シンシア 05
数日が過ぎたが、ルーノはあれからアルバーロの言葉がずっと胸の中でくすぶっていた。
『以前のあなたと同じだからです』
(あれ、は、どういう、いみ……?)
ルーノは綺麗に三つ編みされた自分の髪を掴む。まさか、ノクトも髪の色が白いとでも言うのだろうか。いや、それならば会えない理由にはならない。コンフォルタでは白は受け入れられている色だから。
「ルーノ様、こちらのお菓子はいかがでしょう?」
テクシーロの言葉と供に、目の前に差し出された焼き菓子を見て、ルーノは我に返った。
ルーノはいま、庭にある東屋でお茶を飲んでいた。空は晴れ渡り、優しく吹く風がルーノの前髪を揺らしている。
「あ、んと、おなか、いっぱい、です」
さっきいただいたパンケーキで満腹になっていたルーノは、申し訳なく思いながらもテクシーロの勧めを断る。
ルーノの小食さを理解しているテクシーロは、すっと菓子を下げると、冷えたカップも下げ、新しく入れた熱いハーブティーを用意した。
見渡す庭は、今は花の見ごろ時期ではないらしく半分ほどしか咲いておらず、代わりに木々の葉が綺麗に色付いていた。
もうすぐコンフォルタには冬がやってくる。北国であるコンフォルタの冬は、アクヴォラードの倍以上長いという。寒さに負けないように、庭にある木々は冬に備え補強の添え木や藁が巻かれるようになっていた。今も庭の端のほうでは、庭師たちがせっせと木々の保護作業をしている。
前にルーノが庭へやってきたとき、庭師たちはルーノがやってきたことによって作業の手を止めて立ち去ろうとした。けれど、ルーノは自分の事は気にしないで続けて欲しいと訴えた。それどころか、ルーノは彼らの作業を興味津々で見つめるほどだった。
ルーノにとっては、働く人々の姿が新鮮でならなかった。城内をうろちょろするとテクシーロたちが困ることがわかっているため言い出せないが、できることなら厨房や他の場所へも行ってみたいと思っている。
ハーブティーを一口飲み、その香りに誘われてアルバーロの言葉の意味を考えることをやめる。そしてルーノはぼーっと二人の庭師たちの様子を眺めることにした。
彼らは枝を切っていたが、道具を置くと突然植木の花をぷちぷちと摘み出した。摘んだそれらはそばにあったバケツへと放り込まれていく。
(あれ? まだ、おはな、さいてる、のに……どう、して?)
「あっ、ルーノ様!?」
庭師たちの作業に疑問を持ったルーノは、とととっと東屋から抜け出しそちらへ向かう。背後からテクシーロの声が聞こえたが、ルーノは摘まれていく花たちが気になって仕方がなかった。
「ん? あっ、陛下っ」
「っ! 陛下、あぶのーございますっ」
ルーノに気付いた庭師たちは、その場に膝を付いて頭を下げながら、周りには泥にまみれた道具や刃物があるため声をあげる。
けれど、ルーノは構わず近くまでやってきて、バケツの中を覗いた。そこには半分ほど埋まっている花たちがあった。
「こ、これ、どして? まだ、さいて、る」
短距離とはいえ走ってきたルーノは、軽く息を弾ませながらバケツを指差す。顔をあげた庭師たちは、ルーノが指すものを見て、また視線を下げた。
「これはもう枯れ始めております。この花は枯れると黒くなるので、早めに摘んでしまわんといかんのです」
「黒く……?」
ルーノはバケツに手をつっこむと、そこから一輪花を取る。手のひらくらいの大きな花の、花弁の一部が茶色く変色していた。これがもっと萎れ、枯れていくと黒くなるということだろう。
「黒いものをお見せするわけにはまいりません。なので、もう枯れ始めたところで摘むようにしているのです」
「なん、で、くろ、は、だめ……?」
「ルーノ様っ!」
庭師の言ったことに疑問を持ったルーノが質問をした瞬間、追いついてきたテクシーロに寄ってそれは遮られてしまった。
「お一人で行ってしまわないで下さいませ。万が一でも何かあっては遅いのですよ」
静かに怒るテクシーロに、ルーノは自分に否があることがわかっているので、素直に謝る。
「ごめん、な、さい……」
「わかっていただけたなら、よろしいのです」
上目遣いにテクシーロを見上げれば、ふぅと息を吐いてテクシーロは微笑んだ。許されたのだとわかり、ルーノも笑みを浮かべる。
と、そこでルーノは思いついた。くるりと庭師たちに向き直り、ポケットに入れている大事なものを取り出す。
「あの、これ、ど、どこで、さいてる、か、しって、ますか?」
ルーノの手に乗っているもの、それは、テクシーロが仕上げた、押し花が付けられた栞だ。その花はもちろん、ルーノの枕元に毎晩届く花。
それを庭師たちは顔を上げ覗き込む。
「……申し訳ありません。私は城内でこれを見たことはありませんわ……」
「私もでさぁ」
白くて小さな花。庭の草花の管理をしている彼らならば知っているだろうと聞いてみたのだが、望んだ答えは返ってこなかった。
少しでもノクトに関することがわかればと思っていただけに、ルーノは落胆して肩を落とす。
「この花は山々に生えているもので、ここらの平地だとあまり見かけないものでさぁ」
「そう、なんです、か……あ、あり、ありが、と、です」
そんな遠いところにあるものが、なぜここにあるのだろう。ますますノクトのことが分からなくなって、ルーノは気付けばため息を漏らしていた。
今夜は満月だ。明るい月の光が窓から降り注ぎ、蝋燭の明かりがなくとも室内がよく見える。
ルーノは寝室ではなく、定位置になっている日当たりが一番良いソファの端に、膝を抱えるように座って月を眺めていた。もう夜も遅く、月は頂点を越えている。
風呂から戻ってきたとき、枕元にはまだカードはなかった。となると、今夜はルーノが眠ってから置きに来るのだろう。
別に待ち伏せしようと思って起きているわけではなかった。ルーノはなんとなく、今はベッドに入っても眠れない気がした。
ノクトのことを知るたび、何だか遠く距離が空いていく様に感じる。初めてカードをもらったときは純粋に嬉しく高揚した気持ちも、今では不安が混ざるようになってしまった。
(あなた、は、どこに、いる、の?)
手のなかにある栞に問いかけても、答えなどあるはずがないのに聞いてしまう。
じっと栞を見つめていると、ルーノはふと、空気が動く気配を感じた。
「?」
そっと体を起こし、辺りを見回す。誰もいないのに、なにかいると、はっきり感じることができる。
(なに……)
長年静かなところで暮らしてきたルーノは、些細な物音さえ拾う聴力を持っていた。その耳が、絨毯を静かに踏む足音を聞き分ける。
それは寝室のほうから聞こえてきた。寝室の扉は開け放っていて、ルーノの位置からだと中は真っ暗にしか見えない。その暗闇の中に、確かに何かがいると、ルーノは確信してそっと忍び寄った。
闇に慣れていない目では、どこになにがあるのかまったく見えない。けれど、気配はベッドのほうからして、ルーノはそっちに向かって思い切って声をかけた。
「だれ?」
ルーノがそういった瞬間、かさっと衣擦れの音が響いた。そしてすぐに、大股で部屋の奥へと向かう足音が聞こえてきて、ルーノは咄嗟に「待って!」と叫んでいた。
その声に、ぴたりと足音は止まる。シン……と緊張した空気が侵入者との間に流れた。
呼び止めたものはいいものの、相手が誰かまったくわからず、ルーノは内心焦りと混乱で困っていた。だが、このままでいては何もわからない。ルーノは思い切って相手に話しかけることにした。
「こ、こんばんはっ!」
ルーノはとりあえず思いついた言葉を精一杯叫んだ。それは静かな部屋に響き、確実に相手に聞こえただろう。
またも静寂がルーノを襲う。反応がないことに手を胸に当て眉を下げると、ふっと息が漏れるような音が聞こえた。