第三小節 〜風靡く田舎道を越えて〜
校舎を揺らした最初の衝撃はまだ収まらないというのに、次の一撃は間を置かずに襲ってきた。
空気が震え、天井の梁が呻き声を上げるようにたわむ。
振動は、巨大な獣が校舎の外壁を爪で抉っているかのように断続的だった。
悲鳴、怒号、机の倒れる乾いた音——それらが混ざり合い、教室は一瞬で秩序を失っていく。
「ルヴェン! コイツは本当にヤバいぞ!? とにかく外だ、外へ出るぞ!」
オルスが荒く息を吐きながらルヴェンの腕を掴む。頭上からは砕けた瓦礫が細かな砂塵となって降り続き、光に照らされて淡く煙る。
「そうだね……! この様子じゃ街も被害を受けてる、家にいるコリアが——!」
言い切る前に、オルスがルヴェンを庇って肩で瓦礫を弾いた。
その肩は厚く優しい。
「だーほ! 心配したい気持ちは分かるけどよ! まずは俺らが生き残らねぇと助けにも行けねぇだろ! ほら行くぞ、ついて来い!」
ぶっきらぼうな言い方だが彼の父親にそっくりだ。
そして二人は互いを引き寄せながら、崩れかけた廊下を駆け抜けた。
砂煙で喉が焼ける。胸は恐怖で苦しく、心臓が内側から暴れるように脈打つ。
——やっとの思いで校舎の外へ飛び出した瞬間。
ルヴェンの視界が一変した。
街はもう“日常の延長”ではなかった。
爆ぜた建物から黒煙が昇り、逃げ惑う人々の肩越しに、ひび割れた石畳の上を赤い筋がいくつも流れていく。
瓦礫の間で泣き叫ぶ者、震える者、倒れる者。
生暖かい風は血液の匂いを二人の鼻腔に運ぶ。
すると——
その混沌の中に、ロインの姿がひっそりと浮かび上がった。
逃げる人々の波に逆らうように、ふわりと歩み寄る。
彼の目の前で、逃げ遅れた兄弟が崩れ落ちる家屋に押し潰され深紅の雨が降り注いでも、彼はソレを受け止めることも無く目的地まで歩く。
そして、まるでこの惨劇に溶け込むように、静かにハープの弦に指を触れた。
「魔石……心奪われし人、獣……
壊れる街……そして、少年たちは——」
淡く揺れる旋律は、悲しみとも予兆ともつかない。
その最後の音が空に溶けた瞬間、ロインは霧のように姿を消した。
ルヴェンとオルスは、その異様な存在感に気づく余裕も無いほど必死だった。
エスメラルダ邸へ走る途中、二人の足は何度も止まりそうになった。
それは疲れではない。
街路の至るところに“光の矢”が突き刺さり、焦げた地面が黒く丸く焼け落ちている。
近くには、逃げ遅れた人々が倒れ伏していた。
腕を失った者、胸を貫かれた者、倒れた母にすがる幼子。
そこには“生”と“死”の境界が無残に並んでいた。
「うっ……! う、うぇ……!」
ルヴェンは堪えきれず胃の底を吐き出した。
喉に酸っぱい痛みが逆流する。
ほんの数刻前まで見慣れた通学路だった場所が、今は赤黒い泥の川と化している。
それを見るたび、心の奥に冷えた針が刺さる。
「おい、ルヴェン! しっかりしろ、家だ……! お前の家に着いたぞ!」
オルスが背を撫でながら声を掛ける。
だがルヴェンの目に映った光景は——家ではなかった。
そこにあったのは、光の刃に喰われ、形を失った瓦礫の山だった。
「コリア……コリアは……どこ……?」
ルヴェンはふらつきながら瓦礫の隙間を掻き分ける。爪の間に砂と血が入り、痛みで感覚が薄れていく。
その時——小さな、かすれた声が届いた。
「……兄様? 兄様なの……?」
馬小屋の影の方からだった。
「ルヴェーーーン!! いたぞ! コリアちゃん無事だ!!」
オルスが叫び、ルヴェンを叩いて現実へ引き戻す。
「……あ……あ……」
喜びと恐怖と安堵が混ざった感情が、混乱した思考の中でぐちゃぐちゃになる。
「兄様……! よかった……ほんとに……!」
コリアがルヴェンに飛び込み、震える指で服を握りしめた。
その温もりを感じた瞬間、ルヴェンの膝はやっとまともに力を取り戻す。
だが安堵は一瞬だった。
空から落ちる光の刃は止む気配がない。
「……とりあえずだ」
オルスが低い声で告げる。
「この状況じゃ、もう街には残れねぇ。風塚へ行こう。あそこにゃ父上がいる……きっと、なんとかしてくれる」
苦笑いを作ったその表情には、決意と同じくらいの焦りが混じっていた。のかも知れない、それは彼にしか分からない。
風塚——
属性の竜を祀る大切な場所。
そこには“塚守”と呼ばれる守護者がいる。
オルスの父、レグレントもその一人。
「うん……行こう……!」
三人は互いを支え合いながら走り出した。
光の刃は雨粒のように降り注ぎ、石畳にはまだ温かい血が溜まっていく。
街の中心を抜け、田舎道へ——
だが風塚の入口に差し掛かったとき、ルヴェンは違和感に気付いた。
「あれ……? ここって、いつも風が吹いてるよね……? 緑竜様の風が……」
だが今は一切の風が止まり、世界が息を潜めたように静まり返っている。
「色塚の周りには竜の加護があるはずなのに……それが……」
「言うな! 今は……言わないでくれ……」
オルスが遮った。
その拳は白くなるほど強く握りしめられている。
「もう……走れないです」
急にコリアは瞳に涙を浮かべ座り込んでしまった。
……無理も無い、突如目の前に広がった光景は12歳の少女には残酷すぎる。
オルスは大きく息を吐いた後、彼女に背を向け、
「コリアちゃん、乗るんだ。俺が運んであげる」
「あ……はい……ごめんなさい……」
コリアが背に乗ると、オルスは小さく震える手で彼女の足を支えた。
そのまま前を向いたまま、表情を誰にも見せず歩き出す。
「さっさと……行くぞ」
その声は掠れていた。
——三人は風の止んだ田舎道を、降り注ぐ死の雨をすり抜けながら進んでいく。
そして、少し離れた場所。
一人の騎士が、三人の足跡を追って愛馬を駆り近づいていた。
風の無い道を、疾風のように駆け抜けながら。




