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第七小節 〜暖かい雨〜




「気付かれた! くっ!」


 シュバッ! と空気が焼ける音と共に、一行のすぐ脇の地面が爆ぜた。


 ガルブスは手綱を巧みに操り、サルースにも劣らぬ愛馬の胴体を左右に振らせて、降り注ぐ光の刃を紙一重で躱し続ける。


「ガルブスさん……、あれ……!」


 ルヴェンが背後から肩を叩き、震える指で天空を指差した。


 光の刃が放たれた雲の裂け目から、コウモリの翼を持った異形の影が、黒い雫のように次々と零れ落ちてくる。


「実行部隊か!? 嗅ぎつけるのが早すぎる……! くそ! あと少しだというのに!」


 百戦錬磨のガルブスでさえ、その額には脂汗が滲み、焦燥を隠せずに唇を噛み締めた。


 魔物たちの影は急速に大きくなり、耳障りな羽ばたき音が風切り音に混じり始める。このままでは捕捉されるのは時間の問題だ。


 ガルブスの脳裏に、一つの冷酷かつ唯一の解が浮かび上がる。


 彼は覚悟を決め、ルヴェンに声を張り上げた。


「ルヴェン、このまま平地を走ってはただの的だ! この先の丘陵地帯、そこに闇塚の地下水脈へ通じる古い洞穴があるはずだ。お前たちはそこから行け!」

「はい! 分かりました! ……でも、ガルブスさんは……?」


 ルヴェンは即答したが、すぐに言葉を詰まらせた。

 一緒に行かないのか? という問いが、喉まで出掛けて止まる。


 師匠騎士の背中が、悲しいほどに大きく、そして静かに見えたからだ。


 ガルブスは一瞬だけ瞳を閉じ、肺の中の恐怖と未練を吐き出すように深く息を吐いた。


 そして、顔を半分だけ後ろに向け、諭すように穏やかな口調で告げる。


「私の役目は、お前たちを無事に闇塚へ送り届けること。ここで共に討ち死にしては元も子もない。それに……私が派手に動けば、少しは奴らの足止めになるだろう……?」


 その横顔には、戦場に似つかわしくない慈愛と、鋼のような決意が満ちていた。


 それは、未来を託す者が浮かべる、最後の表情だった。


 ルヴェンは唇を強く結び、涙を堪えて頷く。


「……分かりました……。その洞穴なら、子供の頃、オルスとよく探検しに行ってました。道は、分かります」


 かつて親友と駆け回った遊び場が、今、生き延びるための唯一のみちとなる。


 迫りくる岩肌の裂け目を見据え、ルヴェンは覚悟を決めた。


 眼下で繰り広げられる決死の逃避行。それを見下ろす高い丘の上に、またしてもロインの姿があった。


 彼は燃え上がる戦火を背景に、悲劇を彩るように激しい旋律を掻き鳴らす。


「闇は近づく、悪しき者も近づく

 全てを葬り去る為に、その鎌を研ぐ

 生きる術を求めた人間達の、

 儚き争いは続く……、

 どこまでも、どこまでも、血のわだちを描いて。

 そして……、深い闇よりづる者、

 その力は、希望の光か、絶望の闇か……」

 ロインの指先が弦を弾くたび、見えない波紋が広がる。


 それは未来を予言する歌か、それとも変えられぬ運命への鎮魂歌か。


 誰の耳にも届かぬ魂の調べは、風に乗り、戦場へと溶けていった。


「さぁ! もうすぐ洞穴の入り口だ! 準備はいいか!」


 ガルブスが手綱を引き絞り、馬の速度を調整しながら叫ぶ。


 頭上では、魔物たちの咆哮がすぐそこまで迫っていた。


「5から数えて、0で飛べ! 私は奴らの刃を惹きつけて、丁度いい着地点まで馬を寄せる! タイミングを誤るなよ、いいな!?」


「分かりました! コリア、いいかい!?」


 ルヴェンが妹の小さな手を握りしめ、確認する。


「はい……、怖いですけど、兄様がいるから、頑張ります!」


 コリアも震える体で兄の背中にしがみつき、小さな決心を固めた。


 洞穴の入り口、その暗闇が口を開けて待っている。


「さぁ……いくぞ!! 5!!……4!!……」

 ガルブスのカウントダウンが始まった。


 一秒が一時間が如く長く、重い。


 ルヴェンは全神経を研ぎ澄ませ、流れる景色の一点、飛び込むべき闇を見据える。


 心臓の鼓動が、早鐘のように耳奥で鳴り響く。

「……3!!」


 馬の蹄の音、風の唸り、魔物の金切り声。

 それらが混然一体となり、ルヴェンの世界を埋め尽くしていく。


「ハァ……ハァ……ハァ……」

 呼吸が浅くなる。

 極限の集中力が、時間の流れを歪ませていく。

 ガルブスの声が、遠く、水底から響くように不明瞭になっていく。

 

 ーー不自然な空白の時間が襲い掛かる。


 その時だった。

 雲一つないはずの視界の中で、ルヴェンの頬に、ポツリと水滴が落ちた。


 それは冷たい雨ではない。

 生温かく、鉄の匂いがする雨。


 ルヴェンが何かを悟るよりも早く、その暖かい雨は、彼の頬を静かに伝い落ちていった。

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