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第五十小節 〜街〜



 魔石との凄惨な死闘から数日が経過した。


 ルヴェン、エルミナ、そしてレッツォの三人は、深い森の静寂を抜け、ようやく人の営みが息づく中規模の街へと辿り着いた。


 その街の名はクフェル。

 フェルダイ帝国の北端、キラフ共和国との国境にほど近い港町へと通じる街道の要衝であり、背後を険しい山嶺と深い森に守られた砦のような役割を担っている。街の周囲は堅牢な木の塀で囲われ、甲冑を纏ったフェルダイ兵たちが鋭い視線で周囲を警戒していた。


 本来であれば、身元の知れない少年少女と風変わりな牧師の旅路など、門番に厳しく止められるところだ。

 しかし、レッツォが懐から一枚の紋章を取り出した瞬間、兵士たちの態度は一変した。


 彼らは最敬礼をもって、三人を招き入れた。


 レッツォが属する「アルカスル教」――『愛の女神』を崇拝するこの宗教組織は、この世界において国家の枠組みを超えた絶大な権力を握っている。


 無償の愛を掲げる彼らは、ビルデン、フェルダイ、そして総本山のあるキラフの至る所に信者を抱えていた。

 特筆すべきは災害時の人道的支援や、経済恐慌時の迅速な援助など、国家の運営さえもアルカスル教の慈悲なしには立ち行かないのが現状だ。


 それゆえ、彼ら聖職者は、時には王族に次ぐ特権を享受することがある。


 クフェルの街並みは、その軍事的な重要性に反して、案外と長閑な空気に満ちていた。


 家屋の多くは温かみのある木造で、交易の主流となる街道はよく踏み固められた砂利道。大きな中央公園や活気に満ちた商店街、港町からの珍しい品々が並ぶ市場など、住人たちの表情は柔らかく、平和を享受している。


 ルヴェンたちは、街の片隅にあるアルカスル教の小さな教会を拠点としていた。


 そこはこの街で唯一の石造りの建築物で、規模こそ三十平方メートル前後と控えめだが、内装は目を見張るほど美しかった。

 整然と並ぶ椅子、柱の一本一本に刻まれた厳かな彫刻、そして何より、高い天井付近に設えられた巨大なステンドグラスが特徴だ。


 教会の最前列の椅子に、エルミナがちょこんと座っていた。

 窓から差し込む陽光が色とりどりの硝子を透過し、彼女の白い肌を虹色に染め上げている。


「きれい……」


 彼女の呟きは、祈りのように静かだった。その瞳は、失った家族を想ってか、あるいはあまりの美しさに当てられたのか、心なしか潤んで見えた。


 そこへ、教会の重厚な扉を勢いよく開ける音が響く。


「エル! そろそろ出かけようよ。レッツォさんが公園で待ってるってさ」


 ルヴェンの明るい声だ。彼は入り口の光の中に立ち、彼女に向けて大きく手を振っている。

 エルミナはゆっくりと立ち上がると、虹色の光を背負いながらルヴェンの方へ歩き出した。


 ルヴェンの瞳には、その光景がまるで天界から降りてきた天使のように映り、彼は思わず言葉を失って呆然と立ち尽くした。


 だが、その幻想は次の瞬間に打ち砕かれる。


「……何ボーッとしてんのよ!」


 至近距離まで歩み寄ったエルミナが、ルヴェンの脇腹に鋭い肘打ちを見舞った。


「あ、ぐ……ッ!?」


 見事なクリーンヒットに悶絶し、ルヴェンは膝をつく。


「あはは! 本当、ルヴェンってば頼りないんだから。ほら、置いてっちゃうよ!」


 ケラケラと笑い声を上げながら、エルミナは軽やかな足取りで教会を駆け出していった。


「待ってよ、エル……本気で痛いんだけど……」


 ルヴェンは脇腹をさすりながら、フラフラとした足取りで彼女の後を追った。この日は、これからの長い旅路に備え、三人で旅支度の買い物に出かける約束だった。


 二人は今、レッツォの配慮により「アルカスル教の修道士」という身分を借りて生活している。


 身に纏うのは、白を基調とした清潔な修道服だ。この衣装であれば、どのような検問も、街の人々の疑いの目も、容易にかわすことができるという。


 中央公園へと急ぐ道すがら、ルヴェンは前を行くエルミナに注意を促した。


「エル、ちゃんと街の人に挨拶しなきゃダメだよ? レッツォさんとの約束なんだからね」


「わかってるってば。うるさいなぁ、ルヴェンは。細かいこと気にしすぎ!」


 レッツォとの約束――それは「修道士として振る舞う以上、誰に対しても丁寧に挨拶をし、無償の愛を示すこと」というものだった。

 規則や道徳を重んじて育ったルヴェンに対し、自由奔放なエルミナはどこか適当だ。ルヴェンは苦笑いを浮かべながら、彼女の背中を見守るしかなかった。


 中央公園に辿り着くと、そこにはクフェルの象徴ともいえる巨大な噴水が、朗らかな日差しを浴びて水を噴き上げていた。


 子供たちの笑い声が広がり、のんびりと読書をする老人たちの姿も見える。しかし、肝心のレッツォの姿が見当たらない。


「おかしいな、ここで待ち合わせだったのに。レッツォさん、本当、時間にはルーズだよね」


 ルヴェンが困り顔で辺りを見回していると、エルミナが何かに気づいて駆け出した。


「ルヴェン、あっち! すごい人だかりだよ!」


「あ、エル! 待てってば! また勝手な行動を……」


 ルヴェンは溜息をつき、彼女の後を追った。彼にとって、目的から外れて興味のままに動くエルミナの行動は、理解しがたいものでありながら、どこか眩しくもあった。


 人だかりを掻き分け、二人が最前列へと滑り込んだとき、そこには彼らが今まで見たこともない奇妙で幻想的な光景が広がっていた。


 異国情緒あふれる、奇妙で軽快な音楽。

 それとともに数名の男女が舞を踊っている。驚くべきは、彼らの足元や肩の上で、小さな木彫りの人形やぬいぐるみが、生きているかのように、一糸乱れぬ動きで共に踊っていることだった。


「すごい……」


 エルミナが息を呑んだ。


「エル、これって『人形遣い』だよ。学校で聞いたことがある。特殊な魔力で物に命を吹き込む部族がいるんだって」


 ルヴェンの言葉に、エルミナは目を輝かせた。


「ねね、ルヴェン!この人たちのこと知ってるの? すごい可愛い! 教えて、教えてよ!」


 興奮した彼女がルヴェンの襟元を掴んで揺らす。あまりの近さに少し頬を赤らめながらも、ルヴェンは自分の知る知識を紐解いた。



 この世界の三大国家に属さず、行商と大道芸を生業として各地を旅する移動民族。

 それが「人形遣い」の部族だ。人口は極めて少なく、都会よりも辺境の村々を好むため、出会えたこと自体が幸運ともいえる存在だった。


「へー、じゃあ私たち、すっごくラッキーなんだね!」


 エルミナが満面の笑みを浮かべた、その時だった。


「うわぁ! 可愛い!!」


 彼女の右肩に、先ほどまで踊っていたはずの人形が、ちょこんとよじ登ったのだ。


 それは十五センチほどの小さな木彫り地の人形で、赤い帽子に緑の服を着た、少し安っぽい作りをしていた。しかし、その動きは実に愛らしい。


「ほら、ルヴェン! この子、私のところに……」


 人形はエルミナの肩でルヴェンに向けて丁寧にお辞儀をすると、コロコロとした鈴のような声で喋り出した。


「ボクはテース。よろしくね、お兄ちゃん!」


 周囲の見物客から大きな歓声と拍手が沸き起こる。人々は次々とテント前の古びた鞄に小銭を投げ込んでいった。


 芸の終演を告げる挨拶の後、人だかりは満足げに散り、残ったのはルヴェン、エルミナ、そして人形遣い達の五人だけとなった。

 

 人形のテースは、相変わらずエルミナの肩にしがみついて離れない。


「テース? どうしたの、もうショーは終わりでしょ?」


「やだ! ボク、このお姉ちゃん気に入ったんだもん!」


 困り顔の二人に、人形遣いの一人の男性が歩み寄ってきた。


「お嬢ちゃん、すまないね。ソイツ、極度の人懐っこさなんだよ」


 男はエルミナの肩からテースをひょいと掴み、自分の肩へ乗せた。


「やめろよ、バルバル! 僕はまだお姉ちゃんと話したいんだ!」


 テースがバタバタと暴れるのを苦笑いで抑え、男は名乗った。


「挨拶が遅れた。俺はバルバル。こう見えて、まだ二十歳なんだぜ?」


 バルバルは身長百七十センチを超える逞しい体つきをしていた。彫りの深い顔立ちに、カールした黒い短髪。長年の旅で焼けた小麦色の肌。

 どう見ても二十歳には見えない、成熟した戦士のような風貌だ。


「初めまして、バルバルさん。僕はルヴェン、こっちはエルミナです」


「ほう、可愛い彼女だなルヴェン! 今日はデートか? おい」


「……っ!? 何言ってんのよ、このおっさん! ルヴェンはただの……あれ、なんだっけ?」


 エルミナが真っ赤になって反論しようとして、言葉に詰まる。


「……『従兄妹』。でしょ、エル」


 ルヴェンが冷ややかに訂正すると、バルバルは大笑いした。


「ははは! まあそういうことにしておいてやるよ。夕方にもう一度芸を披露するから、また来てくれよな!あ、俺の事はバルバルでいいぜ!」


「ありがとう、バルバル。必ず見に来るよ」


 ルヴェンとバルバルが打ち解けたように笑い合った、その時だった。


「おーい! ルヴェン君! エルちゃーん!!」


 遠くから響くその声に、二人は顔を青ざめさせた。

 そして声を重ねて、「「忘れてたーーー!!!」」


 ……レッツォとの買い物だ。


 二人が絶望していると、背後から音もなく黒い影が忍び寄った。


「二人とも……どうして、こんな場所で、ゆっくりしているのかな……?」


 低く、地這うようなレッツォの声。


「わわ、ごめんなさいレッツォさん! エルが、その、人形遣いの芸に見惚れちゃって!」


 レッツォに羽交い締めにされ、空中で足をバタつかせるルヴェン。


「ははは! 牧師さん、許してやってくださいよ。彼らは純粋に俺たちの芸を楽しんでくれたんだ」


 バルバルが笑いながらルヴェンに加勢しようとした、その瞬間だった。

 バルバルの顔を見たレッツォの表情が、一気に硬直した。


 血の気が引き、青白いを通り越して土気色に変わっていく。レッツォの異変に気づいたルヴェンが声をかけようとしたとき、彼は聞いたこともないような絶叫を上げた。


「う、うわぁあああああ!!! に、人形……人形だあああ!!!」


 レッツォはバルバルの肩に座るテースを凝視し、恐怖のあまり激しく身震いを始めた。


 彼はルヴェンを放り出すと、二、三歩後ろに下がり、両手で頭を抱えて地面に伏した。


 テースは不思議そうにバルバルの肩から飛び降り、レッツォの顔を覗き込む。


「牧師様、どうしたの? ボク、怖くないよ。ほら!」


 テースが気遣って目の前で愛らしく踊ってみせるが、それがレッツォには逆効果だった。


「やめてくれ……やめてください……来ないでください!!」


 レッツォは涙目になり、必死に人形から逃れようと地面を這う。


「レッツォさん、しっかりしてください! ただの人形ですよ!?」


 ルヴェンたちが駆け寄り、彼の肩を揺らすが、レッツォの錯乱は止まらない。


「止めろ!! 私を……『俺』を許してくれえええええ!!!」


 公園中に響き渡る絶叫。


 その直後、レッツォは全身の力を失い、そのまま白目を剥いて硬直した。口の端からは涎が垂れ、完全に意識を喪失してしまったのだ。


「「レッツォさーーーん!!!」」


 唯一頼れる大人の男性が、手のひらサイズの人形に敗れ、無惨に倒伏する。その異様な光景を前に、クフェルの青空はあまりにも無情に澄み渡っていた。


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