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第十四小節  ~狂った歯車~






「うわああああああぁあああ!!!」



 オルスの喉から、人としての理性をかなぐり捨てたような絶叫が迸る。



 それは悲鳴ではない。魂が砕ける音だった。


 遥か奈落の底でルヴェンが上げているはずの咆哮は、目の前の惨劇に対するオルスの絶叫にかき消され、闇に溶けていく。


「アズルー……テウロン……そんな……嘘だろ……」


 オルスは腰を抜かし、その場に崩れ落ちていた。足に力が入らない。指先が震えて止まらない。


 傍らでは、あまりのショックに意識を刈り取られたコリアが、糸の切れた人形のようにオルスの肩に寄りかかっている。


 オルスの瞳孔が開いた目が捉えているのは、地獄だった。


 先ほど現れた巨大なサソリの魔物が、二つに千切れた銀色の毛並みの塊――かつてアズルーだったもの――からこぼれ落ちた、ピンク色の長い臓腑を無機質なハサミで器用に手繰り寄せ、咀嚼音を響かせながらその口へと運んでいるのだ。



 ――狂った歯車が全てを粉砕したのは、ほんの数分前のことだった。


「テウロン! ほいじゃ一発いくじぇ! オルスの為に道を開けるじぇ!」

「りょうかーい! にーちゃん!」



 アズルーとテウロンは身構え、巨大なサソリに向かって軽口を叩きながら飛び出した。

 その背中には、恐怖よりも友を守るという使命感が満ちていた。



「悪い! 恩に着る! ここを出たら最上級の肉でも、珍味の木の実でも、後で好きなだけ食わせてやるからな!!」


 オルスは確信していた。森一番の暴れん坊である彼らの勝利を。


 左手で震えるコリアを抱き寄せ、脱出の機会を伺う。


「オルスー! その言葉忘れるなだじぇ! たーらふく食ってやるじぇ!」


 アズルーはニカっと白い歯を見せて笑うと、両手の石剣を構え、疾風のごとく切りかかった。



 ――ガツッ!




 手応えのない、鈍く重い音が洞窟に響く。

 サソリの外骨格は赤黒い闘気エナジーの膜に覆われており、アズルーの渾身の一撃をいとも簡単に弾き返したのだ。



 石の剣では、闘気の鎧には傷一つつけられない。



 だが、アズルーもそれは承知の上。彼の役割はあくまでおとり


「テェウローーーン! 今だぁ! いっけぇええええええ!」



 魔物の闘気によるカウンターで後方へ吹き飛ばされながら、アズルーが弟の名を叫ぶ。



「にく! きっのみ! にく! きっのみぃ!」



 意気揚々としたテウロンは、普段の四足歩行から不慣れな二足歩行へと切り替え、小さな右前足に全身全霊の闘気を集中させる。



 無邪気な彼の頭の中は、オルスとの約束――ご馳走のことでいっぱいだった。

 テウロンの腕に、闘気によって形成された長さ50cmほどの銀色の爪が輝く。



 彼はその爪を振りかぶり、無防備なサソリの後頭部めがけて飛んだ。必殺の一撃。




 しかし。



 

 辺りに響いたのは、硬い甲羅を砕く音ではなかった。


 熟れた果実を棒で突き刺したような、湿った不快な音。




 ……読まれていたのだ。




 サソリは振り返りもせず、闘気むき出しのテウロンの気配を正確に捉え、太い尾の先端にある毒針を背後へ突き出していた。


 その針は、空中のテウロンの眉間を正確に貫き、後頭部へと突き抜けていた。


 ビクン、とテウロンの体が一度だけ痙攣する。

 次の瞬間、サソリが尾を無造作に振ると、テウロンの頭部の上半分が弾け飛んだ。



 白と赤が混じった内容物を撒き散らしながら、愛らしい子犬のようだった体は、ただの肉塊となって地面に叩きつけられる。




「テ……テテ……テウ……テウローーーン!!」



 愛する弟のあまりにあっけない、無惨な死。

 

 その愛しかった肉塊が地面に転がり、小さな痙攣をしている様を、アズルーは目を見開いてまるで走馬灯でも見るように、呆然と直視している。


 次の瞬間、彼の中で感情が弾け飛んだ。


「きゃああぁああああ!!!」

 飛び散った破片を浴びたコリアは、限界を超えた恐怖に悲鳴を上げ、そのまま意識を失い崩れ落ちる。


「コリアちゃん!? 大丈夫!? おいアズルー待て! 待てって!!」


 オルスはコリアを支えながら叫んだ。


 だが、アズルーの耳にはもう何も届いていない。彼は涙と涎を撒き散らし、石剣を振り上げてサソリへと突っ込んでいく。



「てんんめえええええ!! ぶっころしてやるじぇええぇええ!!」




 ――結果など見えていた。


 それは戦いではない。赤子が暴走するダンプカーに挑むようなものだ。


 サソリは迫りくるアズルーを煩わしそうに、その巨大なハサミで横から挟み込んだ。


「ガハッ……!! うあああぁあ!! くそ! くそ! くそぉぉおぉぉ!!」




 万力のようなハサミに胴体を締め上げられ、アズルーは涙と共に口から血泡を吹きながらも、懸命に硬い甲羅を殴り続ける。



 だが、その拳は虚しく弾かれ、ペチ、ペチという乾いた音が響くだけ。


「アズルー! アズルゥウーー!」 



 オルスが駆け出そうとした、その瞬間。

 


 太い丸太をへし折るような音と、濡れた雑巾を絞るような音が同時に響いた。


 オルスの視界の中で、アズルーの上半身と下半身が、脇腹を境に泣き別れた。


 鮮血の噴水が天井まで届き、二つに分かれた体は、ゴミのように地面へ捨てられる。




 不気味に蠢くハサミと尻尾には……赤黒い血糊と、引きずり出された臓器が絡みついていた。




「うわああああああぁあぁあああ!」


 ルヴェンの魂の絶叫が洞窟に木霊する。



 その声は、今目の前で繰り広げられる惨状を目の当たりにしたオルスの慟哭と重なり、不協和音となって闇塚を震わせた。



 だが、誰も助けには来ない。

 オルスは腰を抜かしたまま、ただ震えることしかできなかった。



 目の前では、サソリの魔物がアズルーだったものの内臓を、まるでパスタでも啜るかのように、ズルズルと音を立てて貪り食っている。


 その咀嚼音だけが、静まり返った洞窟に響き続けていた。

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