第三十一小節 ~Gift~
ルヴェンは暫く呆然と立ち尽くしていた。
さっきまでビルデンの港があった方向を見つめていたが、もうそこに陸影はない。
白い波が太陽に照らされて瞬き、大海原だけが静かに広がっている。
潮風が熱を帯びて頬を撫で、ルヴェンの流した涙を乾かしていく。
太陽は真上に近く、世界はやけに眩しい。だが、胸だけは暗闇のままだ。
その眩しさが彼の心の影を一層黒く塗りつぶす。
肩を落とし、視線を落としたルヴェンの背後から、先程の男がそっと近づき、彼の肩に大きな手を置いた。
「坊主、良い友達をもったな。アイツ、なかなかアツいハートの持ち主だなぁ? 俺、『気合い』だけで行動するバカは大好きだぜ。まあ、ほら……その餞別、見てやれや」
男は、オルスが投げつけていった小さな袋を指差す。
「ありがとう御座います……。彼は物心ついた時からの親友です。お互い、力も知識も足りないところを、二人でどうにかしてきた仲で……」
ルヴェンは涙の残る目元を拭い、震える指先で袋を開いた。
――その瞬間、胸が大きく跳ね、身体中に電撃が走った感覚に陥る
中から出てきたのは、どう見ても手作りで、そして少し安っぽいネックレスだった。
だが――
革紐の中央に通されていたのは、友人アズルーがずっと身に着けていた、退化した爪の代わりに使っていた小さな石製のナイフの刃。
そしてその両側に、テウロンの愛らしい牙が左右二対、不格好に括り付けてある。
アズルーの「戦うための象徴」。
テウロンの「種族としての誇り」。
どちらも、彼らが命より大切にしていた物だ。
――それを渡すということが、どういう意味なのか。
ルヴェンは一瞬で理解した。
胸の奥から熱がせり上がり、次の瞬間には涙が視界を覆った。
「……っ……あ……あああああぁぁっ!!」
ルヴェンは大声で泣き出した。喉が震え、息が詰まるほどの嗚咽だった。
『俺達はずっと一緒』
あの言葉が、まるで心臓に刻みつけられるように頭の中を巡り続ける。
――アズルー、テウロン。
そしてオルスの左手から外されたあのグローブ。
オルスはルヴェンに「一人じゃない」と伝えたかったのだ。
ルヴェンは背後に立っていた男の足に抱きつき、そのまましばらく泣き続けた。
男は驚いたように一度目を瞬かせ、それからやさしくルヴェンの頭に手を置いた。
大きな手のひらは温かく、力強いのに不思議と安心感があった。
しばらくして泣き止んだ頃、男が明るい声を上げる。
「よし、それじゃあ俺達は歓迎の宴とするか?」
その声にルヴェンは顔を上げ、改めて男の顔を見る。
太陽の影に入ったことで、やっとはっきりと見えた。
手入れの足りない、短めで波打つ黒髪。
掘りの深い顔立ち、無精髭が生えた口元。
黒い瞳はしっかり見開かれ、野性味があった。
日焼けした肌に浮かぶ筋肉は、騎士のような「鍛えられた形」ではなく、荒事と労働でついた「実戦的な頑強さ」を放っている。
左腕の肘上には、十字架と読めない文字が刺青されている。
身長は180cmを超え、近くで見ると圧が凄まじい。
男は白い歯を見せて笑い、頭を撫でながら自己紹介をする。
「俺はジルウス=ハルバート。この貿易船の船長だ。まあ、暫く仲良くしようや」
ルヴェンも名乗ろうとしたが、ジルウスが手を挙げて遮った。
「名前なんざ聞かねえよ。坊主で十分だ」
豪放磊落な笑顔に、ルヴェンは少しだけ救われた気がした。
その後ジルウスに案内され、ルヴェンは甲板へ出る。
船は全長15メートルほど、幅は4メートルほどの小さな船だった。
そこかしこに吊るされた網や釣竿。木材に染みついた生臭い匂い。どう見ても貿易船には見えない。
(これ……どう見ても漁船じゃ……?)
しかしこの船は帆もないし、煙突らしいものもない。
それなのに、驚くほど快適な速度で海を進んでいる。
(どうして……? 動力はどこに?)
質問しようとした瞬間、二人の男が近づいてきた。
そのうちの一人――肥満体でワイルドなバンダナを巻いた男が、愛嬌のあるグリーンの瞳で近寄ってくる。
「親方ぁ! 今回の『荷物』はその坊主ですかい?」
ジルウスの眉がピクリと跳ね、拳を握る。
「ノッティン? 俺は船長だって言ってんだろうが! 次言ったらタダじゃ済まさねぇぞ!」
どうやらお決まりのやり取りらしく、二人はニヤニヤしている。
そこへ、もう一人の男が呆れたように声をかける。
「船長もノッティンも、何度その対話を繰り返すんですか? いい加減飽きましたよ」
声の主――カイツは長身で、海の男らしからぬ紳士的な服装。褐色の髪をオールバックにし、引き締まった顔立ちをしている。身長は170cmに届かない程度だが、立ち振る舞いには妙な品がある。
「カイツ! お前はいつもうるせぇんだ!」
ジルウスが照れたように言うと、ノッティンとカイツは声をあげて笑った。
三人は30代半ばらしく、どうやら長い付き合いのようだ。
ルヴェンはその空気の中にいて、不思議と胸の重さが軽くなっていくのを感じた。
――知らない海の上。
――知らない大人達。
確かに不安はある。
でも、どこかに「救われた」という感覚もあった。
仲間を失った心の穴はまだ塞がらない。
けれど、少しだけ前を向ける。本当に少しだけ。
ルヴェンは胸に掛けたネックレスをぎゅっと握った。
(……みんな。僕、ちゃんと生きるよ)
泣き腫らした目に、太陽の光が刺さった。
新しい旅が、静かに始まろうとしていた。
……が、三人の大人達に羽交い締めにあったルヴェンは、喉が焼け、一口で脳髄が上下左右の判別さえも分からなくなる様な液体を飲まされて、床に伏した。




