開封
「‥‥ま‥‥しま!」
「えっ?!」
先生に頭を小突かれてやっと我に返った。
なに思い出してんだよ…俺。
「ボーッとして何考えてたんだ?女の子のことかぁ?」
「……」
からかってくる先生をジロリと見やると『おぉ怖い怖い』と肩を竦めておどけてみせた。
「もうここ鍵閉めるぞ。ほら周り見てみろ、もう部員みんなとっくに帰ったぞ?お前も早く帰れ。先生はまだ他に仕事がたっぷりあるんだぞー?」
ちっ…もう追い出しの時間かよ。
重い腰を上げて教室を出ると廊下は夕焼けのオレンジに染まって驚くほど静かだった。
生徒も先生も見当たらない。
俺が最後か…。
いつもこうして追い出されるギリギリまで帰らない。家に帰っても誰も居ないし退屈なだけだから。
「…っくそ」
あのチビ犬のせいで思い出さなくていいことが頭の中でグルグルしてしまった。
あいつさえ入ってこなければ静かな空間が壊されることなかったのに…全く嫌な気分だ。
溜め息を吐きながら門に向かって歩いていくと見覚えのある茶色の頭が目に入った。
「高島先輩!」
遅かったですね、なんてにこにこしながら駆け寄って来やがった。
紛れもない…チビ犬だ。
一瞬目を合わせたけど、笑顔がキラキラして眩しくて胃の辺りがムカムカしたからすぐ逸らしてさっさと歩き出した。
「ちょ…先輩!約束忘れてないですよね?」
「んだよ、触るな」
「先輩……俺っ」
引っ張られた腕を振り払ったのにまたすぐに服の袖を掴まれる。
「うざい……お前」
面倒臭い、と溜め息を吐いて鹿間を見ると心なしか瞳が潤んだように感じた。
「先輩は何でそんなにツンツンしてるんですか!俺は話したいだけなのに!」
「俺話したくないな」
正直、戸惑った。
話したこともない奴にここまでしつこくされる理由はなんだ?
こいつには他に友達なんか腐るほど居るだろう。どうして俺に構う?
なんでそんな必死なんだ?
頭の中に疑問ばかりが浮かぶ。
「……てかお前、俺のこと名前ぐらいしか知らねぇだろ?なのに何だよ友達気取りか?」
「‥っ知ってます!3-C組の高島葵、2月25日生まれのA型!好きな動物は猫ですっ」
「!?」
「それから、好きな色は黒でクールな見た目とは違って甘党!チョコレートが好物!数学が得意でいつもテストでは満点」
俺の中でけたたましくサイレンが鳴り出した。
こいつ‥‥こいつ、こいつ…
『ストーカーだ!!!』
背中にツーっと冷や汗が垂れた。煩いくらい心臓が鳴り一瞬固まったけど、すぐに強い力で腕を振り上げた。
「った!」
途端、鹿間はバランスを崩してよろけた。
よし!!逃げる!!
その隙に俺は本気で走った。
後ろで声が聞こえた気がしたけどもちろん振り向かずとにかく逃げ走った。
こんなに走ったのはどれぐらいぶりだろう?
「なんだマジ…っ有り得ね…」
早い鼓動の胸にフツフツといろんな感情がこみ上げてくる。
イライラとか不安とか焦りとか…
押し殺して忘れた筈の感情たち。ドクドクと溢れ出して止まらない。
あんな意味の分からない奴に、心の蓋を無理矢理開けられて俺はどうしたらいいのか分からずに…走って上がった呼吸を整えながらその場に立ち尽くした。
あの恐ろしい事件以来──
俺は部活に顔を出さなくなった。
少し興味のあった写真のコンクールも、結局作品を出すことが出来ず終い。
理由は全てあのチビ犬だ!
どこで調べたのか分からないが俺のことをよぉく知っていて、無理矢理ズカズカと中に入り込もうとしてくる。
鹿間が何をしたいのか…あの日から嫌でもあいつのことばかり考えるようになって、胃が痛いし気持ち悪い。
「てことで、明後日はテストだからきっちり勉強しておくように。いいかー?」
「はぁーい」
そういやもうじきテストか…。
頭の中がこんなだから普段スラスラ出来るものもあまり集中できない。
これは点数に確実に響くぞ‥
あーもう、また鹿間の事を…
グルグルしまくっていると、いつの間にか授業は終わり下校の時間となった。
生徒たちがワラワラと教室を出て行く。俺も鞄を持って席を離れ入り口に向かって歩いていくと何やら女子の声が耳に入ってきた。
「なにあの子めっちゃ可愛くない?」
「2年の子かな?」
「あたしより可愛いとか女終わったしー!」
うるせぇな…
こそこそと盛り上がる女子の横を通り抜けようとした時……
「高島先輩ーっ!」
ギョッとして声のした方を見ると、そいつはやっぱり鹿間だった。
俺を見つけて嬉しそうに手なんか振るもんだからさっきの女子達の視線が俺に集中した。
「え……葵?」
「なになにぃ」
さっき言ってたのはもしかして鹿間の事だったのか?
面倒臭い事になりかけていて、俺は慌ててクラスから抜け出し鹿間の肩の服をグッと掴むと足早に廊下を進んだ。
「わわっ!ちょっと…先輩!」
「お前マジどういう事だ!3年の教室まで来るとかもう本格的なストーカーだ」
「えぇ!俺ストーカーなんかじゃないですよっ」
「ストーカーは自覚がないからな」
「違うって!本当にそんなんじゃ‥っただ俺は話がしたくて。先輩…部活来てくれなくなっちゃうし」
この前と似た、胸がフツフツと熱くなるような感じに苛立ちながらズンズンと歩を進め、静かな中庭近くまでやって来た。
「もう離して下さい…痛いです…」
服を引っ張っていた手を離してやると、じぃっと俺を見つめてきた。
「俺、先輩に聞きたいことがあって…。でも部活で会えないから教室まで行っちゃって。迷惑ってことは分かってたんです‥‥ごめんなさい」
「はぁ‥分かってるならするな。てか俺はお前のこと全然知らないしこうやって2人で話したりするの、正直嫌なんだけど」
俺の冷たい言葉にも顔色一つ変えない鹿間はギュッと拳を握った。
「全然‥じゃない筈です!同じ部活だし。俺もカメラ好きだし猫も好きです。甘いのも好きだし…」
気のせいか分からないけど、鹿間の顔が少し赤いように見えた。
「‥‥で?何を聞きたいわけ?」
「先輩は……好きな‥人、居ますか?」
「はあ?」
何だその質問は!?
なんか苛立ちが増した‥。でも拍子抜けして少し冷静になって話を聞ける。
「居ないけど‥‥何でお前がそんなこと知りたがるの?」
「俺…気になって‥」
「誰かに聞いて来いって頼まれたとか?」
「ちがくて‥‥」
さっきまで元気な犬だったのに急に静かになりやがった。しかもごにょごにょとはっきり言わないし意味分からねぇしムカつく。
「高島先輩が‥好きなんですっ!」
はぁっと溜め息を吐くのと同時によって思わぬ言葉が耳を通り脳が理解して、瞬きをするのも忘れて見つめてしまった。
え……?好き?
好きって、好き嫌いの好き?
混乱して眉間に皺を寄せて考えていると、鹿間が深呼吸を小さくした。
「あの…気持ち悪いかも知れないけど、最後まで…聞いてもらえます‥か?」
怒って怒鳴る気にもなれなくて、あぁと返事をする。
「俺‥先輩を知ったのは中学の時です。同じ学校だったの…覚えてないですか?」
「……いや覚えてないとかじゃなくて、知らない」
こいつ同じ中学だったのか!?
全然記憶にない‥‥でもそんな関わり合ってないから後輩とか知らないな。
「いつも先輩…1人ぼっちで…たまに授業サボって屋上で寝てたりして。あっ!別に隠れて見てたとかじゃないですっ!」
‥いや、こいつ100%見てたな。ストーカーは中学からか!
「あの…それで、先輩いつも…寂しそうで。笑ったり怒ったりしなくて無表情だったけど‥寂しそうっていうのはなぜか分かったんです。本当に辛そうで、見てる俺も辛くてどうにかしてあげたいって思った…んです」
「……」
「ある日、学校帰りに声かけようと思いながら先輩の後ろを歩いてたら……女の子が、怖そうな男の人達に絡まれてて」
やっぱりストーカー‥と思ったけど鹿間の言葉である一つの記憶が思い出された。
あれは大雨の日だ。
下校途中で女の子が強面の男3人に詰め寄られている所に遭遇した。
女の子は震えながら今にも泣き出しそうに俯いていた。男達は女の子が水溜まりを歩いた際に自分の服に水が飛んできて濡れたと言いがかりをつけていたようだった。
「‥‥っ…すみません‥」
「いやいやお姉ちゃん、謝ったって俺の服綺麗になるわけじゃないやん?」
「どう責任とってくれんの?あ?」
うぜぇ‥‥黙れよ
何でか分からないけど、俺は傘を地面に放って男の1人に殴りかかった。
不意打ちに吹っ飛んだ男は目を見張ったけどすぐに睨みつけてきた。
「ってめぇ!!何すんだよっ!」
すぐ横に居た男が殴ろうとしてきた。それをかわしてまた拳を振り上げる。
雨がすぐに俺の頭の先から足までずぶ濡れにした。
それからどれほど殴り、殴られただろう?
男達は口元や頬に血を滲ませ、逃げるように走り去っていった。
「3人相手に‥先輩怯まなくて。めっちゃ強くて。でも血‥出てて……俺助けたかったけど怖くて動けなくって。ごめんなさい‥」
「別に戦力外のお前が来た所で意味ないしな」
「あいつらが逃げてった後、先輩女の子の頭ポンポンって撫でて‥‥」
もう大丈夫だから…────
そう言って、血だらけの顔で笑いかけたんだ。