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第四十七小節 ~Humming Bard~



 そして、レッツォは先程収穫してきた野生の果実を、地面に広げた布の上へ無造作に置くと、大きな手で優しくルヴェンの頭を撫でた。


 その手のひらは温かく、どこか安堵させるような厚みがある。


「あ……初めまして。あなたが僕たちを助けてくださったんですね。本当に、ありがとうございます」


 ルヴェンは困惑しながらも、命の恩人に対して深く頭を下げた。レッツォは「おっと、堅苦しいのはなしだ」と笑い飛ばす。


「礼を言われるほどのことじゃないさ。ひとまず、初めましてだね、ルヴェン君」


 レッツォは手慣れた手つきで小さなナイフを操り、果実の皮を剥いてルヴェンに手渡した。受け取った果実に一礼し、ルヴェンがそれを頬張ると、驚くほど濃厚な甘みが口いっぱいに広がり、乾ききっていた心身を癒やしていく。


 その傍らでは、エルミナが甲斐甲斐しく焚き火を世話し、小川で汲んできた水を沸かし始めていた。

 レッツォの話によれば、ルヴェンとエルミナは数日前、血まみれの状態でこの森の入り口に倒れていたのだという。そこに偶然通りかかったのがレッツォだった。


 彼は自らを『愛の女神の使徒』と称し、世界に愛を育むために旅を続ける宣教師であると語った。本職はとある大きな教会の牧師なのだという。


 なるほど、彼の旅鞄は異様に大きく、包帯や傷薬、果ては数人分の食器まで揃っている。旅の途中で困っている者に愛を分け与える準備は万端のようだった。


 ところが、そんな徳の高そうな彼にも、少々抜けたところがあるらしい。実は彼自身もこの深い森で道を見失い、二人の看病をしながら途方に暮れていたのだという。


「旅は道連れ、世は情け。人数がいれば困難も一つのエンターテインメントだよ!」


 そう言って高らかに笑うレッツォ。温かい茶の準備を終えたエルミナは、そのあまりの楽天家ぶりに呆れたようで、深いため息をついた。


「それで、レッツォさん。ルヴェンが起きたなら、ひとまず近くの村に移動したほうがいいと思うんだけど。いつまでもここで野宿ってわけにはいかないでしょ?」


 レッツォはお茶をゆっくりと啜り、ふう、と息を吐いてから、エルミナを嗜めるように言った。


「エルちゃん、無理を言ってはいけないよ。君だって、目覚めてすぐは指一本動かせなかったじゃないか」

 その指摘にエルミナは顔を真っ赤にして俯いた。


 どうやら彼女も、目覚めた直後はルヴェン以上に混乱していたらしい。ルヴェンとレッツォが思わずクスクスと笑い声を上げると、彼女は機嫌を損ねたように腕を組み、頬を膨らませた。


「笑い事じゃないぞ? 恐らくは二人とも、身の丈に合わない強力な魔力を使ったんだろう。見つけたときは魂の灯火が消えかかっていて、本当に危なかったのだからね」


 レッツォの言葉に、二人は顔を見合わせた。

 ルヴェンは騎士の家系として闘気の修練こそ積んできたが、魔力など魔術師の領分だと思っていた。エルミナに至っては、自分の魔力なんて農耕具しか扱えないと考えていた。


 そんな無垢な二人に、レッツォは「やれやれ」と肩を落とし、魔法の基礎について講義を始めた。


 彼によれば、このファルシア世界で人間が魔法を行使するには、主に四つの道があるという。


 一つは『精霊魔法』。自然界に宿る精霊を魔法陣によって呼び出し、自身の魔力を対価として契約を結ぶ基本の術だ。


 二つ目は『魔物使役』。獣人や魔物を手懐け、彼らが本来持つ自然操作能力を借りる方法。


 三つ目は、恐るべき『古代魔法』。遥か昔、人間が絶対的な地位を確立するために編み出した大量虐殺の術だ。精霊を介さず、術者の生命力そのものを燃料とする。あまりに強大で危険なため、現在は発動前に術者の命を奪う呪いが掛けられているとされる、失われた力だ。


 最後の一つは『魔石の力』。石に蓄積されたエネルギーを体内に取り込み、自らを魔物へと変質させることで、本能のままに古代魔法さえも操る禁忌の手段だという。


 長い講義に圧倒され、二人はただキョトンとするばかりだった。

 一通りの説明を終えると、レッツォは大人一人が背負えるほど大きな鞄から、小ぶりなリュートを取り出した。


「魔力が減っているということは、心が削れているということだ。音楽は、そんな君たちの心を癒やしてくれる。一曲聴いてごらん」


 レッツォがリュートの弦を軽く弾くと、そのメロディーは風に乗って森全体へと溶け込んでいった。穏やかで、慈雨のような旋律。


 すると不思議なことに、風に揺れる木々が演奏に合わせて踊っているように見え、遠巻きにいた小動物たちも警戒を解いて耳を傾け始めた。ルヴェンが瞳を閉じると、レッツォの小さな鼻歌が心地よく響き、凍りついていた心の奥底がじんわりと温まっていくのが分かった。


 ふと目を開けると、レッツォの胸にある十字架が、優しく聖なる光を帯びて揺れているのが見えた。


「温かくなっただろう?」


 レッツォの微笑みに、エルミナは我に返って大きく拍手をした。


「音楽は良いだろう? 愛を説くために一生懸命練習したんだ。君たちもいつか嗜んでみるといい」


 そんな平穏な時間を過ごし、三人は体力が回復次第、この場所を出発することを決めた。


 だが、優しいレッツォの視線が、時折ルヴェンの左手のグローブを鋭く観察していた。


 数時間後。


 夜の帳が下り、森が漆黒の闇に飲み込まれた頃。夜を住処とする獣や虫たちが騒ぎ始める中、ルヴェンはふと目を覚ました。


 焚き火の火が微かに揺れ、その向こうでレッツォが寂しげなメロディーを奏でていた。

 昼間のリュートではない。彼は銀色の小さなハーモニカを吹いていた。


 薄目を開けたままその音色に聴き入っていたルヴェンだったが、異変に気づいて飛び起きた。レッツォの持つハーモニカは銀色の光を放ち、彼の足元の地面には、複雑な金色の魔法陣が浮かび上がっていたのだ。


「レッツォさん、それは……?」


 ルヴェンが問いかけると、さらに驚くべき光景が展開された。レッツォが楽器から口を離し、こちらを向いて話し始めたにもかかわらず、ハーモニカは空中に浮いたまま、独りでに先程のメロディーを奏で続けていたのだ。


「やあ、目が覚めたかい、ルヴェン君。驚かせてすまないね。このキャンプが魔物に襲われないよう、魔力の結界を張っていたんだよ」


 優しく、ゆったりとした口調。だが、ルヴェンの興味は宙に浮く楽器に釘付けだった。


「どうして……どうして演奏が止まらないんですか?」


 その問いには答えず、レッツォは突然ルヴェンの左手を掴んだ。昼間とは打って変わった、射抜くような鋭い眼差しがルヴェンを貫く。


「私にとっては、君のこの不完全な『契約』のほうが、よほど不思議なんだけれどもな……」


 ルヴェンは息を呑んだ。全身が硬直し、心臓の鼓動が耳元でうるさく響く。


「レッツォさん……このグローブが、見えているんですか? 僕以外には、誰にも見えないはずのこれが……」


 エルミナを起こさないよう声を絞り出すルヴェンに対し、レッツォはふう、と軽い溜め息をついて手を離した。


「……質問のほうが先だったね。牧師たるもの、順序立てて話をしなければ」


 彼は再びいつもの穏やかな笑顔に戻ったが、ルヴェンの戸惑いは消えない。

 レッツォは宙で鳴り続けるハーモニカを手に取り、愛おしそうに撫でた。


「これは神様から授かった『神聖楽器』の一つさ。私にぴったりだったのが、このハーモニカだったんだよ。音楽を通じて神の力を呼び出す道具だ。今のように護る力にもなるし、癒やす力にもなる。……そして」


 レッツォは不意に言葉を止め、その瞳に計り知れない悲哀を滲ませた。


「……すべてを『無』に還す力もね」


 その言葉の重みに、ルヴェンは背筋が寒くなるのを感じた。レッツォにとって、それは耐え難い傷痕なのだろう。


 一拍置いて、レッツォが静かに言った。


「君は『竜依戦士ドラゴンウォーリアー』だね? しかも、かなり上位の竜と契約しているようだ」


 ルヴェンが驚き、これまでの経緯――ビルデンの闇塚での出来事を包み隠さず話すと、レッツォは短く呟いた。


「黒竜か……」


 あまりに核心を突く彼の言葉に、ルヴェンは身を乗り出した。

 レッツォの話では、彼は若い頃、無国籍の剣士として世界を巡っていた時期があり、ビルデンの内情にも詳しかった。

 彼が語る『竜依戦士』とは、竜の魂を肉体に取り込み、その力を数倍に増幅させて振るう存在だ。通常、契約の方法は二つ。一つは死にゆくパートナーの竜の魂を宿すパターン。もう一つは、竜を力でねじ伏せて魂を奪うパターン。


「だが、君の場合はどちらでもない。竜自身の意思で、君という宿主を選び、乗り移ったのだ。……これは極めて異例な事態だよ」


 ルヴェンの額に脂汗が滲む。自分の身体が自分だけのものではないという事実に、目眩がした。


「心配はいらないよ。君は無意識にその力を使って戦っている。頭では分からなくても、身体が覚えているはずだ」


「身体が……?」


「君の意志と竜の意志が完全に一致したとき、お互いの魂は真の意味で結合し、君は『竜依戦士化ドラゴニュート』することができる。……まあ、時が来ればわかるさ」


 会話を切り上げるように、レッツォは再びハーモニカを奏で始めた。


 その旋律は、ルヴェンが幼い頃に亡くした母が歌ってくれた、あの懐かしい子守歌だった。


「どうして、この曲を……?」


 レッツォは答えず、ただニッコリと微笑むだけだった。優しい音色に誘われ、ルヴェンは抗えない眠気の中に溶けていった。



 夜の森に柔らかな子守歌が響き、少年と少女が静かな寝息を立てる頃。

 レッツォが背にしている大木の陰から、まるで旋律に誘われるように、一人の男が現れた。ロインだ。


 ロインは不思議そうにレッツォを見つめ、懐から何層にも重なった魔法の楽譜を取り出した。何事かを調べようとしたその時――。


 レッツォが静かに立ち上がり、ロインの肩にそっと手を置いた。


 その瞬間、ロインの動きがピタリと止まった。まるで彼を取り巻く時間だけが凍りついたかのようだ。

 レッツォはロインの持つ楽譜を覗き込むと、ポケットから羽ペンを取り出した。


「君の譜面に、少しだけ『編曲』を施させてもらうよ」


 ロインの耳元で囁きながら、手慣れた様子で楽譜に何かを書き込んでいく。作業を終えると、レッツォは再び彼の肩を軽く叩いた。

 すると、ロインは最初からそこにいなかったかのように、霧のようにかき消えてしまった。


「大丈夫。彼は私が見届けよう。……彼らを、あるべき未来へと案内するためにね」



 レッツォは、澄み渡った夜空の月を見上げ、誰に聞かせるともなく静かに独りごちた。


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