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第八十四小節〜Let me say " I Luv U"〜


 用具棚がスライドし、隠し通路から姿を現したエーウディアの眼光は、鋭く、それでいて深い慈しみを湛えていた。


 


「来たんだな……」


 エーウディアは溜め息の様な声を発した。


 何故ならば、彼は一目で、目の前に立つコバルトの瞳の男が、『誰』であるかを察していたからだ。 


 エーウディアは背後に控える、震える国王へと静かに告げた。


「陛下、ご安心を。彼は協力者です」


 その言葉に縋るように、国王が疑念の吐息と共に一歩前へ踏み出す。


 アルフェルスト=ビルデンⅨ世、かつて幼王だった彼も立派な成人だ。


「エウ爺、そうは言うが、私はこの野蛮なやからを信用できん」


 アルフェルストは剣を抜き、ロウェルの前に立ちはだかった。



 が、その直後、エーウディアの剣が、背後から躊躇いもなく国王の心臓を貫いた。


「な……ぜ……?」


 崩れ落ちる国王に、エーウディアは冷徹な、だがどこか穏やかな声をかける。


「『彼』が来てしまいました。もう、この国はお終いです。貴方様はせめて、私の手で……」


 事切れた国王を一瞥し、エーウディアは血塗られた剣を無造作に放り投げた。


……今まさに君主の心臓を貫いた剣だ。



 そして、立ち尽くすロウェルに視線を向ける。


「君、少し話をしないか?」


 ロウェルは困惑しつつも、導かれるように剣を鞘に収めようとした。だが、それをエーウディアが制する。


「君は抜いたままにしておけ。この後に誰かが踏み込んだ時、説明が面倒だろう?」


 エーウディアは近くにあった古びた椅子に、どっかと腰を下ろした。


 そこは、ロウェルが横薙ぎに剣を振るえば、その首に容易く届く距離。己の命をまな板の上に乗せたまま、彼は語り始めた。


「君、名前は何という?」


「……ロウェルだ」


「ロウェルか! この国の英雄の名じゃないか。もしや、ご両親はこの国の出身かい?」


 エーウディアの問いに、ロウェルは目を合わせぬまま、絞り出すように答える。


「さあな。気がついたら、この名前だった」


 ふと、エーウディアの視線がロウェルの左手で止まった。


 そこには、この血塗られた戦場には見合わない、白銀の光を放つリングが嵌められていた。


「おや、君は結婚しているのか?」


「……ああ、悪いか」


 この極限の状況下で、エーウディアはにこやかに笑った。まるで、休日の午後に旧友と再会したかのような、穏やかな笑みだった。


「奥さんは綺麗で優しい人か? それとも君を叱咤し、引っ張ってくれるような頼り甲斐のある人かな?」


 食い入る様に身を乗り出して聞き入るエーウディア。


 ロウェルの脳裏に、気の強い、それでいて誰よりも深い愛で自分を導いてくれる女性の姿が浮かぶ。 


 その優柔不断さを突き動かしてくれる、太陽のような存在。


「ああ。気の強さはピカイチだ。俺も、尻に敷かれているよ」


 自然と、言葉が溢れた。


「ハハハ! なるほどな。君はさっきから私と目を合わせないだろう? そういう所だよ。君の奥さんも、君のそういう所を『可愛い』と思ったんじゃないのかな?」



 見透かされている。



 今、最愛の妻であるレーネも。かつて絶望の淵で寄り添ってくれたエルミナも。


 ロウェルは剣の柄を握りしめ、奥歯が軋むほどの音を立てた。


「すまないね。図星だったか?」


「……だからどうした。あんたには関係ないだろう」



「関係が無いわけでは無いだろう? 考えてもみてくれ。今から私は君に『殺される』んだぞ? 少しぐらい、君の現状を聞かせてほしいんだ。『誰』に、『何のため』に殺されるのかをね」


 辺りには、水平線から放たれるイルヴェルズィールの艦砲射撃の轟音が木霊している。


 振動が小屋を揺らす中、エーウディアは再び問いかけた。


「なぁ、ロウェル。君には、子供はいるのかい?」


 そのコバルトの瞳が、ふわりと和らぐ。


「いないよ。……子供を作りたいがために、俺はここにいる。あいつには、時間がないんだ」


 ロウェルは、自分でも驚くほどすんなりと事情を話してしまった。


 エーウディアは大きく息を吸い込み、ゆっくりとそれを吐き出した。


「子供……か。子供は良いぞ。愛の結晶だ」


「……だろうな」


「私にはね、三人の子供がいたんだよ。……二人は、先に逝ってしまったけれどね」


 ロウェルの胸が、万力で締め付けられるように痛んだ。


 その二人は――俺が、この手で、殺した。


 苦虫を噛み潰したような顔をするロウェルに、エーウディアは続けた。


「あと一人。どこで何をしているか、生きているか死んでいるかも分からない。一番手の掛かる子がいてね。……もし生きていたら、君くらいの年齢になっているはずだ、ロウェル」


 流暢に、淡々と語る男に対し、ロウェルは短い相槌を打つのが精一杯だった。


「ああ。そうか」

「そろそろ、時間がなくなるな」


 エーウディアが立ち上がることなく、真っ直ぐにロウェルを見据えた。


「君に……もし私の息子が生きていて、どこかで出会うことがあれば、伝えてほしい言葉があるんだ。頼めるかい?」


 首を狙いに来た『賞金稼ぎ』に、伝言を託す。


 それが何を意味するのか、ロウェルには分かりすぎるほど分かっていた。


「ああ。伝えてやるから、早く言え」


 ロウェルの声は、隠しようもなく震えていた。


「ありがとう、ロウェル。大事な言葉だから、ちゃんと目を見て聞いてくれるかい?」


 これまで一度も目を合わせようとしなかったロウェルに対し、男が最後の下した「命令」。


 ロウェルは、恐る恐る顔を上げ、エーウディアの瞳を覗き込んだ。全身の震えが止まらない。


 その顔は若かりし頃よりも堀が深くなり、小皺も増えているが、見るものを圧倒的する、その獅子の如きコバルトの瞳は真っ直ぐにロウェルを見据えている。


「やっと目を見てくれたな。では、伝えてくれ」


 エーウディアは一度だけ瞳を閉じ、ゆっくりと開いた。


 そこには、これまで一度も見せたことのないような、満面の笑みが湛えられていた。


「『愛している、ルヴェン』――とな」


 ロウェルの心から、堰を切ったように感情が溢れ出しそうになる。

 彼はそれを必死に飲み込み、一度だけ瞳を伏せた。


 十秒、あるいは永遠にも感じられる静寂の後、彼は顔を上げた。


「ちゃんと……、ちゃんと伝えるからぁ!!」


 涙で視界が歪み、声は枯れ果てていた。

 エーウディアは満足そうに深く頷いた。


「頼んだぞ」


 銀光が一閃、横薙ぎに回廊を奔った。

 エーウディアの首は、最期までその穏やかな笑みを崩さぬまま、地に落ちた。



「ハァ……ハァ……、うっ。うぐっ、うぐわぁぁぁぁ」


 冷たい木の床に転がる「父」の首を見つめるロウェルは、込み上げてきた感情が溢れ、とめどなく涙が流れる。


 厳しかった「父」、優しかった「父」、母親が亡くなった後は、片親だけで家と家族を、そしてビルデンを守り続けた「父」。


 ロウェルはその首を優しく抱きかかえ、さらに涙する。


「父様、父様、父様ぁぁぁ……。俺……、『僕』も愛しています、これからは『僕』が家庭を作るから……!貴方の孫を育てるから……!」



 その叫びは誰にも聞かれてはならない、声を押し殺しながら、ロウェルは泣いていた。


 辺りには戦いの轟音と、振動、そして男達の声が聞こえていたが、不思議な事にリュートの流れる様な旋律が混ざっていた。


 すると、ロウェルが泣いている小屋の屋根に、ロインが座りリュートを奏でている。


 たが、その旋律はロウェルには届かない。

 この戦場の誰にも届いてはいない。


 ロインはワンフレーズ弾き終わると、優しく歌い始めた。


『愛する者、愛されるもの

 愛されるが故、愛するもの。


 たとえ、かつて言葉が足りぬとも

 たとえ、言葉を発するとも。


 いつか途絶えるその命

 途絶えてつづく、まな心。


 真の心は愛ゆえに……』


 

 歌い終わったロインは、哀愁漂うメロディーをリュートで奏でた後、和音を数回弾ませ曲を閉じた。


 すると、ロインはフードの中から束になった譜面を取り出し、『Ⅰ』と書かれた曲の二十九小節目を指差した。


 そこは淡く光を帯び、五線譜が揺らめいていた……。




 遠くから声が聞こえる。



「兄貴ーー!無事かーー!どこにいるんだ!?」


 フィリップだ。

 その太陽のような声が届いた瞬間、ロインの姿はかき消えるように消失していた。



 ……果たして、彼は最初からそこに居たのだろうか。あるいは、ロウェルの壊れかけた心が創り出した、一時の幻影だったのか。


 ロウェルは、震える手で目元を拭い、抱えていた父の首を、その遺体のそばへと静かに横たえた。


 そして、返り血に濡れた剣を再び握り直す。


 扉が開く。


 眩しい光と共に、焦りと安堵を滲ませたフィリップが飛び込んできた。


「兄貴! いたのか、よかった……って、おい、その死体は……」


 ロウェルは振り返る。


 そのコバルトの瞳からは、既に感情の色は消えていた。


 濡れた頬も乾かぬうちに、彼は完璧な「兵士」の仮面を被り、低く、冷徹な声で告げた。


「終わったぞ、フィル」


 血の匂いと、消えない旋律の余韻を背負い、ロウェルは再び地獄へと歩みを進めた。




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