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第十五小節  ~咆哮~


 



 咀嚼音が止んだ。



 アズルーの内臓だった物が胃袋に収まり、洞穴には再び、重く、粘りつくような沈黙が支配した。


 オルスとコリア、そして魔物たち。


 狩られる者と狩る者、その間には、糸一本で張り詰めた緊張と、底なしの恐怖が横たわっている。


 オルスは動けなかった。動けば即座に殺されるという本能的な警告と、友を目の前で喰われたショックで、体が石のように硬直していたのだ。


 その時、アズルーの上半身――虚ろな瞳で見開かれたままの頭部――の傍らに、ふわりとロインが姿を現す。


 彼は血の海に浸ることも厭わず、優しくその瞼を撫でて閉じさせると、鎮魂の歌を紡ぎ出す。


「少年は『傷』の洗礼を受け、

 友は『血』の洗礼を受ける。

 互いの道は別々となり、

 しかし等しく悲しみを背負う。

 失う痛みという名の、

 儚き想いを胸に抱き、

 やがて二つの魂は離れることとなる……

 遠き過去より定められた……運命の未来へと」

 歌声が染み渡り、ロインの姿が蜃気楼のように揺らぎ、消えた。



 残されたのは、残酷な現実だけ。



「ハァ……ハァ……。どうすれば……どうすればいいんだ……父上……ルヴェン……」


 オルスは乾いた唇で呟き、心の底から救いを求めた。

 だが、父は死に、ルヴェンも奈落へ落ちた。

 誰も助けになど来ない。


「グルルルル……」


 食事を終えたサソリの魔物が、新たな獲物を求めてハサミを鳴らす。


 オルスは意識を失ったコリアを引きずり、少しでも距離を取ろうと後退あとずさる。背中は冷たい岩壁に当たり、もう逃げ場はない。



「キシャアアアアァア!!」



 頭上から金切り声が降ってきた。


 上空を旋回していた翼の魔物が、隙だらけのオルスに狙いを定め、急降下してきたのだ。



 鎌のような鋭利な翼が、死神の刃となって振り下ろされる。


 ――殺られる!!


 オルスはコリアに覆いかぶさり、目を瞑った。

 自分の非力さを呪いながら、肉が裂かれる痛みを覚悟した。


「……あれ……?」


 数秒が経ち、永遠にも似た時間が過ぎても、痛みは来い……。


 恐る恐る目を開けると、そこには奇妙な光景が広がっていた。


 翼の魔物は空中で静止し、サソリの魔物もハサミを下ろしている。


 彼らの視線はオルスではなく、オルスの背後――崖の淵に繋がる闇の奥を凝視していた。


 魔物たちの体から、微かに震えが伝わってくる。



 それは明らかに「畏怖」だった。



 ――何故?



 オルスは疑問に思ったが、すぐに背筋を凍らせるような冷気と、重い足音を感じて振り返った。


 ズリッ、ズリッ……。


 底なしの闇から這い出るように、黒い霧を纏った人影が、ゆっくり、ゆっくりと近づいてくる。


 オルスが目を凝らすと、霧の中から見慣れた少年が姿を現した。


 先ほど崖から転落したはずの親友、ルヴェン。


 だが、その姿は異様だった。髪は光一つ届かない深淵の様な黒色、瞳は見つめ過ぎれば心をその深き闇に引き摺り込まれそうな漆黒。


 更に左手からは動脈が切れたかのような大量の血が滴り落ちているが、彼は痛みを感じている様子すらない。


 そして、その左腕には、コールタールのような黒い霧が、生き物のように渦を巻いてまとわり付いている。


 オルスは彼の髪や瞳の色が変化している『違和感』も、その動転した心理状態からでは理解出来なかった。


「ル、ルヴェン! お前、無事だったのか!? 生きてたのか!?」

 オルスは歓喜と安堵で声を張り上げた。


「聞いてくれ! 大変なんだ! アズルーが! テウロンが殺された! 食われちまったんだよぉぉ!!」


 悲鳴に近い声で訴えかけたが、ルヴェンは何の反応も示さない。


 ただ、機械のように一定のリズムで歩み寄ってくるだけだ。


 明らかに違う、『違和感』は『確信』へと変わり始める。


 距離が縮まるにつれ、オルスは本能的な拒絶反応を覚えた。



 ――違う。こいつは『ルヴェンじゃない』。


「お前……誰だよ……?」


 思わず言葉が溢れる。五感が警鐘を鳴らし、体中の汗腺が閉じる。


 いつもニコニコと笑い、女の子と見紛うほど澄んだ晴天の空の様な瞳を持っていた優しい親友は、もうそこにはいない。


 今の彼の瞳は、光を一切反射しない、底なしの「虚無アビス」。


 そこに感情の色はなく、ただ圧倒的な「圧」だけが存在していた。


 張り詰めた空気が、限界を迎える。


 魔物たちが、本能的な恐怖に耐えかねて後退りした、その時。


 ルヴェンが、大きく息を吸い込んだ。



「う……ウウウオオオオオオオォォォォォォォォォォォッ!!!」



 人の喉から発せられるはずのない、爆発的な咆哮が解き放たれた。


 それは単なる大声ではない。物理的な衝撃波を伴う音の暴力。


 洞窟内の全ての壁に反響し、鍾乳石が砕け散り、オルスや魔物たちの鼓膜を破らんばかりに振動させる。

 空気が震え、大地が悲鳴を上げて揺れた。


 その声には、人間への憎悪、失った愛への慟哭、そして世界そのものを呪うような破壊の意志が込められていた。


 それはまさに。



 荒れ狂う黒竜の、怒りの咆哮だった。

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