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第七十一小節 〜The Fighting DREAMers in Us 〜


 太陽は天頂に鎮座し、容赦のない光を地表へと注いでいた。その陽光を浴びて、足元に広がる一面の菜の花が、むせ返るような甘い香りを放っている。


 穏やかな春風が吹くたび、黄色の海は波打ち、その微かなざわめきが耳をくすぐっていた。


 遠く、広い野原の果てに臨む海岸線。そこには陽炎の向こう側で、活気ある街の営みが蜃気楼のように揺れていた。潮の香りが風に混じり、鼻腔を微かに刺激する。


 時は春。冬の眠りから覚めた緑たちが、競い合うようにその生命力を伸ばしていた。彩り豊かな蝶がひらひらと舞い、野鳥たちは恋の歌をさえずりながら草花の間を飛び交う。


 そんな、思わず欠伸を漏らして寝転びたくなるような平穏な野原を、2頭の馬が猛然と駆け抜けていた。

 蹄が湿った土を蹴り上げる鈍い音が、静寂を切り裂いていく。彼らが向かうのは、海とは正反対の方向に広がる、深く暗い森だった。


 先頭を走るのは、漆黒のマントをはためかせた男性。


 腰まで届く鮮やかな金髪を首元で一つに束ね、風になびかせている。その横顔は彫刻のように整っているが、蒼い瞳には深海のように重く、深い憂いが淀んでいた。

 胸元の石器と動物の牙で出来た、原始的なネックレスが乾いた音を立てている。


 彼の名はロウェル。


 ロウェルは手綱を捌きながら、腰の鞘から細身の長剣を音もなく引き抜いた。背後を走る仲間の気配を、鋭敏な感覚で常に探っている。


「遅れるなよ、フィル! Go!!! Go!!!」


 低く、通る声。ロウェルは馬の腹を蹴り、さらに速度を上げた。


 その後を追走するのは、鮮やかな蒼いマフラーを首に巻き、紅いマントを誇らしげに翻す青年、フィリップ――通称フィルだ。


 彼はまだ幼さの残る顔立ちをしていたが、ツンツンと跳ねた短い金髪と、力強い光を宿した緑色の瞳には、若者特有の無鉄砲な活力が漲っている。


「分かってるって! 先に行き過ぎんなよ!」


 フィリップは背中に背負った金色の巨大な弓を、流れるような動作で構えた。

 疾走する馬の上という不安定な足場など、彼にとっては平地と変わらない。彼の視線は、ロウェルの先、森の入り口付近に潜む「獲物」を正確に射抜いていた。


「ハァッ!!」


 裂帛れっぱくの気合いと共に、フィリップが弦を指先で弾く。


 その瞬間、彼の肉体から溢れ出した闘気が、目に見えるほどの輝きとなって弓を包み込んだ。番えられた矢には、黄金の魔力が激しく渦巻き、バチバチと空気を震わせる放電現象さえ引き起こしている。


 一方、ロウェルは疾走する馬の上で、サーカスのアクロバットのようにふわりと鞍の上に立ち上がった。

 不安定な姿勢のまま、彼は剣にどす黒い闘気を練り上げる。それは霧のように、あるいは怨念のように剣身を覆い、周囲の光を吸い込んでいった。


「いくぜぇえ!!」


 フィリップの咆哮。狙い違わず放たれた矢が、空気を切り裂いた。


 ゴウッ、という大気を圧迫するような重低音が響き渡る。黄金の闘気を纏った矢は、もはや飛び道具の域を超え、巨大な光の槍となってロウェルの背中へと迫る。


 だが、ロウェルは微塵も動じない。


 衝突の直前、彼は馬上から文字通り「消えた」。

放たれた光の槍は、無人となった馬の頭を僅かにかすめ、一直線に森の境界へと突き進む。


 ――キィィィィィィィン!!と突如、何もない空間から激しい金属音が響き、矢の勢いがぴたりと止まった。


 森の入り口。そこに、半透明の障壁が姿を現す。ドリルのように高速回転しながら壁を穿とうとする矢の奥に、ソレはいた。


 人間の2倍はあろうかという巨躯。緑色の醜悪な体毛に覆われ、筋骨隆々としたその姿は、さながら地獄から這い出たゴリラのようだ。

 下あごからは鋭い2本の牙が突き出し、不浄な涎を垂らしている。


 特筆すべきはその尻尾だ。先端がトゲ付きの鉄球と化したハンマー状になっており、威嚇するように何度も大地を叩きつけていた。ドォン、ドォンと足元を揺らす振動が、生物的な恐怖を呼び起こす。


「……いたか。魔石の化身め」


 ロウェルが空中で剣を振り下ろす。

魔物の胸元には、不気味な紫色の光を放つ魔石が埋め込まれていた。そこから供給される異様な魔力が、周囲の空間を歪めている。


ゴオオォ……。


 魔物が重苦しい呻き声を上げると、結界の強度が一段と増した。フィリップの放った矢が、その圧力に負けて力を失い、ポロリと地面に落ちる。


 しかし、馬を止めた彼は、その光景を見て不敵にニヤリと笑った。


追射ついしゃ!!」


 フィリップの叫びに呼応するように、彼の持つ黄金の弓がゴウゴウと鳴動を始めた。彼の周囲に、蛍のような金色の光の粒が数十個浮かび上がる。

 それらは一瞬で鋭い細身の矢へと形を変え、一斉に、そして無慈悲に魔物の結界へと殺到した。




 まるで横殴りの激しい雨がガラス窓を叩くような音が連鎖する。無数の光の矢が結界の表面にひびを入れ、その防御を削り取っていく。


「もう一丁、トドメだぁ!」


 フィリップが再び巨大な矢を番え、弦を限界まで引き絞る。

 ドォォォォン!と、爆発的な衝撃音が森の木々を激しく揺らし、ついに結界の壁が粉々に砕け散った。


 その瞬間だった。



 上空から影が舞い降りた。黒い闘気を纏ったロウェルだ。


「――断て」


 冷徹な一言と共に、漆黒の斬撃が魔物を一刀両断にする。

 ズゥゥゥン、という巨大な岩石が落下したような地響き。

 魔物は断末魔の叫びを上げる暇さえなく、胸の魔石が放つ激光に飲み込まれ、粒子となって弾け飛んだ。


 静寂が戻る。


 その振動で森の住人である鳥達が驚きの声を上げて飛び去っていった。



 立ち込める土煙の向こう側で、ロウェルが静かに膝をついていた。彼の足元には、衝撃の凄まじさを物語る小さなクレーター状の窪みができている。


「一仕事終わりだな、ロウェル!」


 フィリップの、鼻にかかった少し幼い声が野原に響く。

 ロウェルは無言のまま、ゆっくりと立ち上がった。剣を鞘に納める動作に、一切の無駄はない。彼の左手には、なぜか大剣士が使うような重厚な紅いグローブがはめられていた。それは彼にしか見えないはずの、因縁の証。


「おい、フィル……」


 ロウェルが、足元に付いた砂埃を払いながら、低く澄んだ声で呟いた。


「なんで一撃で結界を破れないんだ? このヘボ弓士」


「ちょっ! 一発とか無理だって! お前みたいに人間離れした真似、誰ができるかっての!」


 フィリップは顔を真っ赤にして抗議する。肩に弓を担ぎ直し、馬を歩ませながら続けた。


「空中に飛び上がって闘気で加速して斬る? んなもん、物語の勇者様でもやらねーよ!」


 ロウェルは、自分より少し背の低いフィルの頭を、大きな手でグシャグシャとかき回した。その瞳の奥には、ほんの僅かだけ、兄のような慈しみが宿る。


「……分かったならよろしい。さあ、レンが待ってる。帰ろうぜ」


 ロウェルが短く口笛を吹くと、主を待っていた馬が賢く駆け寄ってきた。


「こらこら、仕切るなよ居候! 一体誰の家で寝泊まりしてると思ってんだよ?」


 フィリップが苦笑いしながら嫌味を飛ばすと、ロウェルは端麗な顔を悪魔のように歪ませて微笑んだ。


「お前こそ、誰のおかげでレンの薬代が賄えてると思ってるんだ?」


「うっ……それは、まあ、そうだけどさ……」


 二人の影が、西に傾き始めた太陽に長く引き伸ばされる。


 ……フェルダイ帝国が滅びてから、10年の歳月が流れていた。


 かつての栄華は灰となり、騎士団は解体された。


 国を失った「竜討騎士」たちは、かつての敵国であったキラフ共和国の傘下に入らざるを得なかった。


 しかし、国が変わろうとも、魔物や盗賊、魔石を悪用する輩は減るどころか増える一方だ。


 そこでキラフが導入したのが「ハンター制度」だった。


 ここは旧フェルダイとキラフの国境に位置する港町、アダー。


 ロウェルとフィリップは、この街を拠点に、賞金稼ぎとして血生臭い依頼をこなす日々を送っていた。


 ロウェル。かつて「ルヴェン」と名乗っていた男。その過去を知る者は、今やこの広い世界に一人もいない。


 対を成す弟分はフィリップ=ファウリー。亡き祖父の弓とマントを誇りとする、お調子者の青年だ。


 二人は並んで馬を歩ませる。その視線の先には、潮風に洗われたアダーの街並みが見えていた。


「おい、フィル。何やってんだ?」


 ふと、隣で何かを太陽にかざしているフィルに、ロウェルが声をかける。


「へへ……見てくれよ。この魔石の欠片。こんな小さなもんが大金になるなんてな。盗賊を追いかけ回すより、ずっと効率がいいぜ」


 フィリップの手の中で、紫色の破片が妖しく煌めいた。


ロウェルの瞳が、一瞬だけ鋭く細められる。


「……そいつを家に持ち帰るなよ。何が宿るか分からん。さっさと破壊するか、換金してしまえ」


「分かってるって! でもさ、これはじいちゃんの墓に供えるんだよ。『俺、こんなに頑張ってるぞ』って報告しなきゃだろ?」


 フィリップはむくれっ面でそう言い返した。


 草原を吹き抜ける春の風が、2人の笑い声を遠くへと運んでいく。



 だが、ロウェルの胸の内に去来する不穏な予感は、その風でも拭い去ることはできなかった。



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