5、博が消えた
博が行方不明になったという報告は、俺どころか、学校中を動揺させるのに充分なものだった。
どの先生も、何か知っていることがあれば報告しなさいとしきりに言っていた。
おそらく、警察は博が自分の意思で部屋の窓から抜け出したことを知っているのだろう。俺たちの中に事情を知っている者がいるのかもしれないと考えているようだった。
しかし、俺は、夜の学校に二人で行ったことを誰にも話さなかった。話せば、万引きのことがバレてしまうかもしれない。俺のせいで博はいなくなったとみんなが責めるだろう。
俺は怖かった。
その日の授業は、給食が終了してからは行われなかった。もしかしたら、学校の先生たちも博の捜索に参加するためだろうか。
なんにしても、まだ二時だというのに、校舎は信じられないくらいの静寂に包まれていた。
俺は一人で校門に立ち、校舎を改めて見上げた。俺には確信があった。
博は学校の中で消えた。
なぜなら、ソフトが俺の机の中に置かれたままになっていたからだ。もし、ソフトがなければ、博は昨日の夜、ソフトを手にしてから校舎を出て、帰り道に何者かに襲われたということになる。
しかし、ソフトが置かれたままであるということは、博は校舎に入り、ソフトを手にする前に消えたということだ。もしかしたら、博は学校のどこかにいるのかもしれない。
とりあえず、俺は昨日の博の行動を追っていくことにした。
夜の学校とは違って、今は太陽の光を受けて、校舎は眩しく輝いている。俺はできるかぎり夜の情景を思い出し、ゆっくりと校門から運動場に足を踏み入れると、一度振り返って、
(夏稀、キャベツ太郎だけやったらやっぱり腹立つわ。うまい棒も五本つけてやっ)
と、下手くそな大阪弁を心の中で呟いた。そして、そのまま一度も校門を見ずに、まっすぐ校舎の裏側へまわった。ここまでが、俺の知っている博の姿だ。
ここからは、俺が予想した博の行動となる。
校舎の裏側は北側のため、完全な日陰となっていた。校舎に寄り添うように、車が一台通れるほどの砂利道が裏門まで続いている。博が侵入したと思われる理科室は、校舎のちょうど真ん中あたりに位置していた。
俺は博の気持ちを想像しながら、ゆっくりと歩を進めた。
理科室の窓が近づくと、俺の心臓は激しく痙攣した。
理科室の窓の下に、使われていない茶色い長方形のプランターがうつ伏せて重ねられている。
その上には、見慣れたグレーのNIKEの運動靴が佇んでいた。
わずかに生えた雑草に隠れるように存在するそれは、靴のつま先が校舎の方を向いている。俺の頭に、窓から忍び込むために博がここで靴を脱いでいる情景がおのずと浮かび上がった。
しゃがみ込み、踵に〈山岸〉という汚い文字を見て、俺の鼓動は強く脈打った。
(博の靴だ……!)
ほぼ毎日、嫌というほど見てきた博の靴に間違いはなかった。
俺は確信した。やはり、博は学校で行方不明になっている。プランターを土台にして鍵を開け、靴を脱いで校舎に入り、再び靴を履くことなく消えてしまったのだ。
どうやら、靴がここにあるということは、博を襲った犯人は処分することを忘れたか、もしくは博の侵入場所が分からなかったらしい。
しばらく考えて、俺は博の靴をリュックにしまうことにした。なんとなく、犯人に、こちらの情報を知られない方がいいような気がした。
空いている空間に強引に押し込む。入れていたソフトや教科書が土で汚れたが、そんなことは俺にとっては大したことではなかった。
リュックを背負い直し、博と同じようにプランターに乗ると、俺はまた博の行動を追うように、窓から理科室の中を窺った。電気は消されていたが、中の様子は手に取るように分かった。
綺麗に拭かれた黒板、均等に並んでいる長方形の机の端に設置された水道の蛇口の光沢や、机の下に入れられた椅子の木目も僅かに見える。おそらく、夜はこの様子がまったく見えなかったはずだ。懐中電灯を動かし、照らした部分だけの限られた情報しか得られなかったことだろう。
俺は辺りを見渡し、誰もいないことを確認すると、ポケットから針金を取り出した。慣れた手付きで形を作り、窓の隙間から差し込む。緩んだ鍵の取っ手に引っ掻けて下げたら、簡単にピッキングに成功した。
「そうやるのか」
「うわっ!」
真横からの声に、俺はビックリしてひっくり返った。そこには、リュックを背負った横山が俺を見下ろして立っていた。
「なるほど、針金でやるのか。俺もできそうだな」
感心して理科室の窓を見ている横山に、
「ビビらすな!」
と、俺は怒鳴った。
「こんな所でなにをしてるんだ?」
悪びれた様子もなく不思議そうな顔をしている。そんな横山に、俺は不意を衝かれたこともあり、一気に頭にきた。
「お前に関係ねーだろっ!」
「関係あるだろ。こんなことをしている夏樹を見たんだし」
坂本呼びから夏樹呼びに変わっている。馴れ馴れしい奴だ。俺は舌打ちした。
俺が落とした針金を拾い上げた横山に、俺は観念したように深い溜息を吐いた。
「見て分かるだろ。この中に入ろうと思ったんだよ。お前こそ、なんでこんな所に来たんだ?」
「別に。帰ろうとしたら夏樹が校舎の裏に行ったから、なんとなく気になって尾けたんだ」
「お前はストーカーか」
「そういえば昨日の夜、博と二人で学校に来てたな。何の用だったんだ?」
ドクンッ!と俺の心臓が激しく鳴った。大きく目を見開いて、横山の顔を見る。
「なんで知ってんだ……?」
驚きで声がかすれた俺に、横山は困ったように顔をしかめた。
「そんな怖い顔すんなよ。お母さんの実家から自分の家に帰ってたんだ。昨日の晩御飯はおばあちゃん家だったんだよ」
「…………」
「道路を挟んだ向かい側にいたし、遠くからだったから二人は俺に気付いてなかったけどな」
「…………」
「近付いたら声をかけようと思ったけど、お前、すぐに走ってどっかにいったしな」
「横山、俺たちの他に誰か学校に入ってなかったか?」
問い質す俺に、横山はすぐに首を横へ振った。
「いや……警官が夏樹を追いかけていったところまでしか知らないな。すぐに学校を通り過ぎたしな。もしかして博を捜してるのか?」
俺は何も言えずに黙り込む。
横山は、手持ち無沙汰に針金を撫でながら続けた。
「学校を捜してるってことは、ここで博が消えたって根拠でもあるのか?」
俺は迷ったが、何か些細な情報を知っているかもしれないと思い、〈万引きしたゲームソフト〉を〈持って帰るのを忘れた宿題テキスト〉に置き換えて、昨日の夜の出来事を話した。
「ふーん……。確かに学校で消えたって考えて間違いなさそうだな。じゃあ、どうして警察は学校を捜さないんだ?」
またしても黙る俺に、横山は信じられないといった顔をした。
「まさか、そのこと話してないのか?」
「……うるせーな」
「ふーん、まあ、別にいいけど。どんな事情があるのか知らないが、とりあえず、俺は話さないから安心しろよ」
淡々と話す横山に、俺はそれをどう解釈すればいいのか考えあぐねたが、とりあえずこの場は信用することにした。おそらく、横山の性格から考えて、興味のないことはどうでもいいのだろう。
「そんなことより早く入ろう。博の追体験をしたいんだろ?」
意外にも興味があるらしい横山は、急かすように促す。
俺は黙ったまま、理科室の窓に手をかけた。
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次回に続きます。