シャルロット・フェステ登場
「……ち! 今朝はやけに冷えやがる……やっぱりもう一枚着てくりゃよかったか」
ねずみ色の雲に覆われた空に向かって毒つきながら、マルヴォーリオは早朝の街中を歩いていた。
ベルホルム帝国、帝都アンペルバールの西に位置するケッセルバーグの街は、気候が涼しく、避暑地として人気がある。街のそばを大きな運河が流れており、訪れた観光客は皆、ゴンドラ船に乗って河下りを楽しむのだ。
しかし、マルヴォーリオがケッセルバーグを訪れたのは、暑さを逃れるためでも河下りのためでもなかった。季節はすでに秋で、避暑地としては完全なシーズン・オフなのである。今、この場所で楽しめるものというと、名物であるナマズのフライぐらいしかない。
(どうせなら一月早く来たかった。でも、まあ、どっちにしろ仕事で来させられるんじゃ、のんびりはできないか)
防寒用のマントの前をしっかり合わせて、マルヴォーリオは足早に進んでいく。
雨が降りそうな、そんな嫌な予感が彼を急がせていた。彼は自分で自分を、スタイリッシュな人間だと思っている――外側に羽織っている若草色のマントはもちろん、その下に着ている鹿革の上着、フリルのついたシルクのシャツ、柔らかいコットンのズボン、つま先が尖った牛革の靴にいたるまで、帝都の有名な仕立て屋にオーダーした高級品だ。くせのあるにんじん色の髪は、香料を混ぜたクリームでととのえている。雨に降られて、これらの装備を台無しにしてしまうというのは、洒落た男として許されることではない。
そして何より、上着のポケットに入っている『絵』が問題だ。これは、絶対に濡らすわけには――。
「間に合えばいいんだが……おっと、こっちの道か」
彼は石畳で綺麗に舗装された大通りを外れ、土を踏み固めただけの裏路地に入っていった。
そこに並んでいるのは、値段の安い、質も二、三段落ちるアパートメントだ。そこを借りているのは、娼婦か日雇い労働者といった低所得層だ。間違っても、観光客はそんなところに部屋を借りたりはしない。
そのうちの一軒――石壁のひび割れから、木の根がはみ出しているという驚異的古参建築物――に、マルヴォーリオは足を踏み入れた。
室内に入ると、一気に光が減った。玄関ホールには窓がなく、まるで夜更けがうずくまっているかのようだった。床に敷かれている足拭きマットの色も、濃紺なのか臙脂色なのか判別できない。かろうじてわかるのは、床、壁、天井の区別ぐらい。あとは、階段と手すりがせいぜいだ。
「どなた?」
突然、真横から声をかけられて、マルヴォーリオは驚いた。
振り向くと、壁の一部がこちらにせり出して(そこに扉があることに、彼は初めて気がついた)、その隙間からしわくちゃの老婆がマルヴォーリオの様子をうかがっていた。おそらく、これがこの宿の女主人なのだろう。
「コルデーさんを訪ねてきたんですが。彼女のお部屋は……?」
問いかける彼を、老婆はじっと見つめて、階段の方へあごをしゃくった。
「二階の、一番奥だよ」
「ありがとう」
礼を言い切る前に、扉は閉じられ、老婆の顔があった場所は再び壁に戻っていた。マルヴォーリオは肩をすくめると、慎重に手探りしながら、二階への階段を登っていった。
二階の廊下には窓があったので、一階よりは視界に不自由せずに済んだ。少なくとも、シャルロット・コルデーという名が記されたプレートが、扉にかけられているのを発見できたのはありがたかった。マルヴォーリオは、その扉を軽くノックして、中に呼びかけた。
「コルデー夫人? カーン画廊の者です。あなたの『オレンジ農家の絵』について、交渉させて頂きたいのですが」
「――どうぞ入って。開いてるから」
扉越しに返ってきたのは、気だるげな声。
今の時間を考えると、起きたばかりなのかも知れない。仕事の用事とはいえ、少し悪いことをしたかと思いながらも、マルヴォーリオはドアノブを回して中へ入る。
部屋の中は明るかった。左手に、東向きの窓が三面もあり、そこから充分な量の光が差し込んできているためだ。
ただ、明るいからこそ、部屋の様子がよく見えてしまった。右手には大きなイーゼルがあり、そこに真っ白なカンバスが立てかけられている。そのカンバスの角に引っかかっているのは、黒いレース生地の、女物の下着であった。
正面の壁には、大きなベッドがしつらえてあったが、毛布の上に本やらコートやらワインボトルやらウイスキーボトルやらブランデーボトルやらが積み重なっている状態では、寝台としての機能を果たせるのか疑問である。
緑色のじゅうたんが敷かれた床には、黒いイブニングドレスが、革の手袋が、ベージュ色のストッキングが、そしてここにも酒瓶がごろごろと転がっていた。部屋の中央にあるテーブルの上には、食べたあとほったらかしにしたのであろう、ミートソースで汚れた皿と、ナイフとフォークが乗っかっている。さらに、その皿を囲むように、空のワインボトルが少なくとも五本。
マルヴォーリオが、思わず後退りしてしまうほどの散らかりようだった。乱雑、混沌、無秩序、そういった表現が相応しいありさまだ。
そんな中、肝心の部屋の主はというと――。
「今回はあなたが連絡係なのね、マルヴォーリオ?
ちょっと待ってて。あなたが女の子だったら、髪をととのえる手伝いをしてもらいたかったんだけど」
部屋の右奥、カンバスやイーゼルが重なって、ちょうど死角になっているスペースから声がする。
マルヴォーリオが、物陰を回りこむように足を進めると、スツールに腰かけて、鏡台に向かっている女の姿を見出した。肩までの長さの、明るい金色の髪にブラシを入れて、寝ぐせを直そうとしているらしい。
彼女は、マルヴォーリオに背中を向けたままだ。だが、彼にとってはそれでよかった。その女が身につけているのが、薄くて内側の透けて見えるネグリジェ、たった一枚だけだったからだ。しかも、それを着ているのは、均整の取れた若くみずみずしい身体。同じく、若くて健康で、しかし性別だけが違うマルヴォーリオにとっては、彼女を正面から見るのは、毒気が強過ぎるように思われた。
「お望みなら、次は女装して訪ねてこようか? もちろんきみの方から、その必要性を隊長に説明してもらうことになるが」
「冗談よ。プライベートであれば、そういう遊びも楽しいけど……仕事は真面目にしなくちゃね」
女はブラシを持った右手を、自分の肩の上に、マルヴォーリオからも見えやすい位置に上げた。そして、さっと手首を翻すと、いつの間にかその手の中から、ブラシは消え去っていた。
その代わりに、白く細い指によって支えられていたのは、翡翠色に光る小さなバッジ。
マルヴォーリオも、着ていたマントを開いて、その内側にボタンのように留められている、同じ色のバッジを提示した。もちろん、鏡を介してマルヴォーリオを見ている女の目に、よく見えるように。
「お互いの身分証明は完了ね、マルヴォーリオ。『純水派』の同志としてお話をうかがいます。どうぞ好きなところに腰かけてちょうだい?」
「この部屋で、座る場所を探すってのはちょっと難しいな……立ったままで失礼するよ、同志シャルロット・フェステ」
その名前に反応したかのように、女――シャルロットは立ち上がり、マルヴォーリオの方を振り向いた。
長い前髪に半ば隠れた、アーモンド型の大きな目が、彼を見つめる。灰色の瞳、長いまつげ。白い肌、高い鼻、桜色の濡れた唇。背は高く、手足は長い。それでいて、シルエットは女性らしい柔らかな起伏に富んでいる。
綺麗なひとだ、と、マルヴォーリオは思う。
野に咲くたんぽぽ、というよりは、艶やかなアゲハ蝶にたとえたくなる美しさだ。だが、その比喩も実は相応しくないことを、彼は知っている。
(そう、彼女を最も正確にたとえるとしたら――それは――きっと、蜂だろうな)
マルヴォーリオはそんなことを思いながら、この場所まで預かってきた仕事の話を始めた。
「アウシュトン・ヴィッツの名を知っているかい、同志フェステ」
「ええ、この国では、そこそこの有名人ね」
頬に指先を当て、中空を見やるシャルロット。何かを思い出そうとする時の、これが彼女のくせなのだろう。
「ヴィッツ伯爵家の当主にして、ベルホルム帝国騎士団に所属する騎士。剣術と槍術に優れる武闘派で、お抱えのヴィッツ雷撃兵団を率いて、これまでにふたつの魔街を攻略しているはずよ。年齢は、二十八ぐらいだったかしら」
「正解だ。そして、三つめの魔街を攻略するため、年内に出兵する予定だった。
だが、その予定は永遠に中止になっちまった。四日前の朝、ヴィッツ伯爵は自分の居城の中で、他殺死体となって発見されたんだ」
その衝撃的なニュースに対する、シャルロットの反応はというと、非常に曖昧なものだった。一言でいうと、キョトンとしていた――言葉にされない感情をあえて文字にするなら、「あら」であり、「まあ」であり、「それで?」といった具合だ。
「会ったこともない方だけど、お可哀想ね。
でも、それが私たちに、何の関係があるの? 彼の殺人事件に、職業的な興味を抱かなければならないとしたら、それは事件を捜査する衛士隊の人たちではなくて?」
「ま、確かにそれだけならな。だが、残念ながらこの事件には、俺らが捨ててはおけないある要素が関わってるんだ。わかるだろう?」
「……器か、あるいは水が、関わっているということ?」
「そうさ。ただその一点のために、俺たちはこの事件に首を突っ込まなきゃならないんだ」
シャルロットの目が、すっと細くなる。マルヴォーリオも、神妙な表情で頷く。お互いに視線で確認を取っていた。ここからが重要なのだと。
「同志フェステ。きみにはこれから、ヴィッツ伯爵殺害事件を追ってもらう。
そして……その犯人が奪った『聖水』を、奪還せよ」
■
マルヴォーリオとシャルロットは、ともに『純水派』と呼ばれる組織に所属する調査員である。
彼らは一種の思想団体であり、第二大陸で最も大きな勢力を持つ宗教『ユカニム教』のいち派閥であった。翡翠でできたバッジをシンボルとしており、団員は所持するバッジを見せ合うことで、お互いを仲間だと確認する。
シンシアラの目的――というより、信仰――は、天使ユカニムのもたらした『聖杯』と、その産物である『聖水』を、正しく運用することにある。
現在の人間世界に存在する、四つの国家勢力――ベルホルム帝国、リルロッサ王国、ジャゼ共和国、ユカニム大教国――のうち、『聖杯』を所持しているのは、ベルホルム帝国とユカニム大教国のふたつだけ。教国が『大聖杯』を、帝国がふたつの『小聖杯』をそれぞれ管理し、武器を祝福するための『聖水』を生産して、悪魔との戦いに役立てている。
しかし、それらの国にとっての『聖杯』は、魔族への対抗手段としてだけの存在ではなかった。国家の権威の象徴として、あるいは外交のための道具として、はたまた信仰のための偶像として、『聖杯』の機能とは関係のないところでも利用されていたのだ。
それは正しいことではない。『聖杯』はあくまで、天使の望まれた通りの使い方をされなければならない。
すなわち、『聖杯』と『聖水』を扱う者は、『武器を祝福』し、『悪魔を倒す』ことにのみ心を砕くべきであって、それ以外の利用は慎むべきである、というのが、シンシアラの主張なのである。
「『聖水』が私利私欲のために使われることを、我々は歓迎しない。
ベルホルム帝国やユカニム大教国のような、マクロな独占、利用もそうだが、個人が『聖水』によって利益を得ようと企むのも、シンシアラの精神に照らし合わせれば、受け入れ難いことだ」
マルヴォーリオは言いながら、上着の胸ポケットから、筒状に丸められた羊皮紙を取り出した。
それを広げ、シャルロットに手渡す。そこには、紫のインクで、写実的な肖像が描かれていた。
「それが、きみの調査対象となる人物だ。名前は、ブルガリー・ヨハネス」
シャルロットは、絵の中の男の顔を、じっと見つめた。三十代後半ぐらいの、やや頬に肉のついた男だ。眉が薄く、目が小さく、鼻が大きく、唇が厚い。額が秀でていて、髪は坊主同然に短く切り揃えられている。
ひと癖もふた癖もありそうな顔ね――と、シャルロットは小声で呟いた。
「勲爵士で、帝国騎士団所属。乗馬術に優れ、主に伝令役として活動していた。
そんなヨハネスが、ヴィッツ伯爵の居城である『ブラッシュ・ランブラー城館』を訪ねたのが、五日前のことだ。訪問の目的は、次の魔街遠征に必要な『聖水』を、ヴィッツ伯爵に渡すこと」
「ベルホルム皇帝から預かった、本物の『聖水』?」
「そうだ。これは宮廷の記録でも確かめてある……ヨハネスは間違いなく本物の『聖水』を、水晶製のボトルに入れて、ブラッシュ・ランブラー城館に持ち込んだ。
そして、そこで一晩過ごす間に、なぜかヴィッツ伯爵を刺し殺して、行方をくらませちまった。自分で持ってきたはずの『聖水』とともに、な……」
「やったのは、間違いなくヨハネスなの?」
「その点は、ほぼ間違いないだろうというのが、向こうの衛士隊の見解だ。事件当夜の城館には、ヴィッツ伯爵とヨハネスの他にも人はいたが、事件後に城館の外に出たことが確認されているのは、ヨハネスひとりだけ。
さらに言うと、伯爵を死に至らしめた凶器が発見されていないんだ。それを持ち出す機会があったのは、城館から出たヨハネスだけで、凶器を持ち出す理由を持っているのは、ヴィッツ伯爵殺害の犯人だけだから……イコール、伯爵殺しはヨハネスの仕業、と、まるで数式のように導き出せるってわけだ」
「……ふうん」
早くも見飽きたのか、シャルロットは肖像画を元通り丸めて、ベッドの上にポイッと放り投げた。
「ヨハネスが、凶器と一緒に『聖水』を持ち出したのも、同じくらい確か?」
「確かだ。ヨハネスが運んできた『聖水』のボトルは、空っぽになった状態で発見されたが、ヨハネスが城館から出る時、革製の水筒を持っていたと、警備兵が証言している。『聖水』を、その水筒に移して持ち出したと考えるのが自然だろう。
『聖水』は、普通の水と見た目はまったく同じだ。しかし、適当な武器に塗布するだけで、悪魔を滅ぼす『聖剣』に生まれ変わらせることができる。水筒ひとつで持ち運べるそれが、売ればちょっと無視できないような金額になるということを、逃走を企む殺人者が気付かないはずがない。
たとえばリルロッサ王国は、魔街遠征のたびに大教国から、『聖水』によって祝福された武器を借り受けている。それらは使い終えれば返さねばならないし、レンタル料は目玉が飛び出るほど高いので、王国にとっては頭痛の種だ。
しかしそれでも、魔街攻略には『聖剣』がなくてはならない。千年前――『小聖杯』を帝国に奪われる前ならば、王国も自前の『聖剣』を持っていたが、今でも現役で使用可能なものは、さすがに残っていないからな……足もとを見られているとわかっていても、大教国に頭を下げて、必要な品物を借り続けなくてはならないわけだ。
今、リルロッサ国王のもとに何者かがやってきて、『聖水』をお譲りしたいと申し出たとする。彼の持ち込んだ商品が武器に塗られ、悪魔との戦闘に使用される。それによって『聖水』が本物と証明されたなら、王国はその提供者に、充分な褒賞でもって報いるだろう。どこにも返却する必要のない、自分たちだけの『聖剣』は、彼らにとっては長年の夢なのだ。
武器を作ることと、自衛以外には興味のないジャゼ共和国でも、最近では積極的に悪魔討伐を行なおうという派閥が生まれつつあるらしいし……となると」
「外国に逃げて、『聖水』を売ろうとする……その可能性が高いというわけね。たとえ当人が、ベルホルム帝国内で殺人を犯していたとしても、他国に亡命してしまっては、もう手を出せない」
はあ、と、シャルロットはため息をついた。そんな風に『聖水』を悪用する行為は、シンシアラとしては許し難いものだ。しかし、彼女の母国であるところのリルロッサ王国ならば、むしろその事態を喜んで受け入れるだろう。
「国境に、監視は?」
「もちろん、とっくのとうに似顔絵が配布されているよ。昨日までの時点で、ヨハネスが国外に脱出した形跡はない。だから、奴がまだ帝国領内にいることは、間違いないな。
ただ、帝国騎士団も必死こいて探し回ってるからな。連中としても、当然自分たちの手で裏切り者の始末をつけたいだろうし、放っておけば十中八九、ヨハネスは連中によって逮捕されるはずだ。そして『聖水』も連中によって回収されることになる。
だから、同志フェステ。きみの手で、帝国騎士団より先にヨハネスの身柄を拘束し、『聖水』を手に入れてもらいたいんだ。いっそきみ自身が、リルロッサ王国に『聖水』を持ち込んでくれてもいい。もちろん、無償でな。
それならば、王国は再び『聖水』を手中にすることができ、なおかつシンシアラの主義に反することもない……母国と天使の、両方のためになる。どうだ、やりがいのある仕事だと思わないか?」
「帝国騎士団を出し抜かないといけない、というのは、確かにやりがいがあるかも知れないわね。モチベーションが上がり過ぎて、その熱で死んじゃいそう」
疲れたような声で言って、シャルロットは床に落ちていたドレスやストッキングを拾い集め始めた。
「着替えて、外に出られる格好になったら、さっそく仕事に取り掛からせてもらうわ。
もし、他に打ち合わせたいことがあるようなら、今のうちに聞いておくけど」
「そうだな。ヴィッツ伯爵領に行くのならば、衛士隊隊長のシュミッツという男を訪ねるといい。事件の捜査を担当していて、しかも我々と同じシンシアラだ。同志の証であるバッジを見せれば、喜んで協力してくれるだろう。
あと……これは、仕事とは関係のない、ごく個人的な質問なんだが……今拾ったその服、それをまさか着るつもりじゃないだろうな?」
眉をしかめて、マルヴォーリオは言った。だってどう見ても、シャルロットの手にしているそれは、昨日以前に着ていたであろう服だ。しかも、床に落ちていた品物である――スタイリストを気取っている彼としては、知人(しかも女性!)が、服装に対して無頓着であるというのは、『聖水』を侮辱されるのと同じくらいに許し難いことだった。
そして、問われたシャルロットの方はというと、マルヴォーリオとまったく同じ表情で返事をした。呆れの中に、少々の怒りをスパイスとして潜ませるその表情は、男性より女性の方が、ずっと上手に浮かべることができるようだった。
「そんなわけないでしょう。出かける前に、マライアさんに洗濯を頼んでおくのよ。マライアさんっていうのは、ここのおかみさんなんだけどね。ちょっと愛想はないけど、料理と洗濯と掃除にかけては、見たこともないような凄腕よ」
それでマルヴォーリオは得心がいった。おそらく、先ほど下の階で見かけた、あの老婆がマライアさんなのだろう。確かに愛想はなさそうだったが、素直に道を教えてくれたことといい、意外と世話好きなお人なのかも知れない。
「それじゃ、俺の仕事はここまでだ。きみの仕事の成功を祈ってるよ。上手くいったなら……」
「アンペルバールのカーン画廊にご一報、でしょう? いつものことだもの、了解しているわ」
「オーケイ」
口の端をニヤリとつり上げ、マルヴォーリオは部屋を出て行った。パタンと扉が閉じられたのを確認して、シャルロットは行動を開始した。連絡員の仕事は確かに終わった。ここからは彼女の、調査員の仕事だ――。