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第二十八小節 ~それぞれの思い~



 ビルデン城と城下街、そして遠く広がる蒼穹の海を一望できる高台――「風塚」。


 そこは古来より、竜へ祈りを捧げる場として人々に敬われてきた場所であり、幾つもの戦争を越えてなお、時代の風を受け続けてきた“風の聖域”である。


 夕日が西の水平線に沈みかけ、世界は淡い金色に染め上げられていた。

 

 日中の喧騒はすでに影の中へと消え、街には一つ、また一つと灯りがともる。

 その温かな明かりは、まるで無数の小さな祈りが静かに点されていくようだった。


 そんな美しい黄昏の中で――


 二人の男、エーウディアとセイセルが、崩れかけた古祠の前で向かい合っていた。


 ほんの少し離れた瓦礫の陰には、膝を抱えて身を小さくした少年オルスがうずくまっている。

 

 だが、二人はその存在に気付くことなく、互いの想いをぶつけようとしていた。


 風が草を撫で、砕けた石片が乾いた音を立てる。

 夕暮れの静寂は、二人の会話を残酷なほど鮮明に響かせた。


「セイ、もう動いても大丈夫なのか? お前は右膝から下を失ったのだぞ。痛みは、まだあるだろう」


 沈痛な面持ちでエーウディアが問う。

 セイセルは父の眼を避け、手すり代わりに杖を握りしめた。


「……痛みは薬で抑えてあります。ですが父上、申し訳ありません。騎士である私が、足を失うなんて……」


 悔しさを噛み殺した声。

 その肩は、夕焼けよりも濃い影を落としていた。


「そうか……」


 エーウディアは一度、遠くの海に視線をやった。

 その横顔は歳よりずっと老いて見えた。


「だが、お前には信頼できる部下も、支えてくれる領地の民もいる。これからは前線に立つのではなく、指揮官として国を導け。折角、前王陛下から賜わった領地があるのだから。……私の部下といえば、あのマスカルだからなぁ」


 自嘲混じりの苦い笑い。

 しかし、その目だけは決して笑っていない。


 セイセルは唇を結び、父の顔を真っ直ぐ見据えた。


「それで父上、ルヴェンの件で話があると……?」


 その名が出た瞬間、風塚の空気が一段冷えたようだった。


 エーウディアは深く息を吐き、静かに告げる。


「……ルヴェンが、『異端者』に認定された」


「……っ!!」


 セイセルは驚愕の息を漏らし、瞬時に父へ詰め寄った。


「そんな……何かの手違いでは!? マルコフ殿率いる王宮魔法士団は何もして下さらないのですか!?」


「ルヴェンはまだ子供だ。竜との分離に耐えられると思うか?」


「しかし……ッ!」


「分離に失敗すれば再度の暴走は免れない。ビルデン全てを危険に晒すことになる」


 父の静かな声に、セイセルの胸倉を掴む手が僅かに震えた。


「異端者と言えば……国外追放ですよ!? それもよりにもよって、竜を獲物とする戦闘国家フェルダイへ!? あの地で生き残れるなど……!」


 叫びは悲鳴のようだった。


「どうして我々で何とか出来ないのですか!? ルヴェンは……まだ十四歳の子供なんですよ!!」


 情け容赦のない現実へと、父エーウディアは氷の声で返した。


「お前はそれでもビルデンの騎士か?」


 セイセルの目に、一瞬で恐怖と怒りが広がった。


「お前は竜殺しをするつもりか? そんなことをすれば、お前自身が『異端者』になるぞ」


 掴んでいた父の服からするりと手から離れた。


 セイセルはその場に立ち尽くしたまま、呼吸すら乱していた。


 エーウディアは、突き放すように、しかし痛みを抱えた声で続ける。


「もはや個人の感情の問題ではない。ルヴェンを追放し、フェルダイに討たせる。それで両国の掟は守られ、均衡は保たれる。……それが、この世界の在り方だ」


 セイセルはゆっくりと顔を上げた。

 その目は涙で揺れていた。


「均衡……?」


「そうだ」


 エーウディアの言葉は淡々としていたが、その裏には深い疲労が滲んでいた。


「戦争とは表向きの争いに過ぎん。裏では物資も技術も交換されている。人類が生き残るために、互いを利用し合っているだけだ」


 エーウディアは一息、深い溜め息を吐いた。


「……そんな……」


「その均衡を保つ為にはな、末端の兵士も、騎士も、そしてルヴェンのような者も――“生贄”となる」


 夕日が完全に沈み、夜の青さが世界を飲み込んでいく。

 風塚は、まるで凍ったかのように静まり返った。


 セイセルは何も言えなかった。

 言葉を発すれば、己の中の全てが崩れてしまうと本能で理解していた。


「少し……考えさせて下さい。……父上」



 震える肩を押さえるようにして、彼は背を向けた。


 義足を引きずる音が、風塚に痛ましいほど響く。

 その姿は、騎士ではなく、ひとりの若者の弱さと悲しみそのものだった。


 父は、そんな息子を止めなかった。


 星々が瞬き始める夜空を見上げ、長く深い息を吐いた。

 その吐息には、国を背負う重さ、父としての痛み、そしてどうしようもない諦念が滲んでいた。


 エーウディアはやがて、静かに酒場へと歩き出した。

 酒精だけが、この痛みを鈍らせてくれると知っていたから。



 そして――

 全てを聞いていた少年、オルス。


 その小さな胸は、押し潰されそうなほど激しく脈打っていた。


 ルヴェンが異端者?

 フェルダイへ送られる?

 生贄?

 均衡の為に殺される?


 理解が追い付かない。

 だが、確かに感じ取ってしまった。


 『ルヴェンはこのままでは死ぬ』


 その現実だけは、幼い彼にも十分すぎるほど重かった。


 オルスは瓦礫の陰で拳を固く握りしめた。


 そして――

 その拳を地面へ何度も何度も打ちつけた。


 皮膚が裂け、血が滲み、石の粉が傷に入り込んでさらに痛みを広げても、それでも殴るのを止められなかった。


 胸の奥を支配するのは、どうしようもない無力感。


(どうすれば……どうすればいいんだよ……ルヴェンを……!)


 答えはない。

 世界はこんなにも広いのに、彼はあまりにも小さかった。


 けれど――


 泣きじゃくる彼の耳に、草むらで奏でられる虫たちの音が、優しい旋律のように寄り添ってくれる。


 夜が深まり、街の明かりは揺らめき、海風は静かで、星々だけが変わらない光を放ち続けている。


 オルスは涙を拭うこともせず、ただひとつの想いだけを胸に抱き続けた。


(俺は……絶対に見捨てない。絶対に、ルヴェンを助ける……!)


(……どんな手を使ってでも)



 少年の決意は固く、拳を握りしめていた。

 そう、それは確かに――灯りのように、小さくも確かな、友情が歪み始めた光だった。

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