第10話 心を込めて
「これも神術?」
「いや、これは私本来の力を使ったものだ。神術でも同じことが出来るが、性質上、こちらの方が楽なのだ」
「ふぅん……」
木を操りやすい、と聞いて美乃梨は桜真の顔になっている木面を見る。
――木の精霊か何かだったのかな?
美乃梨のイメージでは、精霊は神に近いくらい力の強い存在だった。いつかの妖が桜真のことを神に並ぶと言っていたこともあり、案外的外れではないのかもしれないと考える。
「どうした、私の顔に何か付いているか?」
「あ、いいえ、何でもない。……その顔って、柔らかいの? 硬いの?」
ふと浮かんだ疑問だった。木の面ではあるのだが、それにしては動きすぎる。気になるのも無理はないはずだ。
「通常の木相応には硬い。動く仕組みを、と問われても説明はできぬが、そういうものだと思ってくれ」
「ふぅん。……ねえ、触っていい?」
「ああ」
美乃梨は間を少し詰めて、桜真の顔へ手を伸ばす。頬に沿えるように当てた手は、本物の木と同じような硬い感触を伝えた。表面が整えられていて滑らかではあるが、生きた木と同じような温もりも感じられる。
こそばゆさを覚えたのか、桜真の顔が僅かに歪められた。何とも言えない不思議な感触がして、美乃梨の好奇心が刺激される。今座っている木がベンチの形になる途中で触れていたら、同じ手触りがしたのだろうか。あとで桜真に頼んで試してみようか。そんなことを彼の顔を凝視しながら考えた。
「……もう良いか?」
「あ、ごめん!」
桜真の遠慮がちな言い方に、美乃梨は我に返る。よくよく考えれば、異性の顔に手を当ててその感触を堪能していたわけだ。恥ずかしさが込み上げてきて、美乃梨の頬がまた少し、赤く染まった。
風が吹いて、美乃梨の長い髪を攫う。静かな、心安らぐ時間だった。この時間がいつまでも続けば良いと、彼女はぼんやり考えていた。
人ならざる世界にあって忘れてしまいそうになるが、美乃梨は半年前に成人したばかりの大学生だ。あと半月もすれば、三回生の前期講義が始まる。
半月で解決できる事態ではなさそうだが、それでも美乃梨がいつかは戻らないといけない場所であることには変わりなかった。
――そういえば、誰にも連絡してなかったなぁ……。まあ、いいか。
美乃梨の脳裏に何人かの友人の顔が浮かんだ。地元で進学した関係上、大学には昔からの友人も少なくない。その中で本当に心を許せているのは一人だけだったが、本気で心配してくれるだろうという範囲であれば数人ほど名前を挙げられた。
しかし巻き込んでしまっても悪いし、神域の浅い辺り、神社周辺にいる間は電波も通じるのだから連絡が来れば返すでも問題ないだろう、というのが彼女の考えだった。
「さて、そろそろ続きを始めよう」
桜真に続いて美乃梨が立ち上がると、生木の椅子はひとりでに枯れ、土に還る。美乃梨は一抹の寂しさを覚えながら、桜真へ向き直った。
「次は、術そのものを教える。と言っても、今の練度でできる簡単なものだ」
「最初は呪文とか唱えるの?」
「あれは他者の力を借りる場合に使う。我々も主様の力を借りる場合は唱えるが、それは今回教える神術とは別物だな」
美乃梨はそっと胸を撫でおろす。二十歳を超えて呪文を口ずさむのは、少し気恥ずかしかった。それに、生活の利便性向上が当初の目的であるのに、毎度呪文を唱えるのは面倒だ。
「教えるとは言ったが、神術の場合それほど複雑なことは無い。力の作用する過程を想像し、それを自身の力に乗せられさえすれば、術は形を為す」
これが妖術であれば、自身の存在が如何なるものかを探す所から始まるのだが、幸いにも神術の初歩を学ぶ上では必要ない。
神力にも妖力と似た部分はあるが、もっと根源的で、何ものにもなり得る力であることが大きかった。
「一先ずは、力を術として為す感覚を掴むところからだろう。初めは形無きものが容易い。水が生まれる様を想像して力に乗せ、放出するんだ」
言われた通り、美乃梨は何もない所から水が生まれるところをイメージして、神力を手から放出する。しかしそれが水となることはなく、神力の形のまま霧散するばかりだ。
イメージの仕方を変えながら何度か試すが、なかなか上手くいかない。まだ神力の扱いに慣れていないこともあって、彼女はそうとう苦戦していた。
「ふむ、やり方を変えよう」
このままでは難しいと考えたのか、桜真が美乃梨の背中側に回る。そして右手を美乃梨の腹の辺りに、左手を彼女の手に沿えた。
「ふぇっ、桜真!?」
「私が美乃梨の神力を使って術を使ってみせよう。その感覚を真似るのだ」
美乃梨の身体が三度熱くなる。桜真の前で変な声を出してしまったからなのか、後ろから抱きしめられるような格好だからなのか、それすらももう分からない。
――しゅ、集中しないと! せっかく教えて貰ってるのに!
桜真がこの手のことに疎いのは美乃梨ももうよく分かっていた。朴念仁というよりは、人間の色恋にまつわる諸々を知らないのだ。
彼女としても自分ばかり慌てているのは面白くない。冷たいくらいの温もりだとか、仄かに香る桜の香りだとか、思考を邪魔する一切をどうにか無視して、桜真の助力で発動されようとしている術に集中する。
おかげで自分の内に桜真の神力が入ってくるのが分かった。神力だけでない。桜真の思いのようなものも感じて、胸が温かくなる。先ほどまであったような、羞恥からくる暴走気味の熱とは全く違った温もりだ。
それが鳩尾の辺りから入って美乃梨自身の神力と混ざり合い、心臓を通り、伸ばした左手へ巡る。そして空へと出て、水球となった。
「どうだ?」
「……うん、分かったかも。色々と」
美乃梨は神力にイメージを乗せるという感覚が分からなかった。だから色々と考えて、思考錯誤したのだが、そのどれもが違った。もっと単純だった。
――なんだ、祈れば良かったんだ。
心を込めて、何かに向けて、願う。ただ、それだけでいい。難しく考える必要は無い。
桜真が離れると、水球は少し離れた地面に落ちた。塗れた地面を見つめながら、美乃梨はつい先ほどの感覚を思い出す。
腹の辺りに集まった神力を巡らせながら祈りを込め、左手から外へ放出する。美乃梨の身体から離れたそれは、先ほどより少し大きな水球に姿を変えて、そのまま地面に落ちた。




