第十七小節 ~竜依戦士(ドラゴンウォーリアー)~
「おおーーい! 今の衝撃はなんだ!? それに、あの気配は……」
土煙が舞う視界の向こうから、張り詰めた男の声が響いた。
それは絶望の淵に立たされていたオルスとコリアにとって、地獄に垂らされた蜘蛛の糸のように聞こえた。
足音の主たちは、瓦礫を蹴り、剣呑な空気を纏ってこちらへと近づいてくる。
ランタンの光に照らされ、暗闇から浮かび上がるそのシルエットに、オルスは目を凝らした。
「セ……、セイ兄ぃ! セイ兄ぃなのか!?」
「セイセル兄様!! 兄様ぁー!!」
張り詰めていた糸が切れ、二人の瞳から堰を切ったように涙が溢れ出す。
恐怖と疲労で感覚の無くなっていた足を無理やり動かし、半べそ状態でその姿へと駆け寄った。
現れたのは、エスメラルダ家の長兄、セイセル=マス=エスメラルダ。
硝煙と血の匂いが充満する戦場において、彼だけが異質なほどに美しかった。
エスメラルダ家では異例とされる、月光を紡いだかのような銀の長髪。切れ長のスラリと釣り上がった瞳は、深海を思わせるコバルトブルーを湛えている。
その優美な顔立ちとは裏腹に、彼は「白銀狼」の異名で怖れられるほどの、貪欲かつ冷徹な戦闘スタイルを持つ男だ。
ビルデン北方の領主を務める彼が、常集集会のために帰郷していたことは、二人にとって奇跡としか言いようがなかった。
「オルス! 何があった!? ルヴェンは!? ジレンさんはどうした!?」
セイセルは美しい顔を歪め、肩で息をしながらオルスの肩を掴んだ。その握る力の強さが、彼の焦燥を物語っている。
「ガルさ……先生はとっくに逝っちまった……。ルヴェンは……」
「セイセル兄様ぁ! ルヴェン兄様がぁ!」
オルスが項垂れ、重い口調で告げようとした言葉を遮るように、コリアがセイセルの胸に飛び込んだ。
幼い妹の慟哭が、兄の鎧越しに響く。
「よしよし、コリア。怖かったな……。大きくなったね、お母様にそっくりになってきたじゃないか」
セイセルは戦人の顔から兄の顔へと表情を緩め、震えるコリアの背を優しく撫でた。
だが――そのコバルトブルーの双眸だけは、笑ってはいなかった。
鋭い視線はオルスを射抜いたまま、周囲の異様な光景を冷徹に観察していたのだ。
「で……? 一体何があった? この魔物達の死に様はなんだ? お父様が率いる近衛騎士団でも、この短時間でこの数を屠るのは厳しいぞ……」
セイセルの視界に映るのは、ただの死骸ではない。何かに食い千切られ、あるいは焼き尽くされ、原形を留めぬほどに破壊された魔物の山だ。
少年剣士二人が成し得る戦果ではない。明らかに、異常な「暴力」がここを通り過ぎていった痕跡だった。
「え……と……。ルヴェンが谷におちて? んで現れたと思ったら、黒い霧がドラゴンで……? あれ? ルヴェンがドラゴン? あれ?」
オルス自身、何を見たのか整理がついていなかった。
断片的な記憶。黒い霧。圧倒的な殺意。
困惑し、要領を得ないオルスの言葉だったが、セイセルはまるで“聞きたくなかった答え”を繋ぎ合わせるように、唇を噛んだ。
断片だけで十分だった。
むしろ――断片“だけ”だからこそ、確信に至ってしまった。
「まさか、纏ったのか……? ルヴェンが? 黒い霧……黒竜の竜依戦士?」
その単語を口にした瞬間、セイセルの顔から血の気が引いた。
端正な顔立ちが、信じられないものを見たかのように凍りつく。
コリアを抱き寄せたまま、セイセルは無意識に後ずさった。全身が粟立つような悪寒が彼を襲う。
「そんな、弟が……。あんな運命に……、う……受け入れたのか? アイツは……」
セイセルは顔を左右に振り、その残酷な現実を拒絶しようとした。
体中の震えが止まらない。それは恐怖では無く、兄として弟にこれから起こり得る「最悪の事態」を知っているが故だ。
彼の心は血を分けた家族として悲鳴を上げていたのだ。
「若! ここにいてももう無駄です! 早く撤退しましょう!」
周囲を警戒していた近衛騎士団の一人が、切迫した声でセイセルに呼びかける。まだ周囲には死の気配が濃厚に残っていた。
「ああぁ……分かった……お父様の下へ行こう」
部下の声に、セイセルは現実に引き戻された。
だが、その動きは重く、鉛を飲み込んだかのように体が震えている。
それでも彼は長兄として、コリアとオルスを促し、洞窟の深部へと歩き出した。
「セイセル兄様? 大丈夫ですか? 何があったんですか?」
兄の様子の変化を敏感に感じ取ったコリアが、涙に濡れた瞳で心配そうに見上げてくる。
セイセルは一瞬だけ息を呑み――次の瞬間には、完璧な仮面を被った。
「ああ、大丈夫だ。早く皆の所へいこう、そうすれば安全だ」
セイセルは妹に向けて、満面の笑みを浮かべた。
それは、あまりにも優しく、頼りがいのある兄の笑顔だった。
胸の内で荒れ狂う動揺と、弟への絶望的な哀れみを、必死に押し殺しながら。




