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贄月と桜の契り~稀血の彼女は神使の旦那に溺愛される~  作者: 嘉神かろ


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第15話 特別な桜


 二人が店を出ると、西の空はすっかり朱色に染まっていた。このまま帰っても良いが、暗くなった頃には確実に小腹が空いている。そう思った美乃梨は、軽食を買いにどこかへ寄らないかと提案しようとした。


「少し、寄り道をして良いか」


 しかしその前に桜真が口を開いた。彼の提案を断る理由も無いので、美乃梨は承諾する。向かった先は町の北東、職人街と住宅街の境辺りだった。

 

 既に周囲は薄暗くなっていて、反対側からやってくる相手の顔はよく見えない。黄昏時(たそがれどき)と呼ばれる時間だ。美乃梨は『誰そ彼亭』のことを思い出して、今頃忙しくなっている時間だろうか、などと考えていた。


「こっちだ。少し急ごう」


 桜真が入って行ったのは、町で唯一小高くなっている区画だった。なだらかな上り坂になっており、現代人には些か辛いだろう道だ。しかし美乃梨の足腰は、畑仕事や襲い来る人ならざるモノたちから逃げ回っていたこと、部活で鍛えられていたこともあり、何ら苦にならない。


 ――そういえば、前はこのくらいの時間が一番怖かったなぁ……。

 神域で暮らすようになって、すっかり忘れていた。

 逢魔(おうま)が時と呼ばれる事もあるように、昼と夜の境が曖昧になるこの時間は、人の世と人ならざるモノたちの世が混ざりあう。力を求める、特に小物の化生(けしよう)たちにとって、最も活動しやすい時間だ。

 故に美乃梨もこの時間に襲われることが多く、いっそう気を張らねばならなかった。


 ――まあ、今は関係ないんだけど。

 美乃梨はちらりと隣を歩く桜真へ視線を向ける。髪も狩衣も茜に染まった彼は、何が有ろうと、彼女を守ってくれるだろう。例え、元神たる堕霊(だりよう)が相手でもそれは変わらない。


 美乃梨には確信があった。根拠はない。しかし、実際に経験したことに対するような、不思議な確信だ。

 彼が初対面から美乃梨に好意を向けていた理由についても、もう初めにあったような、不審の混ざった疑念は無い。残ったのは持ち前の好奇心と、彼を知りたいと願う乙女心からくるものばかりだ。


 ――そのうち教えてくれたら、嬉しい、かな。

 そんな風に考えている間に、二人は小高い丘の頂上付近まで来ていた。目の前にある少し急で手すりも無い階段を昇れば、ちょっとした広場があることは美乃梨も知っていた。視線を上げると、木で作られた柵がちらっと見える。


「手を」


 桜真の手が差し出された。美乃梨はそれを取って、笑みを浮かべる。


「ありがとう」


 桜真の手は美乃梨の手よりもずっと大きくて、握るというよりは包まれていると言うほうが近い。人ならざるモノ故になのか体温というものが殆ど無い彼だったが、美乃梨は自身の内側から柔らかな熱が溢れるのを感じた。


 やがて階段の終わりに差し掛かると、広場の様子もいくらか目に入る。映ったそれに、美乃梨は瞠目した。


「凄い……」


 見えたのは、満開に咲いた一本の桜だ。美乃梨の記憶にあるものよりも何倍も大きなそれは、風に吹かれてひらひらと花びらを舞わせる。


時桜(ときざくら)と言う。主様の影響を受けて、一年中花を咲かせるようになった御神木だ」


 桜真も美乃梨と同じように桜を見上げる。広場の中ほどで立ち止まった二人を、桜吹雪が包み込んだ。桃色の花びらは夕日を受けてより濃く色づいており、影の黒との対比が美しい。

 その向こう側には同じく夕日に染まった町並みが見えて、いっそう掛け替えの無い景色のように思わせた。


「時守町で私の最も好きな場所だ」


 桜真がいつもよりも僅かに熱を孕んだ、しかし静かな声音で言う。


「これを君に見せたかった。ようやく、見せられた」


 深い感慨の込められた声だった。

 改めて美乃梨は桜を見る。季節を知らないそれは、血吸い桜の伝承にあるように根元に死者でも埋まっているのではないかと思うほど艶やかで、濃い桃色をしていた。


「桜真の目と同じ色だね」


 だから、美乃梨もこの桜が好きになった。

 それだけの意味の呟きだったが、桜真は別の事を思い出したようで、より遠くへ視線を向ける。それから、町の中心部に視線を転じた。その先にあるのは、時神の屋敷だ。


「昼間、主様に拾われる以前の記憶が無いと言ったな」

「うん」

「私の初めの記憶、主様に拾われた場所も、このような桜の木の下だった」


 桜真はぽつりぽつりと語り始める。

 注連縄(しめなわ)のかけられた桜の古木、それと、その根元にあった小さな祠。長年拝まれることが無かったのか、風雨に晒されて朽ちたそれの横に、彼はいつの間にか獣の姿で立っていたらしい。

 

 いつからそうしていたのか、自分は誰なのか。何もわからず、彼は困惑した。狼狽える彼を周囲の小物たちは恐れるような、憐れむような、不可思議な視線で見つめる。

 いっそう混乱して暴走する寸前だった彼の前に、時神は現れた。


 そして時神に拾われて、その神使となり、多くを教わった。桜真にとって時神は、親のようなものでもあるのだと彼は言う。桜真の名も、時神によって授けられたものだった。


「だから私は、自分が何者かを知らぬのだ。主様なら或いは、ご存じかもしれぬ。まあ、知ったところで詮無きことだがな」


 桜真は狼面に笑みを浮かべる。彼は本当に気にしていないようだった。



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