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ねこもしゃくしも 下

※  ※  ※


 僕と初瀬は、時たま放課後に学校の屋上に集まって、目的もとりとめもなく、ただ二人でだらだらしていることがあった。

 その行為がどっちの提案でどう始まったのかは、正直覚えていない。ウチの高校は屋上を開放などしていないし、初瀬がどうやって屋上への扉の合鍵を入手したのかもよく分からないが、まあ、何でもいい。

 僕達は完全下校時刻の間際、くだらない話をしたり、ただ黙っていたりした。

 ――彼女の横は、なんだか居心地が良い。

 よく、そう思うことがあった。

 放課後、僕と初瀬の二人だけが教室に残っていた。段々とオレンジ色がかってきた窓からの陽光を背に浴び、僕はずんずん先を歩く初瀬の後を、ただついていく。

 初瀬は、くるくると躍っているみたいに歩く。地面から少しばかり浮いているんじゃないかというくらいに動きが軽く、現実味がない。浮世離れしている。

 今日も足で独特のステップを刻みながらドアの鍵をガチャガチャやると、屋上のアスファルトを蹴って二度跳ねた。くるくる、くるくる。飛ぶように。詠うように。

 燃えるように紅い夕日に照らされて、初瀬のやや細すぎる肢体が、ナナフシのような影を作っている。真っ黒いそれが足元でステップを踏んでいるのを、僕はなんとなく目で追っていた。

「風が気持ちいーねえ」

 初瀬は目を細めて伸びをした。長い髪が靡いて、足元のナナフシが得体の知れないシルエットに変貌する。

 僕は「少し寒いな」と思ったが、特に反論せずに影を見続けた。

「昔の偉い人がさ、『人間は考える葦である』なんて、如何にも偉そうなことを言ったらしいじゃない?」

 初瀬が、かすかに笑んでそう言った。

 僕が何も反応出来ずにいると、初瀬はにやにやしたまま、――でもさ、と続けた。

「今に至っては、そりゃあもう通らないよね。大体の人は、ただゆらゆらしてるだけの『考えない葦』だもん。考えることだけが人間の尊厳なんだとしたら、きっともう現代人に尊厳はないんだろうね」

 ――パスカルか。

 確か、倫理の授業のときに習った、気がする。西洋哲学の話を何故今ここでするのだろう、というかその用法は間違っているのでは・・・・・・とちょっと考えて――言うのはやっぱりやめた。屋上にいるときの彼女の話を、先の方まで考えながら返事をするのは、少なくとも僕には無理だ。

 彼女のそこそこ整った顔を見つめる。やっぱり、変に笑っていた。

――爬虫類じみた笑みだ。赤い舌が、ちろりと覗いている。そのまま口の端が裂けたように笑みを大きくして、

「君は――なんだろ、なんで最近川端さんの机ばっかり見てるの?」

 と、僕に訊いた。

「ん、見てる――かな」

「見てるよ。なんで? 負い目?」

「負い目って何さ」

 彼女は小首を傾げた。

「だって、君、告白されたんでしょう。あの子が死んじゃう前に」

 初瀬は歪んだ笑みを絶やさず、なんでもないことのようにそう言ってのけた。

 彼女が人と話しているときは、いつもそうだ。いつも顔面に嘘を貼り付けて、ニコニコしている。

「ねえ、ねえ。なんで? 返事する前に川端さんが死んじゃったから、気にしちゃってるの? だとしたら、私、がっかりだなあ。それって、クラスの考えない葦のみんなとおんなじだよ」

 変わらず、とても嬉しそうに初瀬は詰問を続ける。

 ――クラスの奴らと同じ?

 それの何がいけないのだろうか。考える葦は本当に幸福なのか?

 突然真面目一辺倒だと思っていた奴に告白されて、狼狽して、返事を先延ばしにして、訳が分からないうちに川端は死んで、永遠に返事が出来なくなって――それを気にするなとでも言うのだろうか、この女は?

 心の内ではそう思ったけれど、口には出さなかった。僕は確かに負い目を感じているし、でもその捌け口はとうにいない――。

 何も、言えなかった。

「――口から出るのはさ、全部嘘なんだよ」

 初瀬は、スカートの裾を翻らせながら片足でくるりと一回転すると、こう言った。

「頭で考えてることだって、大概は嘘。死んじゃったくらいで川端さんの記憶を書き換えて、『あの子結構イイ子だった』なんて思っちゃうくらいに脳髄は信用出来ないしね。私はねえ、川端さんは嫌いだな。真面目過ぎて、ちょっと鬱陶しいから。君は、どう?」

「どう、って」

「だから、川端さんのこと。好きだったの? 嫌いだったの?」

 ――。

 好きか、嫌いか――で言えば、まあ、好きな方ではあったろう。少なくとも嫌いではなかった。

 ただ、それがそのまま告白の返事になるのかと言えばそういうことではなくて、だとすれば今正しい選択肢は存在しないので、僕は「別に」とだけ言っておいた。

 返事を聞いた初瀬は、一瞬だけむっとした表情になったが、すぐに笑みの仮面を嵌め直した。

「脳髄が勘違いした情報を嘘で塗り固めて吐き出して、それをお互いに自分の都合が良いように解釈するのがコミュニケーションだから、自分が思うように言えば良いよ。どうせ全部嘘なんだし。私は勝手に勘違いしておくから」

「嫌いじゃなかった――けど、告白は断るつもりだった」

 一応、勘違いされないように配慮した言い方をしたつもりだったが、

「ふうぅ――ん?」

 対する初瀬はあまりこちらを信用していないような声色だった。頬っぺたが突っ張っている。

 ――まあいいや。

 しばしの沈黙の後、彼女は、そう呟きながら、足でリズムを刻んだ。トンカトカ、トントン、と、乾いた音が響く。

「私はね――」

 初瀬は、先程までの話ぶりとは打って変わって、低いトーンで呟き始めた。

「理屈抜きで好きっていう感情は、それだけは嘘じゃないって思うの。口に出したら嘘になるけど、なんとなく、理由なく好きっていうのは――ね」

 顔だけはまだニコニコと嘘を引っ付けていたが、声色は明らかに弱々しくなっていた。僕は、ただ押し黙った。

「川端さんは、どうだったんだろう? ごたごた考えたりしないで、理屈抜きに、真っ直ぐに、君のことが好きだったのかな。――もしそうだったんなら」

 彼女は、少しだけ俯いて、そして僕の方に向き直った。

「――羨ましいなあ」

 そう呟く初瀬の笑顔に一抹の寂しさ、痛々しさがよぎった気がして、僕はなんだか彼女の顔から目が離せなくなった。

 それから、僕が初瀬に精一杯の嘘を吐くのは、いったいいつになるのだろう、と考えた。

 ――答えは出てこなかったが、多分近いうちに言うことになるだろう。たとえ嘘になったとしても、自分の気持ちのままに。

 ――空のオレンジ色に、藍色が混ざり始めていた。


 ※  ※  ※





「結構、暗くなっちゃったね」

「――もう冬だしね」 

 澄んだ空気を肌に冷たく、しかし心地よく感じながら、僕と初瀬は帰路に着いていた。

 並んで歩いていても、彼女の方が何故か半歩分先に進む。妙に軽快なリズムをトントン打ち鳴らしながら、地に足がついていないみたいにふわふわと。

 僕には何故か、それが嬉しかった。

 ――しばらく、一歩進むたびに上下する彼女の頭のてっぺんを眺めていると、

「ねえ、あれ」

 言いながら、初瀬が前方を指差した。僕もつられてそちらを向く。

 丁度、高校生風の男子が、目の前の十字路を横切るところだった。顔は道が暗くて確認できなかったが、あの制服は、恐らくウチの高校のものだ――。

 誰が言うともなく、彼の背中を追って右折する。

 道に一つしかない――しかも切れかけの――街灯のチカチカした明かりに照らされて、彼の全身が僕達の前に晒された。

 ――そいつは、ふらふらと不安定な歩き方をしていた。身長は僕と同じくらいで、痩せ型。明るい茶色の髪はスポーツ刈りにしてある。肩から提げるタイプの、大きなスポーツバッグを持っている。学校指定の鞄は持っていないから、多分一度帰宅したのだろう。片手には大きなスコップを握り締めていて、それが地面と擦れてガリガリ、ガリガリと音を立てていた。

 ――というか。

「あれ、弥彦か?」

 明かりの下で確認すれば見間違えようがない。どう見てもクラスメイトの弥彦だった。

 ――しかし。

 歩いている方向は、彼の家とは正反対の方角だ。今この時間からあの大荷物で、いったいどこへ行くというのだろうか?

「おい、あれ――」

 横を見ると、初瀬が何やら薄ら寒い笑みを浮かべていた。先程、屋上でも見た、爬虫類めいた嫌な笑み。

「弥彦――だよな。何やってるんだ、あいつ」

「さあ――?」

 初瀬は頬を歪めながら、中空の辺りを見つめた。僕も彼女の視線を追う。そこには、黒々と山が聳えていた。

 ――川端が殺されていたのは、あの山の中腹だ。

 否応なく思い出される、記憶。それは、教室で未だに彼女のことを気にしていた弥彦も同じはず。

 弥彦は明らかに山を目指して歩いていた。フラリフラリ、夢遊病患者のような千鳥足で。

 ――これから時間が過ぎてゆくにつれて、山は夜の闇よりも暗くなって、しまいには天に開いた巨大な風穴のようになってしまう。

 僕は、弥彦があの山に吸い込まれていくような気がして、咄嗟に駆け寄ろうとしたが――初瀬に肩をがしりと掴まれ、引き止められた。

「ねえ、大丈夫だよ。うーん、彼は、そう――」

 ――初瀬は、首を捻って、ぱきりと鳴らし、

「――恋してるんだよ」

 そう言って、足を打ち鳴らした。

 その、トントン、という音と、スコップが地面と擦れるガリガリ、という音だけが、耳の奥にこびりついているような、そんな気がした。


 ※  ※  ※


 あの日、俺は何故あんな山道を通っていたのか、未だに上手く思い出せない。

 もう一つ。どうやって山を降りたのか。その記憶も、同じように朦朧としている。

 しかし、まあ、どうでもいいことだ。

 俺はあの日山にいて、そして出遭った。それだけでいいし、それ以外はどうでもいい。

 気がついたら、俺は木の陰に隠れていて、そして、すぐ目の前には惨劇が広がっていた。

 ――助けるべきか?

 一瞬そう思い、改めて状況を確認する。

 よく見知った顔の女子が、地面に組み伏せられていた。乱暴をはたらいている方の奴は――ああ、この記憶も曖昧だ。思い出せない。

 突然、少女が叫ぼうとする。俺はびくっとして、しかし身体が動かなかった。彼女を拘束している奴が、何かぎらりと光るものを振り上げる。

 瞬間――彼女と目が合った。

 怯えた、しかしもうどこか諦めてしまったような、彼女の目。

 俺の口からは、「ああ」とありったけの空気を絞り出した後みたいな掠れた声が出て、そして、

 振り下ろされた。


 ※  ※  ※


 彼女をひと目見た瞬間、今まで信じていた世界はガラガラと音を立てて崩れていった。

 

 ※  ※  ※


そして、俺は今日も山へ向かう。

 恋人を探しに。




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