第一小節 〜根源〜
荒れ果てた荒野――そこは、まるで世界の色彩が抜け落ちたような死の大地だった。
乾いた風が唸りをあげ、黒ずんだ砂を巻き上げては渦を作り、また消える。
空には雲が低く垂れ込め、遠雷のような重苦しい響きが時折大気を震わせていた。
一体ここで何が有ったのだろう。大地は抉れ、そこかしこに血痕が広がっている。
その中心で、ひとりの少年が歌っていた。掠れた声で、震える身体で、それでも必死に言葉を吐き出すように。
そして、少年の背を守るように、一人の朧気な吟遊詩人が静かにハープを奏でていた。
風は容赦なく二人を打ちつけるが、吟遊詩人の衣服は風に靡く事をせずメロディーだけが時間を刻む。
細い旋律は確かに荒野を満たしていた。
「紅に染められし、我が友よ、
悲しい剣胸に抱き、
黄昏に沈み行く、儚き思いよ……。
定めに捕らわれては、誰が為に戦い、
全て終わりし日に、
永遠の、安らぎを……」
少年の頬は涙と返り血でまだらに汚れ、両腕には――胸に深々と大剣で貫かれ、息絶えた同い年ほどの青年の身体を抱きしめていた。
指は震えたまま、しかし決して離そうとはしない。
その姿は、荒野の冷たさよりもずっと痛々しく、あまりに幼い覚悟に満ちていた。
そんな少年と背中合わせに座っていた吟遊詩人は、ふとハープの音を止める。
褐色のローブを纏ったその姿はどこか影の薄い、しかし確かな存在感を持っていた。
彼の周囲の空気だけが柔らかな光に揺らぎ、荒野とは別世界の様相を呈している。
「私はロイン……語り部ロイン。遙かな時を旅する、時空の旅人。」
その声音は風の唸りに紛れながらも、確かに響き、続けて静かに言葉を落とす。
「全てが終わる……。 私の試練が終わる……」
次の瞬間、ロインは再びハープを奏でだす。音は荒野に似つかわしくないほど澄み渡り、まるで空気の色を変えるかのように流れ込んだ。
「少年は友を抱く、血まみれの友を抱く、そして少年は誓う、『闇を切り裂く勇者になる』と、
この日彼は遠き過去を振り返る、始まりの日を、少年の名は……ルヴェン=カロース=エスメラルダ」
旋律が静かに消えゆく中、ロインは一度深く息を吸い、そして――風に溶けるように言った。
「また会いましょう……。この時空のどこかで……」
その瞬間、彼の身体は淡い光を散らし、霧のように形を失った。そして、少年の肩を吹き抜ける風は残してはくれなかった。「そこ」に「何か」が居た痕跡を。
――しかしその声は、少年には届いていたらしい。
呆然と空を見上げる彼の視界に映るのは、ただ淡く明け始めた空だけ。生暖かい砂混じりの風がその頬を撫で、遠く東の空から昇りゆく朝日が少年の濡れた瞳を照らす。
赤く、そして眩い光が、彼の運命を焼き付けるように射した。
――昇りくる太陽は、今、運命の火蓋を開けるのだった。
時は変わり――荒野の静寂とは正反対の、穏やかな光に包まれた王都の朝が広がっていた。
優雅で古く、由緒正しき家々が等間隔に並ぶ大通り。
赤褐色のレンガが敷き詰められた道は朝露に濡れ、斜めから差し込む陽光を受けて淡く輝いている。
規則正しく植えられた街路樹が風に揺れ、枝葉の隙間からこぼれた木漏れ日が路面に踊った。
遠景には、威厳を感じさせる重厚な城壁が堂々とそびえ立ち、別の方向には霞むように連なる山脈。
その反対側には、朝日を反射して銀色に波立つ海が広がり、王都の空気に爽やかな塩の香りを混ぜていた。
――ここはビルデン王国の首都、ビルデン城下街。その一角。
清々しい朝の静寂を破るのは、元気すぎる罵声だった。
「おーい! ルヴェーン! いつまで寝てるんだ? おいてくぞー!」
半ば怒鳴り声のその呼びかけに、屋敷の二階にあるルヴェンの寝室でようやく布団がもぞりと動く。
寝起きの頭を抱えながら、彼はゆっくりと寝室に隣接する大きなバルコニーへ出た。朝風が頬を撫で、まだ覚醒しきらない瞳を細める。
「あれ……? おはよう、オルス……」
「たーっ! なんでそんなにふぬけてるんだよ! 今日は認証試験だぞ!? ヤル気ゼロかよ!」
大通りの下から、真っ赤な短髪の少年――オルスが大げさに肩を落として叫び返す。
「今日で“騎士”になれるかどうか決まるのにさ! ビルデンの誇り高き騎士だぜ? それがだな……名将《金剛獅子》エーウディア様の息子で、《白銀狼》セイセル様の弟! ルヴェン=カロース=エスメラルダ様がこの体たらく! なさけねぇ……」
「父様と兄様は厳しすぎるんだよ。ボクはあそこまでなれないって……オルス=ド=ヴァイア=ゼディアーク様?」
ルヴェンは、寝ぼけながらも意地の悪い小さな笑みを返した。
その時――
「急がないと本当に遅れちゃいますよ? ルヴェン兄様、オルス兄様?」
少し舌足らずな、愛らしい声が庭を通して聞こえた。
声の主はルヴェンの妹、コリア。
肩に触れる金髪が朝日に透けて輝き、コバルトブルーの瞳がきらきらと揺れている。まだ十二歳の彼女は小柄でおっとりしており、完璧な“箱入り娘”と言っても差し支えない。サラリと風に舞う髪を結っている瞳と同じ色のリボンが、彼女の愛しさを更に引き立てていた。
「あっ!! 本当だ、ヤベェ! 行くぞルヴェン! あ、コリアちゃんおはよ! じゃあな!」
オルスは慌てて手を振り、準備の遅いルヴェンを半ば引きずるようにしてエスメラルダ邸を駆け出した。
金髪が風に揺れ、ルヴェンの青い瞳が光を受けて揺らめく。
華奢で繊細な体つきは騎士の家系とは思えぬほど美しく、十四歳にしてはあまりに儚げな少年だった。
一方、隣を走るオルスはその対極にいる。 燃え上がる炎のような真紅の短髪、好奇心に満ちた漆黒の瞳。
父譲りの骨格は頑健で、すでに大柄な剣を扱える筋肉が備わっている。手には訓練で常に使う大剣の重量から皮膚を守るための、紅く分厚いグローブ。
エスメラルダ家とゼディアーク家は親同士が深い友人であり、この三人は兄弟のように共に育ってきた。
大通りを駆け抜ける二人の足音がリズムを刻む。胸の内の高鳴りを抑えきれず、オルスが息を弾ませながら言った。
「なぁ! 今、戦時中だろ? 試験受かったらさ……オレら、すぐに最前線とか行けたりして!」
期待でいっぱいの声に、ルヴェンは気弱に眉を寄せる。
「えぇ……。ボク、争いは苦手だし……」
心許ない声は走る風に掻き消え、最後の言葉はほとんど聞こえなかった。
価値観も性格も真逆の二人――だが、ふと視線が合うと、どちらともなく小さく笑った。
――これが、全ての始まりの朝だった――




