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第六十四小節 ~いつかの少年~


 空の境界が曖昧になるほど深い藍色に包まれた、辺境の村トザファイ。ルヴェンとエルミナがこの地に辿り着いてから、瞬く間に3日の月日が流れていた。


 この村を囲むなだらかな丘陵地帯は、昼間は柔らかな陽光を反射して黄金色に輝き、夜になれば星々のささやきを閉じ込めたかのような静寂に包まれる。都会の喧騒や、フェルダイのような殺伐とした空気とは無縁の、慈愛に満ちた場所だった。


 ルヴェンとエルミナは、持ち前の裏表のない性格と、旅慣れた身のこなしもあり、気さくな村人たちとすぐに打ち解けることができた。異邦人を受け入れる土壌がこの村にはあった。

 それは、彼らが竜と共に生きるという、純粋で過酷な絆を理解しているからなのかもしれない。


 時間は、明日にこの村最大の行事である収穫祭を控えた夜のこと。


 村の広場では、数日前から積み上げられてきた巨大な松明の準備が整い、家々の軒先には色とりどりの装飾が揺れている。村人たちは明日の本番に向け、心地よい疲労感と、胸に秘めた期待と興奮を静かに抑えながら、家々の灯火を消して眠りについていた。



 見上げれば、満天の星々が降るように輝き、その中心で優雅な曲線を描く上弦の三日月が、地上を仄白く照らしている。時折、夜の帳を揺らして吹き抜ける微風は、昼間の温もりを微かに残しており、草むらで競い合うように鳴く虫たちの音色を、遠くの家々まで優しく運んでいた。


 ルヴェンたちは、村長を務めるマルセイドの家に身を寄せていた。

 村長という肩書きから想像する豪勢な屋敷とは程遠い、まるで嵐が来れば吹き飛んでしまいそうな、木材を継ぎはぎしただけの掘っ立て小屋だ。威厳のかけらも感じられないその住まいで、彼らは窮屈ながらもどこか安心感のある雑魚寝を強いられていた。



 規則正しい寝息が漏れる、静まり返った小屋。その屋根の上に、音もなく1つの影が舞い降りる。吟遊詩人のロインだった。


 彼は夜風にローブをなびかせながら、懐から愛用のハープを静かに取り出した。指先が弦に触れる。


 ポーン、と1つ。続いて、もう1つ。


 2、3本の弦が弾かれるたびに、澄んだ音が夜の空気に波紋を広げていく。その音は瞬く間に重なり、複雑な音階を紡ぎ出し、やがて切なくも美しいメロディーへと昇華していった。


 虫たちの伴奏を従えたその調べは、聴く者の魂を揺さぶるような、不思議な魔力を秘めている。ロインは細い喉を震わせ、夜空に向かって低く、透き通った声で唄い始めた。


「主と僕、人間と竜

 その契りは永遠か、それとも儚き物か

 探す者、待つ者

 かの日の契りを胸に抱き、

 少年の思い出は光と変わる」


 ロインの唄声は、風に乗って村の隅々まで染み渡っていく。そのメロディーは、誰かへの鎮魂歌のようでもあり、遠い日の約束を反芻する独白のようでもあった。どこか寂しげで、胸の奥を鋭く突くような響き。


 演奏を終えたロインは、指先を止めてじっと星空を見上げた。その瞳には、かつて見た光景なのか、それともこれから出会う運命なのか、言葉にできない物思いが宿っている。


 やがて、彼は胸元から年季の入った厚い楽譜の束を取り出した。何百回と捲られた形跡のあるその紙束から、特定のページを迷うことなく開く。それは、五線譜だけが並んだ未完成の楽譜だった。


 彼は細い指先で、淡い光を帯びる三十七、三十八小節目の空白をそっとなぞる。


 その時、村のあちこちで飼われている犬たちが、屋根の上の異変に気づいたのか、短く数回吠えた。


 鋭い鳴き声が静寂を切り裂いた瞬間、そこにはもうロインの姿はなかった。ただ、冷え始めた夜風が、彼の奏でた音の残滓をさらっていくだけだった。



 翌朝。



 ルヴェンが重い瞼を開くと、小屋の中はすでに喧騒の真っ只中にあった。


 鼻をくすぐるのは、石窯で焼かれたばかりの香ばしいパンの匂い。そして、耳を突き刺すのは、朝から全開のマルセイドのけたたましい声だ。


「エルちゃん!? このお皿はテーブルの上に置いたら……ああ、いけねえ!!」


 ガシャーン、という派手な音と共に、ルヴェンの視界に飛び込んできたのは、朝食用の瑞々しい野菜が入ったボウルを抱えたまま、見事なまでにひっくり返るマルセイドの姿だった。


「ちょっと! マルさんは手伝わなくていいから、はやくルヴェンを起こしてきてって言ったでしょ!」


 苛立ちと呆れが混ざり合ったエルミナの鋭い声が、狭い小屋の中に反響する。


 本来なら平和であるはずの朝の一時が、なぜか戦場のような殺伐とした空気に包まれている。ルヴェンは大きくため息をつき、頭を掻きながら起き上がった。


「あ……、おはよう」


 正直、この騒ぎの中に自分から首を突っ込むのは気が引けたが、ルヴェンは恐る恐るキッチンへと顔を出した。


「ルヴェン、起きるのおそーい!」


 案の定、エルミナの矛先がこちらを向く。

 それと同時に、彼女の右手に握られていた木べらが、まるで投擲武器のような勢いで放たれた。空を切り、一直線にルヴェンの顔面へと迫る。


 ルヴェンは反射的に右手を伸ばし、寸でのところでその木べらを掴み取った。やれやれと言いたげに、フッと鼻で笑ってみせる。しかし、勝利の余韻に浸る間もなかった。


 木べらの先端に付着していた、とろみの強い液体が、物理法則に従って第二撃を繰り出したのだ。


「っつ……!」


 目潰しを食らったような格好になり、ルヴェンはその場に蹲った。どうやら煮込み途中の非常に濃度の高いポタージュスープだったようで、熱さとスパイスの刺激に、彼は顔を押さえて身悶える。


「どーだ!参ったか!」


 エルミナは仁王立ちで悪戯な笑顔をしている。


「あはは! 君たちは本当に仲が良いなぁ。詳しくは聞かなかったが、もしかして夫婦で新婚旅行か何かか?」


 床に散らばったサラダを慌てて拾い集めながら、マルセイドが豪快に笑い飛ばした。その無邪気な、しかしあまりにも的外れな言葉に、先ほどまで火花を散らしていた二人は、同時に顔を林檎のように真っ赤に染めた。


 賑やかで、どこか落ち着かない朝食を終えた3人は、今日1日の祭りの流れを相談し、いよいよ村の中心部へと足を運ぶ。


 トザファイの伝統的な祭り用の衣服に着替え、家を出ようとした時のことだ。ルヴェンは、マルセイドが家の周囲を囲む古びた木製の柵に、何かを丁寧に括り付けているのを目にした。


「あれ? マルさん、それなんですか?」


 ルヴェンが首を傾げて尋ねると、マルセイドは満足げに手を叩き、笑顔で答えた。


「これか? これは俺のペアの竜が大好きなウサギの肉だよ。あのおバカが、空からでもすぐに気づくように、毎日ここに吊るしてんだ」


「バカって……それはちょっと酷いんじゃないですか?」


 ルヴェンが苦笑いを浮かべて返すと、隣にいたエルミナがしびれを切らしたように足踏みを始めた。彼女の意識はすでに、村から聞こえてくる太鼓の音に奪われている。


「はやくー! ルヴェン、マルさん、お祭りにいこうよー!」


「わかったわかった。今行くよ、エルちゃん」


 ルヴェンより先に、マルセイドが威勢よく返事をした。彼はエルミナの傍まで小走りで寄り添い、後ろにいるルヴェンを手招きする。


 吹き抜ける暖かい風が、村に向かって優雅に飛来する翼竜たちの影を地面に落としている。その影が、まるで自分を祭りの渦へと誘っているかのように感じられ、ルヴェンはフゥと一息つくと、楽しそうに歩く2人の背中を追った。



 村の中心部に足を踏み入れると、そこは別世界だった。



 ズン、ズンと腹の底に響くようなリズムの良い太鼓の音が空気を震わせている。広場では、巨大な地竜たちがゆったりと足踏みをし、その硬い頭の上で、鮮やかな衣装を纏った女性たちが華麗に舞い踊っていた。それに合わせて、男たちが声を張り上げ、力強い手拍子を打ち鳴らす。


 広場の中央には、昨夜見たあの藁で作られた巨大な松明が、天を衝くように鎮座していた。すでに火が灯されており、轟々と燃え盛るオレンジ色の炎が、太陽の光さえも圧倒するほどの存在感を放っている。


 今日1日は、この聖なる火を絶やさないことが何よりも重要だとされている。ルヴェンは客人ではあったが、村のしきたりに従い、マルセイドと共にこの松明に藁を足し続ける「火守り」の大役を任されることになった。


 燃え上がる松明は、凄まじい業火と共に灼熱の熱気を周囲に撒き散らしていた。


 ルヴェンとマルセイドは、顔を真っ赤にし、滝のように流れる汗を拭う暇もなく、次から次へと藁を放り込んでいく。


「あー……エルはいいなぁ。向こうで踊ってて、気楽そうで……」


 遠くで村の娘たちに混ざって楽しそうに笑うエルミナの姿を眺め、ルヴェンはポツリと、誰に聞かせるともなく愚痴をこぼした。


「そうでもないぞ、ルヴェン? ほれ、これ飲んで景気付けようぜ!」


 マルセイドが、どこからか持ってきた木のカップを差し出した。中には並々と冷たい飲み物が注がれている。


 ルヴェンが鼻を近づけると、ツンとした独特の、明らかなアルコールの臭いが鼻腔を突いた。


 この世界では、飲酒も結婚も男女共に16歳からと定められている。18歳になっていたので、年齢的に何ら問題はないルヴェンだったが、旅の途中で、しかも昼間から酒を飲むことには、どことなく後ろめたい気持ちがあった。


「お酒は……その、ちょっと。今は祭事の真っ只中ですし」


 困り顔で断ろうとしたルヴェンの言葉は、酔いが回り始めたマルセイドには届かなかった。


「硬いこと言うなよ!おら!」


 マルセイドは強引にルヴェンの肩を組み、力ずくでその口に酒を流し込んだ。


「げほっ、ごほっ!」


「ったく、祭りって言ったら酒しかないじゃないか。なあ、この青ちゃんが!」


 マルセイドの呂律は、この状況になるまでに相当な量を煽っていたのか、すでに危うくなっている。


 そう言えば、村民たちから幾度となく空になったカップに酒を注がれていたのを思い出す。


 一気に強い酒を流し込まれたルヴェンの視界は、瞬く間にグルグルと回り始めた。足元がふわふわとし、思考が霧に包まれたように混濁していく。


 すると、そこへ村人たちと踊っていたエルミナが、息を切らして駆け寄ってきた。


 ……どうやら彼女も、あちこちで酒を勧められたらしい。頬は林檎のように赤らみ、激しい踊りで乱れた胸元からは、下着の端が危うく見え隠れしている。


「ルヴェーン、マルしゃん、たいへんだねぇ……。ワタシは、いま、すっごく楽しいおー……」


 ルヴェンの背中を、加減を知らない力でバンバンと叩くエルミナ。彼女はそれだけ言い終えると、満足したのか、むにゃむにゃと得体の知れない寝言を漏らしながら、その場にゴロリと横になってしまった。


「あはは、本当にかわいいなぁ、エルちゃんは」

「……うん。かわいい」


 マルセイドの言葉に、酔ったルヴェンもぼーっとした頭で頷いた。そんな彼を見て、マルセイドはニヤニヤと笑いながら、ルヴェンの髪の毛をこれでもかというほどぐしゃぐしゃに掻き回した。


 祭りが佳境を迎え、夜の闇が再び村を包み込む。

 しかし、村の活気は衰えるどころか、さらに熱を帯びていた。


 上空を旋回する翼竜たちが、その足に松明を模した灯りを吊るしており、夜空に幾筋もの光の尾を描いている。それは、地上の喧騒を静かに見守る守護者たちの儀式のようでもあり、筆舌に尽くしがたい神秘的な光景だった。


 村人たちは踊り、唄い、飲み続ける。皆が無事に来年を迎え、大いなる大地の恵みを再び授かることができるように。それが、このトザファイの祭りに込められた、切実で純粋な願いだった。


 広場の中央、燃え盛る大松明の前。


 ルヴェンとマルセイドは、一段落ついたのか、地面に腰を下ろして他愛もない話をしていた。火の粉が星空へと舞い上がるのを眺めていた時、マルセイドが不意に、これまでとは違うトーンで話を振ってきた。


「なぁ、ルヴェン。お前……フェルダイに行ったことあるか?」


 酔った勢いによる不用意な発言だったのだろうか。しかし、ビルデン国内において、忌まわしき「機械の国」フェルダイの名が出されるとは、ルヴェンは思いもしなかった。


「え……、どうして、そんなことを?」


 ルヴェンの背筋に冷たいものが走る。嫌な予感が、額に滲む汗を冷やしていく。


「あの国は、すごいぞ……。何でも機械だ。人の足を使わずに移動し、土を耕すのも機械。それに……」


 最初は張り上げていたマルセイドの声が、徐々に小さくなり、やがて祭りの囃子の音にかき消されるようにして消えた。


「え? 聞こえませんでしたよ!」


 ルヴェンが聞き返すと、マルセイドは俯いたまま、絞り出すような声で続けた。


「……あいつらは、人殺しさえも機械を使いやがるんだ! 畜生……。俺の親父とお袋を、あの冷たい鉄の付いた武器で、ミンチにしやがった……!」


 相当な酔いが回っているはずの彼は、自嘲気味に笑いながら答えた。しかし、その内容に笑える要素など微塵もない。


 気まずい沈黙が二人を包む。ルヴェンはかける言葉が見つからず、ただ無言で新しい藁を火の中に投じた。


「俺な……実は、フェルダイ人なんだ。そこでテイマーとしての力に目覚めちまったもんだから、竜討騎士の標的になっちまって、命からがらここまで逃げてきたんだよ」


 マルセイドの顔から、先ほどまでの酔った笑みが消え、真剣な、そしてどこか怯えたような真顔に戻っていた。


「え……?」


 ルヴェンは、目の前の状況が上手く呑み込めなかった。


 なぜ、この男は、出会って数日の、ただの旅人に過ぎない自分に、これほど重い過去を告白するのか。その理由がわからず、戸惑いが広がる。


 しかし、マルセイドの、悲しみと孤独を湛えた瞳に見つめられているうちに、ルヴェンの心の中で、隠し通していた自らの真実が溢れ出しそうになった。


「そうですか……。実を言うと、僕も……これなんですよ」


 ルヴェンは意を決して、シャツの襟元を少しだけ広げた。そこにある、忌まわしき「異端者」の刻印をチラリと見せる。

 それを見た瞬間、マルセイドの目が見開かれた。


「おまっ……! ってことは、行ったのか!? あの地獄のような国に! 襲われなかったか? バスター共に!」


 彼はルヴェンの肩を、骨がきしむほどの強い力で掴んだ。


「よく、無事だったなぁ……! すごいぞ、ルヴェン! でも、まだこの国にいるのはマズくないか? お前、一度『捨てられた』んだろ!?」


 自分のことよりも、真っ先にルヴェンの身を案じるマルセイド。その言葉には、偽りのない優しさが溢れていた。


「一遍に言わないでくださいよ、マルさん。一応、これからのことは考えてありますから」


 ルヴェンが努めて明るく笑ってみせると、マルセイドはようやく肩の力を抜き、ホッとしたように息を吐いた。


 それから暫くの間、2人は自分たちが知るフェルダイについて語り合った。鉄の臭い、機械の轟音、そしてそこに君臨する、竜討騎士達の冷たい瞳……。



 目の前では、昼過ぎに酔いつぶれていたはずのエルミナが、いつの間にか復活し、また村人たちと楽しそうに舞を踊っている。その光景が、まるで遠い異世界の出来事のように感じられた。


「なぁ、ルヴェン。お前はどう思う……? フェルダイで生き別れたペアの翼竜が、ここまで飛んでくるなんてこと、有り得ると思うか?」


 ふと、マルセイドが遠い空を見つめながら問いかけた。


「……それは、どうでしょう。あそこからここまでは、少し遠すぎるんじゃないですか?」


 最初は、気休めのつもりで軽く答えたルヴェンだった。しかし、その瞬間、彼の脳裏に、かつてフェルダイの崖で出会った、あの翼竜の記憶が鮮明に蘇った。


『むかーし昔な……一匹の竜と、一人じゃ何もできない子供が、小さな竜の部落におりまして……って話だ』


 鼻に掛かった、少し幼さを残したあの声。


 死の淵にいた自分に寄り添い、少しの時間だったが共に過ごしたあの時間は、絶望に打ちひしがれていたルヴェンの心の大きな糧となっていた。


 あの日、自分を背に乗せて空を駆け、ペアになる事を望んだ翼竜、ウィドー。


 ただの思い過ごしかもしれない。だが、家の柵に毎日ウサギの肉を吊るし、奇跡を信じて待ち続けるマルセイドの姿を見て、確認せずにはいられなかった。


「マルさん。そのドラゴンって……。もしかして、家出をしたわけじゃないんですよね?」


 ルヴェンは、心臓の鼓動が速くなるのを感じながら、恐る恐る尋ねた。


「んー、本当はな。実はガキの頃にフェルダイにいた時、バスターと鉢合わせしちまってさ……」


 聞いたことのある、あまりにも既視感のある成り行き。ルヴェンはゴクリと唾を飲み込み、次の言葉に備えて身構えた。


「あのバカ、ペアの俺を逃がすために、わざとバスターの足元に突っ込んでいったんだ。奴らにしても、ガキ一匹捕まえるより、ドラゴン一匹仕留める方が手柄になるだろ? 目の色変えて追いかけていったさ……」


 マルセイドの話を聞きながら、ルヴェンは確信した。


 ウィドー本人は、かつてルヴェンに「恐ろしくて逃げ出しただけだ」と語っていた。しかし、結果として、その行動がペアである人間から竜討騎士たちを遠ざけ、彼の命を救っていたのだ。

 互いの認識は違えど、そこにあったのは紛れもない献身だった。


 マルセイドはフゥと重い息を吐き出し、少しだけ憂いを帯びた瞳で、再び松明に藁を足した。


「それから、俺はずっと待ってるんだ。あのおバカが、いつかひょっこり帰ってくるのをな」


 悲しいはずのその表情に、彼は無理にでも作ったような、しかし温かい笑顔を絶やさなかった。


 胸が締め付けられるような感覚に襲われながら、ルヴェンは決意を固めた。


 ウィドーの最期を伝えるべきか、それとも、このまま美しい希望を持たせ続けるべきか。しかし、この優しい男に、終わりのない待ちぼうけをさせ続けるのは、あまりにも残酷なことだと思った。


「……そのドラゴンの名前、ウィドーって言いませんか?」


 ルヴェンがその名を口にした瞬間、マルセイドの動きが止まった。


「……! どうして、その名を!? お前、もしかして会ったのか? アイツに!」


 マルセイドは目を見開き、ルヴェンの両肩を掴んで食い入るように見つめた。その手は微かに震えており、今にも泣き出しそうな、必死な色を宿している。


「ええ、会いました。とても勇敢で、そして優しい竜でしたよ。僕の命を、2回も守ってくれたんです」


「……ははっ、そうか。一端に、カッコいいことやってたんだな。あいつ、元気だったか?」


 ルヴェンが語るウィドーの様子を、マルセイドは少年のように目を輝かせ、一言も漏らさぬように聞き入る。


「彼は……。僕をバスターの手から逃がすために……犠牲になりました」


 ルヴェンのその重い一言に、マルセイドの表情は、まるで時間が止まったかのように凍りついた。


「どうして……?」


 なぜ、ウィドーが自分ではなく、ルヴェンのために命を落とさなければならなかったのか。その理由は、彼にも痛いほどわかっていた。


 それが、相棒にとっての誇りだったのだと。


「そっか……。勇敢に暮らしたんだな、アイツは……」


 マルセイドの頬を、一筋の涙が伝い、炎の光を反射してキラリと輝いた。彼はぐっと涙を堪えるように胸を張り、立ち上がった。


「でも、まぁ……知らせてくれて、感謝するよ。これで、少しは夜の寝付きも良くなるだろうぜ」


 何度も何度も鼻を啜り、目をこすりながらも、彼は無理やり笑顔を取り戻し、再び大松明の炎の世話へと戻っていった。その背中は、どこか寂しげで、けれど確かな決意に満ちていた。


「僕が、非力だったせいで……ごめんなさい。僕がもっと早く、黒竜の力を使いこなせていたら……」



 ルヴェンの絞り出すような小さな呟きは、祭りの最高潮を告げる、村人たちの勇ましくも賑やかな掛け声の中に、虚しくかき消されていった。


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