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第二十二小節 ~The LEFT HANDS(前)~




「な、何だよ……コレ……」



 オルスの思考が、黒い空洞へ真っ逆さまに落ちていくみたいに停止した。



 避難所の入り口に立った瞬間、目の前に広がった光景は『安全』という概念を世界から綺麗に消し去っていた。



 本来なら、最強クラスの魔物除けの結界が張られ、王都のどこよりも守られた地下避難拠点であるはずだった。



 炎も魔物も届かず、一般市民が最後に逃げ込む“絶対の砦”。



 ――そのはず、だった。



 だが今、この場に吹き荒れているのは、肌にまとわりついてくる生臭い魔力の風。



 その風の塊がぶつかるたび、まるで、誰かの悲鳴が空気の中に混ざっているかのような不快な感触が走る。



 ぱちり。


 頬に飛び散ったのは――暖かく、ねっとりした液体。



「……血?」



 つぶやきが震えた。


 もう一滴。



 空中をゆっくり回転しながら落ちてくる『肉片』――それは、確かに人の腕だったものの断片だった。



 目を逸らしたいのに、視界に飛び込んでくる。


 そこら中に散乱した、人だったものの残骸。


 意識が拒否しても、臭いだけが残酷に真実を告げてくる。



「危ない!」



 怒声と同時に、セイセルの体がオルスに覆いかぶさった。



 


 ドサッと押し倒された次の瞬間、頭上を暴風の塊のような魔力が薙ぎ払い、空気そのものが悲鳴を上げて裂ける音がした。



 鼓膜が破れそうな衝撃に、オルスは思わず目をつぶった。



「……っ、ぐ……!」



 耳がキーンと鳴り、世界から一度音が消えた。



 静寂、一切の音を感じることが出来なかった。



 その直後に、爆音、悲鳴、金属が砕ける音――あらゆる喧騒が一気に押し寄せ、脳が揺さぶられる。



 混乱した意識を、セイセルが容赦なく現実へ引きずり戻す。



「オルス! しっかりしろ! ルヴェンが――黒竜が暴走している!」



 セイセルがオルスの肩を強く掴み、必死に声を張り上げていた。


 だが、その声に混じる震えを、オルスは拾ってしまう。



「避難所はもう危険だ! 逃げ――ぐっ!」



 言い切る前に、セイセルの表情が激痛で歪んだ。



「セイ兄ぃ!? 足が!」



 オルスが身を起こすと、セイセルの右足が――巨大な瓦礫の下敷きになっていた。



 鎧はねじ曲がり、血が滲むどころではなく溢れ続けていた。


 骨が砕けた、あの嫌な音が今も耳の奥に残っている気がする。



 ――これ、治るとかのレベルじゃねぇ。



 本能が告げていた。



「すまねぇ兄ぃ……! 俺のせいで……!」



 涙が止めどなく溢れる。


 自分を庇ってなければ、兄貴分の足は無事だったはずだ。



 そう理解した瞬間、喉の奥がぎゅっと締め付けられた。



「なぁに……お前はまだ騎士じゃない。国民の命を守るのは……騎士の……役……ぐあっ……!」



 苦痛に顔を歪めながらも、セイセルはオルスを安心させるように微笑もうとしていた。


 その姿が余計にオルスの胸を抉る。



「兄ぃ……!」



 震える腕で瓦礫にしがみつき、全身の筋肉を悲鳴を上げさせながら押し退ける。


 腕が千切れるんじゃないかと思いながら必死に力を込め――なんとか、セイセルの足を解放した。



 息を整える余裕すらなく、次の瞬間。



 ――ふ、と風が止んだ。



 あれほど暴れていた魔力の嵐が、嘘のように静まり返る。


 だが、それは決して安堵の静寂ではない。



 今にも弾け飛びそうな、張り詰めた“死の前触れ”の静けさだった。



「なんだ……? 結界が……解かれた……?」



 セイセルが蒼白な顔で呟く。



「解かれたらヤベーんじゃねぇの兄ぃ!? ここ避難所なんだぞ!」



「とりあえず中心部に行くぞ。コリアは陛下と父上の所に先に連れて行った……すまん、オルス。そこまで運んでくれ……!」



 セイセルは痛みに震えながらも、声だけは強く保った。



「兄ぃが水臭ぇこと言うなよな!! あんたは……俺の命の恩人なんだぞ!」



 オルスは歯を食いしばり、兄を背負うように抱え、避難所の中心へ急いだ。


 膝が笑っても、心臓が破裂しそうでも、兄貴分を支える腕だけは絶対に緩めない。



 中心部に辿り着くと――


 そこには、震えるコリアが、エーウディアの足にしがみついていた。



「父上!」「おじさん!」



 セイセルとオルスが同時に叫ぶ。



「セイ! その足……どうした!? 一体何があったのだ!」



 エーウディアの目が大きく見開かれた。


 怒りではなく、ただただ息子を心配する父親の目だった。



「騎士として任務を遂行しただけです、父上。何も問題ありません」



 苦し紛れの強がりと分かっていても、誰もそれを否定できなかった。


 セイセルは蒼白で、立っているのも奇跡のような状態だ。



 オルスは悔しさに唇を噛み、兄の横で拳を握りしめる。



 そんな中。



「それはどうあれ――この状況をどうにか打破せんといかんな……。ワシの力の、試し時じゃ」



 緩んだような、どこかひしゃがれた声が、エーウディアの背後から聞こえた。



 この声を知っている。


 この“飄々とした空気”を纏いながら、実は底の見えない力を秘めている老人を――



 オルスはゆっくりと顔を上げた。



 そこに立っていたのは――



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