第三十小節 ~約束の言葉~
騒がしい足音とざわついた声が、静寂を破った。
ルヴェンは寝ぼけた意識の中でまぶたを上げる。牢内に差し込む光は眩しいほど強く、昼の日差しが石床に細かな影を作っていた。
鉄格子の向こうに、数人の男たちが無言で立ち並ぶ。
その影が陽光で伸び、ルヴェンの足元へと滲むように迫っていた。
何が起きたのかを問いかける暇もなかった。
鍵が外れる音が響くと同時に、男達はルヴェンの周りを取り囲み、鼻を刺すほど強烈な酸っぱい悪臭を放つ麻袋を不意に頭から被せてきた。。
「うわっ! 何するんですか!? 止めて下さい!」
袋の中はむせ返るような臭いで、目も開けられない。
視界を奪われ、体を動かそうにも鉄枷が皮膚に食い込む。
無言のまま男たちに担ぎ上げられ、乱暴に放り込まれる。
背中に乾いた衝撃が響く。
木箱だ。
狭く、身動きひとつすら許さない空間。
湿った木の匂いと埃が入り混じり、息をするだけで喉がざらつく。
蓋が閉じられると、すぐさまガンガンと釘を打ちつける音が響き渡った。
光は閉ざされ、完全に密室が出来上がる。
「助けて! 助けて下さい!」
叫んでも、木箱と外のざわめきに吸い込まれるだけだった。
やがて箱全体が揺れ始める。男たちが無造作に担ぎ、運んでいるのだ。
昼の喧騒、商人たちの怒鳴り声、遠くの鐘の音――それらすべてが外の世界なのに、ルヴェンにはもう届かない。
箱が馬車に乗せられたのか、車輪が石畳を叩き、船着き場へ向かう振動が続く。
日差しが木箱の隙間からわずかに入り込み、箱の板を薄く照らす。
しばらくすると、潮の香りが鼻先をくすぐり、波の打ち寄せる音が混じり始めた。
(港……。僕は……どこに連れていかれるの……?)
暑い箱内は息苦しく、汗が皮膚を伝い、麻袋へ吸い込まれていくたび惨めさが増す。
船へ積み込まれたのであろう、甲板の上で揺れが大きくなる。
昼の陽光が箱全体をじりじりと熱し、息がさらに詰まった。
出航の合図。錨を引き上げる音。
世界がまた遠ざかっていく――。
どれだけ時間が経ったころか。
コツ、コツ、と一定のリズムで誰かの足音が近づいてきた。
箱の前で止まり――。
鋭い衝撃と共に蓋が吹き飛び、麻袋も乱暴に引き剥がされる。
突然の白い日差しが視界を貫き、ルヴェンは目を細めた。
「うっ……!」
昼の太陽は容赦なく明るい。
だが、箱の湿気と悪臭の中から解放された肺に、新鮮な潮風が一気に流れ込み、胸が広がった。
「大丈夫か? 坊主?」
若く張りのある声。
逆光になって男の顔はよく見えないが、影越しにたくましい腕と無骨な指先が、器用に枷を外していくのが分かる。
「取りあえず俺の自己紹介は後でいいや。坊主は後ろを見てみな?」
男が顎で示した。
ルヴェンはふらつきながら振り返る。
そこには――
「ルヴェーーーン!! ルーヴェーーーン!!」
陽光の中、岸壁の突端をひとりの少年が必死に駆けていた。
真昼の太陽に汗が光り、涙がその頬を縦に流れ落ちているのがはっきり見えた。
オルスだ。
警備兵に追われながらも走り続け、声を枯らして叫んでいる。
「オルス!」
ルヴェンは船べりにしがみつき、身を乗り出して大きく手を振る。
陽光が海面に反射して、遠くまでまぶしい光の粒が揺れている。
頬に当たる潮が冷たくもあり、暖かくもあった。
オルスは何かを握りしめていた。
それを腕いっぱいに振りかぶると、渾身の力で投げた。
昼空を鮮やかな弧を描いて飛ぶひとつの影。
茶巾に包まれた、小さな、だがはっきりとした重みのある何かが、ルヴェンの胸元に吸い込まれるように届いた。
受け止めた瞬間、オルスが足を止め、胸の底から声を張り上げる。
「『俺達はずっと一緒』だからなぁ!! 絶対また会おうなーーっ!!」
太陽に負けないほど眩しい叫びだった。
汗と涙まみれの顔で、それでも笑おうとして拳を突き上げている。
「オルスーーッ!!」
ルヴェンも腹の底から叫ぶ。
昼の空に声が響き、海風がその声を運んだ。
友の姿が光の粒みたいに小さくなっても、水平線へ溶けても、
ルヴェンはずっと手を振り続けた。
胸に抱いた茶巾の温もりと、昼の光の中で交わした約束だけが――
遠ざかる世界と繋いでくれる、ただ一つの言葉だった。




