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第三十七小節 ~On the WIND with……~


 風を切る轟音が耳を打ち、身体の芯まで震わせる。

 ウィドーの背に跨るルヴェンは、大空を初めて飛ぶという事実に胸を躍らせていた。


 足下には、山も森も川もすべてが小さな世界のように流れていく。

 木々は線となって後ろへ消え、川は銀色の糸のように輝き、雲の影が大地を静かに滑っていく。


「ウィドー! すごいよ! どこまで行けるんだい、これ!」


 風に負けないよう叫ぶ声は、興奮で少し震えていた。

 いつもの慎重さなどすっかり吹き飛び、子供のように弾む声。


『はしゃぎ過ぎだぞ、ルヴェン。落ちたら死ぬぞ。それとテレパシー使えって言ってんだろ! 空じゃ声届かねぇんだって!』


 呆れ半分、優しさ半分の声が頭に響く。

 その瞬間、風の音の中にもウィドーの存在が確かに感じられ、ルヴェンの心は少し落ち着いた。


 空を切る風に晒されながら、ルヴェンはこれまでの自分の過去を話した。

 ビルデンのこと、友人たちのこと、異端者として追われた現実。

 ウィドーは時折うんうんと相槌を打ちながら、静かに聞いてくれていた。


 数十分も飛んだ頃、ルヴェンの胸にふとした疑問が浮かぶ。


『ねぇウィドー。君って、いつも一人なの? ペアはいないの?』


 問いかけた瞬間、ウィドーの巨大な身体がビクリと揺れた。

 風の流れすら変わった気がした。


 沈黙。

 ほんの数分だったが、空の上では永遠のように感じられた。


『……俺のペアのテイマーは死んだよ』


 その声は、空の冷たさとは違う痛みを帯びていた。


『俺が……逃げたんだ』


 ルヴェンは息を呑む。

 先ほどまで軽口を叩いていたウィドーとはまるで別人のような声。


 ちょうど二人が大きな運河の上に差し掛かり、

 温まった大地から上昇する風が爽やかに頬を撫でた。


 その風の心地よさとは裏腹に、ウィドーの声は重く沈んでいく。


『むかーし昔な……一匹の竜と、一人じゃ何もできない子供が、小さな竜の部落におりまして……って話だ』


 まるで昔話を語るようにゆっくりと。

 しかしその裏に隠しきれない暗さがあった。


 ウィドーの話はこうだ――


 数十年前。

 彼は闘気も魔法も扱えない「空を飛べるだけの竜」だった。

 部落でも劣等と見做され、仲間はおろか、竜としての誇りすら持てずにいた。


 そんな彼を唯一受け入れてくれたのが、

 “マル”と呼ばれる少年だった。


 まだ十歳。

 両親は竜討騎士に殺され、孤児となった少年。

 竜の部落に身を寄せ、ウィドーと――唯一の相棒と出会った。


 互いを支えるようにして旅に出た二人。

 弱くても、不完全でも、二人でなら少しは強くなれる気がした。


 だが――


『でよ、運悪くバスターと鉢合わせしちまったわけよ』


 ウィドーは淡々と語る。

 しかしその言葉の奥には、深い自責が渦巻いていた。


『本来なら竜がテイマーを守るもんだろ? でもよ……俺は逃げた。マルを置いてな』


「ウィドー……」


 ルヴェンは自然と涙が滲む。


『戻った時には、何も残ってなかった。畑のど真ん中でよ……誰もいねぇんだ。血の跡も、気配も、何も』


 ウィドーは顔をうつむかせ、巨大な翼を少しすぼめた。

 その背中は、空よりも寂しかった。


『そりゃ部落に戻ったって相手にされねぇよ。腰抜けの竜なんてよ』


 ルヴェンは感じてしまった。

 ウィドーはきっと、今もマルを探して飛び続けている――

 その傷を抱えたまま、空の中でさまよっているのだと。


 風がまた熱風に変わり、眼下には砂漠が広がる。

 その真ん中に、小さな緑の点――オアシスが見えた。


『……マルはな、お前みたいだったよ』


 寂しげな声がルヴェンの胸に刺さる。


『だからさ……お前も、辛かったんだろ? 話せよ』


 ルヴェンは頷き、これまで誰にも言えなかった心の痛みを語り始めた。



 ルヴェンの言葉を聞き終えたウィドーは、一瞬だけ黙り込んだ。

 風が二人の間を通り抜け、熱砂の匂いを運んでいく。


『ルヴェン……お前……』


 重い声でそう言ったあと、急に明るく弾む声に変わった。


『なぁんだ! やっぱ似た者同士じゃねぇかよ! どおりで波長が合うと思ったぜ!』


 その切り替えはあまりに急で、

 悲しい話をしていた同じ竜とは思えないほどだった。


「ウィドー……さっきの暗い話は何だったの? 全然後悔してないように聞こえるよ」


 ルヴェンが苦笑交じりに問い返すと、

 ウィドーは陽気さを保ったまま、


『後悔してないわけねぇだろ。でも……二十年も一人で飛んでたらよ、

 そろそろ誰かといてもいいかなって思うだろ?』


 風の中に交じるその声には、

 本当はまだ痛みが残っているような、そんな揺らぎがあった。


 二人の心の距離が、少しずつ近付いていた。

 互いに気付かぬまま、ほんの小さな絆が芽を出し始めていた。


 やがて眼下のオアシスが、砂の海の中でゆっくりと大きくなる。

 そこは広大な砂漠の中に、たったひとつ息づく命の島のようだった。


『よし、あそこに降りるぞ。一回休憩だ』


 ウィドーの翼が大きくひらき、風がうねる。

 砂が渦を巻き、地面が近付いてくる。


 ふわり、と着地したその場所には

 湧き水の井戸と、少しばかりの草木、

 そして朽ちかけた木造のコテージが三つ並んでいた。


 人影はない。

 静寂だけが、炎天下の空気を満たしていた。


『ラッキー! 誰もいない! 堂々と水が飲める!!』


 ウィドーは瞳をキラキラさせ、まるで子供のように井戸へ突進。

 勢いよく顎を突っ込み、豪快に水を飲み始めた。


 バシャバシャと巨大な口からこぼれ落ちた水が、ルヴェンに雨のように降り注ぐ。


「冷たいってばウィドー! もう少しゆっくり飲めないの!?」


『無理だ! 砂漠飛ぶと喉カラッカラなんだよ! はぁーーしみるーーー!!』


 竜族とは思えぬほど幸せそうな声。

 その声を聞いて、ルヴェンの胸はふと軽くなった。


 ――この竜は、ずっと一人でこんな風に自分と戦ってきたんだ。


 ウィドーが落ち着いた頃、ルヴェンはオアシスの木陰に座った。

 砂漠の熱気から逃れ、涼しい影が背中を撫でていく。


「ウィドー、さっきの……本当はまだ引きずってるんでしょ?」


 そっと問いかけると、ウィドーは翼を小さく動かして視線をそらした。


『……まぁな。忘れられねぇよ。忘れたいとも思わねぇ。

 でも――』


 ルヴェンを見る。


『――お前と飛んでると、ちょっとだけマシになるんだよ』


 その声は、風の音に溶けてしまいそうに優しかった。


 ルヴェンは胸がじんと熱くなる。

 自分もまた、同じ痛みを抱えていると気付いたから。


「僕も、ウィドーといると落ち着くよ。安心する」


 そう言った瞬間、ウィドーの喉の奥でゴロゴロとした音が鳴った。

 竜の、嬉しい時の癖だ。


『なら決まりだな! 俺たち、いいペアになれんぜ?』


 茶化すように、でもどこか照れた声で。


「もう……本当に、君は……」


 ルヴェンは笑いながら肩をすくめた。


 砂漠の風が優しく吹き抜ける。

 その熱を帯びた風の中、二人は気付かぬうちに

 ――痛みを分け合い、弱さを預け合える

 新しい絆を築き始めていた。




泉から立ち上る細かな水を含んだ風が頬をくすぐる。

 砂漠の熱がほんのひと時だけやわらぎ、心の内側まで冷ましてくれるようだった。


 そんな心地よい空気の中、ウィドーは不意に真剣な眼差しを向けてきた。

 つい先ほどまで無邪気に水を飲んでいた竜とは思えない、鋭く静かな目つきだった。


『なぁ、ルヴェン。

 ……冗談じゃなく、本気でペアにならないか?』


 その声には一切の軽さがなかった。

 砂を踏む音すらかき消すほど、真っ直ぐで、強い意志が込められていた。


 ルヴェンは驚いて瞬きをした。胸の奥が熱くなる。

 まさか、自分に――自分なんかに――こんな言葉が向けられるとは思っていなかった。


「僕は……」


 唇が震える。

 言葉が喉の奥で絡まり、一瞬、声を失う。


 そして勇気を振り絞り、問い返した。


「僕で……いいの?」


 その声はほとんど囁きで、震えが消えなかった。

 嬉しさ、戸惑い、長く押し込めていた孤独が一気に込み上げ、胸が張り裂けそうになっていた。


『俺はお前がいいんだよ。

 そんなに謙遜するなって』


 ウィドーは、驚くほど優しい声で何度も頷いた。

 その大きな瞳は、ルヴェンを“ひとりの相棒”として確かに見据えていた。


 ルヴェンはたまらず、その巨大な体に抱きついた。

 硬い鱗の下に響く心臓の鼓動が、鼓膜を震わせる。

 生きている温もりが、じんわりと腕に広がる。


「ウィドー……! ありがとう……っ」


 涙がこぼれた。

 ビルデンの牢獄で冷たい石床に押し込められ、誰にも触れられず、

 “人間として扱われなかった日々”を溶かしていくように、

 ウィドーの温もりが胸の奥まで染み渡っていく。


 ──やっと、誰かに必要とされている。


 その実感が、全身に広がった。


 泣き止むまで、ウィドーは何も言わずに寄り添ってくれた。


 そして、静かに契約の儀式が始まる。


 お互い血をひと舐めするだけの簡素な儀式――

 だが魂同士を結びつける、竜とテイマーの最も深い契りだった。


 ルヴェンは左手の指先を、

 ウィドーは翼の付け根にある退化した小さな手を噛み、血を滲ませる。


 二人の血液がルヴェンの手のひらに集まり、

 赤黒く混ざり合いながら、生温い液体となった。


「じゃあ……僕から」


 震えながら、ルヴェンは血を舌に乗せた。


 瞬間、鉄のような匂いと強烈な苦味が口に広がる。


 ――だが、それは予兆だった。


「う……っ!?」


 全身に激痛が走る。

 指先から背骨まで、何かが逆流するような熱が駆け上がる。


「うあああああ……っ!!」


 ルヴェンは地面に崩れ落ち、激しく痙攣した。

 胃からせり上がる嘔吐感に抗えず、激しく吐き出す。


『お、おい!? ルヴェン! しっかりしろ!!』


 ウィドーは慌てて顔を寄せ、揺さぶった。

 本来、契約でこんな反応は起こらない。


 異常だ――危険なほどに。


 ウィドーは確かめるように、手のひらに残った混ざり合った血を舐めた。


「ぐっ……!」


 竜の体すら貫く激痛が走る。

 冷気のようなものが骨の奥を這い回り、視界が揺れる。


 そのとき――ウィドーは見た。


 ルヴェンの体の周囲に、

 黒く濁った霧が渦を巻いて立ち上る。


 霧は瞬く間に形を変え、

 漆黒の巨竜となり、二人の上にそびえ立った。


 その紅い眼光は、

 ウィドーの魂を射抜くように鋭い。


『ルヴェン……お前まさか……』


 ウィドーの声が震える。

 その震えは風のせいではない。純粋な恐怖だった。


 その瞬間――

 オアシスの空気が変わった。


 今まで気配を消して潜んでいた“なにか”が現れたのだ。


『……まずい!!』


 ウィドーは顔を歪ませ、背後に迫った気配に振り向こうとした。


 だが、遅かった。


 次の瞬間――


 砂漠を揺らす爆発音がオアシス全体を震わせた。

 風が裂ける鋭い音が続き、木々が一斉にしなる。


 熱風が押し寄せ、視界が真っ白に染まった。



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