第4章 目覚め 2
午前中は、過度の鍛錬のため疲れ切ったバニーは、朝食を食べたあと自室で休んだ。
身体が悲鳴を上げていた。
だが、弱音は吐かない。
自分で決めたことだから。
この世界で生きていこうと決めたとき、今のままでは駄目だと痛切にバニーは思った。そのためには、最低限レノアの従者が務まらなければならない。魔人という化け物を見ただけで身がすくむ、剣もまともに振れないバニーにとって、それだけでも大変なことだ。
バニーがいかに努力をしても、とてものこと同じ世界からこのフェルナージアにやって来たジャンヌのようにはなれない。凡人である自分には、異能などといった特別な能力を発揮できるはずはないと、バニーは分かっている。
それでも、今のままの自分では嫌なのだ。最低限この異世界で生きていくだけの技を身に付けたい。それが、たとえささやかなものであっても。
魔人という化け物に敢然と立ち向かっていくジャンヌやレノア、セシルを見ていて、バニーは自分をとても恥ずかしく感じた。だから、やれるだけのことはする。
若いバニーは、昼食前には体力を大分回復させた。
午後は、レノアの鍛錬がある。
疲れ切った状態でないことが、バニーにはありがたかった。
「みんな、どこへ行ったんだろう?」
昼食後、厩舎やら外を見て回っていたバニーは、屋敷に戻ると使用人以外の者の姿が見当たらず、首を傾げた。
「まだ、午後の鍛錬には時間があるけど……」
どうしたのだろうと、バニーは思う。
「みんなで町へ行って、僕が外にいる間に行き違いなんてことはないよな」
次第に、バニーは不安になっていった。
午後からの鍛錬を忘れられ、自分だけ置いてけ堀を喰らったのだろうか、と。
まさか、屋敷の外を見て回っている間に、みんなで下の町へ行ったなどということはないだろう。さすがに声くらいかけてくれるはずだと思いたい。
バニーは、殆ど行くことのない上階へと、階段を上っていった。
日本の一市民でしかなかったバニーにとって、シュティーミル伯爵家の屋敷はとても大きく感じた。住んでいる者は、当主であるレノアに騎士団長であるセシル、異世界からやって来たバニーとジャンヌ、それと使用人二人だ。
当然、部屋も余りまくっている。とてつもない無駄に、バニーは感じる。だが、木々が生い茂った高台にあるこの屋敷は、とても風情がある佇まいをしている。高級感を感じる屋敷の作りと調度は、居心地がよかった。
上階へと続く階段の上は天窓となっていて、昼間は陽の光が射し込み明るい。
人気のなさが、がらんとしてバニーは感じた。
すると、微かな笑い声が聞こえてきた。
初めて来る三階は、ドアとドアの間隔がやけに広い。
その一つから、レノアたちの声が聞こえてきた。
バニーは、ホッとしながら、そちらへと向かった。
「どこにいるのかと思ったよ」
声に不機嫌さを滲ませながら、バニーはドアを開いた。
瞬間、ピキリと固まる。
目の前に、白い滑らかな彫像が三体並んでいたからだ。
瑞々しく、とても美しい。
まるで、妖艶でありながら清廉さを感じさせる花が、咲き誇っているようだった。
「「「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~」」」
声にはならぬ声が上がる。
バニーの目の前には、レノア、ジャンヌ、セシルが下着姿で服を手にしていた。
三人とも驚愕の表情を浮かべている。
レノアのすんなりした全身は、すべすべの肌をしている。
ジャンヌの身体のラインは、女性的起伏を十全に有していた。
ハーフエルフのセシルは、カモシカのようにほっそりしなやかな全身をしている。
三人が三人とも、とても美しかった。
普段は衣服に隠れた柔肌が、今は顕わになっている。
少女たちの丸見えの肩口や太股を見ているだけで、バニーはくらくらしそうだった。
彼女たちの裸体に目が釘付けとなって、全く動くことができない。
「な、な、な、な――」
レノアは、胸元を手に持つ服で隠しながら、わなわなと肩を震わせている。
「バ、バニー」
ジャンヌは、薄らと肌を紅潮させていた。
ふくよかな二つの膨らみを、右腕で隠している。
「……な、何ということを」
セシルは処女雪のように白く細やかに整った顔を、真っ赤にしていた。
白い薄い布地の丈の短い臍が見える下着に、胸からのラインが浮かび上がる。
「あ、あの――」
ゴクリと生唾を飲み込み、バニーは謝ろうとした。
だが、
「きゃぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
絹をつんざくようなレノアの悲鳴が上がった。
ジャンヌは、緑色の瞳に非難を浮かべバニーを見ている。
セシルは、琥珀色の瞳を上目遣いでバニーに向けている。
「ご、ごめんなさいーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」
その悲鳴で金縛りが解けたバニーは、速攻で部屋を出てドアをバタリと閉める。
と、同時にドカッとドアに何かが当たる音が聞こえた。
「バニー、待ちなさーいッ!」
足音が近づいたと思ったら、ドアが開かれチュニックのみを纏ったレノアが現れた。
ぜーはーぜーはー、肩で息をしている。
ただならぬ気配を感じ取り、バニーは逃げ出した。
「レノア、ごめん」
全速力で、バニーは駆けていく。
「逃がすかーッ! 待ちなさい、バニー。あたしの裸を見たことを、死んで償えーッ!」
逃げるバニーを、レノアが追いかけてくる。
ちらりとバニーは振り返ると、烈火のごとき形相をレノアはしていた。
チュニックのみでズボンも何も穿いていないので、顕わになった太股が白く眩しい。
バニーは、前を見ると無言でさらに速度を上げた。
「逃げるなーッ! コォラァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」
背後から、レノアの怒声が響き渡った。
「さっきはよくもやってくれたわね、バニー」
レノアの声には、怒りの分子が多分に滲んでいた。
ぽんぽんと右手に持った木剣で、左の手のひらを叩いていた。
その様は、これからどうしてくれようと言っているようだった。
バニーの目の錯覚か、レノアからどす黒いオーラが立ち上っているように見える。
「わざとじゃないよ」
ゴクリと生唾を飲み込み、バニーは弁明する。
背に、たらりと汗が流れ落ちる。
「当たり前でしょう。わざとやったら殺してるわよ」
きっと碧い瞳で、レノアはバニーを一睨みした。
先ほど下着を身に付けていたとはいえ、肌の大部分が顕わになった姿をバニーに見られたことを、まだ許している様子はなかった。
「悪かったよ」
言いつつ、バニーは三人の少女の顕わな姿を思いだし、再び顔を赤らめた。
三人とも美しい少女。
そんな彼女たちが、瑞々しい肌をさらけ出したあられもない姿は、チクチクとバニーを刺激してきた。いけない忘れようとしても、脳裏から消えることはない。白い肌が作り出していた芸術的な曲線は、とてもたおやかで綺麗だった。若いバニーであるので、とても平静ではいられなかった。
正直、レノアを前にしているのも、今のバニーには精神衛生上よくなかった。少々控えめな胸元だが、全身はすんなりとしていて健康的な美をレノアは有している。どうしても、先ほどの光景がバニーにちらついた。
正視するのが、難しかった。
「鍛錬が始まる時間まで、ずっと隠れていて」
レノアは、碧い瞳をすっと細め、喉の奥から少々威嚇的な響きのある声を発した。
「は、ははは」
たらりと、一筋バニーから汗が垂れる。
午後のお茶の前に、レノアの鍛錬がある。バニーは、それまでボート小屋に隠れていたのだった。裸を見られたレノアの剣幕は凄まじく、捕まれば無事では済まないと感じたバニーも必死だった。
子供っぽいと思いながらも、バニーは嵐が過ぎ去るのを隠れて待ったのだ。
生真面目なレノアは、先ほどとんでもないことがあったが、中庭に木剣を手に現れた。ボート小屋を出て中庭を覗っていたバニーは、ようやく姿を現し今にいたるというわけだ。
「覚悟しなさいよね。乙女の肌を見たんだから」
シュッと音をさせ、レノアは木剣で空を切った。
「公私混同はよくないよ」
少し青ざめながら、バニーは木剣を構える。
「黙りなさい」
途端、すっとレノアの身体が動いた。
ぱこーんと、いい音が響いた。
「痛ッ――」
頭を両手で押さえ、バニーはうずくまった。
レノアの木剣が、見事バニーの頭に直撃したのだ。
「な、何するんだよ?」
ぐわっと顔を上げ、黒い瞳に涙をためながらバニーは抗議を口にする。
「ふん。いい気味よ」
レノアは、とんとんと木剣で自分の肩を叩き、バニーを見下ろした。
碧い瞳が、とても怖い。
ぞっと、バニーの背筋に冷たいものが走る。
「ぼ、暴力はよくないよ」
身の危険を感じ、バニーは狼狽え気味になった。
「昨日、何かやる気出してたじゃない。もっと鍛えてくれって言っていたでしょう」
レノアの猫なで声が、とても獰猛にバニーには聞こえた。
レノアは、自分をいたぶって鬱憤を晴らすつもりではないかと、青くなる。
「いくら真剣じゃないからって、怪我するって。っていうか、打ち所が悪けりゃ死ぬよ」
たまらず、バニーは懇願するような眼差しをレノアに向ける。
「あたしの鍛錬では、バニーは攻撃を捌くことからやってもらうって言ったわよね。あー、楽しみだわ」
にこやかな笑みを、気の強そうな綺麗な顔にレノアは浮かべた。
それは、暗にバニーがこれから受ける仕打ちを示していた。
「そ、そんなー」
青ざめた顔を、バニーはした。
果たしてこの鍛錬のあと、自分は五体満足でいられるだろうか、と。
「ほら、さっさと立ちなさい。強くなりたいんでしょう」
にんまりと、レノアはしている。
バニーは、そこに悪意を見いだしあとずさる。
「ほらー、逃げないで」
じわじわと、レノアはバニーを追い詰める。
バニーの背が、屋敷の壁に当たり逃げ場がなくなる。
「今朝、乗馬をやったんですってね。午後は、剣をみっちり鍛えてあげるから」
よほど肌をバニーに見られたことを、レノアは腹に据えかねているらしかった。
決して自分を許す気が彼女にはないと、バニーは進退窮まった。
結局、バニーは散々レノアに打ち据えられた。さすがに加減はしているらしく、大怪我をするなどといったことはなかったが。
それでも、身体のあちこちがずきずき痛む。
「全く、全然なってないわね」
ようやく溜飲が下がったのか、レノアは小馬鹿にした口調を作りバニーを見遣った。
その態度に、散々いいようにされたバニーは、さすがにむっとした。
「あっちの世界で僕が生きていた時代では、剣なんて時代後れの骨董品だったんだよ」
小馬鹿にした口調を、バニーは作った。
これくらいの意趣返しをしなければ、散々やられ続けた憤懣がおさまらない。
「嘘おっしゃい」
疑わしげな視線を、レノアはバニーに送った。
「本当さ。銃があれば、剣なんて」
言いつつ、バニーは右の人差し指と親指を除いた指を折り曲げ、近くの木の枝に向けた。
銃を撃つイメージを頭に思い浮かべた。
尤も、バニーは元の世界で本物の銃など撃ったこともなかったので、完全に想像だが。
そのときだった――。
人差し指の先が青黒く光った。
と思った、何かが飛び出し木の枝に当たり吹き飛ばした。
「何? 今のって……」
驚愕をレノアは、綺麗な面に貼り付けている。
呆然と、バニーは自分の手を見た。
「異能を発現させるとは、さすがは世界を渡ったお方。やはり、バニー殿も異界の勇者だったのですね」
感動した面持ちを、セシルはバニーに向けた。
「い、いえ」
美しいハーフエルフの少女の賛美に、バニーは顔を赤らめつつ照れた。
言葉と尊敬の眼差しを、こそばゆく感じる。
「バニーもわたしと同じ世界から来たのに、おかしいと思っていました」
微笑みを凜然とした美貌に湛え、ジャンヌは鈴を転がすような声に、嬉しそうな響きを乗せた。
「いや、同じ世界から来たって言っても、僕なんかがジャンヌと比較になるわけないし、これはたまたまというか偶然で――」
「謙遜されることはありません。この世界にある聖技とも魔術とも異なった異能は、異界の勇者にしか発現しないもの。紛れもなく、バニー殿の実力ですよ」
わたわたしながら自分を否定するようなことを口にしていたバニーを遮り、セシルはやんわりと否定した。
琥珀色の瞳を、少しだけセシルは鋭くする。
その瞳に射られ、バニーはセシルを怒らせただろうかと思った。セシルは、卑下するような真似を嫌うのかも知れない。日本にいたとき読んだファンタジー小説を、バニーは思い出す。そこで描かれるエルフは気高い存在で、とても誇り高い種族となっていることが多い。
仮にも自分が発現した異能を否定するような言葉は、セシルにとっては不愉快なのかも知れない。尤も、セシルはハーフエルフだが。
「そ、そうですね」
異能を発現したことは事実であるのでこれ以上の醜態を晒すまいと、自分を否定しようとする衝動をバニーは抑え込んだ。
「そうですよ、バニー。僕なんかと言っては駄目です。それなら、わたしはただの農民の娘に過ぎません。前々から思っていましたが、バニーはわたしを過大評価しすぎているような気がします」
緑色の瞳に、少しだけ咎めるような色を浮かべながら、ジャンヌも注意してきた。
「いえ、本当にジャンヌは僕の生きていた時代では、英雄で聖女です」
これは事実であるので、バニーは言い切った。
ジャンヌ自身は、自分が英雄などといった実感はないのかも知れない。彼女が認められたのは、何しろ死後だ。
「また、バニーは」
少しだけ、ジャンヌは困った顔をした。
「いいじゃない、ジャンヌ。あなたが英雄なのは紛れもない事実なんだから。現に、このシュティーミル伯爵領で、ジャンヌは英雄になりつつあるわ」
気の強そうな綺麗な顔をにこにこに笑ませるレノアは、機嫌よさそうだった。
今、四人は中庭にいた。
異能をバニーが発現させたため、レノアがジャンヌとセシルの二人を呼んできたのだ。
「さ、バニー。二人にも見せてあげて。今後魔人と戦っていく上で、バニーの異能がどんなものかジャンヌとセシルは知っておくべきだから」
レノアは、バニーを碧い瞳で見ながら促してきた。
「う、うん」
バニーは頷く。
三人から少し離れた場所に立つ。皆に見られているので、少しバニーは緊張した。
「バニー……」
ジャンヌは、バニーを見ながらそっと呟いた。
「どのような異能か?」
琥珀色の瞳に、興味深げな様子をセシルは浮かべる。
「なかなか、面白いわよ」
腕を組み、レノアはちらりとジャンヌとセシルに視線を送った。
そんな話し声を聞きながら、バニーは一つ深呼吸する。
――よしッ!
バニーは、気持ちを入れ替えた。
右腕をすっと伸ばし、人差し指と親指を除いた指を折り曲げ、手で銃の形を作る。
木の枝を照準する。
それから、銃を撃つようにバニーはイメージした。
人差し指の先が、青黒く光った。
青黒い魔力の球弾が、飛び出る。
それは、狙い違わず木の枝を撃ち抜いた。
ピシッと音を立て、木の枝が吹き飛ぶ。
「これは……」
ジャンヌは、目を丸くした。
「おお」
感嘆の声を、セシルは発した。
うまくできたと、バニーはホッと一息吐いた。発現した異能は、消えることなくバニーが銃を撃つイメージをすることで、使用可能となるようだった。
「なかなかでしょう」
レノアは、ジャンヌとセシルに微笑みかけた。
ちょっと誇らしげな表情と口調に、バニーは何だか嬉しくなった。
「弓矢よりも手軽で、威力は比較になりません」
ジャンヌは、興奮したような口調だった。
「確かに、これは面白い」
目を細めつつ、セシルはバニーを見ていた。
「でしょう。ジャンヌの光の槍ほどの破壊力はないものの、使い勝手がよさそうだわ」
満足そうな顔をレノアはしている。
皆の反応に、バニーはよかったと胸をなで下ろす。
自分も異能を得たのだと、しみじみと実感する。これで、自分はただのお荷物ではないとバニーは思う。正直、嬉しい。
あの凶悪な化け物――魔人に、レノアやセシル、英雄ジャンヌ・ダルクの三人の少女が立ち向かっているというのに、男である自分が何もできないことが、バニーには歯がゆく悔しかったのだ。
だが、これで自分も役に立てると思うと、バニーはホッとする。
このフェルナージアという世界も元の世界同様本物で、魔王に魔人といった脅威に脅かされている。自分たちが生き延びるために、戦わなければならないのだ。
レノアやセシルが生きるため必死に戦っていることで、バニーはこのままの自分ではいけないと思った。ジャンヌは、この世界で本来の破滅に絡め取られることなく、新たに英雄として歩みを始めている。バニーも何かしなければと思った。非力な自分が悔しかった。
それが、この異能を発現させたことで、バニーも役に立てるかも知れないのだ。
自然、バニーの心は弾んだ。
このレノアに召喚されやって来た異世界――フェルナージアでバニーも生きていく道を見つけ出せるかも知れない。
発現したこの異能は、バニーにとって暗闇に灯る明かりのようだった。
自分も、何ものかになれるのだろうかと、バニーは思った。
ジャンヌのような英雄は無理だとしても。
「バニー。その木を丸裸にしても構わないから、何度もやって慣れておいて」
伸びやかな声で、レノアがそう命じてきた。
バニーは、素直に従った。
指から黒みを帯びた青い魔力の球弾を何度も発射した。
何発も撃っているうちにコツも掴めてくる。集中すれば、連射もできるようだった。
バニーは、暫し発現した異能に夢中になった。