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第二十七小節 ~異端者~


 ――ジュウウウウゥッ!と焼けた鉄が肉へと触れる、あまりにも生々しい音。


 次いで、鼻腔の奥に刺さるタンパク質の焦げる臭い。

 鉄と皮膚が融合するような匂いは、意識の底から嫌悪と恐怖を引きずり出す。


「うわぁあああ!!!」


 それは夢から引きずり戻された瞬間、反射的にルヴェンの喉から溢れたものだった。


 現実は、夢の優しさを無慈悲に剥ぎ取り、冷たく彼を迎え入れる。


 両手両足は太い鉄の枷によって壁に固定されていた。

 石造りの牢獄の冷気が皮膚を刺し、身動きひとつ満足に取れない。

 右肩から伝う汗と血が混ざり、冷え固まる感覚すら痛みとして知覚される。


 そして今まさに、左の鎖骨近くに『異端者』の烙印が彼の肌へと刻まれたのだった。


 痛みに耐えきれず体を捩ると、枷がガシャンと音を立て、腕に食い込んだ。

 涙で視界が揺れる中、見えたのは黴に侵食された石壁、天井から垂れた蜘蛛の巣、そして無機質すぎる鉄格子。


 ここはビルデン城地下深く――

 陽光の欠片すら届かぬ最底辺の牢獄。


 薄暗さに慣れた目が周囲を捉えると、数名の牢獄監視士たちが、感情の火の消えた目で彼を見下ろしていた。

 人を人と思わぬ目。痛みも恐怖も、理解しようとする意思すらない仮面のような表情。


 だが、その中にひとりだけ、歪んだ薄笑いを浮かべる男がいた。


「さぁ! とっととそのボンクラに烙印を押して! ゴミのように放り出して、私の時代を呼び込むのです!」


 甲高く響く声。

 副団長マスカル。


 父の背中で権力をしゃぶり尽くし、少しでも隙あらば踏み台にしてやろうと企む、骨の髄まで腐ったハイエナ。


 ルヴェンがもっとも関わりたくなかった男だ。


「さぁ、ボンクラルヴェン君ー? 君はこれから他国でヤツラのエサになってもらうよー? 分かったら速攻殺されて! その身に宿る黒竜様の力を返しなさい!」


 マスカルはルヴェンの髪を掴み、顔を近づけた。

 熱い息と悪臭が混ざった呼気が耳にかかる。次の瞬間――


 ガンッ!!


 顔面が石床に叩きつけられた。衝撃が脳を揺らし、視界が何度も白く弾ける。


 痛い。

 だが――それ以上に心に突き刺さったのは、先ほど告げられたたった一つの言葉。


『異端者』


 それはビルデンにおいて、死刑より重い烙印。

 色塚の掟を破り、竜を冒涜し、国そのものへの反逆者とみなされた者に与えられる、最低にして最悪の称号。


 異端者となった者は例外なく国外追放。

 逃げたところで待つのは他国の暗殺者。

 生き延びた者は――歴史上一人もいない。


「僕が……異端者……僕は……殺される?」


 焼けつく鎖骨を押さえることすらできず、ルヴェンはただ震えた。

 焼き鏝の跡から漂う焦げ臭さが、死の宣告そのものに思えた。


 やがて、マスカルたちは乱雑な笑いを残して立ち去り、牢獄には湿気と血と悪臭だけが残された。

 

 石壁に滴った水がポタリと落ち、静寂をさらに冷たくする。


 ひとりになったルヴェンは、ぼろぼろの石床の上に項垂れながら、欠けた記憶を手繰った。


 闇塚での戦い。

 黒竜の力が暴れ出した瞬間。

 

 その先が、真っ白だ。


「そうだ! コリアは!? オルスやアズルー、テウロンはどうしたんだろう? 無事……だよね……?」


 友と、妹の顔が浮かぶ。

 焼き付いた痛みよりも、彼らを案じる気持ちの方が胸を締めつけた。


「僕が此処にいるってことは、みんな無事なはず……」


 そう言わなければ、心が崩れそうだった。

 自分が囮にされたのかもしれない――そんな考えを、かろうじて押し殺す。


 その時だった。

 左手に妙な違和感を覚えた。


「……?」


 鎖に拘束されたまま手を動かすと、そこには見覚えのある赤い革の感触があった。


「コレは……オルスのグローブじゃないか! どうして僕が!?」


 オルスの大切な、戦いの相棒とも言えるグローブ。

 汚れていながらも、確かに手のひらに残るあの温かさ。


 ――オルスはここまで来てくれた?

 ――それとも、僕に託した?


 疑問が次々と浮かび、混乱が渦を巻く。

 すべてを考えるには疲労が深く、焼き鏝の痛みも重なり、思考はすぐに途切れた。


 抗えない眠気が波のように押し寄せてくる。


「みんな……無事で……よかった……」


 自分に言い聞かせるような声を最後に、ルヴェンの意識はふたたび闇へ沈んだ。


 ――その直後。


 彼が眠りについた粗末なベッドの端に、ロインがふっと姿を現した。


 まるで霧から形をとったように、影も気配もなく。


 彼は静かにハープを抱え、牢獄の湿った空気に溶け込むように歌い始める。


「見えぬ明日、消える過去、

 彼の持つ、戒めの印は

 彼から何を奪い、そして何を与えるのか……

 そして彼の持つ、古の力も、

 彼から何を奪い、そして何を与えるのか……

 時の歯車を共に回そう、私と共に……」


 柔らかく、それでいてどこか神秘めいた旋律。

 空気が震え、音が色を持ち、石壁に染み込んでいく。


 歌声が消えると同時に、ロインの姿もまた霧のように薄れ――

 牢獄には、再び静寂だけが残った。


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