シンシア 02
大陸に寄り添うようにある南の小さな島国アクヴォラード。ルーノはそこを治める若き王の弟だったが、生まれてからずっと幽閉されて育ってきた。
両親はルーノのことをこれでもかというほど嫌い、数人いる兄弟たちは存在さえ知らされていなかった。
ルーノの纏う白は、アクヴォラードでは不吉な色だとされていた。
衣類や食器、家や家具、食物に至るまで全て鮮やかな彩りに仕上げられているアクヴォラードは、国中が色に溢れている。そんな国に、白い髪と瞳を持って生まれたルーノは不吉の塊だと恐れられ、生まれた瞬間に城の端にある塔に幽閉された。
当時の国王であった父は、お産に立ち会った乳母や侍女にルーノの存在を秘密にするようにと固く言いつけ、国民には死産だったと公表した。ルーノを生んだ母は精神を病み、王族が所有する療養地で退位した父と暮らしている。
命を奪われなかったのは、アクヴォラードの国教の教えで人殺しがもっとも重い罪のひとつだとされているからだった。だが人と認められず、城の奥深く、ベッドとイスしかない部屋で、日に二度の食事を運んでくる侍女に会うだけの生活は、果たして生きていると言えるものだろうか。
そんなルーノに唯一人として接し、そして家族の愛を注いだのが、現王であり長兄のファイロだった。
世継ぎとして育てられたファイロは、体を患い気弱になった父から十八の歳を迎えると同時に王位を譲られた。そのとき、同時にルーノの存在を知らされたのだ。
敷地の端の、その存在さえ忘れていた塔の最上階に、ルーノはいた。部屋に唯一ある窓のそばで椅子に座っていたルーノは、白い髪を無造作に床まで垂らし入ってきた珍客に白い瞳を向けていた。そんなルーノを見て苦いものを含んだような表情をする父に対し、そのときファイロは、初めて会った弟になんの恐れも嫌悪感も抱かなかった。
国では禁忌の色とされている色を纏う、少女と見紛うほどに美しい子供。あどけなく、疑うことを知らないような純粋な瞳に、ファイロは庇護欲を覚えた。
ファイロは決して国教を軽んじているわけではないが、白いものを恐れることについては疑問に思っていた。
それは、小さい頃から帝王学を学ぶために他国の学園で暮らし、そこで出会った学友たちとの交流で広い視野と考え方を持ったからこその疑問だった。様々な肌や髪の色、宗教、性格に囲まれながら育ったファイロには、なぜ弟がここまでの扱いを受けなければならないのか理解に苦しんだ。
白を纏って生まれたのは弟のせいではないのに、と。
そして王の座を譲り受けたファイロは、ルーノをこの状態から救うことを考え、まず行ったのはルーノを他国へ逃がすことだった。
ファイロにはひとり、ルーノを受け入れて入れてくれそうな人物に心当たりがあった。それは、ファイロが通っていた学園で知り合った友人だった。
ファイロが通っていた学園の生徒は、貴族や時期王となる高貴な身分の者ばかりで、その友人も次期コンフォルタ国の王の座を継ぐのだと言っていた。
彼はとある秘密を持っていた。親しくなったファイロだからこそ告げてくれたその秘密を、だがファイロは別段恐れることもなく受け入れた。彼にとっては重い秘密でも、ファイロにとってはさほど気にすることでもないように思えたそれは、王になり、弟の存在を知った時点でとても興味深く、そして親近感を抱くものとなった。
そんな彼にルーノのことを相談すると、即座に快い返事が返ってきた。花嫁としてコンフォルタへ行く、という形には驚いたが、それでルーノが自由になるならば……と、コンフォルタへ嫁ぐ約束がなされたのだ。コンフォルタでは、その国のものと結婚しなければ、国民として認められず、また永住権ももらえない。その法律があるため、このような形となったが、彼の国では同性の結婚を認められているのでその点での問題はない。
そうしてルーノは送り出され、一ヶ月の長旅を経てコンフォルタへとやってきたというわけだ。
だが、長年閉じ込められた空間で過ごし、時折訪れるファイロ以外誰とも話す機会がなく、わずかに与えられた書物以外もなにも知識を得る術がなかったルーノには、『結婚』の意味をよくわかっていなかった。唯一優しくしてくれたファイロに言われてやってきた、新しい『檻』。その程度の認識しか、ルーノはしていなかった。
初めて塔の外に出たルーノは、移動中常に窓の布の一部を捲り、外の様子を飽くことなく眺めていた。田畑、山のように藁を積み上げた荷馬車、籠を片手におしゃべりに興じる村人。全ての景色や音が、ルーノにとって初めて見るものばかりだった。
コンフォルタからの迎えの馬車は、長旅用のために足を伸ばしても良いほど広く、長時間座っていても疲れにくい柔らかい椅子が造りつけらた構造になっていた。おまけにルーノが抱えれば見えなくなるほど大きなクッションがいくつか用意されていて、これに凭れながらルーノは眠った。
今まで動き回ることができなかったせいか、体力がまったくないルーノのために、コンフォルタからの迎えは細かく休憩を入れながら進んだ。そのため、通常ならば半月で終える旅が一ヶ月と長いものになってしまったのだ。
コンフォルタからの使者は、馬車と騎士三名、と、とても少数だった。それは、アクヴォラードからコンフォルタへ向かうのが、ルーノひとりだけだからだ。
通常、王族や貴族が嫁ぐとなれば、何人もの従者を連れ、大量の荷を持って国を出る。だが、ルーノの場合は、その存在を誰も知らず、また国教に反する色を持っているため、誰かをつけても互いに辛い目に合うだけではないだろうかとファイロは考え、申し訳なく思いながらも、ルーノひとりでの出国としたのだ。衣類や装飾品など、全て相手が用意するとのことで、荷もごくごく僅かだった。
隊と言えないほど少数のこの一行のリーダーは、騎士のミナージョが務めていた。ミナージョはルーノのことを主から聞いていたようで、道中よくルーノの相手をした。
ゆっくりとわかりやすく話し、いつも膝を付いて目線を合わせてくれるミナージョに、ルーノは自然と懐いた。宿や食堂でのルールや食事のしかたなどを教わったり、休憩のときに聞かせてくれるミナージョの武勇伝はルーノの胸を熱くさせた。
ミナージョたちは、最初こそそのあまりの無知と純粋さに驚いたものの、すぐにルーノの言動に慣れ、そして微笑ましいと思うようになっていた。
――この方ならば、我らが王の御心を癒してくださる。そう思わせるほどに。
「こちらでございます」
長い長い廊下を、ルーノが軽く息を上げながら侍女に付いて歩いていると、ようやくとある一室へと到着した。侍女が優美な装飾が施された扉を開け、その中へと促す。
「わぁ、ひろい……」
ルーノは踏み入れたそこは、とても広く豪華な部屋だった。高い天井にはシャンデリアが下がり、壁には細かな幾何学模様が描かれていて、床は足音を吸収するためにふんわりと柔らかい絨毯が敷かれていた。大きなソファセット、そして細かな刺繍が施されたカーテンが下がっている天井まである大きな窓があった。
いくつか蝋燭が灯っていたが、その窓から入り込む月明かりが部屋の一部を浮かび上がらせている。
侍女にソファをすすめられ、ルーノはそれに従いそこに座れば、体が沈むほど柔らく、ルーノはそのままこてっと背凭れまで体を倒した。今まで座っていた椅子とは大違いの感触に、不思議そうにソファを撫でる。そんなルーノの様子に侍女は口元を緩めると、その場に膝を折り胸の前に手を当てて俯いた。それは、目上の者にとる礼であった。
「この国でルーノ様の身の回りのお世話をさせていただきます、テクシーロと申します。どうぞ、テシィとお呼びください」
「あ、う……」
テクシーロの動作が流れるように綺麗だったため、ルーノは目を瞬かせた。ルーノより少し背の高いスレンダーなテクシーロは、ルーノの夫となるこの国の王の乳母の娘で、侍女としての礼儀作法と教養を小さい頃から叩き込まれていた。
そして彼女は、数少ない王の秘密を知る者の一人で、王の信頼を得ている。その結果、ルーノの世話役に選ばれたのだ。
テクシーロは事前に、ルーノがどのような人物なのか聞いているので、幼い言動や無知なことについて、驚くことはなかった。さすがに、到着早々ルーノが膝を折り名を告げたことには目を見開いたが。
ルーノはテクシーロを見ながら、少々混乱していた。
「えと……あっ!」
そしてハッと気付くと、テクシーロに自分の名を告げなければと思い立ち、また礼儀に則った方法で名を名乗ろうとしてしまった。それにいち早く気付いたテクシーロは、立ち上がろうとしたルーノをさっと止める。
「陛下、どうぞそのままで。陛下の素晴らしいご挨拶は、先ほど拝見いたしましたわ」
そっと背を支えられ、またソファへと座らされるルーノ。
「あ、そっか。………あれ? へいかって、ぼくのこと?」
「はい、陛下とはお后様になられますルーノ様への尊称ですわ。まだ正式な式は済んでいませんが、今からそう呼ばせていただこうと思いまして」
陛下と呼ばれることに首をかしげたルーノに、テクシーロは意味を説明する。ルーノはなんとなく意味が分かったようだが、けれど表情が暗くなったことにテクシーロは内心焦った。
「陛下? いかがなされましたか?」
「ぼく、ルーノ。陛下、いや、です」
「……それは、ルーノ様とお呼びさせていただいても、いいということでしょうか?」
「う、うん!」
ルーノが何を言いたいのか、その言葉から推測したことを尋ねると、ルーノはそうだと言わんばかりに、表情を明るくさせてテクシーロを見上げてきた。
笑顔とまではいかないけれど、緩んだ表情を初めて見たテクシーロは、純粋に美しいと思った。
白い髪と瞳、白く若々しい肌を持つこの花嫁は、長い間幽閉されていたという。そのために、表情の変化が乏しいことも聞かされていた。けれど、少し話しただけでも、若干の感情の変化が見られた。この様子だと、時間をかければ普通に笑ったり泣いたりすることが出来るようになるだろうと、テクシーロはほっと胸を撫で下ろした。
実年齢よりはるかに幼く見える新しい主の、満面の笑顔はきっと周りも幸せな気持ちになれるほどのものだろうとテクシーロはフォルクと同様のことを思いながら、疲れているであろうルーノを休ませようと声を掛けた。
「長旅でお疲れでしょう。今日はもう湯に浸かり、ご就寝くださいませ」
怖がらせないように笑顔でそう伝えたが、続いたルーノの言葉に、さすがのテクシーロも声をなくした。
「……ゆに、つかる、ってなに?」
侍女たちの中でも、トップクラスの実力を持つテクシーロの口端が、初めてひくついた瞬間だった。
「つか、れたぁ……」
ルーノはほかほかに温まった体で、先ほどの部屋の続きにある寝室のベッドへふらふらと倒れこんだ。ぼふりとその小さな体を柔らかく受け止めたベッドは、ルーノが五、六人は並んで寝れるほど大きいものだ。
ルーノの発言に笑顔を崩したテクシーロは、ルーノの腕を掴むと問答無用で浴室へと連れ込んだ。そして頭の先から足の先まで、ぴっかぴかに磨き上げられ、湯船にのぼせる直前まで浸からされたのだ。
今までどうしていたのかと問われ、ルーノは水で絞った布で体を拭いていただけで、髪も数日に一度水で流すだけだったと言えば、テクシーロは一瞬悲しげな表情になったあと、「これからは毎日、お風呂に入りましょう! このテシィがルーノ様を磨き上げて見せますわ!」となぜかメラメラと見えない炎を背に意気込んでいた。
初めての風呂は疲れたの一言に尽きた。けれど、ルーノは感動も覚えた。
(ぼくの、かみ、さわってくれた……)
テクシーロがなんのためらいもなく、ルーノの髪や体に触れたことを思い出す。風呂上りには、艶がよくなると、なにか液体を髪になじませるように揉み込まれ、そして櫛を通された。
母国では、兄以外誰も決して触れようとしなかったのに。
ベッドに広がる長い髪の一房を手に取る。何度見ても真っ白なそれに触れるテクシーロを見て、ルーノは他の国に来たということを実感した。
そしてミナージョのように、テクシーロもルーノを受け入れてくれる人だとわかって、胸がぽかぽかと温まった。
テクシーロはサイドテーブルに小さな明かりを残して、おやすみなさいませと言い部屋を出て行った。
一人になったルーノは、どっと疲れが押し寄せ、眠りに就こうと布団をまくる。と、そこに何かがあることに気付いた。
「これは……?」
枕のすぐ下、掛け布団の隠れるギリギリのところに、手のひら大の紙と白く小さな花が一輪置いてあった。
ルーノはそれを手に取り、明かりに近づけて見てみる。
(……えっと、『ようこそコンフォルタへ、我が花嫁。顔を見てお迎えできず、申し訳ない。あなたが不自由なく暮らせるよう努力する。なにかあれば侍女に遠慮なく言ってください。おやすみ』)
そこには青いインクで、アクヴォラード文字によってそう綴られていた。そして最後には、コンフォルタの文字で一文字だけなにか書かれていたが、それはルーノには読むことができなかった。
ファイロからアクヴォラード文字は習ったが、コンフォルタ文字は習わなかった。
コンフォルタとアクヴォラードは、言葉は同じだが文字はそれぞれ独自に生み出されたものだ。丸っぽく単純なアクヴォラードの文字とは違い、コンフォルタの文字はまるで刺繍のように細かくて複雑だ。
明日、テクシーロに聞こうと思いながら、ルーノは添えられていた花を眺めた。ルーノと同じ色をした花。アクヴォラードでは決して見ることのなかった色の花だ。そんな花が手紙と供にあって、ルーノはまだ見ぬ夫となる人物にも、歓迎されていることを感じた。
そしてルーノを気遣ってくれる内容から、きっと優しい人だろうと思い描く。
明日には会えるだろうか。そんなことを思いながら、ルーノは近くの枕にそっとそれらを置いて、眠りに就いたのだった。