第九十二小節〜愛の物語は、突然に〜
「ねえ、レンお姉ちゃん。最近具合良さそうね?」
ここはファウリー家、レーネとユイーブがキッチンで横に並び、夕食の用意をしていた。ロウェルとフィリップがビルデンから帰省後、彼等二人は『血塗られた道』を捨てた。
ロウェルはビルデン語に、訛りはあるがフェルダイ語、そしてキラフ語を使えるので、街役場で通訳の仕事を、フィリップは弓の腕を買われ猟師の仕事に就いていた。
──アレから3ヶ月の月日が流れて居たのだ。
季節は真冬。鉛色の重き蓋が天を閉ざし、本来の太陽の恩恵は、その分厚い闇に絡め取られてしまった。
刻々と沈む太陽は夜の静寂を誘い、吹き荒ぶ風は昼の活気を払い除け、厳しい冬の鎌となって人々の灯火の熱を奪おうと嘲笑っている。
だが、その『家』には暖かさが有った。
「そうなのユイちゃん。今飲んでる薬は子供の頃に、お爺ちゃんが飲ませてくれてた薬よりも二つも上のクラスなのよね。お陰で殆どベッドで横になってる日は無くなったわ」
笑顔のレーネは鼻歌を歌いながら野菜を洗っている、その横顔はユイーブが今まで見た彼女の中で、一番輝いていた。肌の血色は良く、3ヶ月前に比べれば目を疑う程に回復し、年相応の『女性』の身体つき、さらには髪も艷やかだ。
「ううーー……やっぱお姉ちゃん綺麗だなぁ、私なんて二十歳越えてるのに、まだソバカスが……」
と、ユイーブは自らの鼻先を指で掻いている。
「何言ってんのよ。ユイちゃん、お肌プリプリじゃないの!羨ましいったら!」
レーネは肩で彼女の腕を小突く、ユイーブもお返しにレーネを小突き返した。
「「ふふっ」」
二人の笑い声は重なり、長閑な時間が流れていた。
ふと、ユイーブは気になっていた事を尋ねてみる、レーネより少しだけ背が高い彼女は、レーネの腰を抱きその体温を感じていた。
「でもお姉ちゃん、その薬って……、結構するんじゃないの……?」
その問いにレーネは困った様な顔をしたが、優しくユイーブの耳に頭を寄せた。
「結構……、以上するね……。貧乏だったのに……」
「それ稼いできたのって、ちょっと前の仕事?だよね?フィルなんて胸の骨折れてたし……」
ユイーブはフィリップの心配もしつつ、ファウリー家の財政事情も気になる様だ。
かつて、この街で、そしてその子孫が帝都で名を馳せたスト家の薬。その価格は貧乏な家庭では、数年分の食費に同等か、それ以上の代物だ。
だがユイーブは、それを賄っていたレーネ達の祖父が竜討騎士だったのは知っている。その功績からの褒賞、そしてその後の恩賞は、目が飛び出る値である。
それでもレーネは年々と細く弱り、衰弱の一途をたどっていた。
が、ロウェル達二人が帰ってきた後の生活はどうだ?レーネは見違えるほど回復し、彼女達夫妻は街の中心部へと引っ越しするような話になっている。
「ホント、あの二人。お隣の国で何をして来たんだか……」
ユイーブの耳に頭を寄せたまま、レーネは呆れた声で敬愛の笑顔を作っていたが、そのエメラルドの様に澄んだ瞳は慈愛に満ちていた。
「……トカゲ倒して来たって言ってたけど……。あのバカフィル。絶対トカゲじゃないよね?お姉ちゃん!」
ユイーブは怒りで震える手でお玉を握りしめる。すると、家の外から件の『バカフィル』の声が聞こえた。
「うえぇぇ!さぶっ!夕方過ぎると寒!」
レーネとユイーブは見つめ合い、柔らかな溜め息をつくと、ドアが開き寒風と共にフィリップが帰宅した。
「ただいまぁ。お?ユイ来てたのか!?しっかし寒い!野山は寒い!」
ガチガチと歯を鳴らしながら暖炉に一直線に進んだ彼は、薪の炎からの優しさに表情が解けていく。が、彼の衣服に付いた枯れ枝や枯れ葉。そして『獣』の臭いが家中に拡散する。
「うわ!汚い!ソレに臭い!アンタ何やってんのよ!?」
「んあ?山に獣を獲りに行くんだから、自分も『獣』の臭い出さなきゃ逃げられるだろ?」
モソモソと動く彼の背中は明らかに『獣』そのものだった。
「フィル、仕事の上着のまま家に上がらないの。ちゃんと外で脱いでね、それとお風呂沸いてるから早く入ってらっしゃい?」
姉と幼馴染に邪険に扱われてしまったが、彼は何故か楽しそうな顔で上着を脱ぎに屋外へ出る。帰宅した時よりも夜はその腕の範囲伸ばし、帷が降りてくる。
すると、遠くからは馬の蹄の音が聞こえた。
「ん?兄貴か……。うわ!寒!風呂風呂!」
そして彼は離れにある風呂で1日の疲れを癒やすこととした。
──蹄の音の主、愛馬に跨り帰路に就いていたロウェルは、清廉された紳士服に身を包み、黒を基調とした外套を羽織っていた。
「最近は家から役所までの距離だから、お前を思いっきり走らせてやれてないな。次の休みに海岸線を走ろう、ビシバシ走らせるから覚悟しとけよ?」
愛馬の首筋を優しく撫で語りかけていた。その瞳は慈愛に満ち、通じないと分かっていても声を掛ける。そしてこの馬は狩りの足だった相棒……。いや、『半身』か。
狩りで使えるように、敢えて『気の荒い』個体を選んだが、今の役所勤めではコイツが可哀想だ、と思ったのだろう。
そうこうしていると、帰るべき家の前に着いた。ロウェルは馬から降り、馬小屋へ『彼』と共に歩み、小屋の繋留環にロープを掛ける。
愛馬の漆黒の瞳を、自分のコバルトの瞳で見つめると、「ああ!早く走りたい!凄く走りたい!」と、言っているかのような感覚に陥った。
フッと鼻で笑ったロウェルは優しい笑顔を零し、手入れ用のブラシで身体を梳かすと、栗色の体毛が宙を舞う。黒い外套に付着しても構うものか、暫く刷毛を続けると、愛馬も心なしか嬉しそうだった。
ロウェルは干し草を『彼』に与え、「明日もよろしくな」と、その頬を撫で家に向かった。
ドアのすぐ横にフィリップの『隠れ蓑』と、狩猟弓が立て掛けられている。
「俺の方が遅かったか」と、軽く声に出し、ドアを開けた。柔らかい料理の匂いと、寒さを和らげる熱が頬をなでる。
「おかえり、ロウェル」
ふと、声の主に目をやるとレーネが笑顔で声を掛けた。が、その直後に彼女とユイーブから「毛!馬の毛酷い!」と、罵声を浴びる。
……。この兄弟は血も繋がっていないのに、帰宅する姿は何故か酷似していた。
──時は夕餉が終わり、それぞれが食卓を片付けていた最中だ。
ユイーブは下膳された食器を洗い、レーネはテーブルの拭き掃除。ロウェルは台所で全員分のお茶を淹れ、フィリップは……。食事後すぐに自分の部屋に戻ってしまった。
「あのバカフィル!片付けぐらいしなさいよ!お姉ちゃん、アイツの事甘やかし過ぎ!」
ユイーブが右手の海綿を握りしめワナワナと震えていると、隣のロウェルは仄かな薔薇と柑橘類の香り立つ紅茶を、カップに注ぎながら彼女を諭す。それこそ彼女に寄り添い、『家族』の距離感で。
「ユイーブちゃん。アイツは何か考え事が有ると、何時も部屋に閉じ籠もるんだ。何か思う所があるんだろ?大目に見てやってくれよ」
ロウェルは、その憂いを帯びたコバルトの瞳を緩ませ、口角は柔らかく上がる。
……。その心中はこうだ、(あの野郎、指輪の準備してやがるな?まぁ、せいぜいお膳立てはしてやるよ)
「うぇ!ロウェルさん顔近いですよぉ!」
ユイーブはロウェルから一歩離れるが、その頬を赤らめている。無理もない、彼は五つも年上だが、街の女性達に人気の容姿と顔立ちを持ち合わせているのだから。
が、ユイーブと背中合わせでテーブルの片付けをしているレーネからは、殺気にも似た気配が彼女を襲う。
それは、ユイーブに向けられたものか、それともロウェルに向けられたものか、それは定かでは無い。
すると、この片付けの最中にフィリップが現れた。彼は頭をボリボリと掻きながら、欠伸までしている。
「悪い、朝早かったからちょい眠くてさ、寝てたわ」
そのタイミングでガシャリと音を立て、ロウェルが一つのカップを落としてしまった。
「え?ロウェルさん?大丈夫ですか?」
心配気なユイーブはロウェルを見るが、彼の瞳は虚空を見つめ、表情筋は脱力していた。
(寝てただけかよ!この野郎!)
「だいしょうぶだよーユイーブちゃんー」
ロウェルの口調は、舞台の台本を感情無しで読み上げた様になっていた。
ユイーブが彼の変化に疑問符を浮かべていると、フィリップが彼女の洗い上げた食器を掴み、拭き上げている。
「すまん、片付けちゃんとするわ」
「あ、うん。お願い」
二人は黙々と食器の片付けをしていたが、フィリップが口を開く。
「なぁ、ユイ。姉ちゃん元気になったからさ、俺らも結婚すっか!」
「あー……。はいはい、結婚ね、……ん!?」
ユイーブの手が止まった。
「はぇ!?」
喉の奥から素っ頓狂な声を上げながら、ユイーブはフィリップを見る。だが、彼は『さぞ当たり前』的な目線を彼女に送っていた。
「え?え!?結婚!?ええ!?」
ユイーブは相当混乱しているが、その頬は紅く染まり、瞳は『待っていた言葉』の嬉しさで潤みだした。
ロウェルとレーネは、その突然の『さぞ当たり前』なプロポーズに、お互い目を見開き見つめ合う。が、同時に溜め息を吐いた後、口を揃えた。
「お前なぁ……」
「アンタねぇ……」
しかし、フィリップは更に問いかけた。緊張のあまり、左頬をボリボリと掻き始める始末だ。
「俺じゃ、だめか?」
その言葉にユイーブは俯き、鼻を啜りだした。リビンクのフローリングにポタポタと『雨』が降る。
「……る。……する……。……結婚する……。待ってた……。嬉しい、フィル……、大好き」
そう言うと彼女はフィリップに抱きついた。
すると、フィリップはポケットから一つの指輪を取り出した。
そこに光る宝石、それは赤、と一言で呼ぶには惜しい色だ。
熟れきる直前の柘榴の粒のようで、けれど果汁の甘さよりも、芯の強さを感じさせる深みがある。
真紅の奥に、ひそやかな紫が沈んでいる。夕暮れが夜に溶ける、その境目の温度を閉じ込めたような色。
光を受けた瞬間、ただ明るくなるのではない。
内側から、ゆっくりと灯る。
夜の灯りの下では、深く沈む。
昼の光では、ほんのりと薔薇を帯びる。
時間と共に表情を変えるその色は、幼馴染という長い年月を経て、やがて夫婦になる二人の歩みによく似ている。
派手ではない。
だが、忘れられない。
──それは誓いの色だ。
声に出せなかった「ずっと前から」を、静かに閉じ込めた色。
「お前に似合うと思ったんだよ」と、言いつつ、彼はユイーブの左手の薬指に指輪を嵌めた。
この光景をまるで仲人の様に見守る兄夫婦。その二人の顔は笑顔に満ち、レーネは安心したかの様に大きく息を吐く。
少し胸が痛い……。それは世話のかかる弟が一人前になる事への寂しさか、はたまた彼女の心臓のせいなのか、それは分からない。
「んっ……」と一瞬顔を歪めるが、ロウェルの心配そうな顔を見ると再度笑顔になった。
物静かな空間に漂うのは、ロウェルの淹れた薔薇の香りの紅茶。
その香りがこの場の全員を祝福していた。




