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シンシア  作者:
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シンシア 03



「おはようございます。ルーノ様」


 翌朝、ドアの向こうからのテクシーロの声でルーノは目を覚ました。「起きてらっしゃいますか?」と再度ノックと共に声を掛けられ、ルーノは慌ててドアへと向かう。重厚で大きなドアを何とか開ければ、そこにはテクシーロが満面の笑顔で立っていた。


「あ、んと……」

「おはようございます」

「あ、お、おは、よ、ござ、ます」


 優雅に腰を折りあいさつをするテクシーロに、ルーノも返事をすると、ルーノはテクシーロを部屋へと迎え入れるべく体を脇へと避ける。ワゴンを押して入ってきたテクシーロは、ルーノにベッドに座るように促した。


「ルーノ様、これからは朝、わたくしが起こしに参りましたときには、入れと一言ってくださるだけで結構ですわ」


 わざわざドアを開けることはしなくていのだと言われて、ルーノはそうなのかとこくりと頷いた。それを確認したテクシーロは、湯で絞った柔らかい布をルーノに渡す。


「これで顔をお拭きください」


 そう言われ、ルーノは拙い動作ながらも顔を拭く。昨日頭の先から足の先まで洗われたおかげか、体がいつもよりすっきりしているし、旅の疲れが和らいでいる気がする。


(おふろ、って、すごいなぁ……)


 ルーノがそんなことを考えている間に、テクシーロは部屋のカーテンを開けていく。大きな窓から朝日が部屋いっぱいに降り注ぎ、眩しいほどに明るくなった。


(わぁ!)


 今までいた部屋の窓から入り込む光とは比べ物にならないほどの眩しさに、ルーノは目を細める。そして開けられた隙間から朝の爽やかな空気が入り、部屋を満たした。


(これが、ほんとの、朝、なんだ……)

「ルーノ様、何を召し上がられますか?」

「―――……へっ?」


 ぼうっとしていたらテクシーロに声を掛けられ、振り向けばいつの間にかワゴンが交換されて、新しいワゴンにはいくつかのティーポットや水差しが並べられていた。どういうことかと首をかしげると、テクシーロは「目覚めの一杯ですわ」と告げた。これはアクヴォラードには無い文化だった。それを知っているテクシーロは、ゆっくりとルーノに説明する。北の国コンフォルタでは朝は目覚めてまず温かい物を飲み、ゆっくり体をあっためることから動き始めるという習慣がある、と。

 ルーノに用意されたのは白湯、ハーブティー、コーヒー、ホットミルクなど数種類にも及んでいた。コンフォルタはやや乾燥地帯にあるため、ルーノは確かに喉の乾きを感じていたが、飲んだことの無い飲み物を言われ困ってしまった。その様子を見たテクシーロはすぐに助け舟を出す。


「ホットミルクなどはいかがでしょう? 絞りたてですし、甘くて飲みやすいかと思われますわ」


 にこりと笑顔で薦められ、ルーノはこくりと頷く。それを見てテクシーロはすばやくホットミルクをカップに注いで、ルーノへと手渡した。


「あ……」


 覗き込んだそこには、自分と同じ色の飲み物があり、ルーノは驚きの声を上げた。アクヴォラードでは決して見なかった色の飲み物だ。


「ルーノ様、ホットミルクは初めてですか?」


 テクシーロの少し困ったような声に、ルーノは頷きつつカップを凝視する。ふわりとカップからあがる湯気は柔らかく、おいしそうだとルーノはそっと口を付けた。


(! おい、しぃ……)


 初めて飲むホットミルクは、ほのかに甘く、そして優しい味をしていた。とても飲みやすいと思ったそれを、ルーノはすぐに気に入って頬を緩める。


「いかがでしょう?」


 ルーノのささいな表情の変化を見逃さなかったテクシーロは、ほっと胸を撫で下ろし、答えがわかりきっているのにそう問う。それは、ルーノが少しでも言葉にして自分の考えを伝えることに慣れさせるためにしたことだった。


「…えと、お、おい、し、です」

「ふふ、よかったですわ。あら?」


 こくこくとホットミルクを飲むルーノを微笑ましく見ていたテクシーロだったが、彼が座っているベッドの枕に何かが乗っているのを見つけて声を出した。


「ルーノ様、これは……?」

「? ……ぁっ」


 昨日のカードを見つけ、手に取ったテクシーロにルーノは思い出したように小さく声を上げた。


「これは…アクヴォラードの文字ですね。わたくしには読むことが出来ませんが……あら?」


 文面を目で追っていたテクシーロはすぐに読めないことがわかったが、最後に書かれていた文字は見覚えのあるものだと気付いた。すると視界の外から、白く細い指が入ってきて同じ文字を指差した。


「あの、…こ、この、絵は、なに……?」


 最後の一文字――コンフォルタ文字で書かれたそれを絵だと言ったルーノに、テクシーロはルーノがコンフォルタ文字を読めないことを悟った。

 テクシーロは膝を付き、ルーノに目線の高さをあわせると、カードをルーノの膝に置いてその意味を告げる。


「これは、コンフォルタ文字ですわ。そして、これは我が国王陛下のイニシャルのサインになります」

「こくお、へーか……?」


 カップをサイドテーブルに置き、カードを両手で持ち上げてルーノは首を傾げた。


「そうです。ルーノ様の婚約者様……ノクト・ハーヴィ・コンフォルタ陛下のことですわ」

「……の、くと、へぃか……」


 ルーノはこのとき、初めて己の夫となる者の名を聞いた。無意識に、その名を覚えるために何度も反芻する。テクシーロも、ルーノの様子から初めて知ったことがわかり、驚いた。そして、相手の名を教える時間がないほどルーノは急いで国を出されたのかと思った。


「あ、あの……」

「あ、はい、なんでしょうルーノ様」


 沈んだ気持ちになったテクシーロに、ルーノが声をかけ、ぱっと笑顔に切り替える。


「ノクトへーかに、あう、ことは、できます、か?」

「えっ」


 まさか謁見を申し出るとは思っていなかったテクシーロは、ルーノの言葉を聞いて素になって目を見開く。ルーノはまだ自分の結婚相手と一度も会っていないことを考えれば、そう言い出すのも納得できるのだが、ルーノは何事にも関心がないと聞いていたのでテクシーロは驚いたのだった。テクシーロは、読むことができないアクヴォラードの文字で綴られたメッセージに、何かルーノをそう思わせることが書かれていたのだろうかと思った。

 期待に満ちているようにみえる瞳を向けて、ルーノはテクシーロの返答を待つ。まだ正式な手続きを終えてはいないが、ルーノはコンフォルタの皇后の地位になる人物だ。王に会うことなど特に問題もないし、日常的なことだろう。

 ――普通の国ならば。

 けれど、コンフォルタは、普通ではなかった。


「……申し訳ありません、ルーノ様。ノクト陛下にお会いすることは、できません」

「えっ……」


 そう告げたテクシーロの言葉に、ルーノの表情が落胆に染まる。些細な変化だけれど、テクシーロはそれを見て申し訳ない気持ちにいっぱいになる。そして、さらにテクシーロは事実を告げた。


「ルーノ様。ノクト陛下には、誰もお会いすることができないのです」

「―――……?」


 テクシーロが言ったことがよくわからなくて、ルーノは首を傾げる。テクシーロも、これだけで理解できるとは思っていないが、どう伝えればいいのか迷っていた。


「我らが王は、限られた方以外は誰とも会わず、話さずにいらっしゃる御方なのです。残念ながら……ルーノ様が陛下にお会いになることを、陛下は許可しておりません……」

「ッ!」


 暗い表情で告げたテクシーロの言葉に、ルーノはショックを受けた。今まで誰かから拒絶されることなど日常的なことで、もう慣れたことだったのに、なぜか王――ノクトから拒まれたことには心が大きく揺らいだ。


「そ、それ、は、ぼ、ぼくが、しろっ、しろだ、から?」


 やはり己の纏う禁断の色が原因なのだろうか。ルーノが震える声でそう尋ねると、テクシーロは即答した。


「いいえ! いいえ! 決してそのようなことはございません!」


 何度も首を左右に振り、ルーノの言葉を否定する。カードをぎゅと握るルーノの手を包むように、テクシーロは小さな手を握った。


「なぜなら、コンフォルタでは、白はとても縁起のいい色だからですわ」

「じゃあ、なんで……?」


 悲しい表情で首を傾げるルーノに、けれどテクシーロはこれ以上王について言ってはいけないとの命を下されているので、教えることはできなかった。


「申し訳ございません……これ以上は、どうかお許しを……」


 言えない辛さに、テクシーロも眉を下げる。だが、これだけは伝えておこうと無理に笑顔を作った。


「ただノクト陛下も、できることならルーノ様にお会いしたいと、仰っておりました」


 その言葉に、沈んでいた白い瞳に少し光が戻ったのが見えた。ぱちりと大きな目を瞬かせ、ルーノは微笑を浮かべる。


「……そっか」


 こくりと小さく頷いて、ルーノはテクシーロを見上げる。そこにはもう悲愴の色はなかった。ルーノはコンフォルタ文字で書かれたノクトのイニシャルを指でなぞる。


「ノクト、へいか、いつか、あえたら、いーなぁ」

「っ……本当に、そうですね」


 ぽつりと零れたルーノの願い。それを聞いたテクシーロは、嬉しさや期待に胸を熱くさせたのだった。




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