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第三十六小節 ~出会い~





 ルヴェンは男と二人、港町アクレスイを背に、隣町クイシーを目指して歩いていた。


 クイシーという町――いや、実態は寒村と呼ぶべきか。


 のどかな農村として名は知られているものの、特筆すべき名産があるわけでもなく、人々の暮らしはつつましい。


 本来ならば魔動列車を使えば数時間で着く距離だ。


 しかし、「君の事情を鑑みれば、足がつかない陸路の方がいい」という男の提案をルヴェンは受け入れ、港から丸一日、土埃の舞う街道を歩き続けていた。



 男の名はヘイガ。

 身長は170センチほど。頬がこけた痩せぎすの相貌に、短く刈り込んだ銀髪と、爬虫類を思わせる深緑の細い瞳が特徴的だ。


 身に纏うのは、鮮烈な赤色のマントと、その下で揺れる青いマフラー。くすんだ旅装の中でそこだけが酷く目立っていた。


 その下には安普請な革の胸当てと、砂埃にまみれた刃渡り60センチほどの片手剣。奇妙なのはその剣だ。鍔の部分に、武骨で不釣り合いな機械仕掛けが取り付けられている。


 道中、ルヴェンは堰を切ったように語った。

 自らの出生、忌むべき『異端者』としての苦悩、そして故郷ビルデンの現状。


 ヘイガもまたビルデン出身の冒険者だと聞き、孤独だったルヴェンは砂漠で水を得たかのように彼に心を開いてしまったのだ。


 ヘイガは聞き上手だった。彼はフェルダイとビルデンの戦争に懐疑的で、中立国キラフを経由して世界を見てきたという。


 ルヴェンが目を輝かせて武勇伝をねだると、彼はただニッコリと、どこか貼り付けたような笑みを返すだけだ。


 ただ一つ、ルヴェンにはどうしても気になることがある。


 それは、ヘイガの背で揺れる赤いマントだ。



「ヘイガさん、そのマント格好いいですよね。でも、どうして竜が剣や槍で串刺しにされている絵なんて刺繍してあるんですか?」


 ルヴェンは何の疑いもなく、満面の笑みで問いかけた。



 ーーこの瞬間、彼の『身体』若しくは『精神』が一度だけ警鐘を鳴らし、身震いが起きた。


 が、それと重なるようにヘイガの足が数瞬、止まる。


 だが彼はすぐに振り返り、変わらぬ笑顔で応じた。


「こ、これはだな……フェルダイに着いた時、俺からもルヴェン君と同じビルデンの臭いがプンプンしていたらしいんだ。そこで偶然出会った闇商人に『このマントを着けていればフェルダイ人に疑われない』と吹き込まれてね。法外な値で、半ば無理やり売りつけられた代物さ」


 滑らかな口調。だが、その瞳の奥には焦燥の色が走ったように見えた。


「さあ、ルヴェン君。クイシーはこの谷を越えればすぐそこだ」


 ヘイガは強引に話題を変え、先を促す。


 ルヴェンは一瞬首を傾げたものの、彼の屈託のない笑顔を見るとすぐに疑念を捨て、その後ろ姿を追った。


 差し掛かったのは、かつての商業路だという細い山道だ。


 左手には荒々しい岩肌が迫り、右手は断崖絶壁。

 眼下に広がる大樹海は圧倒的で、夕暮れ時には沈む太陽が森を黄金色に染め上げるだろう。危険と隣り合わせの絶景がそこにはあった。



 谷底から吹き上げる風は冷たく、森の香りを運んでくる。


 大人が十人も並べば一杯になる道幅を、二人は無言で進む。


 森から響く鳥たちのさえずりに耳を傾けていると、不意にヘイガが足を止めた。


「少し休まないか。今は使われていない休憩所がある」


 崖を削って作られたその場所は、岩の屋根が日差しを遮る横穴になっており、朽ちかけた木製のベンチがポツンと置かれていた。


 薄暗い穴の中よりも外の空気が吸いたくて、ルヴェンは一人、崖の縁へと歩み寄った。


「気持ち良いなぁ……。ビルデンの『風塚』みたいだ」


 瞳を閉じ、全身で風を受け止める。


 故郷の風に似ている。

 そう思った瞬間だった。



 鳥のさえずりとは異質な、しかし明瞭な「言葉」が、ルヴェンの脳内に直接響いた。


『よぉ、同胞。機嫌はどうよ? お前も風を感じに来たのか?』


 少年のような、無邪気で軽やかな声だ。


 ルヴェンは弾かれたように目を開け、周囲を見回す。


「今、話しかけたのは誰? どこに居るんだい?」



 姿の見えない相手に対し、ルヴェンは声に出して問いかけた。


『いや、声に出さなくてもいいから。俺らは近くに居ればテレパシーで会話出来るだろが……』


 脳内の声は、呆れを含んだトーンに変わる。


 ルヴェンが困惑しているその背後――。


 ベンチに座っていたヘイガが、音もなくゆっくりと立ち上がった。


 何かの気配を察知したのか、その手は静かに腰の剣へと添えられている。


 優しげだった深緑の瞳は消え失せ、そこには爬虫類のような冷酷な光だけが宿っていた。


 ルヴェンが未だ見えぬ声の主を探していると、背後からヘイガが何事か呟きながら近づいてくる気配がした。


 振り返ったルヴェンの視界に映ったのは、背筋が凍りつくほど濃密な殺気だった。


 声をかけようとした瞬間、脳内の声が悲鳴のように跳ね上がる。


『ちょっ、お前! なんてヤツと一緒に居るんだ!? 早くソイツから逃げろ!』


 声の主はヘイガの正体を知っているらしい。


「どういうこと? ヘイガさんはいい人だよ。それに、姿も見せない君の方が信じられない」


 ルヴェンはヘイガに背を向けたまま、心の中で反論する。


『とにかく逃げろ! 俺が感じたお前の気配は竜に関係してるだろ!? なんとなくテイマー見習いっぽいが違うか? そんなお前がバスターと一緒なんて、気でも狂ったのか!?』


 返ってくる声には、明確な焦りと怒りが混じっていた。


「ルヴェン君、そのままでいいから聞いてくれ」

 唐突に、背後からヘイガが話しかけてきた。

 だが、ルヴェンの意識は脳内の警告に向いている。


『後ろのバスターの殺気がお前に向いてるんだよ! 受け止めてやるから目の前の崖から飛び降りろ!』




 ーーあまりに無茶な要求だ。この高さから飛び降りろだなんて。




 その時、ルヴェンの耳にヘイガの声が届く。先ほどまでとは別人のような、低く、湿った声。


「あんまり他人をすぐ信用しちゃいかんよ、お坊ちゃん?」



 ゾクリと肌が粟立つ。

 ルヴェンが振り返ろうとした刹那、背後から「カヂリ」と金属が擦れる音が聞こえた。


 振り返れなかった。



 かつて剣術の修練で、師から酸っぱくなるほど聞かされた音。




 無防備な背後でこの音が聞こえた時は、すでに死が迫っている合図だと。


「さあルヴェン、こっちを向くんだ。面白い物を見せてあげるよ」


 ヘイガの嘲笑うような声。


 同時に脳内では『馬鹿野郎! ぼーっと突っ立ってんじゃない!』と罵声が木霊する。


 ルヴェンは恐怖で強張る首を、ギギギと無理やり回した。


 そこにいたのは、鬼の形相をしたヘイガだった。

 腰の剣を高く振り上げ、口元を三日月のように歪ませている。


「本当は首都まで連れて行って、見せしめの為に国民の前で殺してやろうと思ったが……とんだ邪魔が入ったようだ。ここで死んでもらう!」



 ーー思考が真っ白になる。足が動かない。



「ヘイガさん……嘘、だよね? どうして僕を殺すなんて……」


 震える声で問うと、ヘイガは殺戮を前にした愉悦で頬を紅潮させた。


「悪いなぁ。今までお前に言ってたのは全部嘘だ。俺は生まれも育ちもフェルダイなんだよ! そしてお前の様な異端者や竜を狩る『竜討騎士ドラゴンバスター』ってわけだ!」



 絶叫とともに、振り上げられた刃が唸りを上げて振り下ろされる。




 ――もう駄目だ!!――



 ルヴェンはギュッと目を閉じ、己の最期を待った。

 ドゴォッと硬い何かが砕け散る轟音が耳に響く。



 続いて、生温かい液体がバシャリとルヴェンの頬に降り注いだ。


 ……痛くない?


 訪れるはずの激痛も、死の冷たさもない。


 しばらくの静寂の後、ルヴェンは恐る恐る目を開けた。


 そこには――



 さっきまで存在しなかった巨大な「影」があった。


 ヘイガの左肩から縦に噛みつき、その鼻先が彼の下腹部にまで達している怪物。


 褐色のゴツゴツした岩のような皮膚。太い後足と鞭のような尻尾。前足は左右に広がる被膜と一体化し、蝙蝠のような巨大な翼を形成している。


 蜥蜴を凶悪に巨大化させ、空を制する翼を与えた姿。


 人間の二倍、いや三倍はあろうか。険しいワニのような顎が、鋭い牙をヘイガの肉体に深く突き立てていた。



「ぐ、あ……あぁ! しまった……気を逸らした隙に、もう一匹の獲……」



 ヘイガが血泡を吹いて何かを言いかけた瞬間、竜は顎の力を一層強め、首を激しく左右に振った。




 生理的嫌悪を催す骨の砕ける音と、ヘイガの断末魔が重なる。

 次の瞬間、食いちぎられた下半身がボロ屑のように崖下の森へと落下していき、上半身だけが竜の口に残された。



「うわぁああ! ヘイガさん! ヘイガさん!!」

 あまりの光景に、ルヴェンは錯乱し絶叫する。




『とりあえず落ち着け、同胞。コイツは敵なんだから殺していいんだよ』


 目の前の竜から、先程と同じ少年のような声が響いた。


 その直後、竜は躊躇なく顎を動かし、先程まで「ヘイガ」だった肉塊を、バリボリと音を立てて咀嚼し始めた。


 赤い鮮血が滴り落ちる。

 信じていた者の裏切り。


 そしてその裏切り者が、ただの餌として喰われていく現実。


 その凄惨な光景は、ルヴェンの理性を粉々に砕くのに十分だった。



 ――そうか、僕は騙されたんだ。最初から、狩られる側だったんだ。



 呆然と立ち尽くすうちに、不思議と心が冷えていくのを感じた。



『よぉ、そろそろ落ち着いたか?』

 食事が終わったのか、竜が話しかけてくる。



 喉の奥でグルルと唸っている音が、ルヴェンの脳内では明瞭な言葉として変換される。


『やっと状況が理解出来て来たな? コイツはドラゴンバスター。お前や俺達の敵だ』


 まだ口元に赤いものを残しながら、竜は平然と言い放つ。

「ちょっと待ってよ……じゃあ、僕は一体どうすればいいの?」



 ルヴェンが泣きそうな顔で見上げると、竜はその巨大な顔をルヴェンのすぐ横に寄せ、ふぅと鼻息を漏らして瞳を閉じた。


『ん、まぁお前にテイマーの素質があるのは確かだ。現に俺と話せてるだろ? なら、竜の部落にでも行ってみるか? お前の相棒も見つかるかもしれないぜ』


 竜はルヴェンの匂いを嗅ぐように鼻を動かしながら提案する。



 竜の部落――。



 学校で習った知識が蘇る。フェルダイにもビルデン同様、竜と人が共存する場所がある。


 通常は「竜依戦士ウォーリアー」が長を務めるが、希少な彼らに代わり、「竜戦士テイマー」や知能の高い竜が治めていることも多いという。


 だが、フェルダイにおいて「竜と話せる」という資質は、即ちバスターに狩られる対象であることを意味する。だから彼らは隠れ住み、あるいは戦うために契約を交わすのだ。


 それは逃げ場のないルヴェンにとって、唯一の希望のようにも思えた。


『まぁ、名前聞いて良いか? 俺は翼竜のウィドー。部落まで少しあるから背中に乗っけてやるよ』


 竜――ウィドーの表情は読み取れない。


 だが、ルヴェンの拳ほどもあるその黒い瞳には、先ほどの残虐さはなく、どこか優しい光が宿っているように見えた。


「う……ん。よろしく、僕はルヴェン」


 涙を拭い、ルヴェンは少し照れくさそうに名を告げた。


 ウィドーは『よっしゃ!』と快活に応じると、大きな背中をルヴェンに向けた。



 ――不思議と、乗り方は分かっていた。



 まるで遠い記憶が呼び覚まされたかのように、ルヴェンは自然とウィドーの背へと足をかける。



 ザラザラとした硬い皮膚には、びっしりと小さな鱗が並んでいた。その一部が、あつらえたように取っ手の形に盛り上がっている。


『俺も人を乗せるのは久しぶりだぁ! まぁその鱗にしっかり掴まってなよ!』

 ウィドーの言葉に、ルヴェンの胸に安堵が広がる。


 この温かさは本物だ。ヘイガのそれとは違う。

 ルヴェンは鱗の取っ手を強く握りしめた。

「よろしくね! ウィドー!」


 心からの信頼を込め、その背に身を預ける。

 ウィドーが力強く大地を蹴り、両翼を広げた。

 



 凄まじい風圧がルヴェンを包み込む。


 体が浮き上がる浮遊感。眼下の森がみるみる遠ざかっていく。


 初めての感覚だったが、ルヴェンの心には恐怖よりも、どこまでも広がる自由への高揚感が満ち溢れていた。



 大空への旅路が、今ここから始まる。

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