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第五小節 〜風のセレナーデ(後)〜





 父レグレントの冷たくなったむくろの傍らで、オルスはただ咽び泣いていた。


 吹き荒れる風は慟哭をさらうように強く、涙は渇いた頬を濡らし続けている。


 世界から色が失われたような絶望の中、ふと、風の音が変わった。


 荒々しい風鳴りに混じり、透き通るような弦の音色が滑り込んでくる。


 オルスが涙に滲む目を上げると、そこにはいつの間にか一人の青年が佇んでいた。


 煤けた白髪をなびかせ、ハープを抱えたその姿は、この場の悲壮感とは無縁の、不思議な静謐さを纏っている。


 横書きの雨の様な光の刃から発せられる邪悪な熱源とも違う物、そこにその青年は「存在」するのだろうか?


 それさえも危ぶまれるロインがそこに立っていた。


 彼は細い指先で弦を弾くと、儚げな音を一つ、一つと重ねていき、流れる様な前奏の後に風に乗せるように優しく唄い始めた。


「どこまでいこう? 君と共に、優しい風の吹く丘で、

 どこまでもいこう、君と共に、遥かな大地求めて、君と二人……」


 その歌声は、オルスの鼓膜ではなく、直接心臓に触れるように響いた。


 そして、歌声が紡がれるのと同時に、オルスの視界から荒涼とした風景が塗り替えられていく。



「どこまで行っても、君と共に、心の中に眠る君の為に、

 何時か夢見し、勇者さえも、何時か朽ち果て君の下に」



 ロインが唄っている間、オルスは信じられない光景を目にした。



 灰色だった視界が黄金色に輝き出し、そこには見たこともないほど大人びた顔つきの親友、ルヴェンが立っていたのだ。



 だが、そのルヴェンはどこか寂しげで、その瞳には深い悔恨と、それ以上の慈愛を湛えている。

 彼は遠い未来から何かを祈るように、この歌を口ずさんでいるようだった。



 さらにその周囲には、陽炎のように懐かしい影が浮かび上がる。



 無邪気に笑う幼い自分、まだあどけないルヴェン、愛らしいコリア、そして――若かりし日の父、レグレント。


 失われたはずの幸せなときが、風塚の一角に集い、笑い合っている。


「な、なんだコレ……、何で、ルヴェン?」

 オルスは震える手を伸ばした。


 大人びたルヴェンの憂いを帯びた頬へ、そして楽しげに笑う幼い自分たちへ。


 しかし、その指先は虚しく空を切り、陽炎のような光をすり抜けてしまう。


 触れることはできない。けれど、そこにある温かさだけは痛いほどに伝わってきた。


 やがてロインが最後の一音を爪弾き、歌が終わる。


 黄金色の幻影は風に溶けるように薄れ、再び灰色の現実が顔を出し始めた。


「『風のセレナーデ』。歌は永遠に歌い継がれる。永遠の時の中で、歌は、想いを変えて受け継がれる」

 ロインはハープを下ろし、静かにオルスへと歩み寄る。


 その足音さえも、どこか現実離れしていた。

「な、何だお前!! コレは一体何だ!?」


 涙と混乱でぐしゃぐしゃになった顔でオルスが叫ぶ。

 ロインは困ったように、けれど優しく微笑んで口を開いた。


「君の友人が、遥か未来で君に捧げた歌の二曲目だよ。もっとも、未来では君は聞くことができなかった。だから、私が代わりに『時』を繋いで聞かせてあげよ」


「あ……、ああ? 未来? 友人……?」


 オルスは何が起こっているか理解できず、ただ混乱の渦中にいた。だが、目の前の男が只者ではないという本能的な警鐘が鳴り響く。


 ハッと我に返り、涙を振り払って剣の柄に手を掛けた。


「お! お前が魔石の勇者か!?」


 殺気を含んだ力強い言葉を投げつける。



 するとロインは、興味深そうに眉を上げ、やがてふっと脱力したようにオルスに背を向けた。


「あんなのと一緒にしないでくれよ。私はロイン。遥かな時を旅する、時空の語り部……彼と、魂を共にする者だよ」


 その言葉と共に、ロインの輪郭が風に紛れて薄れ始める。


 まるで最初からそこに存在しなかったかのように、彼は風景の一部へと還っていく。


「お……、おい? 待てよ? おい!!」

 オルスは慌てて追いかけ、その肩を掴もうとした。


 だが、手は空しく空を掴むだけ。彼もまた、あの幻影と同じようにすり抜けて消えてしまった。


 ふと、オルスは何かの気配――懐かしい温もりを感じ、背後を振り返ろうとするが……。

 

 木の葉が舞い上がり、視界を覆い尽くした。


 この瞬間、先ほどの対峙も、不思議な歌も、嘘のようにオルスの記憶から消え去った。


 残ったのは、なぜか胸の奥が少しだけ温かいという、理由のない感覚だけ。


 それは、時空の狭間で起きた、ほんの瞬きの間の奇跡だった。

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