シンシア 07
ルーノの決意は固かった。
次の日、ルーノは起こしにきたテクシーロに、着替え終わると早々にコンフォルタ文字を教えてくれと言った。
ただ知りたいだけ、という風には見えないルーノの様子に、テクシーロはどういうことだと問われ、ルーノは昨晩の出来事を必死に伝えた。テクシーロはずっと驚いた顔をしていたが、最後には目尻に涙を浮かべ嬉しそうに微笑んだ。
「そうですか、陛下が、ご自分でここまでいらしてらっしゃったのですね。今まで、このようなことは無かったのに……」
うっすらと涙まで浮かべ、過去にない主の前向きな行動に感動するテクシーロ。けれど、ルーノは素直に喜べなかった。ノクトにはノクトの考えがあるように、ルーノにも初めて譲れない意思が芽生え始めていた。
「でも、ぼく、は、ノクトに、まだいっぱい、いいたいこと、が、ある。これから、も、いっぱい、あいたい。だから、せんせんふこく、するの!」
「宣戦布告?」
不穏な単語に、テクシーロは目をぱちくりと瞬かせルーノを見る。
そこには、真剣だが、どこかいたずらを思いついたような表情をするルーノがいた。こんな表情を、いつの間に出来るようになったのだろうと思いつつ、テクシーロはルーノの言葉を聞く。
「あいにいく、って、てがみ、を、かく。それから、むかえに、いく、ん、だ!」
そう宣言したルーノの計画に、テクシーロはのることにした。
テクシーロも、ノクトの考えはおかしいと思っていたからだ。幼い頃はノクトの乳母であった母に連れられ、ノクトと遊んだこともあった。小さな庭で触れ合った彼は、黒を持っていても、そこら辺にいる子供となにも変わりが無かった。
なぜ皇后はノクトを恐れるのか、なぜ人々は黒を恐れるのか。テクシーロはずっとわからなかった。
大きくなるにつれ、ノクトは自分の持つ色が畏怖される存在だと自覚し、閉じこもるようになった。
王座を継いでも、政務はすべて部屋で行い、人前に出ることは会議でさえもすべてアルバーロがやった。アルバーロが外でのできごとを逐一ノクトに伝えるという形で二人三脚の執政を行っているが、それも変えるべきだと思っていた。
王はノクトなのだ。アルバーロと勘違いしている者も多いだろう。国民が暮らしやすいように法を変え、制度を変えてきたのはノクトだ。それを民衆は、ちゃんと知るべきだろう。
いきなり外へ出ることは無理かもしれない。けれど、その第一歩を、ルーノが一緒に歩んでくれれば……。テクシーロはそう思ったのだ。
「わかりました、ルーノ様。王に挑戦状を叩きつけてやりましょう!」
さっそく紙とペンを持ってこさせると、テクシーロはルーノにコンフォルタ文字を教え始めたのだった。
読むことはできるが、文字は初めて書くルーノ。ただでさえ難しいコンフォルタ文字を、ペン先が紙に引っかかったり、インクが飛んだりしながらもなんとか読めるほどに仕上げたのは、もう夜にさしかかる頃だった。
紙を封筒に入れ、蝋で封をする。これを明日、フォルクローロに預ければノクトの元へすぐに届くだろうとテクシーロは言った。朝一で届けるためにも、今日は早く寝ようとルーノはベッドへと潜った。
今日はカードが置かれていなかった。おそらく、明日起きてもカードはないだろう。ルーノはそんな予感がしていた。
(でも、いいんだ……! ぼく、が、いくん、だ、から!)
そう意気込み、ルーノは冴えている目を閉じ、なんとか眠りに着いた。
翌朝、テクシーロが声を掛けるより早く起きたルーノは、寝室を出て隣のいつもいるソファでテクシーロを迎えた。
朝のお茶を飲みながら、今日は動きやすい服を選んでもらう。そして着替えが終わった頃に、ちょうど扉がノックされた。
やってきたのはフォルクローロ。部屋の中へ招き入れると、ルーノは昨日書いた手紙を渡した。
「これ、を、ノクト、に、渡して、ください」
コンフォルタへやってきたときに出迎えたルーノとは、まるで別人かと思えるほど意志の強い眼差しに、フォルクローロは内心驚いた。けれどそれを表情に出すことは無く、昨晩テクシーロから報告を受けていたフォルクローロは何も言わずにその手紙を恭しく受け取った。
フォルクローロも、この国の黒に他する認識を改めたいと思っている一人だ。ずっと王の傍で政務を手伝ってきて、こんなにも国民を考える王を、皆に認めさせたいと思っていた。
そのままフォルクローロは部屋をあとにしようとした。だが、扉のところで立ち止まると、ルーノに向き直った。
「ルーノ様。ノクト陛下の下へは、花の香りが導いてくれるでしょう」
「?」
そう言い残すと、今度こそフォルクローロは去っていった。
どういう意味だろうと首を傾げるが、フォルクローロは味方だとテクシーロは言った。ノクトの場所を言うことは禁じられているだろうから、きっとさっきの言葉はヒントに違いないだろう。
(はなの、かおり……)
フォルクローロの言葉をしっかりと覚え、ルーノは朝食をいただくことにした。お腹が空いていては力もでません、とテクシーロが言ったからだ。
朝食が食べ終わる頃には、手紙はノクトの元へ届いているだろう。そう思い、ルーノはしっかりと朝食を食べた。
ルーノには勝算があった。昔読んだ冒険物語を思い出し、今ルーノは寝室の壁を端からコンコンと叩いている。その様子をじっと見詰めているテクシーロに、ルーノは説明した。
「ノクト、は、ここらへんで、きえちゃった。だから、きっと、みち、が、ある」
「あ、なるほどですわ!」
ようやくテクシーロがルーノの行動に納得したとき、ルーノの手が、今までと違う音を響かせた。中が空洞だとわかる、長く響く音。それを聴いた瞬間、二人の顔はパッと明るくなった。
柱の陰になるようにあるその壁をしてみると、静かに奥へと引っ込んだ。そして横へスライドさせると、音もなく動きぽっかりと暗い道が出現した。
(ノクト、は、ここから、入ってきてたんだ……)
こおぉ…と闇の中で空気が流れる音がして、ルーノはごくりと唾を飲み込む。
「ルーノ様、ランプですわ」
テクシーロがランタンに火を灯したものルーノに渡す。そして予備の蝋燭が何本か入った小さな肩掛け鞄を身に付けた。
この先に、きっとノクトはいる。ぐっと前を見据え、ルーノは足を踏み出した。
「じゃあ、いってくる、ね」
「あの、わたくしも供に……」
「ありがとう、テシィ。でも、ぼく、ひとりで、行くよ」
「!」
初めて、ルーノはテシィと呼んだ。そのことに、テクシーロはハッと口元を押さえる。
やってきたばかりの頃の、ぼんやりとしたルーノはもういない。しっかりと自分の意思で行動するようになったルーノに、テクシーロは感動してツンと鼻が痛くなった。
「っ、無事にお帰りになるのを、お待ちしておりますわ」
「うん。ノクトと、いっしょ、に、かえってくる、ね」
そう頷いたルーノは、暗い道へと潜っていったのだった。
入り口は小さく細い穴だったけれど、数歩進めばルーノの身長だとふつうに歩けるほどの高さと道幅になった。
真っ暗な道は所々木材で補強されているが、土がむき出しの、まるで洞窟のようなところだった。
「あ、れ? これ、どっち?」
しかも一本道ではなく、分かれ道まであった。ルーノは予想していなかった事態に混乱する。
「えっと、えと……どぉしよ……」
キョロキョロと二本の道を見るけれど、どちらがノクトの元へ通じているかなど書いているはずもない。
一瞬戻りたい気持ちになるが、けれどルーノは後退することはなかった。
(どっちかが、きっと、せいかい。とりあえず、進む!)
ルーノは鞄から、蝋燭と共に入れた、ノクトからもらった花で作った押し花のしおりをひとつ、進行方向と決めた道へ置いた。
間違っていたら戻ってきたらいい。そう思って、とりあえず前の道へと進んでいった。