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シンシア  作者:
6/8

シンシア 06



「……こんばんは」

「っ!?」


 相手から返答があった。ルーノは息を詰め、驚きで目を見開く。

 低く心地よい声は、すっとルーノの耳に入り込んだ。そして直感でわかった。――この人がノクト本人だと。


「はじめ、まし、て。ぼ、僕は、アク、アクヴォラードの王が、弟、ルーノ・ステーロ・アクヴォラード、です」


 なにか話さなくてはと思い、咄嗟に自己紹介をしてしまったルーノ。すると、くすっと相手が笑う気配がした。だが、ルーノは内心バクバクと心臓が鳴っており、緊張でそれどころではない。

 会いたいと思っていたノクトが、すぐそこにいる。もう相手はノクトだと確信していた。そしてルーノは今までに感じたことのない気分になった。


「――私は……ノクト。ノクト・ハーヴィ・コンフォルタ、だ」

(やっぱり……!)


 思っていた通り、相手はノクトだった。ルーノのテンションが一気に上がり、顔が熱くなっていくのがわかる。


「ノクト、さまっ、僕の、旦那、さまっ! あい、会いたかったっ!」


 最早なにをいっているのか自分でも分からなくなってきたルーノ。顔に集まった熱が、じわりと涙となって流れ出る。


「ぼく、会いたかった、です! ずっと! だって、カード、うれしかった、し、ぼくを、もらって、くれたからっ!」


 ぽろりと一粒零れれば、もう止まらないとばかりに溢れ流れる。


「あぁ、可愛い私の花嫁。泣かないで。私はあなたの涙を拭ってあげられない」

「っ、ど、してっ?」

「私は、あなたに触れる資格がない。美しい、妖精のようなあなたには……」


 話せるほど近い距離にいるのに、そしてノクトからはルーノが見えているというのに、触れられないと言う。

 ルーノは嫌々と首を振って暗闇に向かって手を伸ばす。


「もっと、ちかくで、はなし、たいっ! ノクト、さま、を、見たいっ」


 まるで根が生えたように足が動かなくて、ルーノは必死に手を伸ばす。すると、ノクトの息を飲む音が聞こえた。


「……、後悔、するかもしれない。私の姿を見て」

「そ、なこと、ないっ」


 ノクトの言葉を、ルーノは即座に否定する。

 こんなにも強く何かを願うのは初めてで、ルーノはどうすればこの願いが届くのか、わからないながらも必死に求める。

 兄以外で、ノクトが初めてだったのだ。温かい言葉をくれて、自分を受け入れてくれた存在が。

 どうかこの手を取ってとルーノが思っていると、一歩、足が踏み出された音が聞こえた。一歩、また一歩。確実にルーノに近付いてくる音。


「………」

「………」


 やがて、暗闇から、一本の腕が伸びてきた。扉から漏れる明かりに浮かぶそれは、上等な服に包まれている。腕から先はまだ暗闇の中なので、姿は見えない。

 ノクトの手は、躊躇っているのかルーノの手の数センチ先で止まってしまった。


「っ!」


 その手を、ルーノは強張っていた足を一歩踏み出し、掴んだ。

 驚いたのか、ノクトの腕がぴくりと震える。そのままルーノは、一歩ずつゆっくりと後ろへ下がっていき、ノクトを月明かりの下に連れ出そうとする。

 腕が見え……肩が見え……、そして、顔が……。


(………このひと、が、ノクトさま……)


 ノクトはアルバーロと同じくらいの見上げるほど長身で、兵たちのように短い髪。顔は凛々しく男らしい美しい顔をしていた。意志の強そうな眉、切れ長の目、すっと伸びる鼻梁、薄い唇。肌は少し白いが、体つきは兵士達のようにがっしりとしていた。

 そしてノクトは、ルーノとは正反対の――黒い髪と瞳を持っていた。

 その姿を呆然と見上げる。いつの間にかその顔から涙は消えていた。その反応をどうとらえたのか、ノクトは途端につかまれていないほうの手で顔を覆い、暗闇に戻ろうとした。

 けれど、そのときルーノはぽつりと声を漏らした。


「とっても、きれい……」

「えっ?」


 ルーノがなんと言ったのかちゃんと聞こえず、ノクトは聞き返した。するとルーノは掴んでいた手を両手で握り、頬を紅潮させながらしっかりと告げた。


「すごく、すごくきれい! とっても、かっこいいっ!」

「っ!?」


 詰め寄るルーノに、ノクトは面食らったように目を見開く。


「かっこいいっ、かっこいい! きれい!」


 それしかノクトを言い表わせる言葉を知らないルーノは、何度も繰り返す。後悔するかもしれない……などと、なぜノクトは言ったのだろう。そんな要素は微塵も見当たらないというのに。

 深緑のベルベット生地のシンプルだが上等な装いはとても似合っていて、まるで絵本に出てくる王子様みたいだとルーノは思った。

 ルーノが何度も単語を繰り返していくうちに、ノクトの頬や耳がだんだんと赤く染まっていくのが見えた。


「あれ? ノクト、さま……?」

「ちょっと、待ってくれ。今、こちらを見ないでほしい……」


 握られていないほうの手で口元を覆い、視線をずらすノクト。ルーノが上気した瞳で下から見上げると、ノクトは天井を仰ぎ見て「あ~……」と変な声をあげ始めた。


「ど、した、ん、ですか?」

「いや、そうか、あなたは知らないんだよな……けど、これはクるな……」

「ル、ルーノ、ですっ」

「え?」

「ぼく、ルーノ、です。あなた、は、ヤです」

「それは、ルーノと呼べ、ということか?」

「はいっ」


 あなたと呼ばれたことに、ルーノは距離感を感じてとっさにそう願い出た。そしてノクトが理解してくれたとわかると、ふわりと笑顔を浮かべた。


「ッ……!」


 その顔があまりにも綺麗で、ノクトは頬が熱くなるのがわかった。


「では、私のこともノクトと呼んでほしい」


 ノクトの言葉に、こくこくと頷く。


「わかり、ま、した、ノクト、さま。ちがっ……ノ、ノクト」


 呼び捨てにすることにまだ慣れなくて、呼んでみればなんだか背中あたりがむずむずした。

 ルーノは握っていたノクトの手を引いて、「こっち、きて……」とさっきまで自分が座っていたソファへと導いた。ノクトを引っ張っていく己のものよりとても小さく白い手を、可愛いと思いながらルーノについていく。

 二人で並んでソファに座ると、ノクトは窓の外を見上げた。


「あぁ、今宵は満月だったのだな……。こうして誰かと月を眺めるのは、いつぶりだろうか」


 目を細め、月を見るノクトの横顔が美しく、そしてどこか儚く見えて、ルーノは無意識に手に力を込める。

 それに気付いたノクトが、ルーノに視線を合わせ微笑んでくる。


「ルーノ、ここの生活には慣れたか? なにか困っていることがあったらすぐに言ってくれ」


 いつもカードの最後に書かれている言葉を、今直接本人から言われ、ルーノは胸の奥がジン…と痺れるのが分かった。


「ぼ、くは……」

「ん?」


 ルーノは強く感じていた。カードではなく、こうやって直接話がしたいと。もっと、ノクトのことが知りたい、と。


「僕は、ノクトに、あいたいです。もっと、毎日、いっぱい、会いたい、です!」

「ッ……ルーノ……!」


 きゅっと眉を寄せ、懇願してくるルーノの姿が可愛くて、ノクトはその体を抱き締めたいと思った。けれど、ぐっと奥歯を噛み締めそれを我慢する。


「……それは、できない。それだけは、叶えてやれないんだ」

「どう、して? みんな、ダメって、いう、なんで?」

「それはね、……私が、以前のルーノと同じような存在だからだ」


 繋がっていた手を離し、ノクトは自分の顔を両手で覆う。

 そして苦しそうな声で告げられた事実は、ルーノの頭を真っ白にさせた。


「この国では、『黒』は禁断の色なんだ。だから私は、誰とも会えない。会うことを避けているんだ」


 痛みを堪えるかのように、歯を食いしばるノクト。その言葉に、ルーノはつい最近までの自国での生活を思い出した。

 白を身に纏い生まれ落ちた自分は、嫌われ、疎まれて薄暗い狭い部屋で生かされていた自分。

 そんな自分と、黒を持つノクトが同じだと言う。


「でも、ノクト、おう、さま……」


 けれど、ルーノと決定的に違うのは、ノクトは国王ということだ。王族だがいてもいなくてもいい自分とは違う。

 アルバーロはノクトは常に国民のことを考え、良い国にしようと努力していると言っていた。実際、様々な法が定められ、また改定されその時勢に合わせた政策が迅速になされているという。


「あぁ、そうだな。この国は世襲制で、正妃が生んだ一人目の子が王の座を譲られると決まっている。そのおかげで、私はこのような姿にも関わらず、極僅かだが周りに人がいる」


 だがノクトは己の実績を見ず、たまたま長子だったから生かされていると思い込んでいた。


「……だから、もうこれ以上は、親しい者を増やしたくないんだ……」

「それ、って……っ、やっ、そん、なっ、」


 増やしたくない。そして、ルーノはノクトに会ってはいけないと言われた。それはつまり、ノクトはルーノを遠ざけるという意味だと気付いた。

 嫌々と首を振って、慌ててノクトの方へ身を乗り出す。


「ぼくがっ、ぼくが、しろい、から? このいろ、ノクトさま、きらい? だからっ?」


 混乱しはじめたルーノは、もう反射のように己を責める。長年嫌われてきた、自分の色がやはり受け入れてもらえない要因なのかと、そう思うと目の前が真っ暗になりそうだった。

 でも、ノクトはゆっくりと首を振り、さらりと零れている白い髪を梳く。


「ちがう、落ち着くんだルーノ。……そうじゃないんだ、黒は周りを不幸にする色だと言われている。私は、ルーノを不幸にしたくないんだ」


 真面目な表情に、強い意思の表れている黒い瞳。それらがノクトの言葉が嘘ではないと告げていた。

 アクヴォラードが白を忌むように、コンフォルタでは黒が不幸の象徴だと言い伝えられてきた。

 国民はすべて黒い外の髪や瞳、肌の色をしており、生活品のなかでも黒色をしたものは炭程度でしか見ることはない。

 だが、どれだけそういう習慣が根付いていたとしても、証拠もないただの言葉。それをルーノは知ってる。アクヴォラードではルーノが生まれてから、大きな天災も人災も起きていない。


「そんなの、うそっ! ぼくは、ふこう、に、なんて、ならないっ、ぜったい!」

「あぁ、そうだな。所詮は皆がそう思い込んでいるだけだ。……けれど、その思い込みが、信仰が強ければ、嘘も真になってしまう。それはわかるだろう?」

「ッ……!」


 それは、ルーノにはわかりすぎるほどの現実だった。

 あの頃はなにも思っていなかったけれど、コンフォルタへきてルーノが学んだことや、こうして同じ境遇の人を見るとこのような風習が異常なことだったとわかる。

 自分達はただ在るだけで、嫌悪の対象になってしまうのだ。


「もう病で亡くなってしまったが、私の両親は寛大な人たちだった。生まれたときから黒を持っていた私を周りは殺せといったが、私を生かし、そして短いながらも外国へ留学にも行かせてくれた」


 ルーノから視線を外し、月を見上げるノクト。昔に思いを馳せているその瞳に、ルーノは言葉を詰まらせた。


「そのときの留学先で、ファイロに出会ったんだよ。先日彼からルーノのことについて手紙をもらったとき、私は同じ境遇にいるルーノを助けたいと思った。そして、それは成された」


 私はこれで、十分幸せだ。そう締めくくったノクトに、ルーノはそれは違う、と思った。

 留学を終え国に戻ってきたからは、ノクトはルーノと同じように限られたスペースで、限られた人としか会わない生活をしているという。

 そんな状態でいて、そして自分は無理だけれどルーノは助けることができた。

 これでノクトが本気で幸せだと思っているならば、それは錯覚だと、ルーノは叫びたくなった。

 ノクトは知らないのだろうか。アルバーロやテクシーロ、フォルクローロたちが自分たちの主をとても誇りに思っていることを。


「ぼく、は、そうは、おもわな……」

「だからっ」


 ルーノが言いかけたのを、ノクトは無理やり遮った。ルーノは大きな声にビクリと体を震わせ、ノクトを見つめる。


「だから私のことなど気にせず、ルーノはここでのんびりと、好きなように暮らせばいい。私はファイロに、そう約束したのだから」


 そう言うと、ノクトはさっと立ち上がり、寝室の方へと向かって行った。


「あ、待って……」


 一瞬何を言われたのかわからなかったルーノは、我に返りノクトを引きとめようと立ち上がる。追いかけて寝室に飛び込むが、そこにはもう何の気配もなかった。


「ノク、ト……?」


 呼びかけても、何も返って来ない。まるで消えてしまったかのようだ。

 静かな部屋を見回し、ルーノは力が抜けてその場に膝を付いた。


「ノ、ノクト、ノクト……」


 何度呼んでも返事はない。虚無がルーノを襲う。

 しばらく呆然としていたが、やがてルーノはきゅっと両手を握り締めると、強い瞳で前を見据えた。

 そして、暗闇に目を光らせ、言い放った。


「ぼく、は、あきらめ、ない。つぎは、ぼく、が、たすけに、いく!」




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