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贄月と桜の契り~稀血の彼女は神使の旦那に溺愛される~  作者: 嘉神かろ


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第2話 神域の底

 狩衣の男は桜真(おうま)と名乗った。その姿に違わず時の神に仕える神主的な存在らしく、美乃梨(みのり)を案内したのも、先程目指していた時守神社の拝殿内だった。

 祭事の際にも公開されることの無い建物内部だが、板張りの室内は隅々まで手入れが行き届いており埃一つ無い。ちょうど賽銭箱の正面にあたる位置には大きな祭壇があって、紙垂(しで)や鏡などが備えられていた。

 

 桜真は目のような痣を見て以来、何かを考えこんだまま黙して語らない。美乃梨としては初めて入った昔馴染みの神社内にも興味があったが、それ以上に、桜真の険しい表情の意味が気になった。


「あの、これ、何なんですか……?」


 整った顔の睨み顔には何とも言えない迫力があって、美乃梨としても居心地が悪い。


「ああ、すまない。……これは、堕霊(だりよう)のつけた印だ。これがある限り、やつは美乃梨の居場所をいつでも把握できる」


 堕霊という美乃梨にとって耳慣れない言葉が先ほどの化物を指しているのは、言われるまでもなく分かった。つまりは、これから先、いつあの堕霊という化物に襲われてもおかしくない中で生きていかなければならないのだ。普通の大学生に過ぎない彼女にとって、絶望的な状況だった。


 美乃梨は顔を青ざめさせ、(たお)やかな両手を膝の上で固く握る。その恐怖は、自分はいつ桜真に名前を教えただろうかという疑問を押し流すに十分すぎるものであった。


「案ずるな」


 震える美乃梨に、柔らかく、しかし強い声がかけられた。


「私がどうにかしよう。何に代えたとしても、この私が」


 そう告げた桜真には、顔が整っている故のものとは関係のない、鬼気の迫ったような迫力があった。妙な安心感を覚えた美乃梨は同時に、彼がどうしてここまで自身を気にかけてくれているのか不思議に思った。


「兎も角、人の世は危ない。この神域にいる限りはやつも手を出せまいが……。家族はいるか?」

「えっと、両親は父の仕事でアメリカに住んでいます。しばらくは、一人暮らしです」


 美乃梨は家族を人質にされることを懸念しているのだろうと考えて、素直に答える。


「近しい友は?」

「えっと、一人だけ……」


 ここ暫くは顔を合わすことも少なくなっていたが、家族以外で唯一、自身の秘密を打ち明けた親友がいた。


「それならば良かった。一人ならば対応も難しくない。美乃梨については、暫し神域の内に匿おう。主様には伺いをたてねばなるまいが、問題あるまい」

「ありがとうございます」


 美乃梨の礼に、桜真は不思議なほど愛おし気な笑みを返した。

 

 二人はすぐに、桜真の主人、時神(ときがみ)の下へ向かうことにした。時間の遅いことは、神と呼ばれる存在には関係のない事らしい。


 時神のいる神域深部への入り口は祭壇の奥に隠してあって、美乃梨のように人ならざるモノ達が見えるなら、何も知らない人間でも入れてしまう造りになっていた。

 その入口は一見すれば何の変哲もない木造の階段で暗く、美乃梨には人間を迷い込ませる罠のようにも見える。


「転ばぬように」


 桜真は狼の木面を被りなおすと、白い光の球体をふよふよと浮かせて、美乃梨の少し先を歩く。光球は美乃梨の足元をよく照らす位置にあった。


 階段は美乃梨の思っていたよりもずっと長く、高さで言えば神社の麓あたりまで来ているだろう距離を下りることとなった。途中にも明かりらしきものはなく、光球に照らされてなお薄暗い空間が続く。出口の光が見えた時、美乃梨がついホッと息を吐いてしまったのも無理はない。


 階段を下りきると、彼女を迎えたのは青い月の光だった。人の世と変わらないそれに照らされる町並みは古き良き門前町で、美乃梨は郷愁のような感覚を覚える。後ろを振り返れば白木の鳥居が一つあって、その向こう側に先ほど下りてきた階段があった。

 

 桜真は三方へ伸びる道の内、正面の一番大きな通りへ向かって進む。

 夜だからこそなのか、大通りには多くの人ならざるモノたちの姿があった。人型の影は少なく、何とも形容しがたい輪郭も多い。それなのに見える景色は彼女もいつか行った京都のようで、馴染みすら覚えるのだから、奇妙な心地だった。


「どうした?」


 つい足を止めてしまった美乃梨に、桜真が振り返る。


「あ、いえ、その、人間の町みたいだなって」

「正直に言って良い。恐ろしいのだろう」


 図星だった。奇妙さが、人ならざる町の住人達が、恐ろしかった。しかし美乃梨からすれば、この町の住人は桜真の仲間だ。それを恐ろしいと言っても大丈夫か、彼女には判断ができなかった。


「それで良い。稀血(まれち)の君は特にな」

「分かりました。ありがとうございます」


 また稀血か、という嘆息を、美乃梨は一旦飲み込んだ。


 大通りを歩く中で、桜真は何度も声を掛けられていた。そのどれもが好意的で、敬意に満ちたもので、美乃梨は堕霊(だりよう)の口にした『時神(ときがみ)の使い』という言葉を思い出していた。神の使い、即ち神使だ。

 神使の扱いが人ならざるモノの世界で実際どのようなものなのかは、美乃梨が知るはずもない。しかし住人たちの態度からすれば、桜真が相当に大物なのだと察するのは難しくなかった。


 目的地は町の中心部、神域の最奥に当たる位置にあった。他のどれよりも立派な塀に囲まれた屋敷が時神の住まいらしい。入口にある橋には半透明で凹凸の無い体の門番が二人いて、白木の重厚な門を守っていた。


「おかえりなさいませ、桜真様。ちょうど良かった」

「何かあったか?」


 桜真は木面であるはずの眉間に皺を寄せる。

 

「いえ、時ノ主(ときのぬし)様は少しばかり留守にされるそうで、言伝を仰せつかっておりました」

「そうか。承知した。どれほどでお帰りになるか分かるか?」

「半時ほどかと」


 半時、つまりは一時間だ。

 桜真は顎に手を当てて少し考えこむ様子を見せると、ちらりと美乃梨を見た。


「そうだな、主様を待つ間、少しばかり町を案内しよう」

「町の案内……」


 美乃梨の正直なところを言えば、非情に興味があった。同時に、恐ろしくもあった。

 彼女にとって人ならざるモノ達は、日常に紛れこむ異物だ。他の人には見えないのに、自分にだけ見えて、時には襲い掛かってくる。先刻襲いかかってきたヘドロの化物と町の住人達は変わらない。ただ、隣に立つ桜真だけは違うのだと言い聞かせているに過ぎなかった。


 しかしもし神域で暮らしていくのなら、彼らとの交流を避けるのは難しい。桜真がどの程度美乃梨を守る気でいるのかも分からないし、そもそも彼に頼り切りになるのは彼女の心が許さなかった。


「……はい、お願いします」


 唇をきゅっと結び仮面の奥の紅桜を真っ直ぐと見つめる彼女に、桜真は一つ頷いて見せた。



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