第十二小節 ~Drag'on PAIN(前)『黒』~
「ギギャアアアッ!!」
鼓膜を突き破るような魔物の絶叫が、閉鎖された洞窟内に幾重にも反響する。
腐敗した土の匂いと、魔物の獣臭、そしてオルス達の荒い息遣いが混ざり合い、闇塚の空気はドロリと重く澱んでいた。
周囲の闇からは無数の赤い目が光り、バサバサという羽音が耳元を掠める。
完全に包囲されていた。
「ハハ……、やっべぇ……。け、剣を……塚に置いてきたー!!」
オルスが背中に手を伸ばしたまま、乾いた笑いを漏らす。
そこにあるはずの頼れる鋼の重量感がない。あるのは冷や汗に濡れたシャツの感触だけ。
父の死、逃避行、あまりの混乱に、戦士の魂である剣を忘れるという致命的な失態を犯していたのだ。
「何やってんだじぇーオルス! オメーそれでも剣士かよぉー!」
「うはぁ! カッコ悪ぅーい! 信じらんなーい!」
アズルーとテウロンが呆れたように叫ぶが、その声には嘲笑よりも「俺たちが守らなきゃ」という必死さが滲んでいた。
兄のアズルーが銀色の毛並みを逆立て、短剣を構えながら叫ぶ。
「しゃーねー! ここは俺らが何とかするじぇ! オメー等はとっとと先に行くじぇ!」
その背中は、オルスとコリアの盾となるべく立ちはだかっていた。
「そんな……! さっき会ったばかりなのに! 狼さんたちも一緒に行きましょうよ!?」
コリアが涙目で叫ぶが、オルスが唇を噛み締めながら言葉を重ねる。
「コリアちゃん、今の俺は丸腰だ……ここにいても足手まといになるだけだ! それに、この二人は強い。昔から森一番の暴れん坊だ、大丈夫、絶対に来てくれる!」
自分に言い聞かせるように笑顔を作ったその時、事態は急変する。
――ガキンッ!!
硬質な金属音と火花が闇を切り裂いた。
翼を持つ魔物が、その鋭利な半月刀でアズルーに襲い掛かったのだ。
「テメーの相手は俺だじぇ!!」
アズルーは瞬時に反応し、腰の石製ナイフを二刀流で振るう。
野生の本能と鍛え上げられた体術。銀色の閃光となり、魔物の攻撃を弾き返し、その翼を斬り裂いていく。
「早く行って! ここは僕等に任せて!」
弟のテウロンが叫ぶと同時に、彼の小さな体から淡い光が溢れ出した。
彼は人狼族には稀有な『闘気』の使い手だった。
闘気――それは体内の生命力、気力、精神力を練り上げ、具現化する力。
テウロンが空に向かって掌を突き出すと、見えない衝撃波が砲弾のように放たれ、空中の魔物を次々と撃ち落とす。
岩をも砕くその拳は、幼い見た目とは裏腹に凶器そのものだった。
「よし! アズルー、テウロン、頼んだぞ! コリアちゃん、走ろう!」
二人の奮戦で作られた一瞬の隙。
オルスはコリアの手を引き、出口へ向かう道へと走り出した。
だが、運命は残酷なまでに彼らを逃がさない。
突如、激しい地響きと共に天井の一部が崩落し、強烈な砂煙が舞い上がった。
オルスたちが進もうとした道を塞ぐように、土砂の中から巨大な影が這い出てくる。
「グルルルル……」
岩をも溶かす酸の泡を垂らしながら現れたのは、全身を黒曜石のような甲殻で覆った、巨大なサソリ型の魔物だった。
鋼鉄のハサミを打ち鳴らし、毒針を備えた太い尻尾をゆらりと持ち上げる。その威圧感は、これまでの雑魚とは次元が違っていた。
「マ……ジ……かよ……」
オルスの口から絶望が零れ落ちる。
退路は塞がれた。前には巨大魔獣、後ろには魔物の群れ。
混沌とする戦場、そのさらに上空。
岩棚の影から、静かに戦況を見下ろすロインの姿があった。
「悪しき力と、守る力。その差は歴然に、
空虚な闇を彷徨う。
この傷は誰が為に刻まれるのか。
友の為? 我が為?
その答えを見出せぬまま、
時は残酷に動き出す。
遠き過去の……黒き悲劇の物語……
本当の『傷』は……此処から始まる」
不吉な予言を残し、ロインは闇に溶けた。
それと同時に、サソリ型魔物の全身から、歪んだ闘気が赤黒い湯気のように立ち上り始める。
「テーウローン! こいつエナジー持ってるじぇ! 俺の刃じゃ歯が立たんじぇ!」
アズルーが焦燥の声を上げた。
この世界の理。闘気を纏った強固な装甲は、同じく闘気を練り上げた攻撃でなければ貫くことはできない。
「にーちゃん! さくせんさくせん!!」
テウロンが魔物を弾き飛ばし、兄の足元へ滑り込む。
巨大なサソリも、眼前に立ちふさがる小さな脅威――闘気を放つテウロンを警戒し、動きを止めてハサミを構えた。
一瞬の静寂。兄弟だけの作戦会議。
「いいかテウロン! 俺が正面からチョコマカ動いて、アイツの気を引くじぇ!その隙に、オマエは後ろからドカンとブン殴るんだじぇ!」
「うん! わかったよ! かんたんかんたん! にーちゃんが囮ね!」
あまりにも単純で、あまりにも無垢な作戦。
彼らは疑っていなかった。自分たちの連携が、森で熊を狩る時のように通用すると。
しかし、その幼稚すぎる作戦と、相手の力を見誤った純粋さが、取り返しのつかない悲劇を招くことになる。




