第三十八小節 〜英雄になる時、それは今~
乾いた風が吹き抜ける昼下がりのオアシスに、爆発の衝撃で巻き上がった砂塵が渦を巻いていた。
「うおおおおお!!」
叫び声を上げたのはウィドーだ。その声は既に竜の咆哮へと変わっていた。
次の瞬間、地面に倒れていたルヴェンの目の前へ、重く巨大な何かが叩きつけられた。昼の日差しを遮るほどの影が落ち、地響きが大地を震わせる。
「ウィドー……今のは……?」
霞む視界を無理やり開き、ルヴェンは掠れた声で問いかける。
しかし返事を待たずとも、彼は状況をすぐ理解した。
──落ちてきたのは、ウィドーの左の翼だった。
肩に相当する部位から見事に切断され、ウィドーは大量の血を流しながら、左半身を庇うように地に伏していた。
「ルヴェン……逃げろ!!」
痛みに震える声でウィドーが叫ぶ。
その巨体の影の向こう、十メートル足らずの場所に、あの悍ましい着衣、深紅のマントと青いマフラーを揺らす男たちが立っていた。
――竜討騎士だ。
一人は長い筒状の兵器を構え、もう一人は鎖のついた巨大な鎌を回転させている。
男たちの周囲で闘気が逆巻き、筒の先には光を凝縮した槍が、鎌の男の手にはドーナツ状の回転闘気が形成されていく。
「まずい!」
ウィドーは傷だらけの体で闘気と魔力を振り絞り、渦巻く風の結界を張り巡らせた。
(もう逃げたりしないしない……! 俺はコイツを、命を懸けて守る)
昼のオアシスに爆音と風切り音が混ざり、砂が舞い上がる。
ルヴェンは痺れる体で何度も「やめて! 一緒に逃げよう!」と叫ぶが、ウィドーは一言だけ、
「逃げろ!」
そう告げて攻撃を受け続けた。
竜討騎士の攻撃は激しさを増し、闘気の槍も闘気の円盤も、ウィドーの風の結界に当たるたびに凄まじい衝撃を生む。
見た目こそ防いでいるように見えたが、その度にウィドーは顔を歪め、「ぐっ……!」と押し殺した声を漏らす。
圧倒的な力の差。
結界は次第に弱まり、砂塵が次第に昼空を曇らせる。
「ルヴェン! この隙に逃げろ! お前は闘気を持ってないから、すぐには見つからない!」
「どうして!? 一緒に逃げようよ! 僕たち、ペアなんだろ!?」
その言葉は嬉しく胸に染みたが、ウィドーは首を振る。
「バカか! 契約は失敗なんだよ! むしろ、お前は俺たちのマ──」
その時だ。
結界が耐え切れず弾け飛んだ。
猛烈な風圧が爆ぜ、ウィドーの体が一瞬むき出しになる。
――ほんの一瞬だった。
闘気の円盤がウィドーの脇腹を切り裂いた。
赤い飛沫が昼光の中へ散り、ウィドーが地を揺らして倒れ込む。
砂煙が薄れ、ルヴェンの悲痛な声が響いた。
「ウィドー! ウィドー!」
泣きそうな顔で彼にすがるルヴェン。
対して竜討騎士は武器を下ろし、勝利を誇るように笑っていた。
「ルヴェン……聞いてくれ……」
かすれた声が届く。
ウィドーは血を流しながらも、何とか言葉を紡ぐ。
「もう戦わなくていいよ……降参すれば助けてもらえるかもしれない……!」
涙と砂とウィドーの血で汚れた頬のまま、ルヴェンは必死に訴える。
だが、ウィドーは小さく首を振った。
「ルヴェン……ヤツらが闘気を解いた……今がチャンスだ……」
男たちは油断し、互いに笑いながら談笑していた。
どちらがルヴェンを殺すかを話し合っているのだろう……、聞き取れない言葉が二人の間で行き来している。
「俺には、あと一回だけ竜巻を起こせる……。でも、さっきまでヤツらの結界が邪魔だった……」
「どうして僕が前に……?」
「お前が弱いからだよ……。だからヤツらは警戒しない。お前が出て気を引いたら、俺が……吹き飛ばす」
ルヴェンは悔しさに唇を噛んだが、この作戦しかないと判断した。
「行くよ、ウィドー……」
彼は震える拳を握り、男たちの前に立つ。
竜討騎士たちは腹を抱えて笑い、武器を地面へ置き、護身用の短剣だけを手にした。
切先が眩い太陽の光を反射する。
――その瞬間だった。
ウィドーが全身の力を振り絞り、大地が震えるほどの咆哮を上げた。
右の翼を広げ、竜巻を形成する。
「ルヴェーン!! 伏せろ!!」
ルヴェンは倒れ込み、頭を抱える。
男たちは慌てて武器へ走るが、竜巻のほうが圧倒的に早かった。
砂塵を巻き上げ、轟音を響かせ、すべてを飲み込んで突き進む。
そして、すれ違うようにウィドーは「……作戦、成功……」
そう呟いて崩れ落ちた。
美しい昼のオアシスは、一瞬でただの荒れ果てた砂場と化した。風が砂を運び、静寂が訪れる。
そこで――
砂の山を吹き飛ばし、怒りの咆哮と共に立ち上がったのは竜討騎士の二人だった。
が、──そこに、ルヴェンの姿はなかった。
激昂した男たちは武器を拾い、瀕死のウィドーのもとへ向かう。
ウィドーは光を失った瞳で、朦朧と呟いた。
「マル……お前を置いて……逃げ出した腰抜け竜だった俺は……今……主を守った英雄になったぜ……。これで……胸を張って……会える……」
その声は人には理解できない竜の呻きにしか聞こえない。
大筒を構えた男が闘気の槍を形成し、何度も何度も撃ち込む。
爆発音が昼空に響き、ウィドーの姿は次第に形を失っていった。
数分後、竜討伐の証なのだろうか、男達はウィドーの眼球をくり抜き、笑い声を上げながらこの地を去った。
ーー生の息吹を失ったこの場所。その砂漠の熱気を孕む風は砂を巻き上げ、次の凪で砂が切なく舞い落ちる。
自然の砂時計の様に時を進めた。
すると、砂漠一面に散った竜の残骸に寄り添うように、砂嵐と共にロインが現れた。
ハーモニカを奏で、ウィドーの欠片を光へと変え、空へ返していく。
旋律は静かに、優しく響いた。
「竜の思い、主の思い……
絡み合い、解け合い……
行き着く先は、誰にも選べぬ運命……
護られた主は……いずこへ……」
また強い風が吹き、ロインは砂と共に姿を消した。




