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フェステが暗躍する  作者: アンバーハウス
ロミオとジュリエット
16/18

酔えない酒

「重さはいかほどで? ロミオ・ピュラモッシの用意していた爆薬の量、という意味ですが」

「ぴったり二キロ。五百グラムの塊が四つです。今は家から持ち出して、近所の空き家の床下に埋めてありますわ。始末は、そちらでして頂けますか?」

「ええ、責任を持って処理しましょう。ぼくがそれを受け取った時点で、今回の作戦は終了になります。

 お疲れ様でした、ミズ・フェステ。この仕事をあなたに任せてよかった。ロミオたちの監視を頼んでから、もう二年半……本当に、本当にあなたは、うまくやってくれました」

 感慨深げに、ローレンス・ヴェロナット司教は言う。隣を歩く、喪服姿のシャルロット・フェステの横顔を見つめて。

 今、ローレンスの目に映っているのは、長く伸ばした黒髪をアップにまとめた、素朴な美人だ。化粧っけが薄く、美しいというよりは可愛らしい。パン屋のおかみさんと名乗られればすぐに納得できる、そんな生活感がある。

 しかし、二年半前に彼がレストランで向かい合ったのは、まったく違う人物だった。

 彼の記憶が確かならば、シャルロット・フェステは、舞台女優のようにあか抜けた金髪美人だったはずだ。化粧も巧みで、自分を品よく、華やかに彩っていた。可愛らしいというよりは、妖艶でミステリアス。少なくとも、パン屋のおかみさんには絶対に見えない。

 似ているどころか、共通点の方が少ないぐらいだ。

 どうして彼女は、自分を変化させたのか。それはひとえに、ロミオたちを監視するという任務を全うするためだった。

「それにしても……まさかあなたが、監視対象と結婚するとは思いませんでしたよ。

 入籍の報告を受けた時は、何を考えてるのかと驚いたものですが、今考えると、非常に有効な手段でしたね。ロミオとひとつ屋根の下に暮らしていれば、彼の生活をごく自然に見張っていられるんですから。

 ぼくの頭じゃ、絶対に思い浮かばなかった……見事な戦術です」

「ええ、確かに。一緒に暮らし始めてからは、仕事がとても楽になりました。それは否定しません」

 ローレンスの称賛に対して、シャルロットは淡々と返事をしていた。まるで、誉められるべきは自分ではない、と主張しているかのように。

 ――実を言うと、最初はシャルロットも、ロミオとそれほど深い関係になるつもりはなかった。

『ピュラモッシの石窯パン』の常連さん、という肩書きが得られればよかった。お互いに、顔と名前がわかっている程度の知り合い。それくらいの距離感で充分だった。

 ロミオ・ピュラモッシの近所に住み、彼と似通った行動範囲を持っていると認識されれば、彼の行く先々で偶然目撃されたとしても、怪しまれないはずだ――と、彼女は考えたのだ。

 自分の存在を完全に隠した上で、長期間の監視ができれば、それが一番良かったのだろうが、彼女は自分の隠蔽能力をあまり信じてはいなかった。

 無理はしない。できる範囲で、確実に。

 その前提のもとに選んだのが、最初から顔を見せておく、という方法だった。

 もちろん、本名で接触するようなことはしない。もしも敵たちが、『純水派シンシアラ』の調査員としてのシャルロット・フェステを知っていたら、面倒なことになる。

 シャルロットは、ロミオと交流するためだけの、仮の身分を用意することにした。国家的な陰謀とは何の関わりもない、清潔な経歴を持つプロフィールを。

 そうして作られたのが、ジュリエットという名のリルロッサ人だ。

 シャルロットはジュリエットの設定を考える時、なるべく自分そのもののキャラクターにならないように気を付けた。「おや、ロミオの周りをうろちょろしているジュリエットという女は、名前が違うだけで、あのシャルロット・フェステではないか?」などという疑いを持たれては困るからだ。素のままの自分とは真逆になれれば理想的だ。違う点が多ければ多いほど、シャルロット・フェステを連想することは難しくなる。

 まず、髪を黒く染めた。もともとが明るい金髪なので、これだけで印象は全然違ってくる。

 メイクもナチュラルに、いっそ野暮ったいぐらいにした。田舎から出てきた女が、流行色の口紅なんか差すわけがない。

 性格も見た目に合わせて、感情豊かで、人懐こく、隙を多めに。

 鏡に向かって、笑顔の練習もした。――シャルロットが笑うことを苦手としている、というわけではない。シャルロットの性格を持つ人間の笑い方と、ジュリエットの性格を持つ人間の笑い方が、そもそも違っているのだ。口元を隠して上品に笑う、声を出して元気に笑う、得意そうに胸を張って笑う、照れ笑い、はにかみ笑い、苦笑い、嘲笑――ひと言で笑顔といっても、実に様々な種類があり、性格によって使うものと使わないものとに分けられる。

 もちろん、笑顔以外の表情も、複数のパターンに分類できる。怒り顔、泣き顔、怯えた顔、リラックスしている時の顔――それぞれがいくつかのバリエーションを持っていて、それぞれに、ジュリエットの性格に相応しいものと相応しくないものがあった。

 シャルロットは、ジュリエットなら浮かべるであろう表情を選び出し、身に付けていった。それは、自分の中にもうひとりの自分を作り出す作業と言っても過言ではない。最終的に彼女は、シャルロットとしての自分と、ジュリエットとしての自分を、服を着替えるのと同じように、気軽に切り換えられるようになっていた。

 彼女の偽装は、客観的に見ても成功していた。ロミオ・ピュラモッシは、目の前に現れたジュリエットのことを、善良な田舎娘と思い込んだ。ドジで、明るく、裏表のない、警戒する必要のまったくない人物だと、信じて疑わなかった。

 ジュリエットという立場を利用しての監視と情報収集は、拍子抜けするほどうまくいっていた。いや、うまくいき過ぎた。お茶の時間をともにし、どんな友人がいるのかを聞かせてもらい、休みの日には一緒に出掛けたりもする。そんな何気ない時間を過ごしている間に、ロミオの中でジュリエットという存在がどんどん大きくなっていることに、シャルロットは気付かなかったのだ。

 彼女は、ふたつほど計算違いをしていた――ひとつは、自分の受けた仕事が、想像を遥かに越えて長引いたこと。

 もうひとつは、ロミオの精神が、誰かの支えを必要とするほどに弱っていたということだ。

 もし、監視任務が二、三ヵ月程度の短いものだったら。ふたりの関係は充分に発展せず、友人同士のままで終わっていただろう。

 もし、ロミオがひとりだけで生きていく決意をしていたなら。やはりふたりの関係は、友人同士のままで変わらなかっただろう。

 しかし、条件は揃ってしまった。

 仲のいい女友達と、穏やかな時間を共有しているうちに、ロミオはジュリエットに恋をした。それはごく自然な感情で、自然であるからこそ止まらなかった。

 ロミオからのプロポーズを受けた時、ジュリエットのシャルロットは動揺こそしなかったが、「どうしよう」と途方には暮れた。繰り返すが、彼女はロミオとそれほど深い関係になるつもりはなかった。

 近付きはした。仲良くなろうと努めた。でも、結婚までする必要はあるだろうか?

 答えは一瞬で出る。そんな必要はない。

 シャルロットにとってのロミオは、絶対に許せない悪党だ。人類の宝である『聖杯』を破壊しようと企んでいる、おぞましい背信者。ユカニム教徒として、『純水派シンシアラ』として、討ち滅ぼさずにはいられない。

 なぜ、よりによってそんな憎らしい相手と、愛を誓わねばならないのか。鼻で笑うくらい、あり得ない話ではないか。

 シャルロットはごく当たり前に、そう考えた。

 なのに、その十日後には、アンペルバール教会でロミオと式を挙げていた。

 どうしてだろう?

 彼女自身、頭の中で疑問符を浮かべた。自分でも、まったくわけがわからなかった。

 結局、シャルロットは――自分がロミオのことを気に入っているのだ、と認めるまでに、三十日ほどの時間を要した。

 そう。彼女が結婚を決めたのは、任務とはまったく関係がなく、また、『純水派シンシアラ』の主義主張とも関係のない原因によるものだった。女性としてのシャルロット/ジュリエットが、ロミオに恋をしたのだ。

 実際、彼は、テロ計画に関わっているという汚点にさえ目をつむれば、まったく問題のない紳士だった。

 顔は悪くない。優しくて気が利く。ユーモアだってある。仕事にも熱心だ。そして何より、一緒にいて落ち着く。

 ロミオがジュリエットといる時間を楽しんでいたように、ジュリエットもロミオと接している時間を楽しんでいた。殺意や憎悪を常に持ちつつ、同時に彼の存在に安らぎを感じていたわけだが、このふたつのまったく違う想いは、彼女の感覚では少しも矛盾しなかった。

 ――ロミオに、眠り薬入りの菓子を食べさせて――深い眠りに落ちた彼の首を、自らの手でねじ折って殺した今でも――違和感はまったくない。

 天使の敵を排除した満足感と、夫を失った悲しみが、彼女の中で仲良く同居しているだけである。

 だから、ローレンス司教に次のような言葉をかけられても、シャルロットとしてはピンと来なかった。

「ぼくの国――ユカニム大教国は、宗教を基盤にした国家ですから、演劇が盛んです。国中、どんな田舎にも劇場があるし、劇団がある。ぼくも小さい頃から、たくさんの舞台を見てきました。

 それでも、あなたほどの才能を持っている女優は見たことがありません。二年半の間、ロミオに一切の違和感を感じさせず、理想的な妻を演じてきたなんて。本当に驚くべきことです」

「そう……でしょうか?」

 シャルロットは、小さく首を傾げた。

「ええ。前の『聖杯』公開式のおりに、あなたとロミオが一緒にいるところを見ましたが、ロミオはあなたをまったく疑っていませんでしたよ。むしろ、良い奥さんを持って、浮かれているようにすら見えました。復讐に燃えるテロリストにしては、少しばかり緩んでいたかも知れません。

 明らかに、あなたの影響です。あなたの演技に、彼は完全に騙されていました。こんな言い方をしては、失礼かも知れませんが――魔性の女っていうのは、あなたのような人のことを言うんだろうな、って思いましたよ。……あくまで、誉め言葉ですからね。誤解はしないで下さいね?」

 シャルロットに言わせれば、むしろ、誤解をしているのはローレンスの方ではないか、という気がしてならなかった。

 確かに彼女は、ジュリエットという、まったく違う個性を持つ自分として活動してはいたが、演技をしていたという自覚があるのは、最初の数ヵ月だけだった。残りは、自然体の自分だっただろうと思っている。理想的な妻を演じていたつもりはない。

 ジュリエットが、ロミオにとって良い奥さんであったらしい――という評価については、内心で喜ばしく思いはしたが。

「私自身は、それほどうまく立ち回れたとは思っていません。実際、何度も、危ない状況に陥りました。ロミオの陰謀について、私が嗅ぎ回っていると、気付かれそうになったことが何度もあります」

「あったんですか? そんなことが」

「ええ。一緒に暮らしているということは、向こうも始終こちらを見ている、ということですから。

 特に危なかったのは、ロミオが三首脳に宛てた手紙を用意していた時のことです。ファーザー・ヴェロナット、あなたの記憶にも新しいのではないでしょうか。あの、薪をくり貫いて、中に手紙を仕込むというやり方……彼がその準備をしていた時のことです」

「ああ、ありましたね。あの通信方法をあなたが暴いてくれたおかげで、モンタギュー伯爵たちをあぶり出すことができたんです。

 そういえば、その秘密を探っている時に危険を冒した……みたいなことを、以前仰っていましたね」

「はい、まさにその通りです。

 自分たちのボスに連絡を取るというのは、ある意味、陰謀そのものの心臓に触れるような行為ですから、ロミオもひどく神経を尖らせていました。誰にも見られないように、パン工房の中に閉じ込もって、あの工作をしていたんです。

 特に、人の目を恐れていたようで、窓には隙間のないようにカーテンを引き、扉もしっかりと閉めていました。でも、私としても、彼が何をしているのか、どうしても確かめなければなりませんでしたから……『福音』の力を使って、周囲の音を消して……ほんの少しだけ扉を開けて、その隙間から覗き見させてもらったんです」

 音を消せれぱ、気配も消せる。シャルロットは、ロミオが黙々と薪に細工しているのを、最初から最後まで、しっかり目撃することができた。

 しかし、最後の最後で、足を踏み外しかけた。ロミオが突然、シャルロットの視線に気付いたかのように、周囲を確かめ始めたのだ。

 シャルロットは、さっと身を引いて逃走した。見られる前にその場を離れることはできたが、扉を閉めてくるだけの余裕はなかった。

 真っ暗な店舗の中を、とかげのようにすり抜けて、住居フロアへ。そこに足を踏み入れた瞬間に、シャルロットは自分をジュリエットに切り換えた。

「あの時が一番、危険でした。もし、扉の隙間から覗いているところを見られていたら。いいえ、それでなくても、誰かに覗かれていたと、ロミオが確信していたなら。『ジュリエット』としての私の立場は、使い物にならなくなっていたでしょう」

 そう。ロミオが、自分を監視している目の存在をはっきりと察知していたら、完全に終わりだった。たとえ、彼に顔を見られなかったとしても、ジュリエットの関与が疑いのないものになってしまっていたはずだから。

 ロミオのいた工房と、店舗フロア、そしてジュリエットのいた住居フロアは、それぞれ一枚ずつの扉でつながっている。

 隙間が生じていたのは、工房と店舗フロアをつなぐ扉だ。ロミオの工作を盗み見していた者がいるなら、それは当然、店舗フロアに潜んでいたことになる。

 そして、その人物がロミオに見つからずに済むには、住居フロアに逃げるしかない。彼が店舗フロアを確かめた時には、そこには誰もいなかった。一応、店舗フロアには、外に出るための扉も別にあるが、それには内側から鍵がかかっていたので、問題にならない。

 そして、唯一の逃げ道である住居フロアにいたのが、ジュリエットだけということになると――工房を覗いていた人物は、ジュリエット以外にあり得ないということになる。

「もし、あそこで『ジュリエット』が、ロミオを調査する立場の人間だということがバレていたら、厄介なことになっていたかも知れませんね? 少なくとも、モンタギュー伯爵への手紙は、出されないままで終わったはずです。

 前にも言いましたが、私の調査は綱渡りでした。私の演技が、本当に役者顔負けであったなら、もっと安全にやれたでしょう。破綻せず、最後までやれたのは……そう、あくまで、天使様のご加護があったから、だと思います。きっと、それ以外の理由は、ありません」

 自分の左手の甲に、右手のひらを添えて、シャルロットは物憂げに言う。

 謙虚とは少し違う、彼女の態度。どちらかというと、己の未熟を省みているように、ローレンスには見えた。

 彼のその認識は、間違っていない。

 シャルロットは、今回の自分の仕事に満足していないのだ。どんな愚か者にでもわかる――監視対象に、演技として以外の好意を示すなど、調査員失格だ。いや、それより根源的な過ちを、彼女は犯している。天使の敵に恋をするなど、天使に仕える者としてあってはならないのだ。

(今であれば、問題はないのだけれど……。

 死んだロミオに対してならば、私はためらいなく愛情を注げる。死体になった人間は、もう『聖杯』を害することができないのだから。肉体の滅びと同時に、彼は罪を許されたはず。

 今、天使様とともに虚空にある彼とならば、私は本当の恋ができる。彼に何の隠し事もせず、彼にどんな悪意も抱かず、ただただ好き合って、手をつないでいける。でも……ああ、それはまだまだ、先の話。ユカニム教徒として、『純水派シンシアラ』として、調査員として、まだまだ徹底できていない、今の私では……とても恥ずかしくて、彼の前に顔を出せないわ)

 ふう、と、憂鬱なため息をついて。シャルロットは、ローレンスに向き直った。

「もう少しで、夫の墓に着きますけれど。本当に、拝んでいかれます?」

「……いえ、やめておきましょう。もともと、あなたと話をするための口実でしたし。ぼく自身、そこまで大胆になれる自信はありません。

 あなたと同じで、ぼくもユカニム教徒ですからね」

 それはつまり、虚空にロミオの魂があることを、彼も信じているということだ。

 ふたりは立ち止まって、空を眺めた。突き抜けるように真っ青な、冬の空。高いところで風が渦巻いているのか、ごう、ごう、という低い唸りが、微かに耳に届いてくる。

「二年半前に比べて、だいぶ背が伸びましたね。ファーザー・ヴェロナット」

 シャルロットのそんな言葉に、ローレンスは苦笑する。

「まあ、もうすぐ十七になりますので。それなりには」

 十四歳だったかつての彼と比べてみれば、当然ながら成長している。

 もう、大人といって差し支えない年齢なのだ。これからも、見ている方が目を見張るほど、彼は変わっていくだろう。肉体的にだけでなく、精神的にも。

 もっとも、彼自身は、大人になることですべてが良い方に変わるとは、少しも思っていないが。

「そういえば、ミズ・フェステ。あなたは今、いくつなんですか?」

 答えは、返ってこなかった。



 薄暗い部屋の中。テーブルの上に、黄色い炎を宿したランタンが置かれる。

 その明かりに照らし出されたのは、喪服姿のジュリエット。手にはクリスタルのグラスと、ウイスキーの瓶。

 彼女はそっと瓶を傾けて、濃い琥珀色の酒をグラスに注いでいく。

 割るための水はない。氷も必要ない。

 いい酒を味わうならば、そのままが一番いい。

 グラスを目の前に持ち上げ、その縁にキスをすれば、火のような味がとろりと口の中に流れ込んでくる。舌に絡む、痺れるような刺激。鼻に抜ける煙の香り。お腹の中に溜まる、じんわりとした温度。

 ほぅ――と、ジュリエットは熱いため息をついた。

 一年以上ぶりの蒸留酒は、強い。

 彼女は、もともと酒好きである。それも、並みの好きではない。ウイスキー程度なら、ボトルで二、三本飲んでも、全然平気なぐらいの酒豪だった。

 水を飲むようにワインに親しんでいたロミオより、実は遥かに飲めるのだ。なのに、結婚して以来、意識して酒量を抑えていた。あまりに酒を飲み過ぎると、ロミオに嫌われるのではないかと思ったのだ。

 スリー・フィンガーを、立て続けに三杯。頬が、ほんの少し暖まる。

 まだ、酔うにはほど遠い。味は素敵だった。しかし、身体を温泉に浸けるような、あの心地よい感覚は、いまだ訪れない。

 ロミオと食事をしながら、ワインを飲んでいた時には、もっとずっと少ない酒精でも、気持ちよく酔えたのに。

 ふぅ――と、再び、ため息をつく。

 今度のそれは、熱くなかった。木枯らしのように、悲しげで、切ない。

「あなたから、嫌なことを教わったわ。ロミオ。

 今回の任務では、いろいろと学ぶべきことがあったけど……もしかしたら、このことが一番重要かも知れない。だってきっと、お酒を飲むたびに思い出すことになるもの。

 あなたと出会うまでは、考えもしなかったし、感じもしなかったことなのに。まったく、本当に、ひどい人……いなくなってから、気付かせてくれるんだから……」

 空になったグラスを、テーブルの真ん中に置く。頬杖をついて、唇を尖らせて、それを見つめる。

 幼い少女が、気の置けないボーイ・フレンドを思いながらするように、彼女は悪意のない恨みの言葉を、虚空に呟いた。

「ロミオ、ロミオ……愛しいロミオ。あなたは、知っているのかしら?

 ひとり酒って、寂しいのよ」


〈了〉

これにて、今回のお話はおしまいなのじゃー。読んでくれた皆々様、どうもありがとうございまする。

次のお話が出来上がりましたら、またお会いしましょうぞー。

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