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フェステが暗躍する  作者: アンバーハウス
ロミオとジュリエット
9/18

ピュラモッシの石窯パン/スペイダ屋敷での密談

この世界での貨幣について、かるーく説明をば。

単位は各国共通でエイン。一エイン=日本円の一円ぐらい。

その上で、各貨幣の価値はというと……。

金貨一枚=五万エイン

銀貨一枚=一万エイン

白鉄貨一枚=千エイン

大銅貨一枚=百エイン

……とする。

 ――熱く焼けた石窯から、金属のトレイを一気に引き出す。

 途端に、爆発的に広がる、豊かな小麦とバターの香り。トレイの上にずらりと並んだ、できたてのロールパンから立ち昇ったものだ。つやのあるきつね色の表面が、窯の外の涼しい空気に触れて、ぱりぱりと微かな音を立てている。

「どれ、ひとつ味見を……はふっ、はっ、はっ……よしよし、今回もいいものができたぞ」

 適当にひとつ口に放り込めば、旨みがじゅわっ、と溢れ出す。香り、味、そして熱の完璧なハーモニーが、舌の上で奏でられた。この味わいは、正真正銘の焼きたてを食べられるパン職人だけに許された特権だ。

 じっくりと味の余韻に浸りたいところだが、あまりぐずぐずしてもいられない。パンがたっぷりと熱をはらんでいるうちに、藤細工のカゴにトングで移し、大急ぎで工房から店へと運び込む。

「お待たせ! 特製ロールパン、焼きたてですよ! 冷めないうちにどうぞ!」

 ちょうどお昼時で、店の中にはたくさんのお客さんがいた。近所の奥様方がやはり多いが、仕事の合間に立ち寄る商人や職人の姿も見受けられる。

 しかし、男であろうと女であろうと、美味しそうな匂いに対しては似たような反応を示すものだ。誰もが鼻をひくつかせて、こちらに注目し――そして、我先にと群がってくる。

 このロールパンは、うちの店の看板メニューだ。旨味のある岩塩と、たっぷりのバターを生地に練り込んだ本格派。アンペルバールにベーカリーは数あれど、ロールパンの質はうちが一番だと自信を持って言える。

 結局、俺が運び込んだロールパンは、ものの一分ほどで売り切れになってしまった。

 カゴをひっくり返して、売れ行きに満足しつつひと息ついていると、精算コーナーの方から元気な声が飛んできた。

「お疲れ様、ロミオ! でもまだ、表に並んでるお客さんがいるわ! 早くもうひとカゴ焼いてきて!」

「おう、了解だジュリエット! 他に足りないパンは?」

「ツナとトマトの揚げパンが、そろそろなくなりそう! 生地のストックある?」

「大丈夫だ、それもすぐ持ってくる!」

 割れるような大声で――大勢の客の頭を飛び越すような形で――俺と妻のジュリエットは、無駄のないやり取りを交わす。もちろん、最後にウインクをして、無言の『愛してる』を伝えるのも忘れない。

 夫婦ふたりだけで切り盛りする、小さいけれどにぎやかなお店。それがベーカリー『ピュラモッシの石窯パン』だ。

 活気のある良い店だと、常連のお客さんに言われたことがある。商売が繁盛していて、奥さんもきれいで、幸せな人生だなと言われたこともある。

 俺自身も、常々そう思っている。

 パンを焼く仕事が好きだ。お客さんがたくさん来てくれるこの店も好きだ。妻に関しては言うまでもない。たぶん世界一の美人だ。

 充実している。とても。

 この日々が、いつまでも続いて欲しいと思ってしまう。

 今、この手の中にある日常を守ることが、俺の役目だと思ってしまう。

 ――ベルホルム帝国に破滅をもたらすという使命を、つい忘れたくなってしまう。

 俺は、革命家ロミオ・ピュラモッシは、幸せになるためにこの国に来たわけじゃないのに。



 夕方五時に店を閉めると、ホクホク顔のジュリエットが、腕に腕を絡めてきた。

「たくさん売ったわねー、ロミオ! 帳簿がイイ感じに黒字ばかりで嬉しいわ。

 今日は全部で金貨一枚、銀貨四枚、白鉄貨二枚、大銅貨六枚の利益になったの! 共通貨幣レートに直すと、九万二千六百エイン! このペースで稼いで、しっかり貯金していけば、中心通りに近いところの店舗を、土地付きで買える日が来ちゃうかも!」

「ああ、そうだな。あの辺は一等地だからお高いが、だからこそ憧れるよなぁ」

 楽しそうに夢を語るジュリエットの頭を、空いている方の手でポンポンと撫でてやる。

 しかし、俺が手を乗せた位置が、衛生用にかぶっている三角巾の上だったのが気に入らないらしく、彼女はうりうりと頭を動かして、額の辺りを手のひらにすりつけてきた。少し柔らかめな、彼女の前髪が指先にまとわりつく。くすぐったいが、嫌いじゃないその感触。

「……さて、それじゃちゃっちゃと片付けて、晩ごはんにしましょ。一日中おつりの計算してたから、お腹ぺこぺこ」

「俺もだ。今夜のメニューは何だい?」

「野菜のオムレツよ。トマト、じゃがいも、たまねぎ、きゅうり、レッド・キドニーをたっぷり入れて包むやつ! ソースは、昨日作ったデミグラスがあるから、それを使うわ」

「いいねえ。ワインも出さなきゃな」

「あんまりたくさんはダメよ? あなた、私が止めないと、それこそ水みたいにじゃんじゃん飲むんだから!」

「いいじゃないか、たまには。明日は休みなんだし」

「でもダメ! お酒と支出は控えめにってのが、商売人の常識よ!」

 ジュリエットは言いながら三角巾を脱ぎ、髪を結っていたリボンをほどいた。つやのある長い黒髪が、川の流れのようにうねりながら、彼女の胸元にこぼれる。

 きれいだ。

 俺の髪も同じ色だが、その印象は、磨かれた黒水晶と松明の燃え残りぐらい違う気がする。男と女、生物的な差によるものか。それとも、毎日しっかり洗った上、ブラシやヘア・オイルで手入れをしているかどうかの差だろうか。

 たぶん、その両方なんだろう。

 店の掃除を終えると、ふたりでダイニングに移動して、狭いテーブルに向い合わせで夕食を摂る。

 パン作りならさすがに負けるつもりはないが、それ以外の料理なら、ジュリエットの方が圧倒的に上だ。

 彼女がぱぱぱっと焼き上げたオムレツは、ふんわりと柔らかく、野菜の甘みがきいていて絶品だった。オムレツ自体の味付けは上品にしてあるから、濃厚なデミグラスとの相性もバッチリ。これで、俺の用意した赤ワインが高級品だったら、どれだけよかったか!

「美味しい?」

 黙々とフォークを口に運ぶ俺を、ジュリエットの灰色の瞳が、ニコニコと見つめていた。

「最高」

「えへへ」

 短い誉め言葉に、ふにゃりと相好を崩す様子も可愛らしい。

 見ていて飽きない女だ。俺は、ジュリエットの笑顔を肴に酒を楽しみ、彼女の分のワイン・グラスがカラになりかけていたので、おかわりを並々と注ぎ足してやった。

 ――ジュリエットとは、結婚してそろそろ一年になる。

 人懐こく、無邪気な、ひまわりを思わせる雰囲気の女。その笑顔は、見る者の心を癒してくれる。

 彼女に出会う前の俺は、頭の中を嫌なことに占領されていた。つらい出来事に遭遇し、多くのものを失い、胸にぽっかりと大きな穴を空けられた状態だったのだ。その致命的な隙間を、憎しみや悪意で埋めることで、かろうじて精神の均衡を保っていた。

 失ったものを取り戻すための活動を始め、無我夢中で取り組んだ。仲間がいたし、応援してくれる人もいた。しかし彼らは、俺と志を同じにし、痛みを分かち合うことはできても、癒すことはできなかった。

 だからこそ、ジュリエットに出会った時。俺は、一発でまいってしまったのだろう。

 疲れ果てた俺を、彼女の笑顔は優しい熱で暖めてくれた。彼女の快活さは、俺自身をも傷つけるような憎悪のとげを、柔らかく丸めてくれた。

 もし、彼女がこの世にいなければ。

 俺は、自分の使命を果たすその前に、自身の憎悪に蝕まれ、倒れていたかも知れない。

「ああ、そうだ、ジュリエット。明日なんだがな、午前中……そうだな、朝の九時ぐらいから、ちょっと家を空けるから」

「え? いいけど、どうかしたの?」

「いや、心配するようなことじゃない。単に、マーキューシオのところにバターを注文しに行くだけさ。最近、ロールパンがよく売れてるから、毎日届けてもらってる分だけじゃ、ちょっと足りなくなりそうなんだ」

「あー、なーるほど。確かに、うちのロールパンには、スペイダさんとこのバターが必須だもんねー。

 了解、気をつけて行ってきて。お帰りは何時頃?」

「正午ぐらいになると思う。あいつはもてなし好きだから、いつもワインの一杯か二杯は飲まされるんだよな。付き合いもあるし、注文だけしてはいサヨナラ、とはいかんだろうよ」

「ふふ、そう言いつつ楽しみにしてるくせにぃ。あなたが、ワインを仕方なく飲むわけないじゃない」

「いや、まあ、その、否定はしないが、なぁ」

 からかうようなジュリエットの言葉に、苦笑を返して。俺は自分のグラスのワインを飲み干す。

「まあ、さすがに酒はほどほどにして、昼はうちで食うことにするよ。ついでに、ベーコンとチーズも買ってくるから、パスタでも作る用意をしておいてくれ」

「了解。にんにくとトマトソースのペンネにしよっかなぁ、それともカルボナーラがいいかなぁ」

 明日の昼食を夢想し、うっとりとした表情を浮かべるジュリエット。平穏で、正直で、心配事のない、我が日常の象徴!

 そんな彼女と向かい合わせに座る俺も、同様に後ろ暗いところのない存在でなくてはならなかった。少なくとも、そうであるようにふるまわねばならないのだ。俺自身の暗闇は、俺ひとりで管理すべきであり、彼女に分け与えていいものではない。

 嘘をつくのは苦痛ではなかった。革命が痛みを伴わずしてなし得ないのと同じで、彼女という心の支えなくして、俺は生き続けられないのだ。居心地のいい日だまりを、日だまりのまま維持するためならば、いくらでも芝居ができた。

 ――ただ、ひとつだけ、拭いきれない迷いがある。

「午後は何しようか? いつも通り、大通りでショッピングでもするか?」

「んー、たまには観劇とかどうかしら。アンペルバール中央劇場で、面白そうな殺人劇やってるらしいのよ」

「ほう……いいかもな。よっしゃ、明日は劇場デートってことにしよう」

 他愛のない、幸せな会話を重ねれば重ねるほど、不安が募る。

 俺たちのこの日常は、革命を起こしたあとでも、変わらずに続いてくれるのだろうか?



 五月の柔らかな日差しを浴びながら、緩やかに登る曲がりくねった道を進む。

 スペイダ牧場は、全体を濃い緑に覆われていた。牧草の絨毯が、どこまでも切れ目なく広がっていて、ところどころに焦げ茶色のドットが散らばっている――昼寝をしていたり、草を食んだりしている牛たちだ。その光景は大変にのどかで、この世には残酷なものなど何もないのだと錯覚しそうになる。

 丘の上にまで登り詰めた俺が訪ねたのは、これまた罪のない、絵本にでも出てきそうな素朴な屋敷だ。分厚い茅葺き屋根に押し潰されそうになっている、木と煉瓦造りの古めかしいスペイダ邸。

 そこに近付くと、どこからか丸々と太ったアヒルたちが寄ってきて、ガアガアと鳴きながら足元をぐるぐると駆け回り始めた。

「わっ、とっ、とっ、とっ、またかっ、こら!

 ええい寄るなっ、寄るなって。俺は餌なんか持っちゃいないぞ!」

 このままだと、ズボンのすそを飼料と間違われて噛みつかれかねないので、俺は蹴るように脚を振ってアヒルたちを追い払おうとした。しかし、連中は危機感がないのか、それともズボンがよほど美味そうに見えるのか、こちらがあがけばあがくほど、元気に飛びかかってくる。

 何十羽ものアヒルたちが密集し、緑色の地面が見えなくなり、しまいには本当にこいつらに食い殺されるんじゃないかと恐れ始めた頃に――やっと助けが訪れた。

「ああ、ほらほら、お前たち、お客さんをあまりこまらせちゃいけないよ。ほらほら、あっちに行きなさい」

 屋敷の扉が開いて、太った男がのっそり現れたかと思うと、慣れた手つきでホウキを振って、アヒルたちの群れをバラバラに散らしていった。

「た、助かった、マーキューシオ」

「いえいえ、ロミオさん。助けに入るのが遅くなってすみません。ちょうど、つまみ用の豆を茹でていたところでして」

 同志マーキューシオ・スペイダは、肩にかけたタオルで額の汗を拭きながら、人が良さそうに笑った。

「しかし、相変わらずお前んとこのアヒルたちはすごいな。もう何回もここに来てるし、このお出迎えも毎度のことだから、少しはあいつらをあしらえるようになりたいんだが……まったく、手も足も出ない!」

「あっはっは、それが彼らの仕事ですからね! 誰もいない時は静かだけど、人が近付けば、それが誰であれ、大きな鳴き声を上げながらまとわりついていく。

 アヒルたちの目を盗んで、うちの屋敷に忍び込むなんてことは、軍隊にいるプロの隠密兵にだってできません。まさに最高の警報装置ですよ」

「確かに。だからこそ、誰かが近付いてくればすぐにわかるお前の屋敷は、密談に最適だってわけだな。……他のふたりは?」

「ベンヴォーリオさんもジョージじいさんも、もういらっしてますよ。いつもの部屋です。どうぞ」

 俺は頷いて、マーキューシオとともに屋敷の中に入る。さっきまであれほど騒がしくしていたアヒルたちは、嘘のように静かになっていた。

 通されたのは、牧場を見渡せる大きな窓があるダイニングだ。丸太を削って組み合わせただけのような、重厚で広い正方形のテーブルがあり、その二辺を占める形で、仲間である僧侶と老兵が椅子に座っていた。

「お待たせしました、おふたりさん。ロミオさんがおいでになりましたよ」

「おはよう、ベンヴォーリオ、じいさんも。待たせちまって申しわけない」

「なぁに、気にするな。ご老人と一緒に、先に一杯やらせてもらっていたからね。まったく退屈はしてないさ」

「ふん、言いよるわこの腐れ坊主め。そこのビンを空けたのは、ほとんど貴様だろうに。このわしはひと口舐めただけだ……マーキューシオ、ロミオ、とっとと座れ。ベンヴォーリオがここの酒蔵を空っぽにする前に、さっさと話を片付けるぞ」

 頭をつるつるに剃り上げたベンヴォーリオ・ゲルフは、少しも酔った様子を見せずに、快活な笑みを浮かべてみせた。

 逆に、不愉快そうに毒つくのは、灰色の蛙のようなジョージ・バルサザー老人だ。といっても彼の場合、いつでもこのように口が悪いので、本当に機嫌を損ねているというわけではないだろう。

 俺とマーキューシオも、テーブルの残り二辺を埋めるように着席する。

 入り口から一番遠い上座が、この集まりのまとめ役である俺。左手にバルサザー老人、右手にベンヴォーリオ、対面にマーキューシオといった配置になった。

「さて。それじゃ、定例会議を始めようか」

 俺がそう切り出すと、室内の空気が冷たく引き締まる。

 ここにいる奴らは、みんな気のおけない友人たちではあるが、帝国に対する憎悪を共有する同志でもあった。今、この瞬間に限っては、なごやかさは不要であり、ただ強い意思のみが求められていた。

「まず、今回は俺からひとつ、大きな報告がある。昨日、例の方々から連絡があった……決行命令だ。俺たちの望むタイミングで、いつでも計画を実行に移していいらしい!」

 ベンヴォーリオとマーキューシオが目を見張り、老人が「おお」と、歓喜をにじませた声を漏らした。

「おい、間違いないんじゃな、ロミオ?」

「ああ、じいさん。あんたの寿命には、なんとか間に合ってくれたよ」

「な、長かったですねえ……そうかぁ、とうとう決行かぁ」

「この集まりを始めてから、もう何年も経ってるからねぇ。私たちもずいぶん待ったもんだよ。感無量、と言ってもいいな。

 しかし、ロミオ。なぜ急に、先方はゴー・サインを出してくれたんだい? 世間的には、特別、これといったきっかけになりそうな事件も起きていないが……」

「残念ながら、ベンヴォーリオ。向こうの詳しい事情は、俺も教えてもらってないんだ。ただ、例の金貨の中の手紙に、決行せよと書かれていただけでな」

「そうか、あの通信方法じゃ、あまり大量の情報は送れないからね。まず誰にもバレない、巧妙なやり方ではあるんだが……」

「ああ。あれこそ、俺の故郷――ジャゼ共和国の技術力の賜物だよ。

 貨幣の中じゃ比較的厚みのある金貨を、円周に沿ってスライスして、二枚の円盤を作る。その切断面を削って、二枚を元通り重ね合わせた時、内部に空洞ができるようにする。

 その空洞部分に、小さな手紙を入れて、二枚の円盤を接着する……出来上がりは完全にただの金貨で、中に手紙が仕込まれてるなんて、パッと見ただけじゃわかりようがない」

「先方の連絡員は、その細工された金貨を使って、あなたのお店でパンを買うというわけだ」

「ああ。人は毎回違っているが、例の方々はうちの一番のお得意様だよ。お釣りを出すのが、少々大変ではあるがね。

 手紙入り金貨は精密極まる工芸品だから、精算台に立っているうちの家内だって、異常に気付いたことはない。完全に安全な通信手段さ。

 金貨はお高いものだから、先方の出費が少々気になるが……まあ、俺たちのスポンサーをしてくれるような人たちだ、心配はいらないんだろうな。

 今はそんなことより、だ。ついに作戦決行の許可が出たのだから、俺はなるべく早くことを起こしたいと思うんだが、お前たちの意見はどうだ?」

「意義なし!」

「そりゃあもう、早い方がいいに決まってますよ!」

「年単位で待ち続けてきたんじゃ、これ以上辛抱なんかできるものか! やろうぞ、ロミオ!」

 仲間たちは口々に賛意を示し、そのやる気の高さを見せつけるように、拳を振り上げていた。

 俺はその様子を見て、満足の気持ちとともに大きく頷く。

「よろしい、それでは帝国に鉄槌を食らわせる日を、次の『聖杯』公開日、安息の日でもある七月十一日とする!

 ベンヴォーリオ、その日のアンペルバール大聖堂の警備システムはどうなっている?」

「いつもの公開日と同じさ! 通常の聖堂守護隊十五人に、帝国騎士団から派遣された警備兵百人が追加され、建物の内外で巡回を行う。

 一般の観覧希望者は、大聖堂に入る前に身元の確認と、簡単な所持品チェックをされる。この検査官は三十人いて、そのひとりが私だ。私のいる受付に並んでくれれば、爆薬をそのまんま持ち込んでくれても、見ないふりをして通してあげるよ」

「いや、それはやめておけ! 入場待ちの行列を、教会のスタッフが整理する可能性があるでな」

 鋭く、バルサザー老人がベンヴォーリオの発言に割り込んだ。

「なにしろ、大勢の客が詰めかけるイベントじゃからのう。人の流れはけっして均一でない。受付によって並んでいる人数に偏りができれば、混んでいる列から空いている列へ、客を移動させることもあるはずじゃ。

 爆薬をそのまま持っていって、ベンヴォーリオ以外の受付に並ぶことを強制されたらどうする。その時点ですべてが台無しだ。そんなでは困る!

 計画の中心となる爆薬については、普通に受付を通しても……いや、抜き打ちで警備兵のチェックを受けたとしても見破られないぐらいの、完璧な偽装を施しておくべきじゃと、わしは思う!」

「うん、その通りだな。ベンヴォーリオ、この点に関しては、俺もじいさんと同意見だ。もちろん、お前の受付を使わせてはもらうが、一応は他の客と同じように、真剣にチェックしてくれ。

 偽装した爆薬を見つけても、口に出さないでいてくれれば、それでいいんだ。お前自身の立場も考慮すると、それが上策だと思う……たとえば、あとでお前の同僚から、持ち物検査の時に手を抜いただろうとか言われたら、ちょっと困るだろう?」

「なるほど、了解したよ。――で、肝心の爆薬の準備は?」

「材料の調達なら、一年以上前からできている。俺の家の地下室に、小麦粉やなんかと一緒に保管してあるよ。あとは、レシピに従って調合するだけだ。完成までに半日もかからない」

「ええと、ロミオさん、僕からも質問なんですが、爆薬の量と威力はどの程度で? あまり大荷物になると、偽装しても怪しまれます」

「安心しろ、マーキューシオ。威力と携帯性については、俺が保証する。

 鉱山でも使われていた、少量でもとびきり強力な爆薬を用意するつもりだ。だいたい、そうだな……ウズラの卵ぐらいの大きさで、大型の乗合馬車を粉々に吹っ飛ばせる。用意してある材料を全部使えば、大聖堂そのものを瓦礫に変えることだってできるだろう。

 まあ、さすがにそこまでする予定はないが、それでもひとりにつき、弁当箱ひとつ分ぐらいの爆薬を持ち込んでもらおうと思っている。偽装は俺の方でしておくが、それくらいの量であれば、不自然な荷物にはならないはずだ」

「ええ、そうですね、そのくらいなら何とかなりそうです」

「うまく大聖堂の中に持ち込めたら、他の見物客たちに混じって移動し、各自、所定の位置に爆薬を設置してもらう。素早く、目立たずに。もちろん、警備兵に見られてはダメだ。連中の巡回パターンを頭に入れておいて、タイミングを見極めること!

 注目を集めないためにも、全員、基本的に単独で動くことになるだろう。大聖堂には、俺、マーキューシオ、じいさんの順で、バラバラに入る。ベンヴォーリオは、受付のシフトが終了してから行動開始だ。

 大聖堂からの脱出も、ひとりずつだ。じいさんには、出口の近くで待機していてもらう。俺、マーキューシオ、ベンヴォーリオは、仕事を終えたらじいさんに声をかけて、そのまま外に出る。三人全員の合図を確認したら、じいさんは『福音』の能力を使って、自分の持参した爆薬の導火線に火をつけるんだ。そして、じいさん自身もすぐに脱出……。

 各設置場所の距離は、ちゃんと計算してある。じいさんが火をつけた爆薬さえ破裂してくれれば、他の爆薬にも確実に引火する。特に祭壇周辺は、爆炎と爆風が集中し、完全に破壊されることになるだろう。

 導火線の時間的余裕は、なるべく短くしたいところだが……じいさん。あんたは火をつけてから、何分ぐらいで大聖堂から出てこれる?」

「ふん、馬鹿にするでないわ。お前らなんぞより、よほど足腰は鍛えておる。全力で走れば、二十秒もかからんわ。

 ……と、言いたいところだが……さすがに『聖杯』公開中の大聖堂で、全力疾走なんかしたら怪しまれるわな。何でもない風を装って、普通に歩いて出るとなると……二分半は欲しいところだ」

「それくらいが妥当だろうな。火が見つからないようにする工夫もいるし、もう少し考える余地はありそうだ。

 よし、じいさん。来週までに何度か現場を歩いてみて、脱出に必要な時間を確かめてくれ。

 ベンヴォーリオはそれに付き添え。じいさんの行動が怪しまれないように、大聖堂内を案内するふりをしてやるんだ。

 マーキューシオは……特に指示すべきことはない……いや! 当日に着ていく服と、持っていく荷物とを選んでおけ。これはじいさんもだ。ベンヴォーリオの場合は、僧服で決まりだろうから、考える必要はないな。来週の会議では、それぞれのコーディネートに従って、爆薬を何に偽装するかを話し合う。

 ……今回、俺から言っておくべきことはこれくらいかな。他に誰か、話し合っておきたいことのある奴はいるか?」

 三人は、首を横に振った。それを確かめて、俺は頷く。

「よし、では、今日の会議はここまで。もう少し酒を飲んで、いかにも駄弁ってましたって雰囲気を作ってから、ここを出よう。人の目を引かないために、できるだけの注意が必要だからな」

「ふん、ロミオ、ロミオ、ロミオ、いちいち取り繕うな! もったいぶったことを言ってはおるが、結局はお前もこのベンヴォーリオと同じで、ただ酒をたらふく飲みたいだけだろうが」

「はは、じいさんには敵わないな。確かにそれもないではない。でも、俺たちのやってることを考えると、慎重に慎重を重ねるのは間違ってないと思うんだけどね。なあ、ベンヴォーリオ?」

「そうそう。私やロミオは慎重派なんだよ。けっして、ワインが飲めれば何でもいいと思ってるわけじゃないんだ。人の目はどこにでもあるものだが、逆に絶対安全な場所はない。なら、普段から無害な人間を装っておくのは無駄ではないはずだ。さあマーキューシオ、塩気のきいた豆と新しいボトルを持ってきてくれ……今度は赤がいいな!」

「はいはい、いい奴を持ってきますとも、ベンヴォーリオさん。でも、このスペイダ牧場にいる間は、他の場所にいる時より安心していてもらいたいですね。

 牧場を取り巻く二重柵の中には、とらばさみ、落とし穴、粘着網など、バリエーション豊かな罠を大量に仕掛けてあります。細い糸に触れるだけで、自動的にクロスボウの矢を発射するカラクリなんてのもある。それらを無事に抜けてこられるのは、安全なルートを知っているここの四人だけです。

 もし、運良くすべての罠を回避して、この屋敷にたどり着けたとしても……頼もしいアヒル警備隊の目をごまかすことは、絶対にできません! 彼らがやかましく鳴きわめかないということは、イコール、屋敷の周りに人間はいないということです。

 というわけなんで、自宅でお風呂に入っている時のようにおくつろぎ下さい。誰も見ていないし、聞き耳をたててもいないんですから」

「ははは、確かにそうだ。この屋敷を見張ることは、天使様にだって不可能だろう。たとえて言うなら、第一大陸とも第二大陸とも違う、隔絶された第三大陸、ってとこだな――」

 俺たち四人の、こじんまりとした世界に、乾杯!

 全員にワインが行き渡った時、音頭を任された俺は、適当にそう叫んだ。

 四つのグラスが、澄んだ音を立てて打ち合わされる。尾を引く、混じりっけのない音。

 窓の外はとてつもなく静かで、ぞっとするくらい安全に見えた。




 ――俺たち四人の、こじんまりとした世界に、乾杯!

 そんな声を、シャルロット・フェステは聞いていた。

 スペイダ邸の壁に、背中を預けて。大きな窓の外の、ほんの一歩動くだけでダイニングを覗き込めるような位置に立って。

 腕を組み、目を細めて、微動だにせず耳をすませているその姿は、その黒一色の服装ともあいまって、まるで壁に焼きついた影法師のようだ。

(動きが、あった。それも、阻止しなければならない、大きな動き)

(ヴェロナット司教は、まだ敵の首魁を特定できていない。……彼の役に立つ情報も、手に入ったけれど……金貨を使った連絡方法……『ピュラモッシの石窯パン』の、客の監視を強化……きっとこれでたどり着ける……でも、猶予がわずか二ヵ月しかないのでは、間に合うかどうか)

(七月十一日の計画を、中止させなくてはならない)

(できるだけ、彼らの不審を避けるやり方で……計画がうまくいかないような、面倒なイレギュラーをひとつ用意してあげるだけで、充分こと足りるでしょうね)

 無言で思考を巡らせる彼女の足元には、無数のアヒルたちが群れ、ぐるぐると駆け回っている。

 その黄色いくちばしは大きく開かれていて、鳥類特有の割れたような鳴き声が、その奥から今にも吐き出されそうだ。

 しかし、そうはならなかった。

 マーキューシオ自慢のアヒル警備隊は、シャルロット・フェステというスパイに対しては、あまりにも相性が悪かったのだ。

 あらゆる音を遮断できる、彼女の『福音』。その力によって、地面から八十センチ以内の高さで発せられた音は、それよりも上の高さには響くことができなくなっていた。

 アヒルたちがどれだけ喉を枯らしてわめき散らしても、その声は、テーブルにひじをついてワインを楽しんでいるロミオたちの耳には届かない。

(至急、報告と相談が必要)

 のどかな牧場の静寂の中で、シャルロットはそう結論付けた。

(ヴェロナット司教に協力を願って……必要な手配をしてもらう。敵にとって、陰謀が最終局面を迎えているなら、こちらもそうしなくてはならないわ)

(私は、ロミオ・ピュラモッシの監視に集中。四人の工作員の中心は、間違いなく彼。他はそれほどの主導権は持っていない……首魁との連絡も、ロミオひとりが担当している……彼をマークしていれば、間違いは起きない)

(じれったいけれど、時間はもう少しだけ、要る)

(未熟な果実が、熟れる前に木から落ちるようなことは、あってはならない)

(私が行動を起こすのは、すべての情報が手に入ったあと)

(そのあとでなら……遠慮なく、彼らを殺せる)

「おお、そうだマーキューシオ! 帰りに、バターとベーコンとチーズを買って帰りたいから、袋に包んでおいてくれ!

 今日の昼に、うちのジュリエットがパスタを作ってくれるんだ。あいつも楽しみにしてたから、特に出来のいい奴を選んでくれよ?」

 ダイニングの中では、アルコールの入ったロミオ・ピュラモッシが、陽気な声で牧場主に話しかけていた。

 それを聞いて――シャルロットはふと思う。

 ロミオの伴侶、ジュリエット・ピュラモッシ。

 この人物に関して、何か考えておくべきことはあるだろうか。

 ロミオと同じ店で働き、同じ屋根の下に暮らし、同じベッドで眠りについていて。

 しかし、夫の陰謀については、何も打ち明けられていない女。

 このジュリエットは、いったいどうするのが最善か。

 敵方の陰謀に関わりがない以上、ヴェロナット司教も、興味を持ちはしないだろう。

 ならば、今さら特にどうにかする必要もない――現状維持でいい、はず、なのだが――。

(迷うわ。何しろ、一刻を争う状況だもの)

(ただ放っておくというのは、少しだけもったいない気がする。とてもいい立場にいるのに――何らかの形で、利用できないかしら。ロミオから、より多くの情報を得るために――ジュリエットという駒を、積極的に運用できないものかしら)

 これは完全に、シャルロットの個人的な企画であった。

 もし、ローレンス・ヴェロナット司教がこの考えを聞いていれば、明らかに難色を示したであろう。彼は真面目な聖職者であり、表沙汰にできない種類の仕事であっても、人道に基いて処理されるべきだという考え方の持ち主だったのだから。

 すでにシャルロットは、ロミオにとっての死神になることが決まっている。ならば、さらなる非道を重ねることは、よほどの必要がない限りなされるべきではない――と、口を酸っぱくして説得しにかかっただろう。

 しかし、この場にローレンスはいない。

 シャルロットはたったひとりで、透き通った五月の空を見上げ。

 静かに、滑らかに、結論する。


(――やろう)

(もし、何か問題が生じたなら)

(その時は、ジュリエットを始末するだけでいいんだし――)


 その恐るべき天秤の傾きに、ロミオが気付くことはなかった。

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