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贄月と桜の契り~稀血の彼女は神使の旦那に溺愛される~  作者: 嘉神かろ


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第29話 巡りて朧に


 時神は、その名の通り時の神だ。そして彼女にとって誰にも代え難い存在は、桜真は時神の使いだ。神使として時に関する権能を持っている。

 ――あの時、私は死んだんだ。だから桜真は時を戻したんだ……。


 蘇った記憶の最後、自分を飲み込む深淵を思いだす。あの時、美乃梨は堕霊(だりよう)に飲み込まれて死んだ。それを無かったことにするために、桜真は時を戻したと察するのは難しくなかった。


 それだけでない。美乃梨はこれまで桜真に感じていたあらゆる違和感を思いだす。

 初めて堕霊から助けられた時、初めて桜真に名前を呼ばれた時、時守町に来た初日に妖に襲われた時、時桜のところへ初めて連れて行ってもらった時、そして、教えていない筈の誕生日を祝ってもらった時。


 数えればまだまだ出てくる。桜真が美乃梨のために時を戻すのは、あの時ばかりでは無かったのだ。

 ずっとずっと、今この時も、美乃梨の中の最初の記憶よりも以前から、桜真は彼女を護り続けていた。

 

 降り出した雨を止める術を、美乃梨は持たない。左手に足りない桜が彼女の胸を締め付ける。銀色の指輪なんて、あっても仕方のないものだった。


 ――私、思ってたよりもずっと、桜真に護られてばかりだった……。

 賽銭箱に手を掛けて(うずくま)る彼女を(とが)める者はいない。その肩に手を掛け、案じてくれる者もいない。スマホのアルバムにも彼女を支える友人たちの姿はなくて、消去してしまえば翌日には忘れているような思い出ばかりが残っていた。


 今この世界に、美乃梨の友人たちはいない。いるのは同じ顔で同じ人格を持った別人だ。

 孤独ではない記憶を取り戻した結果、いっそう孤独になってしまった。圧し掛かった幸福なはずの記憶に押し潰されそうになって、彼女は立ち上がれない。


 美乃梨は独りぼっちだ。以前よりもずっと、ずっと。

 

 どれほどそうしていただろうか。

 次第に思考は、どうして桜真がもう一度迎えに来てくれないのかということに移っていった。

 ――まさか、桜真まで私を忘れて……、いえ、それだったら、何度も助けてくれた事と辻褄が合わないか……。


 一瞬浮かんだ恐ろしい可能性は、すぐに振り払う。

 滂沱の涙で崩れてしまった化粧を気に留める余裕も無いままに、美乃梨は塀の向こうへ向かう。


 以前の美乃梨が暮らしていた場所だ。桜真を待っていた場所だ。もしかしたら、同じように、桜真も彼女を待っていてくれているかもしれないと願ってのことだった。


 『関係者以外立ち入り禁止』の看板を避けて門を潜ると、広い庭の中に井戸が一つ、ぽつんとあるのが見えた。それだけだ。


 彼女が丹精込めた畑も、そこに植わっていて友人たちを喜ばせた野菜も、満開の赤いコスモスも、何も見当たらない。


「桜真!」


 思わず叫んだ名に、返す声はない。


 建物の中から生活の熱を感じることも無く、寒々しくすら思えた。

 嫌な予感がした。ここまで桜真の気配がないことに胸がざわついた。

 ――……違う。きっと、私に記憶がないって思って遠慮してただけ。桜真もそう簡単に動ける立場じゃないし、この時間の私は、生贄として桜真の伴侶になる必要がないんだから。


 言い聞かせようとして、美乃梨は胸がズキりと痛んだ。今の自分は桜真の伴侶ではないのだと自らに現実を突きつけてしまって、息が苦しくなった。

 ――私の記憶が戻ったって知ったら、また一緒にいてくれる、はず。


 美乃梨は意識して深呼吸をして、心のモヤを振り払う。そうしないと折れてしまいそうだった。

 ――時守町の屋敷に行ってみよう。桜真がいなくても、他の神使たちか、それか時神様なら、居場所を知ってるはずだから。


 美乃梨は居住区域側から本殿へ入り、祭壇の仕掛けを作動させる。薄暗い下り階段は変わりなく美乃梨を迎え入れてくれて、彼女は少し気を取り直した。


 階段の一番下まで下りると、人ならざるモノたちの影が行きかう門前町が月明りに照らされていた。すっかり見慣れていたはずの古い街並みだ。記憶にあるのと変わらない。

 ――良かった。ここも一緒だ。


 ほっと息を吐いて、歩き出す。巫女服以外でこの町を歩くことは久しくなかったからか、彼女は自分が少し浮いているような気がした。


「おい、あれ、人間だよな?」


 人ごみの中からそんな話し声が美乃梨の耳に届いた。

 

「だな。どうしてここに。迷い込んだか?」

「にしては慣れた感じだぞ」


 周囲の人ならざるモノたちがひそひそと言葉を交わす。美乃梨からは見えない位置で話しているようだった。

 彼女は若干の不安を感じつつも、当然の感想だと気にしない。


「しかし良い匂いすんな。美味そうだ」

「だな。稀血か?」

「どうする?」


 人ならざる影たちの会話が不穏な方に流れたのを美乃梨は感じた。怪しまれない程度に足を早め、少しでも距離を取る。


「誰かのもんって訳でもなさそうだしな、食っちまうか」

「いいな。足はくれよ?」

「たく、しゃーねーなぁ」


 美乃梨は自身に悍ましい視線を向けられたのを感じた。

 ――逃げないと……!


 美乃梨は走り出す。周囲の視線なんて気にする余裕もなく、時神の屋敷の方へ向けて駆けた。

 ちらっと後ろを見ると、前の世界線で何度か見かけた妖たちの恐ろしい形相が見えた。挨拶を交わしたこともあったはずだ。それが、今は自分を得物と見て追いかけてきている。


 ぐちゃぐちゃになった心の内を無視して、美乃梨は走った。

 幸いにも神術は使えたが、身体が感覚を忘れているからか上手く調整ができない。身体能力を向上させることは諦めて、一心不乱に足を動かす。


 しかしここは直線しかない大通りだ。それで、人間の美乃梨が妖から逃げ切れるはずもなく、すぐに追いつかれた。


「はい、捕まえたっと」

「ふぅ、けっこう頑張ったな、これ」


 美乃梨は腕を掴まれ、宙づりにされる。

 悪意の欠片もなくスポーツでひと試合した後のような笑顔で話す人ならざるモノたちを、美乃梨はキっと睨みつけた。

 ――やるしかない。いっぱい巻き込んじゃうけど、仕方ない。


 記憶の中の感覚を思い出しながら、美乃梨は神術の準備をする。桜の狼を想像し、桜真への思いをそこに込める。

 この気配で桜真が気が付いてくれるなら、儲けものだとも考えて。


「何してるの?」


 怒気を孕んだ声だった。聞き覚えのある声に、美乃梨はハっと視線を向ける。その先にいた少女に、彼女は胸の熱くなるのを感じた。



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