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第六十七小節 ~Friends~


 荒野の町テドに辿り着き、サダフという男気溢れる役人の仲介によって、二人はようやく自分たちの「城」を手に入れた。

 その日の午後、ルヴェンとエルミナは新居での生活を整えるべく、街の中心部へと買い出しに出かけることにした。


 町のメインストリートである商店通りは、テドという町の厳しい環境を象徴するように、どこか煤け、砂に塗れていた。


 だが、そこに集まる人々の熱気は本物だ。


 頑丈さだけが取り柄のような無骨な木製家具、砂除けのための厚手の外套、過酷な労働に耐えうるデニム生地の作業着、そして大ぶりな鉄製の調理器具。

 陳列されている品々はどれも実用的で、かつての王都で見かけたような繊細な装飾品は見当たらない。しかし、今の二人にとっては、その質実剛健さがむしろ心地よかった。


「ねえルヴェン! まずはあのボロ……じゃなくて、私たちの家を明るい雰囲気にしなきゃね!」


 エルミナは大きな荷物袋を抱えながら、弾んだ声で言った。商店通りまでは徒歩で15分ほどの距離だが、二人はこれからの新生活に向けた打ち合わせに余念がない。


「そうだね。外は砂だらけだけど、せめて家の中だけは安らげる場所にしたいな。小さくてもいいから、窓辺に花を飾ったりしてさ」


 微笑むルヴェンの顔には、これまでの逃亡生活では決して見られなかったような、純粋な幸福感が満ち溢れている。彼はエルミナの柔らかな手をしっかりと握り、時折、その温もりを確かめるように強く握り返しながら、足取りも軽く歩を進めていた。


 やがて、商店通りの外れに差し掛かった時、二人の視界に一軒の古びた建築物が飛び込んできた。


 それは、かつてはこの町の精神的な支柱であっただろう教会だった。しかし、今のその姿はあまりにも無惨だ。入り口には「立ち入り禁止」の札が無造作に何枚も貼り付けられ、窓ガラスはことごとく割れ、石造りの壁には下品な落書きや深いひび割れが刻まれている。

 

 神聖なる祈りの場であったはずの場所は、今では野良犬や、あるいはそれ以上に質の悪い者たちの溜まり場ではないかと思わせるほど、不気味に衰退していた。


「……おかしいな。ここはアルカスル教の総本山があるキラフ共和国内なのに、なんでこんなに教会が荒れ果てているんだろう」


 ルヴェンは足を止め、教会の無残な有様を怪訝そうに見つめた。総本山に近いこの場所で、教会の衰退は本来あり得ないはずだ。だが、そこで彼の中に一つの、突拍子もない、けれど温かい名案が浮かんだ。


 彼は繋いでいたエルミナの手をぐいと自分の方へ引き寄せると、屈託のない、太陽のような笑顔を向ける。


「エル、名案だよ。この教会で、僕たちの結婚式を挙げよう。牧師様も神父様もいないし、建物はボロボロだけど……二人だけの静かな式には、むしろぴったりだと思わない?」


 その提案に、エルミナの瞳がパッと輝いた。


「……うん、素敵だね。ルヴェン。派手なお葬式みたいな式より、二人きりの方がワタシたちらしいよ。ここで、誓いを立てよう」


 彼女の満面の笑みに応えるように、数羽の小鳥が教会の屋根から飛び立ち、二人の頭上を祝福のダンスを踊るように舞った。


「さあ、いつまでも浸ってちゃダメよ。そろそろ買い物を進めよう? ここで立ち止まってるだけじゃ、家の中に家具は増えないもん」


 エルミナに促され、ルヴェンは我に返った。二人は再び賑やかな商店通りへと足を踏み入れる。


 通りは、昼時を過ぎてさらに活気を増していた。


 夕方からの交代勤務に備える炭鉱夫たちが、酒場へ繰り出す前に日用品を買い求め、あちこちで威勢のいい呼び込みや安売りの掛け声が響き渡っている。


 二人はまず、生活の基本となる寝具と数着の着替え、それに当面の食事に使う食器や掃除用具を買い揃えることにした。


 だが、通路はさほど広くない。押し寄せる買い物客の波を縫うように歩かなければ、一歩も前に進めないほどの混雑ぶりだ。


「エル! はぐれちゃダメだよ!」


 ルヴェンは雑踏の喧騒に負けないよう、大きな声で呼びかけた。


「わかってるけど! こう人が多いんじゃ……ルヴェン、しっかり手を繋いでてよ!」


 ルヴェンの後ろを必死についてくるエルミナ。ルヴェンは彼女を気にするあまり、何度も後ろを振り返りながら歩いていた。


 ――その時だ。


 不意に、ルヴェンの体は硬い壁のようなものに激突した。


「おっと……っ!」

「いてぇな!! 前見て歩けよ!!」


 頭上から、低く、力強い若い男の声が降ってきた。どうやら、かなりの長身の人物にぶつかってしまったらしい。


「うわ! ごめんなさい、不注意でした!」


 ルヴェンは慌てて謝罪の言葉を口にしながら、相手の顔を見上げた。



 その瞬間。



 ルヴェンの心臓が、ドクンと大きく波打った。


 喧騒が遠のき、まるで世界から音が消え、時間そのものが凍りついたかのような感覚。


「え……? どうしたの、ルヴェン?」


 背後からエルミナが不思議そうに彼の肩に手を置いたが、今のルヴェンの耳には、彼女の声すら届いていなかった。


 目の前に立つ男は、燃え上がる炎のように逆立つ、鮮やかな真紅の短髪をしていた。

 その下にある黒い瞳は、意志の強さを象徴するように力強く、彫りの深いクッキリとした顔立ちは、かつての記憶にある面影を色濃く残している。


 身長は180cmに達しているだろうか。薄手のシャツから覗く四肢は、この町の炭鉱夫たちにも引けを取らないほど筋肉隆々としていたが、その表情にはまだ18歳前後の若々しい幼さが残っている。


 ルヴェンはその人物を、誰よりもよく知っていた。


 そして、相手の男もまた、同じ衝撃を受けていたのだろう。驚きのあまり口をパクつかせ、言葉にならない声を漏らしている。


「ねえ、ちょっと、二人とも大丈夫!?」


 固まったままの二人を案じ、エルミナが強引にルヴェンの体を揺さぶった。その刺激で、ようやく時が動き出した。



「……オルス!?」

「ル……ルヴェン!?」



 二人の声が同時に重なった。

 そう、目の前に立っていたのは、ビルデン王国での幼馴染であり、ルヴェンにとって唯一無二の親友、オルス=ド=ヴァイア=ゼディアーク、その人だった。


 オルスは信じられないものを見るように目をパチクリさせながら、食ってかかるような勢いで問いかけた。


「おま……お前、ルヴェン! なんでこんな所にいやがるんだ!? あの後、フェルダイに飛ばされたんじゃなかったのかよ!?」


 オルスは、油と砂で汚れた作業ズボンで無造作に手を拭くと、夢ではないことを確かめるように、ルヴェンの頬に手を伸ばした。


 その差し出された右手には、見覚えのある赤い指抜きのグローブ。そして首元から下がる無骨なネックレス。すべてが、あの頃の象徴だ。


「オルスこそ……なんでキラフにいるんだよ!? びっくりしたよ、本当に……!」


 ルヴェンもまた、感極まった様子でオルスの右手をがっしりと握り返した。


 次の瞬間、二人の瞳には熱いものが滲み、言葉よりも先に互いの体を強く抱き合った。


「良かった……。生きてたんだな、お前。すっげー心配したんだぜ、マジでよ……」


 オルスの掠れた声が、ルヴェンの肩越しに響く。


「僕だって、オルスがあれからどうなったか、ずっと気になってたんだ。まさか、こんな荒野の果てでまた会えるなんて、夢にも思わなかった……っ!」


 二人の震える声が、奇跡のような再会を彩る。


 だが、そんな感動のシーンの傍らで、一人だけ完全に置いてきぼりにされた人物がいた。


 エルミナはぽかんと口を開けて、男同士が人目も憚らず抱き合っている不思議な光景を眺めていたが、やがて不機嫌そうに唇を尖らせると、ルヴェンの服の裾をぐいぐいと引っ張った。


「……ねえ。ワタシはここで空気になってればいいのかな? お熱いね、二人とも」


 その声は、苦笑いと、ほんの少しの独占欲が入り混じったような、微妙な響きを含んでいた。

 彼女の声で正気に戻ったルヴェンは、慌ててオルスから体を離した。


「ご、ごめんね、エル! すぐに紹介するよ。彼は僕の親友のオルスだ。見た目はこんなにデカいけど、実は僕と同い年なんだよ」


 ルヴェンは、見るからに年上に見えるオルスの厚い胸板をポンと叩き、誇らしげに紹介した。


 すると、初めてエルミナの存在を直視したオルスは、それまでの豪快な態度を一変させ、なぜか顔を真っ赤にしながら照れ笑いを浮かべた。


「え……あ、いや、よろしく! ……って、おいルヴェン、誰だよ。このとんでもなく可愛いお嬢さんは?」


 オルスはぎこちなく挨拶を済ませると、すぐさまルヴェンの肩に腕を回し、顔を寄せて小声で問いかけてきた。彼から漂う汗の匂いと熱気が、ルヴェンには何とも言えない郷愁を感じさせた。


「うん……彼女はエルミナ。僕の……。ううん、僕たちは、結婚するんだ」


 ルヴェンは少し照れくさそうに、けれど決意を込めた瞳でエルミナを見つめた。


「……はぁぁぁあ!?」


 オルスは、今日一番の驚愕の声を上げた。


「ってことはお前、国を追放された後、こんな美人の彼女作ってラブラブやってたってのか!? なんだよ、俺の心配を返せよ!」


 ガックリと大袈裟に肩を落とすオルスに、ルヴェンは苦笑しながら続けた。


「オルス、時間があるなら近くでお茶でも飲もうよ。話したいことが山ほどあるんだ」


 ルヴェンは隣のエルミナに「少しだけ付き合って」とアイコンタクトを送りながら、彼を誘った。


「え? ああ、まぁ、仕事前だし少しならいいけどよ」


 オルスは頭を掻きながら、快く応じてくれた。エルミナも「仕方ないなぁ」といった表情で、三人は近くの酒場へと足を運ぶことになった。


 商店通りから少し入り組んだ路地に入ると、テドの町らしい、砂まみれの小さな酒場があった。造りは古いが、どこか落ち着く雰囲気だ。軋む木製のドアを押し開けると、乾燥した空気と共に酒の匂いが鼻を突く。


 まだ昼前だというのに、店内には十名ほどの作業着姿の男たちが、仕事明けか、あるいはこれから現場へ向かう前の景気付けか、賑やかにグラスを傾けていた。


 ドアに取り付けられた小さなベルが、カランと乾いた音を鳴らす。


「らっしゃい!! 兄ちゃん、夜勤明けか? ゆっくりしていきな!」


 カウンター越しに声をかけてきたのは、40代半ばの、短く刈り込んだ銀髪が渋い男性だった。この店のマスターだろう。


「わりぃ、マスター。茶を三杯頼む! これから仕事なんだ」


 オルスが慣れた口調で注文すると、三人は入り口に近い、砂の付着した丸テーブルに腰を下ろした。


「さて……どこから話せばいいかな」


 ルヴェンがテーブルの砂をハンカチで払いながら言うと、ほどなくしてマスターが湯気を放つカップを運んできた。


 褐色の液体は、この地方特有の強い香辛料が利いた香りを放っている。一口飲むと、ピリッとした刺激の後に独特のコクが広がる。あまりにパンチが利いているためか、サービスでミルクがたっぷりと添えられていた。


「通はストレートなんだがよ、お前さんたちにはまだキツいだろ。ミルクはサービスだ、たっぷり使いな」


 褐色の肌を持つマスターが、白い歯を見せて爽やかに笑う。


「……ありがとう。さて、どこから話そうかな」


 ルヴェンはお茶を一口啜り、高ぶる気持ちを落ち着かせると、これまでの過酷な経緯をかいつまんでオルスに話し始めた。


 あの悪夢のようなビルデンでの追放、フェルダイ帝国でのエルミナとの出会い、逃亡の末に辿り着いたキラフ共和国……。


 オルスは時折「マジかよ……」「嘘だろ……」と相槌を打ちながら、食い入るようにルヴェンの話に聞き入っていた。


 一通りルヴェンの話が終わると、今度はオルスが重い口を開いた。


 オルスの話によれば、あの日、ビルデン城が謎の魔石の力に襲われた後、王国は深刻な混乱に陥ったのだという。


 石に対抗する術を持たない王家に対し、不満を募らせた副騎士団長マスカル率いる「反王制派」が、隣国フェルダイの軍事力を密かに取り入れようと暗躍を始めた。

 あの日、黒竜の暴走を鎮める為に、幼気な少女一人の命との引き換えに委ねるしか出来なかった罪悪感と、国家としての怠惰、幼王の擁立と指揮系統の崩壊が、軍の一部を急進的な改革へと走らせたのだろう。


 風塚の塚守で、騎士であった父を失ったオルスにも、反王制派から誘いの声がかかったという。


「……けどよ、俺にはそんな政治のことはよくわかんねぇし、何より親父がいなくなったショックで、何もかもがどうでもよくなっちまったんだ。だから、全部投げ出して、このキラフへ逃げてきたってわけさ」


 オルスは寂しげに笑いながら、各地を転々とした後、この力仕事がメインのテドに流れ着いたのだと語った。


「肉体労働はこの俺の性に合ってる。毎日岩を叩き壊してりゃ、余計なことを考えなくて済むからな」


 双方の話が終わった後、オルスは自分の頬に向けられた強い視線に気づいた。


 見れば、エルミナが少しふくれっ面をして彼を凝視している。


「おっと……悪い悪い。つい昔話に花が咲いちまって。愛しい彼氏を独り占めしちまったな?」


 オルスが白い歯を見せて頭を掻くと、エルミナはカップを啜りながら不敵に笑った。


「別に、気にしなくていいけど……。でもさ、ルヴェンの友達にしては、随分とタイプが違うよねぇ、君」


 彼女は、上品で端正な顔立ちのルヴェンと、汗と土と筋肉が似合う無骨なオルスを見比べた。


「確かに、不釣り合いかもな!」


 オルスが豪快に笑い、それに釣られてルヴェンも、そしてエルミナも声を上げて笑った。三人の高らかな笑い声が、酒場の空気を一時的に和らげた。


 店内にいた他の男たちが仕事へと戻り、客がまばらになった頃、オルスは急に表情を真剣なものに変え、声を潜めた。


「……ところでルヴェン。お前、例の『黒竜様』は……まだ、体の中にいるのか?」


 その瞳には一点の曇りもなく、純粋な好奇心と少しの懸念が混じっていた。


「ああ……いるよ。最近は滅多なことじゃ意識を表に出さないけどね」


 ルヴェンは自分の左手のグローブと、オルスがはめているグローブを交互に見やりながら答えた。


 ルヴェンの左手には、彼にしか見えない「黒竜の封印」が刻まれている。だが、オルスにはそれは普通の素手に見えているはずだ。オルスは不思議そうにルヴェンの左手を覗き込んだ。


「滅多なことって? 例えばどんな時なんだよ?」


 興味津々のオルスは、テーブルに身を乗り出してルヴェンの左手を触ろうとする。


「そうだね……。彼の気分が良い時とか、魔石の気配を感じた時。それに……僕が、抑えきれないほど激しく怒った時、かな」


 ルヴェンは彼の目の前で左手を開閉させて見せた。


「へぇ……。じゃあさ、例えば俺がエルミナちゃんに手を出したりしたら、怒って出てきたりすんのか?」


 悪戯な笑みを浮かべるオルスに、ルヴェンは少しだけ顔を曇らせ、エルミナの手をぎゅっと握りしめた。


「……ああ、それは困るな。きっと、ものすごく怒ると思うよ。……彼も、エルのことが大好きだからね」


「おお、熱いねぇ! ご馳走様だ。まぁ、仲良くしなよ。俺も応援してやるからさ!」


 オルスは手のひらで顔を扇ぐジェスチャーをした後、腰を上げた。


「おっと、いい加減仕事に行かねぇと。親方がブチ切れちまう時間だ」


 オルスは苦笑いしながら、ポケットから古びた財布を取り出した。


「あぁ! ごめん、引き止めちゃって。支払いは僕がするよ、誘ったのは僕だし」


 ルヴェンは急いで会計を済ませようとしたが、オルスはそれを大きな手で制した。


「いいってことよ。再会記念だ、ここは兄貴分に任せとけ。お前、まだ仕事してねぇんだろ? 金は大切にしな」


 トン、と自分の逞しい胸を叩いてはにかむオルス。その姿は、確かに頼りがいのある兄貴そのものだった。


「それじゃあ、お礼をしたいから……そうだ。この近くに古い教会があっただろ? 今夜、そこに来てくれないか。良いものを見せてあげるよ」


「ん? ああ、あのボロ教会か。けどあそこ、立ち入り禁止だぜ? 自警団の夜回りも見回ってるし、見つかったら大目玉食らうぞ」


 提案が没になりそうだったが、ルヴェンは即座に打開策を提示した。


「大丈夫。合図を決めよう。僕たちは中で待ってるから、オルスが来たらドアを『5回』ノックして。それが僕たちだけの合図だ」


「……5回、だな。わかったぜ。夜、少し遅くなるかもしれねぇが、必ず行くよ。この辺の鍛冶屋で働いてるんだが、親父が口うるさくてよ……」


 オルスは少し気だるそうに舌をペロリと出すと、背を向けて酒場を去っていった。


 残された二人も、オルスの話を少しだけした後、再び買い物の続きへと戻った。



 ……だが、ここでルヴェンとエルミナは、決定的な「異変」に気づいておくべきだった。


 ルヴェンたちが再会し、嬉しさに震えながら会話を交わしていた時。


 ルヴェンは無意識のうちに、エルミナの生まれ故郷の農村で染み付いた、独特の訛りのあるフェルダイ語を口にしていた。


 それに対し、オルスが返していた言葉はどうだったか。


 酒場でひたすら語っていたオルスのフェルダイ語には、微塵の訛りもなかった。



 それは、透き通るように洗練された、あまりにも完璧な――フェルダイ帝国の帝都ライカン付近の特権階級しか使わない標準語だったのだ。



 ビルデンからキラフへ渡り、各地を転々としたという彼の経歴が本当なら、言葉にキラフ特有のアクセントが混じるか、あるいはその地方の訛りが残るはずだ。


 ましてや、帝都の「綺麗な言葉」を身につける機会など、一介の炭鉱夫にあるはずがない。


 その異変に露ほども気づかず、新生活への期待に胸を膨らませて商店通りを歩くルヴェンとエルミナ。



 そんな二人の背中を、細い路地の影からじっと睨みつける男がいた。



 ーーオルスだ。



 彼の顔から、先ほどまでの快活な笑顔は完全に消え失せていた。


 彼を取り囲むように、路地の暗闇から数人の男たちが音もなく現れる。

 

 男たちの肩には、あの不気味な真紅の花びらが、まるで命を持っているかのように纏わりついていた。


 男たちの誰かが、オルスに短く耳打ちする。

 それを聞いたオルスの口元が、冷酷な吊り上がった笑みへと歪んだ。


「……見つけたぜ、ルヴェン」


 その呟きは、砂嵐の音に紛れて誰の耳にも届くことはなかった。


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