前編
ふぁぼや評価をいただけると私、泣いて喜びます。酷評でも構いませんので、一つお願いします。
……卒業なんて、そんなもの。まだまだ先のことだと思ってた。2年前も1年前も、1ヶ月前だって多分そう思ってたんだろう。
『卒業証書……授与。』
でも、永遠と思っていた日々ももう、今日で終わるんだって。音響設備から流れる、司会の感情的で無機質な音が、確かな現実を俺に突きつけた。
もういつの間にやら見慣れてしまったはずの広い体育館で反響しては俺の鼓膜を震わせる、誰だかもよくわからない奴らの名前。知人の名前。そして友人の名前。名前が呼ばれる度に返る、威勢のいい彼らの返事も、普段の生活では聞くことができないものだった。
ボーっとした俺の目の前には、いつものように昼休みの間は友人たちとふざけあってバカやって遊んだステージが、今は真面目な表情で、正された姿勢で登壇する友人たちの姿と共にある。最後は、色とりどりの花や華に彩られた演台を挟んで、学校長の口から告げられる、軽い祝辞と3年間の中学生活の全てを締めくくる魔法の言葉。そしてその全てが纏められた一枚の紙が、掲揚された国旗や校旗の下で、一人一人手渡されていた。
信じたくなんてなかった……けれども、この光景を見せつけられてさ。何もかもが、俺に門出を仄めかしていてさ。今日がなんの日かだなんて紛うことなんてないよな。
『柊 冬樹。』
「……はい。」
今日は、俺たち3年生一同の卒業証書授与式だった。
………
……
…
永遠なんて存在しない。時間は無常で無情なものだって、そんなものはわかりきっていたはずだったのにな……。
俺は自分の机に突っ伏しながら、俺らしくもなくボーっと今までの日々を振り返ってはまた振り返ってと、過去の思い出に一人浸っていた。
「よっしゃ、写真撮んぞ!」
「ちょっと!白のチョーク誰か持ってない!?」
「お前卒業証書どこだよ!?ファーーーこいつ留年か!?」
みんな、それぞれ思い思いに最後の中学生活を満喫してるみたいだな。
式後の俺たちの教室は、卒業式ムードとでも言うのだろうか。みんな浮かれ騒いで、お祭り騒ぎのようだっていうのに、こんなに意気消沈して今を嘆いているのは俺だけじゃないかとも思う。普段の二倍も三倍もみんな騒いでいる中で、俺はどうしても騒ぎ出す気にはなれないでいた。
脳裏を駆け巡る思い出は、どれもこれもみな懐かしい。体育祭で俺たちのチームが惜敗して、担任の先生が一番悔しがっていたこと。お化け屋敷のクオリティが無駄に高くて、校内の人気出店ランキングでダントツの一位に選ばれてしまった文化祭。担任すらも巻き込んでバカばかりして、帰校後に担任もろとも校長に怒られた修学旅行。
思い出すのはイベントだけじゃない。日々の何気ない日常。嫌いな科目の授業ですらも、今となっては懐かしい思い出となって蘇ってくる。
本当に、これで終わりなのか……?
さっきから、何度自分に問いかけているかもわからない言葉を、また性懲りもなく自分自身に問いかける。恥ずかしい思い出も、嫌な思い出だっていくらでもあったけれども……それでも、どれもいい思い出だったから。いざ卒業を迎えてみると、悲しさも絶望感も物足りなさも覚えてしまう。
まだまだ、やり足りないことばかりだった。
「冬樹ー!起きろー!」
「……あ?」
デカくて聞き慣れた声。唐突に俺の鼓膜を震わせた。
突如として思考を遮るその声に、俺は重たい頭を擡げた瞬間、強烈な閃光が俺の目を眩ました。
「ッ!?」
「よっしゃ!冬樹チェキったぜ!」
再びの響くデカイ声と一緒に、眩んだ視界もすぐに平常を取り戻す。何事かと睨みつけるように視線を飛ばす先に映り込む人影は、いつもの見慣れた見飽きた顔だった。
「……トシキ、お前なぁ。」
「あれ、冬樹。随分ダルそうだね?」
南日が若干眩しい昼下がりの教室に揃う、見慣れた面々。気怠そうに机に突っ伏す俺を物珍しがって写真にでも撮ろうと思って集まってきたのか、普段は持ち込みすら禁止な携帯電話を、ここぞとばかりにみながみなして持ち込んで、その利器を片手に、俺を見据えてはニヤニヤとした笑みを口元にうかべていた。
「……ったく、お前らのおかげでな。」
俺は机の両端に手を突いて、突っ伏していた重たい身体をゆっくりと起こす。背骨を曲げていたせいもあってか、体を起こした瞬間にポキポキと小気味のいい音を響かせた。
……疲れてんな。
俺はそのまま机に肘をついて、頬杖をついた。
「?」
ふと、アキヨシが急に俺の顔を覗いては、訝しげな表情で顔を傾げた。
「な、なんだよアキヨシ。顔が近いって。」
「ん?いやな、いつものハジけたお前はどこ行ったんだと思ってさ。」
アキヨシの言葉に、トシキとユウキも同調するように頷く。
「ね。なんか元気ないように見えるよね。」
今、俺の目の前にいる男連中3人。みながみな、俺の顔を覗きこんでは訝しげな表情を俺に向けていた。
まあ、自分自身でもそんな表情をしているんだろうなと思ってはいたけれどもさ。
「……そう見えるか?」
少しだけ口角を吊り上げながら、3人に問いかける。
「見えるね。」
「ああ、見えるな。」
「見えすぎて他に何も見えん。」
返ってくる3者3様だが3者ともに変わらぬ答え。トシキは流石にどうかと思うが、まぁ奴なりに心配してくれてるのかもしれないと、俺は一つ溜息をついた。
何と言うかさ……こいつら見てると、さっきまでうだうだと悩んでいた自分がバカらしくなってくる。さっきの走馬灯のように駆け巡っていた思い出もこいつらがいたからこそ、いい思い出となって今に残っていってんのもあるんだと思う。
別に卒業したからって会えなくなるわけじゃない。いつだって会おうと思えば会えるじゃないかって、今ならばそう納得できるような気もする。
ま、気がするだけなのかもしれないけれども。でもこいつらがここにいる今くらいは、それでもいいんじゃないかって……。
「……そうだよな。」
「ん、なんだって?」
安心すると、思わず言葉が漏れる。でも、本当に小さな小声の呟きは、こいつらには聞き取れなかったらしい。大袈裟なほどに手を耳元に当てて、もう一度お願いとジェスチャーで伝えてくるトシキたちに、俺は首を横に振った。
「いや、なんでもねーよ。」
俺もブレザーの内ポケットから携帯を取り出すと、トシキたちに向けて構え、シャッターを切った。
「ふーゆきっ!」
「うおっ!?」
急に目の前が純白……というよりも、白い閃光で満ちる。反撃とばかりにトシキたちの写真を撮りまくろうと考えていた矢先のあまりに突然の出来事に、思わず目をガッチリ瞑り、手に持っていた携帯を危うく滑り落としそうになるが、それは済んでのところで堪えた。
ま、またか……?
突然の閃光は携帯のフラッシュと確信し、その間にも俺は徐々に正常な視界を取り戻す。して、その先にいる人影は誰か……。でも、予測はついていた。
「へへっ、冬樹チェキー!」
「おい、それは俺が最初に言ったセリフだぞ!」
トシキが死ぬほどどうでも良いことに、ほんとマジでどうでもいい反応を返す、その相手の姿。
「四葉、驚かすなよ……」
春野 四葉。その人だった。
いつでも快活に笑い、普段からみなに好かれる彼女。運動部に所属し、大会でも成績を残すくらいには優秀な選手だという。
そんな人望熱い、優等生のような彼女だが、何故だかはよくわからん。四葉、いつも俺たちのグループにいることが多くて、むしろ俺たち固定メンバーの一員ですらあった。
「へへっ、いいじゃない。減るもんじゃないんだしね!」
「寿命が減る。」
俺は四葉が構える携帯の前で、両手人差し指でバツ印を作ってファインダーを塞いだ。でも、四葉はそんなのお構いなしに、少し携帯の位置を横に縦に斜めにずらしては、俺の隙を突いて写真を撮りまくっては快活そうに笑った。まさしく『元気っ娘』って言葉が、ぴったりと当てはまる少女だった。
……やり残したこと、か。
俺は四葉を見据える。世話しなく俺の周りをぐるぐると回っては俺を写真に収めまくって、時おり不意打ちのように他のメンバーの写真も撮りまくっている元気さが印象的の少女。今日も始終、笑顔を絶やさずにクラス中に笑顔を振りまいているんだろう、眼前の少女。活発なイメージにそぐわない長い髪が、動き回るたびに宙に揺れた。
「……」
急に心に熱が篭る。高鳴る鼓動に、俺の胸が締め付けられるような、焦燥感のようなものを感じた。息苦しくて、焦りのようなものが俺に急げと駆り立てるが、なにいつものことだ……。俺は今まで、その感情をずっと押し殺して今日この日まで生きてきたんだ。
……もしかすれば、今日の半日。俺の心の奥底でずっと蟠っていた悩みのタネって、これのことだったのかもしれんな。
四葉の撮影の邪魔をしつつ、俺はそんなことを思った。というよりも、そう確信した。
「みんなー!集合写真撮らないー!?」
「んあ?委員長の声だ。」
写真撮影会。主に俺を撮影する会の最中、教室内の喧騒にも負けない大声で、委員長の声が響いた。同時に教室内の喧騒も、委員長の鶴の一声でピタリとは言わずとも、滑らかに止んでいった。
委員長の声にトシキがいち早く反応して、声の方へと向く。俺もつられるように委員長の方へと視線を向ければ、さっきまで黒板にメッセージやら絵やらを書き込むグループで溢れていた教壇の上に立ち、クラスに召集をかけている委員長の姿があった。
「写真撮影?」
アキヨシも委員長の方へと振り向きながら呟いた。
「ええ、そうよ。せっかくこうしてみんな集まったんだしね。」
委員長はデジタルカメラ……多分、持参した物だろう。それを右手で左右に揺らしながら、小さく微笑んだ。
こうして集まった……ね。
その委員長のなんでもないような言葉の裏に、どことなく委員長なりに現状を示唆しつつ、最後の挨拶のような、寂しさの表れのようなものが込められているような、そんな気がして……俺は頬が吊り上がるのを堪えきれそうにはなかった。
「ちょっと冬樹くん!その笑みはなに!?」
案の定、委員長が教卓に身を乗り出して俺への剣幕を顕わにする。でもやっぱりその朱に染まる委員長の頬が、事の全てを物語っているわけで……。
「いや、委員長。ちょっとは素直になろうぜ?」
「え?な、なんのことよ!?」
教卓に乗り出していた身を少しだけ引いて、返事もどこか焦ったような口調で上擦っているようにも聞こえる。ここら辺で、クラスの連中も俺が何を考えていて委員長がどういう心境でいるのかを悟ったらしい。みんなの口元にもニヤニヤとした、イヤらしい笑みが浮かび始める。当然、俺のすぐ近くにいるトシキ、アキヨシ、四葉も同じように……。
「ん~ふふふ?」
「ちょ、ちょっとみんなもその顔なによっ!?」
委員長の剣幕……というより、多分これは焦りと言うか照れ隠しのようなもの。いつものことだ。そして、その対象は俺だけには留まらず、クラス全体に広がっていた。
もう頬に朱を滲ませるどころか、朱に染まっていく委員長。その真後ろに、いつの間にやらクラスメイトが一人。ぴったりと着いて、肩に手をしなだれかけた。
「ひっ!?」
「委員長……」
優しげに、少々官能的に耳元で囁く、クラス随一の美声の持ち主で、クラス随一のブサメンと評判のテツヤ。委員長は飛び上がるように体を強張らせ、委員長らしからぬ甲高い声を上げた。そのなんとも絵にならない様子と、委員長をからかう楽しさからだろう、クラスメイト達のニヤニヤは止まらない。そしてテツヤも止まる気配を見せない。
「そんなに、俺たちと離れるのが寂しかったのか……?」
「ひあっ!そ、そんなわけないでしょっ!?」
委員長の耳元で吐息をそっと吹きかけながら囁くテツヤの、その包容力のある体型から生まれる素晴らしい美声は、委員長の耳を撫で、委員長の声を熱っぽく、甘美にさせた。途端にクラス中からどよめきの声と、笑い、賞賛の拍手が巻き起こる。
「委員長!エロかわいいぞ!」
「ステキだテツヤ!もっとやれ!」
異様なまでに熱気を帯びた教室で、みなの歓声に応えるようにテツヤが両手を上に翳して『まぁまぁ。』とばかりに皆を制止する。そのテツヤの目の前で、委員長はトマトばりに真っ赤な頬を震わせながら、そんな俺たちの様子を唇を噛み締めながら見据えていたが、やがて我慢できなくなったように一発、バンッと教卓を両平で打った。
「そ、そんなことはどうでもいいでしょっ!!ほら!ついてきなさいっ!」
「なに?突いてだって……?」
「だまれっ!!」
バチンと小気味のいい音が響いたと同時に、テツヤの横にふくよかな身体は左に傾いた。そして巻き起こる『おおっ!』と揃いも揃った驚愕と感嘆が入り混じったクラスメイトたちの声。テツヤの身体が教壇にどっと倒れ伏した瞬間に、委員長は教室前方の扉の方へと身を翻し、小走りに駆けていってしまった。
「……ちょっと!早く来なさいっ!!」
でも、廊下を小走り出かけていく委員長は、教室後方の扉から俺たちに向かって叫んで当初の目的を果たそうとしてくれる辺り、やっぱり委員長は委員長なんだなって思う。いじられてただ逃げるわけじゃなくて、へこたれずに自分を貫き通すところ辺りがね。
「変わんねぇな、委員長も。」
「……そうだな。」
騒然として、みんなの呆れたような表情から繰り出された楽しそうな笑いで満ちた教室で、トシキが小さくつぶやくその言葉に、俺は特に否定することもなく、肯定の返事でもって返した。
「……ほんとに、今日で最後なんだね。」
「ん?」
ふと、四葉が漏らしたその言葉。それは、さっきまで俺が一人、机に突っ伏して自分自身に幾度となく繰り返していた問い。俺たち、いつものメンバーはパッと四葉の方を全員で振り返った。
そこで顔を俯けて、俺の机に手をついてその長い髪を揺らしている四葉の、その表情は覗えないが、多分悲しげな表情をしていることには違いない。普段、ずっと笑顔でいる四葉の悲しそうな姿を見ることは、いつも一緒にいる俺らですら滅多にないことだった。
四葉も、さっきまでの俺と同じ気持ちなのか……?
時間の無情さに打ちひしがれているようにも見える四葉のその姿。もしも、さっきまでの俺と似たような心境にあるのだとすれば、四葉は今、相当鬱々とした気分だということ。妙な焦燥感と、無常な時間を厭う気持ちがごちゃごちゃになって自分自身の心に巣食う、その感覚に打ちひしがれているだろうということ。それは俺が身をもって味わっていた。
俺たちは四葉以外の三人はお互い視線を交し合って、一人一人小さく頷きあった。俺たちがどうすべきか。いつも一緒にいた俺たちにできることはなにか。すかさずにアキヨシが一歩前に出て、四葉の顔をのぞき込んだ。
「おいおい四葉。別に、会えなくなるわけじゃないだろ。」
「……え?」
四葉は顔を上げて、やっぱりどことなく悲しそうに……それでいて不思議そうにアキヨシを見上げた。
「そうだよ。」
ユウキもアキヨシの言葉に賛同し、頷いた。トシキも俺も、続くように四葉の周りを囲んで、輪を成すように。俺は座ったまま、二人は四葉の両脇に立って……。
「俺のアドレス。捨てちゃいないだろうな!?」
「んにっ!?」
四葉の髪をわしゃわしゃと撫でまわしながら、トシキが言葉を紡ぐ。
……。
その様子に、少しだけ……心が痛んだ。締め付けられるような、さっき感じた感覚によく似ているそれは、いつもと同じ……あの感覚だった。
でも、今トシキに止めてくれよだなんて、そんな言葉……口が裂けても言えるわけがなかった。
「な、冬樹!」
「え……あ、ああ。」
ボーっとしていた俺は、咄嗟に現状を振り返り、慌てながらも手に持っていた携帯を開いて、みんなのグループ登録してある連絡先画面を開いて見せた。
「……俺は、みんなのアドレスはちゃんと登録しておいてあるから。」
ようやく平静を取り戻した俺は、取り繕うように四葉に笑顔を向けた。
四葉は目を丸く見開いて驚いているようで、何も言わずにただ小さく口を開いて驚きの表情を隠せないでいるようだった。
そんな四葉の様子にニヤリと笑うトシキたちもみんな、ポケットから携帯を取り出し始める。そして、三人とも順次に開いては四葉に見せつける携帯の画面には……。
「ほら、な。四葉。」
「僕も、ほら。」
グループ化された俺たちの連絡先が映し出された、それぞれの携帯の画面。俺とアキヨシとユウキ、トシキの四人……特に打ち合わせをしたわけでもない。それは、みんなそれぞれが自分の意志で作っていたものだった。
四人の携帯を交互に見回すように眺めては、四葉は驚いた表情を見せる。しばらくの俺たちは沈黙し、移動を始めるクラスメイト達の喧騒だけが俺たちの耳に入ってきたけれども、そんなことは今はどうでも良いさ。俺たちは、四葉の反応を待った。
「……そう、だよね。」
顔を伏せた四葉から聞こえてきたその声は、しょげたような声で、何か納得のいかないことでもきっとあるんだろうと思う。でも、しばらく俯いていた四葉だったけれども、パッと顔を上げた時にはもういつもの四葉のはにかんだ表情が顔に張り付いていた。
……そう、張り付いていたんだ。長い間、ずっと想いを隠してまで見続けてきた四葉のことだからわかることだったけれども、間違いはない。
その笑みは、乾いた能面の笑みだった。
でもやっぱり俺には、そんな違和感程度の表情の違いを指摘するほどの度胸はなくて、いつだって見てるだけだったから、今回もやっぱり見てるだけで……。
「私もね、ちゃんとグループ登録しておけば……」
能面のような笑みを浮かべて、携帯をしばらくポチポチと操作していた四葉。俺以外の3人が、四葉の携帯画面を覗きこむように見守るその最中で、俺だけはその様子を自分の椅子に凭れかかりながら眺めていた。
「……っと、できたっ!」
やがて、一際大きな四葉の声が教室中に響く。俺以外三人は、何か何かと四葉の携帯の画面を除こうとするが、四葉はそれを待たずして一度、携帯の画面を自分で確認した後、バッとそれを俺たちに向けて突き出してきた。
「おおっ!」
そしてそれを真っ先に目にしたトシキ。その喜々とした表情と漏れ出でた声が、これまた教室内に盛大に木霊した。廊下にも聞こえたんじゃないかってくらいのデカさでだ。
四葉は、自身を取り囲む俺たちに順々に見せていくように、ゆっくりと携帯を構えては弧を描くように回していく。やがて俺の目の前。その画面に映るものがなにか。当然、予想はできていた。
「……これで、いつでもグループで会話できるよね?」
「ん、そうだな。いつでも好きな時にな。」
少し、不安そうな四葉に向かって、できる限りの笑顔で返した俺の言葉は、四葉の表情を一変、喜々とさせた。さっきまで、能面のような笑顔をみんなに向けていた四葉は今回、俺に向かって自然な微笑みを向けてくれていた。
……ほんとに、自然の微笑みだったように思う。自分のことだから、少し四葉のその笑みを美化してる面もあるのかもしれないけれども……それでもさっきの能面のような笑みとは一切合切まるで違っていた。
そしてそのグループ化された連絡先の一番上の名前が俺のだったって、そんな単純なこと。それだけで、なんとなくだけれども嬉しいものがあったのは内緒の話だ。
「……ねぇみんな、そろそろ行かない?もうみんな行っちゃったみたいだし。」
少し不安げなユウキが俺たちの間合いに入ってきた途端、ユウキ以外のメンバーがようやっと我に返った。
「え?」
「わ、まじかよっ!?」
気付けば、教室は見渡す限り誰もいない。乱雑に放置された机やら椅子が物寂しさを醸し出していて、既にもう撮影場所に到着している人もいるんじゃないかってほど、教室内の喧騒の一切はぴたりと止んで、ひどい静けさを醸し出していた。
見事に俺たちしかいない。
「まずいな……また委員長に怒られるぞ。」
アキヨシの言葉に俺たちは頷く。
確かに、あまり時間もない今の状況で待たせるのは、気分的にもよろしくない。それに、もしも待ちくたびれたクラスメイト連中が先に写真を撮り始めていたりしたらって考えると、それもそれで気分が悪いし……。そもそも委員長に怒られたくはない。
「……よし、走るかっ!」
「は?」
トシキを見据える。確かに俺も候補に挙げていた選択肢ではあるけれども、それをトシキはあっさりと言ってのけるや否や、俺の机を蹴り飛ばすかのような勢いで急に走り出した。
「っと、あっぶねぇ!」
勢い余ってトシキは、俺の椅子に蹴躓きそうになってはいたが、そこは持ち前の運動神経を見せつけてくれる。一目散に教室の扉へと猛ダッシュし、早くも足音だけを残して姿は見えなくなっていくその姿と、後の姿なき音をボーっと俺たちは見据えていた。
再びの静寂が、俺たちをしばし包んだ。
「……俺もいこっと!」
「僕も!」
だが、これまた唐突にアキヨシにユウキも勢いよく走りだしたかと思えば、あっという間にその姿を廊下の向こうへと消してしまった。
「……」
「……」
残された俺と四葉は揃って教室後方の扉。あいつらが消え去っていった方をボーっとただ眺めるしかなかった。
やがてハッと我に返る、西日が傾き始めた、午後の昼下がりの教室にて。ふと四葉の方を見れば、いつの間にやら四葉は顔を俯けて、でも少しだけ俺の方を向いていて……そして、その顔は何故か暗い表情へと戻っていた。
「よ、四葉?どうした?」
「……え?あ、違うの!」
手を左右に振り、最早怪しいくらいに全力で否定する四葉に、俺は違和感を感じると言うか、心配にならないわけがなかった。
「……そうか?」
俺の問い掛けに、四葉は困ったような笑いを浮かべて、右の頬にかかった長い髪を横に掻き分けた。
「うん……ほんとになんでもないの。」
「そう?ならいいんだが……」
何でもないはずはなかった。けれども、もちろんこれ以上問いただしたりはしなかった。
俺の机と椅子を挟んで向かい合わせで立つ、俺と四葉。外の喧騒……下級生たちの今期最後の体育か何かだろうか?それだけが、この教室に存在する唯一の音だった。
……この状況で二人きりというシチュエーション。どうにも落ち着かない。
「……とりあえず行くか。」
僅かに俺は不安な気持ち、心配する心を抱いたまま、とりあえずみんなが向かった方へと歩を進め始めた。四葉も後ろについてくると思って……。
でも、後方出入口手前で振り返ってみれば、四葉はボーっと俺の方を向いたまま、微動だにせずに無言で立ち尽くしていた。
「……」
「あれ、四葉。行かないのか?」
ボーっとしている四葉に問いかけると、すぐに慌てたように、はにかみながら手を左右に振った。
「……少し、用意してから行くね。」
そう言うなり、四葉は足早に自分の席の方へと向かっていった。
用意って、写真撮るのに何を用意するんだろうか……?
いつもの四葉らしさはどこへ行ったというのか。ここ数十分の間、四葉らしさがほとんどなにも感じられなかった。どことなくうわの空で、どことなく何かを悩んでいるようで……それでいて、俺たちにも何かを隠しているらしいことは、もう一目瞭然だった。
「……先行ってるぞ?」
「うん……すぐいくから。」
困ったような笑顔で四葉は俺の方を見て、でも勢いだけはよく手を振っていた。
待っていてもよかったけれども、でも……四葉の表情や行動を見ていたら、きっと四葉は誰にも見られたくないことがあるんじゃないかって、どことなくそんな気がして……。たから俺はこれ以上は何も言わずに、黙って委員長たちクラスメイトたちが待つであろう、写真撮影ポイントまで駆け足で急いだ……。
………
……
…
「……」
帰路。毎日のようにこの道を通って登校しては、毎日のようにこの道を通って下校した三年間。一人歩きも、これで最後になるんだろうと思うと、感慨深さも一入だ。
長いようで、ひどく短かった、中学生として生きた三年間。
俺はもう通い慣れた、眺める感動も薄れた桜の並木道を見上げながら、今日くらいは三年間の最後の並木道を目に焼き付けようと、ゆったりと歩いた。でも、時期はまだ弥生の月初め。
桜は……当然ながらまだ咲いていない。幾重にも枝分かれした枝木は青空を背景に、まだ春の涼風とは言い難い寒風に、その身を揺らしていた。
まだ、寒いな……。
俺自身も寒風に晒されて、ひどく肌寒い。学ランの下に長袖のシャツを着こんでいても、この寒さにはまだ勝てそうにもなく、ポケットに両手を突っ込んで歩いた。
でも、もうしばらくもすればきっと、暖かい陽気に包まれて、春の訪れも身をもって味わえるなって、そんな風にも思う。遅めではあるけれども、今年の春一番もこの肌に味わえるんじゃないかなって、そんな希望を胸には抱いていた。もちろん、それは今でも俺の心の僅かな一縷の希望だった。
俺は遠くなった学校を振り返るように首だけを捻じらせて、鬱蒼とした木々の上を突き抜けて見える母校を見据えた。
でも……そうだな。
今はそんなことよりかは、長く長く、まだまだこれからこれからだと思い続けてきた三年間を、本当に為すべきことも為さず、ただ無常な日々に急かされるだけ急かされて終わらせてしまったことへの焦燥感とでもいうのか、絶望のようにも感じる想いで潰されそうになっている俺がいた。
本当に為すべきことを為せなかった。というよりも、俺自身が自分にとって不都合な未来。それが見えた瞬間、できるだけ自分にとって都合がいいようにと、俺が負い目を感じる未来がないようにと、その行動する勇気から逃げ続けていただけなんだとは思う。だから俺はこの三年間、本当に為すべきことは見つかっていたのにも関わらず、その一歩を踏み出せず仕舞いで、結局は何の獲得もないままで、何のイレギュラーも体験せずに中等教育過程を修了しちまったんだろうよ。
「……」
考えれば考えるほど、思考が泥沼に嵌って気が滅入ってくる。たまらずに、首の力を一気に抜いて頭を擡げた先に見上げる空は、どこまでも透き通った青、青、青一色。雲一つない、紺碧の空がどこまでも広がっていて、ずっと眺めていたら、きっと鳥にでもなれるんじゃないかって、そんな風にさえ思えるくらいに雄大な空が眼前には広がっていた。
……なんでなんだろうな。
全てが終わってからじゃないと気付けないことの多さ。いつだってそうじゃないか。どんなに楽しいことがあっても、いざ終わっちまってからじゃなけりゃ、やり残したことに気付けない。終わってからじゃ取り返しのつかないことだとわかっていても、失ったものや、やり残したことへの執着は、いつまでも引きずっちまう。
そうだ……いつでもそうだ。
……今回だって。
「四葉……」
わかりきっていたことだった。自分が、二年も前から四葉に感じていた、隠し通してきた想いが『好き』の感情だったってこと。本人を目の前にしなければ、何度でも口に出していた言葉は……何度心の中で口に出せずに閉じ込められていたことか。
考えても見ればあまりにも俺らしくて、思わず笑みすらもこぼれた。
本人を前にすると、本人に関わりのない、好きな授業のことでも趣味のことでも『好き』って言葉を口に出せなくなる。なんとなく気恥ずかしくて、無意識のうちに意識しているんだってことも、いざ終わって冷静になって考えてみればなるほど、道理だ。
でも、そう意識し始めたときからずっと、これから先の未来永劫、想いを伝えることはないことも……心のどこかではわかりきっていたんさ。だから、ずっと伝える気もないままこうして終わっちまったんじゃないか。伝える勇気が出ないってこと、わかりきっていたから逃げ続けていたんだってことは明白だ。
「くそったれめ……」
思わず言葉になって漏れ出た。
こうなってから、ようやく気付いたこの想いの大きさ。いつの間にこんなに大きくなっていたのか、抑圧されていたこの溢れ出る途方もないこいつは、一体どこへ差し出せばいい?差し出す相手は、もう手の届く範囲にはいないってんのに。
じゃあどうするんだ?今この場に未練もなく捨て置けばいいのか?
「……っちくしょうッ!!」
こんなにでっかいやつ……どうやって捨てりゃいいんだよっ!!
溢れる想いが行くあてを失って、一方は叫びとなって喉から飛び出して……もう一方は怒りとなって、ただ一目散に俺を走らせた。
ちくしょうっ!!ちくしょうっ!!ちくしょうっ!!ちくしょうっ!!
出てくる言葉はどれも汚い言葉だらけ。桜並木を駆ける俺の叫びは道行く人を振り向かせたが、受け取り手もいない想いは、やがて虚空へと響いては消えていった。
ちっくしょうっ!!
誰の心にも残らない。この行くあてのない想いは、結局は自分自身に返すしかなくて、物にぶつけるわけにもいかなくて……。ただ叫んで、走って、滴となった想いは頬を濡らして、ただ自分自身を責めることくらいしかできなくて……。四葉を想っては溢れる焦燥感と虚しさ、俺自身に対する怒りに咽び泣くしかなかった……。
………
……
…
「……」
カーテンの閉まりきった自室。薄暗い部屋で蛍光灯の灯りもつけずに、俺はカバンをベッドの脇に投げ飛ばして、その身をベッドに倒れ伏した。
音を立てて弾む俺の身体。顔は枕に伏せ、溜息は思い切り枕へとぶつけるように吐く。
……今は、もう寝たい。ただ何も考えずに。
でも、そう考えれば考えるほどに俺の意識は覚醒し、眠気は訪れず、苛立ちと悲しみが募っていった。
負が負を呼ぶ負のスパイラル。いくら枕を握りしめても、いくら歯を食いしばったとしても、誰に譲る宛ても捨てる宛てすらもない想いは理不尽な怒りを呼び、いかんともしがたいこの状況はどうすればいいのかと俺自身が心の中で悲鳴を上げる。またも溢れ出る、なんだかよくもわからない涙が直接、枕を濡らした。
四葉……。
俺は何度、この言葉を心の中で反芻したんだろう。覚えてるわけもないけれども、きっとそれは星の数ほども繰り返したんじゃないかってくらい、俺は幾度となく四葉のその名を心の中で呼び続けてきた。
俺の強い想いがそうさせてるんだろうと思う、きっと……。
四葉。ベッドに伏せっていても、あいつの顔が真っ暗な視界にぼんやりと浮かび上がってきては俺に笑いかけてくる。いつもの笑顔で俺の目の前にいる四葉。
今、何をしているのか。自宅の部屋で携帯でもいじっているのかなとか、まだ帰宅の中なのかなとか……四葉のことばかりが頭に浮かんでは消えずに、ずーっと居座り続けた。
「やめろって……」
寝返りをうち、体勢は仰向け。自室の天井を視界に収める。
……もう忘れろ。四葉のことは、もう諦めるんだ。
負の感情ばかりに左右されていてどうするというのか。もう手の届かないほど離れてしまった相手に思いを馳せ続けて、それで何か得られるものはあるのかと……。
そうだ、高校生活に思いを馳せるんだ。楽しい楽しい高校生活が待ってるって、そう思えばきっと楽になる。
自分で自分に言い聞かせるように、できるだけ楽しいことを考えるように。四葉のことを思い出さなくて済むようにと、俺は1か月後に待つ私立高校での生活を思い描いて、希望に溢れた高校生活を心の中で形作っては心の平常を保とうとした。
別れと出会い。古きとの別れから、新たなる出会いに新しい恋の芽を見出すか。
でも、新しい恋の芽を美しく可憐に咲かすには古い枯れた芽は早々に摘むに限る。一つ、見目麗しい綺麗な花を咲かすには、他の花を咲かせない芽は早々に摘んでおくべきだったんだ。
「……」
視界の中の天井が滲む。その時、目頭に確かな熱を感じた。
四葉……。
「……じゃあな。」
震える声で絞り出した、誰に向けたわけでもない言葉。虚空へと消えた。
これで、終いだ。もう終い……。全てはきっと時間が解決するって、この捨てきれない想いもきっと、高校生活が始まっちまえば揺らいで薄れて消えるから。
だから、それまでは……すっかり忘れてたこの涙の流し方を振り返るようにして、今はこうして涙を枯らそう。枯らすことで楽になる想いも……きっとあるはずだろう?
「よつ、は……」
それからしばらく、俺の意識が朦朧と落ちていくまでの間、ずっと目頭に涙が枯れることはなかった……。