄嗟であったので異能――指弾を用いて倒した。
だが、近づけば身体が震えるだろうと思える。
恐怖を、ゆっくり前進してくる二〇〇を越える魔人の軍勢にバニーは覚えた。
自然、レノアに召喚され、この世界に初めて来たときのことが思い出される。魔人という化け物を初めて目の当たりにして、がたがたと震えているだけだった。
ゆっくりと向かってくる魔人の軍勢を前に、あのときの恐怖が蘇ってきた。
それに呑まれそうに、バニーはなった。
――しっかりしろッ! 漠新弥ッ!
自分を、バニーは叱咤した。
この前侵攻を受けたとき、圧倒的に劣勢だったシュティーミル騎士団を勝利に導いたジャンヌの勇姿が思い起こされた。
美しくどこまでも力強い姿が。
まるで天界の戦女神のように、バニーは感じたものだ。
だからこそ、バニーは自分も強くなりたいと思った。少なくても、この世界で生きていけるくらいには、と。
レノアやセシルのような女の子も、自分たちの明日のために戦っているのだ。
魔王に乗っ取られたエスターク公国から魔人の侵攻を受ける、最前線であるシュティーミル伯爵領の領主としての立場を全うしようと、懸命なレノア。
領民の命を、あの華奢な双肩に背負っている。
決して逃げようなどとはしないし、弱音も吐かない。
若くしてシュティーミル騎士団の団長を務めるセシルは、己の責務に忠実だ。どんなに困難なことであろうとも、粛々とこなしていく。
その胆力は凄まじいと、バニーは感じる。
自分などは、すぐこうして震え上がってしまうというのに。
情けなく、バニーは感じる。
自分は男なのに、と。
だから、意を決して口を開いた。
「僕も一緒に行くよ、ジャンヌ」
黒い瞳に燃える意思を宿し、バニーは強く言い切った。
表情に迷いはない。
「危険です、バニー」
緑色の瞳を、ジャンヌは心配そうに揺らした。
バニーの言葉を嬉しく思う反面、無謀だと思ったのだろう。
これまでがあまりに惰弱だったバニーには、無理だと。
バニーは、緑色の瞳を見返す。ここで引くわけにはいかない。
でなければ、あの苦しかった鍛錬もせっかく発現した異能も無駄になると、思えた。
「ジャンヌだって、一人じゃ危ないじゃないか。僕が、背中を守る!」
バニーは、言い切った。
英雄にして聖女であるジャンヌ・ダルクを前にして。
「そうね。今のバニーなら、剣を抜くような事態にならなければ、ジャンヌの後ろは守れるかも」
片目を瞑りながら、レノアはバニーを見た。
「先ほど魔人を倒した手並みは、見事でした。正直、わたしはバニー殿が異能を発現させたといっても、まだ戦えまいと思っていましたがそれは間違いでした。ジャンヌ殿の救出で、バニー殿は変わられましたか」
すっとセシルは目を細め、バニーを見詰めた。
細かく整った面を、柔らかく笑ませている。
「ジャンヌ、バニーと二人で敵を足止めしてちょうだい。できるだけ早く、あたしとセシルが大規模聖技と魔術を準備するから」
レノアが、ジャンヌとバニーを見詰めてそう命じた。
時間は無限にあるわけではないのだ。魔人の軍勢は、距離を詰めてきている。戦闘をしながら、大規模な聖技や魔術は行使できない。
そして、もうじき日が暮れかかる。夜になれば、不利は確実だった。
「分かりました。行きましょう、バニー。わたしから離れないように」
意を決した表情を凜然とした美貌に浮かべジャンヌは頷き、バニーを見た。
「よろしく、ジャンヌ」
そう答えるバニーは、真剣な表情を浮かべていた。
開かれた盾の隙間から、ジャンヌとバニーは飛び出し魔人の軍勢へと向かっていく。
みるみる近づく魔人どもは、実に恐ろしげだった。
バニーは、走るジャンヌの背を追う。
長剣を抜き放つと、ジャンヌの身体の周囲に五つの光の槍が現れた。
魔人へと光の槍は放たれ、数匹をなぎ払った。
そこで、魔人の両翼が突進を開始した。
突出したバニーとジャンヌを、包囲する構えだ。
十分近づくと、ジャンヌは立ち止まり再び光の槍を出現させる。
バニーは、後ろを向き背をジャンヌに預け、彼女の背中を守る。
後ろで何が起きているのかは、物音からしか分からない。
ほどなく、突進する魔人の軍勢の両翼が回り込み、バニーの正面から向かってきた。
バニーは、右手に銃を模させ構える。
人差し指の先が青黒く光ると、青黒い魔力の球弾――指弾が飛び出る。
魔人へと吸い込まれていく。
一発で魔人を倒せないことは先ほどで分かっていたので、バニーは指弾を連射する。
魔人が、倒れ伏す。
遮二無二、ジャンヌに近づけまいとバニーは指弾を放つ。
バニーとジャンヌは、迫り来る魔人を次々と倒していった。
陣中では、レノアが左手を胸に近づけぐっと握り、精神を集中している。聖技の上級技を発動させるには、十分に気を練り込む必要があるのだ。
「風を司る精霊たちよ」
隣では、セシルが詠唱を始めている。
より強力な魔術を用いるには、長い呪文を必要とするのだ。
「我が元に集え。そして、我が願いを聞き届けたまえ」
セシルの詠唱が、続く。
精神を集中させながら、レノアの碧い瞳は戦場を見ていた。
バニーとジャンヌが、敵を引き付けてくれている。
ジャンヌは光の槍で魔人どもをなぎ払い、バニーは背後から迫る魔人を指弾で仕留めた。
魔人の大軍のただ中にあって、それは奇跡のような光景だった。
異界の勇者二人、魔人をその場に止めている。
魔人どもは、上級聖技の効果範囲にかなりの数が入っている。
気が高まるには、もう少しだ。
「その持てる力を解放し、我が敵を打ち払いたまえ」
セシルの身体が、緑色に輝いた。
もう少しで、詠唱は完成する。
「ジャンヌ、バニー、後退して」
レノアは、あらん限りの声で叫んだ。
それに応えるように、ジャンヌは向きを変え光の槍を走らせる。
後方の魔人が切り裂かれる。
そこに、青黒い指弾も連射され撃ち込まれた。
包囲網の一角が崩れる。
バニーとジャンヌが走ってくる。
「ここにこいねがう。我が敵を切り裂け」
セシルの詠唱が、完成した。
すっと構えた長剣に、風がぐるぐると渦巻く。
レノアは、右手を差し出す。
「退魔の聖域」
「風刃乱舞」
レノアとセシルは、同時にそれぞれ発動キーを口にする。
するとレノアの身体が眩く光り輝き、右手から清浄な光が発せられる。それは、多くの魔人どもを包み込んだ。
上級聖技、退魔の聖域は一定の範囲に浄化をもたらす。
魔人どもは、のたうち苦しがり次々と霧散し消失していく。
セシルが差し出した長剣からは、嵐のように風が吹き出ている。それは、広範囲の魔人どもを捉え切り刻んでいった。
レノアとセシルの大規模聖技と魔術で、大多数の魔人が倒された。
「騎士団、残敵の掃討を!」
レノアは、号令を発した。
大盾の間から、雄叫びを上げ騎士たちが剣を抜き飛び出し残った魔人へと向かっていった。
「お見事です、レノア殿、セシル殿」
レノアたちの元に戻ったジャンヌが、勇ましげに褒め称えた。
「あんな凄い技が使えるんなら、最初から使って欲しいよ」
バニーは、文句を言わずにはいられなかった。
「技を使うまでに時間がかかるのです。距離も限られていますから。十分な兵力がなければ、使いどころが難しいのです」
セシルは、苦笑しながら説明した
「二人とも、よくやってくれたわ。あれだけの魔人を二人だけで引き付けるんだから。一〇〇〇の騎士か兵士が必要なことよ」
レノアは、満面の笑みを浮かべた。




