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空木逐人の失敗学  作者: 卯山敬
第一章「死んだ自分と隣の世界(パラレルワールド)」
9/16

8



「私は最初は母に頼るつもりで、母の所属する『機関』に電話をしていたのです」

 逐人(おいと)(わらび)はうす暗くなった道を二人で歩きながら話しをしていた。

 幸い、先の一件に関しては、逐人が自分の行動とその理由について微に入り細を穿つ説明というか言い訳をすることで、一定の理解を得ることに成功し、なんとか禍根を残さずに済んだ。

 むしろ、くだらないやりとりをしたことにより、気まずい雰囲気をいい具合に払拭できたくらいに逐人は思っていた。

 そんな考えがバレたらさすがに蕨でも怒りそうだが。

 怪我の方も、二度の顔面強打により口を切ったのと鼻血による出血、首の捻挫で済んでおり今は首の後ろに湿布を貼っているだけで、痛みは残っているが行動には支障はない。

「『機関』、ね……。ずいぶんと物々しいな」

「ああ、いえ、すみません、『機関』というのは、私が勝手に呼んでいるだけで、実際はそんなに物々しいものではないです…………」

「お、おう……」

 二人の目的地は市最大の病院の近くにある団地群の中にある小さな公園だ。そこで直刃(すぐは)と生徒会長と落ち合う手筈になっている。

 団地まではゆっくり歩けば、一時間はかかるが二人は自転車は使わなかった。うっかり警察に防犯ナンバーの確認でもされて名前を聞かれれば、空木逐人がこのルートに二人いることがバレてしまう可能性がある。今もマスクとメガネ装備の逐人である。

 加えて、白地に英文の書かれたTシャツにタイトなデニムジーンズという、ふいの戦闘にも対応できる動き安さを重視した格好の、蕨の持ち物がヤバい。ピンクのリュックサックの中には、彼女の収束者としての力──『スライダー』の確率収束とやらを戦闘に活かすための『武器』がいくつも入っている。

 電話で話が途切れてしまったので詳しい仕組みは聞けなかったが、出発前に逐人はその力が起こす現象を教えてもらっていた。その力は現代社会においては比類なき凶悪さを持つものの、直接戦闘では使い勝手が悪く、多くの『武器』を消費する必要があるものだった。

「正式名称『セーフ・ポッシビリティ』。収束者を中心にしたNGOの治安維持組織です。私の母はそこの大幹部なのですが」

「収束者にも、そんな組織があるのか?」

 企業や自治体のような組織ではまず存在しないであろう大幹部という役職が、蕨の独特の表現なのか、本当に実在するのか気にならないではなかったが、しかし、それは置いといて、逐人は組織の存在について訊いた。

「はい。収束者は世間からは秘匿された存在ではありますが、国家上層部や報道機関の上位職の人々はその存在を知っています。大抵の国には収束者犯罪に対応する治安維持組織が存在します」

「表には出ない警察みたいなものか」

「国家規模でなくても、民間の探偵や警備会社、便利屋、サーカスのような興行集団、そして悲しいことに非常に多くの犯罪組織などもありますね。セーフ・ポッシビリティは国家を超えて活動する収束者業界最大規模の治安維持組織です」

「業界ね……、そんな『裏社会』みたいなのが存在すんのか……。しかし、そういう業界のプロがいるなら、身近な生徒会長より、そこに頼れば良いんじゃないか? こうして、他の当てに向かってるってことは、あんたの母親には頼れなかったみたいだが」

「生徒会長に頼るのも、これから起きるかもしれない犯人の攻撃に備え暫定的に身を守ることに協力してもらうだけで、最終的には組織に頼ることになるのでしょうが……、助けを求める経路の問題なのです」

「経路?」

 首をかしげると捻挫した箇所が痛み、逐人は眉を寄せた。

「信用のおける相手に、余計な仲介を挟まずに情報を伝えなければならないんです。おそらく空木君は認識していないでしょうが、パラレルワールド間の移動、厳密に言えば、パラレルワールドの発生段階に同一人物が二人とも片方のルートに来たのだから、移動ではないかもしれませんが、それはとにかくすさまじいことなんです」

「いや、そりゃ僕だって凄いこととは思うけど」

「だけど、それは漠然としたものでは?」

 そういわれると逐人のは返す言葉はなかった。

「先に言いましたが、収束者はパラレルワールドの発生を感知できます。そして、収束者が力を働きかける『始原の一(オールド・ワン)』はパラレルワールドの発生を管理しています。──それゆえ、収束者は昔からパラレルワールドを現実のものとして認識してきました」

 だからこそ、と蕨は澄んだ声で言った。

「パラレルワールドは収束者界隈では大きな研究対象として扱われています。自由にパラレルワールドを移動できれば、このルートでは明らかになってない研究分野が解き明かされたルートや、科学が発達したルートに行き、そこから知啓を授かって自分のルートにもって帰ることができますから、得られる恩恵ははかりしれません。多くの方々が実利とロマンを求めて、研究に邁進しているのです」

「成果は出てんのか?」

「いえ、ほぼ全く。だからこそ、偶発的でこそあれ擬似的なパラレルワールド間移動をした空木君は非常に貴重なサンプルなのですよ。それこそ人権を無視して研究されかねないほどの」

「それで、信頼できる相手以外には頼れないってわけか」

 結局、このルートに自分が二人いることを知られてはいけない相手は、一般人だけでなく、『収束者業界』でも同じなのかと思い、逐人は辟易する。

「そうですね。まず空木君の身の安全を保障してくれる良心があり、なおかつ、他の収束者から空木君の身柄を守れる武力(ちから)権力(ちから)がある方以外には、業界人には情報を漏らせません。そういう点において母はうってつけだったのですが、どうやら携帯はもちろん、組織を通しても連絡できないような弩級激戦区の紛争地域に身一つで赴いているそうで…………」

 弩級激戦区などと表現されるような紛争地帯に身一つで赴く、そんなことができる収束者がいるというのには逐人も驚いた。いったいどんな能力を使うのだろうか?

「他にも何人か母の関係で知っている人に当たってみたのですが、皆さんお忙しいく、すぐにはこちらに来られないようで。この辺りは収束者の犯罪数から来る治安維持人員の人手不足ゆえでしょうね」

 シビアな価値観を持ち、世を悲観的に見られる逐人には、なんとなく予想がついたことだが、収束者の犯罪はかなり多いらしい。特別な力を持った者の多くはその力を正義にではなく我欲に使ってしまうものなのだろう。

「それに加えて、犯罪に収束者の力を使われると、犯人の特定が非常に困難になってしまいますからね。収束者の力、確率収束はそれぞれ違う一人一つの固有能力なので、物理的限界という共通の壁のある一般犯罪よりもはるかに捜査が難しいものなのです」

「たしかに、犯人に収束者であることを隠されたら簡単には見つけられないだろうな。とすると今回、僕を襲った犯人も簡単に見つからない、か」

「そこまで悲観的になる必要もないかと。収束者自体、数は少ないですし。同じ学校に三人も収束者がいるので誤解されているかもしれないですが、これは奇跡的な偶然で、本来、収束者は世間から秘匿できる程度に希少な存在です」

 日が落ちて、涼しくなった風を受けながら蕨は落ち着いた調子で言う。

「それに犯人が収束者だったとしても、おそらく、プロではなく、私のような業界人とパイプを持つ収束者でもない、空木君と同じく収束者ではあるけれど肩書的には一般人に類する人物でしょうから」

「なんでそう思う?」

 逐人は問う。直刃は犯人がいたとしても、おそらく逐人がパラレルワールドに来たことは向こうも予想の範囲外だったのでは、と言っていた。蕨の見解も聞いてみたかった。

「先に言った通りに、業界人ならば空木君の価値をまず放っておきません。研究機関なら身柄を拘束しにくるでしょうし、人道的な組織なら保護を提案してくるでしょう。犯罪集団なら捕まえて売り飛ばすかもしれません。でも、そんなことは起こらず、今もこうして暗くなった道を歩けています」

「それが根拠ってわけか」

「泳がせておく理由もないですしね。業界人でないなら、パラレルワールド移動も偶然のものという可能性が高いでしょう」

 蕨の見解も直刃のものに近かった。ただ収束者について知っている蕨の考えはより踏み込んだものであった。

「不幸中の幸いですね。犯人が業界人なら、一般人の生徒会長に頼るわけにもいかなかったですし、そもそも、私も空木君も、もう一人の空木君も、あるいは鉈橋さんだってすでに捕まっているでしょうし」

「……ていうか、犯人が業界人だったらどうするつもりだったんだよ?」

 蕨は逐人がこのルートに二人存在しているところを偶然見かけて、そのまますぐに協力を申し出てきた。現状の安全が犯人が業界人でない根拠ならば、それは当初にはまだないものだ。つまり、蕨はまだ犯人がどれだけの力を持つ存在なのかも分からない段階で首を突っ込んだことになる。

「その時は、どうしようもなかったですね。襲われでもしたら抵抗してもおそらく無駄だったでしょう」

 あっさりと蕨は言ってのけた。

「もし万全の体勢が取れるなら、業界人にでも私たちの身を守ってもらえるように助力を乞うていますし、別れてしまったもう一人の空木君と鉈橋さんとの方にもなんらかの対策をしていました」

 凛とした瞳を逐人に向けながら言う。

「しかし、私の身一つではできることに限界があります。だから、世間の目から外れてもっとも狙われる可能性の高いあなたに協力し、あとは犯人が業界人でないことを祈ることしかできませんでした」

「……そうか」

 逐人が本当に訊きたかったのは、どういう行動にでるかではなく、なぜ犯人が業界人かもしれないという非常に高いリスクのある段階で自分に協力したかだったのだが、蕨はそこには触れなかった。さながら、逐人を助けることは当然だとでもいうように。

 もっと直接的に訊けば、答えてくれるかもしれないが、しかし、あまり主義や信条について話を踏み込んでしまうと、先程のように厄介な展開になりかねないので、逐人はそれ以上訊かなかった。


 二人は団地群の敷地に入り、建物と建物の間の舗装された道を歩く。

 黙っていると、また蕨が話を続けた。

「犯人に話を戻すと、分からないのは動機ですね」

「狙いが僕なら、どうせ私怨だろ。恨みならいくらだって買っている」

 軽い調子で言った逐人の発言を受けて、蕨は目を細めた。それに対して逐人は嫌な顔をしながら言った。

「勘違いするなよ。別に悪事を働いて恨まれてるわけじゃない。犯人が収束者だとしたら、僕の周りで起きる不幸は、僕の能力(のろい)──確率収束って言ったか? それによるものだって分かんだろ」

「ああ、なるほど……」

「そいつは、僕のそばで不幸に巻き込まれたら、それが僕の力によるものだって気づき恨むだろうな。厄病神とかジンクスとか漠然としたものじゃなくて、僕のせいって確信をもって」

 だとしたら、

 自分を恨み、襲うに値する理由が犯人にもあるのかもしれない。そんな風に逐人は思った。正直、自分でも止めようもない能力(のろい)に関して他人に恨まれても、逐人にはどうしようもないのだが、だからといって、それを開き直れるほどの(したた)かさを逐人は持ち合わせていない。

 もっとも、自分が恨まれることは構わないが、それで直刃が巻き込んだことは許す気はない。どれだけ自分が悪くても、犯人と向き合う時には対決の姿勢を崩すことはないだろう。そんな風に逐人は胸の内で気持ちを固めている。

「どうしても空木君に目が行きがちですが、鉈橋さんが狙われている可能性もあるのですよね」

「それは、まあありえる話だな」

「なら、早く合流した方が良いですね。明るい内は人の多い病院にいれば狙われにくいですが、日が沈んで人気(ひとけ)がなくなったら一人でいるのは危険です」

 夜の色に染まった空を眺めながら蕨が言った。

「まっ、多少の事態なら直刃は自分でなんとかするさ。肉体的なスペックはともかく、あいつは強いからな」

「信頼なさっているのですね。鉈橋さんのこと」

「まあ、な……」

 直刃を信頼していることはその通りではあるが、それを他人に言葉にされるとむずがゆい気分になる逐人。

「たしかに、『()(さび)大鉈(おおなた)』、鉈橋さんなら私たちよりも危機に対する対処能力は上でしょうしね」

「『血錆』……?」

 蕨の言った、直刃を指すらしい謎の言葉に逐人は疑問をもった。


 しかし、道の角を曲がったところで目的地の公園が遠くに見え、疑問は声にする前にかき消される。

 街頭に照らされた公園の中に一組の男女が向き合っているのが逐人の目に入った。

 女の方は直刃だ。遠目だが、見慣れた姿を間違えるはずがない。

 もう一人の方は品の良い半そでの青いシャツと紺のズボンを着て右腕に包帯を巻いた短髪の男である。その男は直刃から一歩、後ろに後ずさった。

 それもそうだろう。直刃は男にナイフを向けている。

「あいつっ、また……」

 ナンパ目的の男が声でもかけてきたのだろうかと思いながら、逐人は直刃のもとへ駆ける。

 それに気づかない直刃は空いた左手で男に手をあげるように促した。蕨に刃を向けた時と同じだ。

 男はさらに一歩後ろに下がる。だが、手をあげようとはしなかった。

 それが気に入らなかったのか、直刃は男に対してナイフを向けたまま大股で一歩、距離をつめる。

 切っ先が向けられたまま近づかれ、男はたまったものではないだろう。男は体をかばうように右腕を腰の前に出した。

 とそこで、前に進む直刃の片膝が崩れ、前方によろめく。

「!」

 その勢いのまま直刃の持つナイフは、男が腰の前に構えていた包帯の巻かれた右腕に吸い込まれていく。

「危ない!」

 後ろで、蕨が声を上げた。しかし──、

 キンッ、と金属音が小さく響き、ナイフは男の腕に刺さることなく止められる。

 そして、同時に男は左腕を背に回し、ベルトに挟んでシャツの中に隠していた顔面大の大きさの薄いブルーの物体を、洗練されたサイドスローのフォームで直刃の後方に投げた。

「直刃ッ!」

 逐人は瞬時に男を敵と見定め、全力で走り寄る。

 直刃は叫びを聞いて逐人の存在に気付き、同時に男から距離をとるべく後ろに跳び退る。その動作はいかにも運動慣れしてない人間のぎこちないものだったが、男は追ってはこなかった。

 が、先程、男の投げた物体が回転しながら急にUターンし、直刃の背にせまってきていることに逐人は気が付いた。逐人から直刃までの距離はもう十メートルもない。しかし、このままではブルーの物体が直刃にぶつかる方が早い。

 逐人は思考を二択化する。

 ブルーの物体が自分の手に『当たる』か『当たらない』か。

 能力(のろい)を使い、直刃に迫る攻撃を自分が肩代わりする。

今は逐人には危険は迫っていない。こういう状態では逐人の能力(のろい)は比較的、使いやすい。

 逐人の能力(のろい)は『不幸を呼ぶ』というのが根底にあるため、『現状、自分を襲う不幸より軽い不幸』を起こすことができない。

 例えば、踏板が空中から迫ってきた時に、自分の手に踏板が『当たる』か『当たらない』かと考えても能力(のろい)は発動しなかった。これができれば、手の怪我だけで危機をやり過ごすこともできるのだが、『手が怪我する不幸』は踏板が迫ってきた時、『なにもしなければ負っていた怪我の不幸』=『直撃』よりも軽いために、力が発動しないのだ。

 しかし、他人にだけ迫っている危機を肩代わりする時は、自分には直接的な不幸は迫っていないので、軽めの不幸を選択して力を使うことができる。

 能力(のろい)の発動。ブルーの物体は逐人の手の方に軌道を変える。

 パシリッ! と、飛んできた物体をキャッチした。

 それはやわらかいゴム製のブーメランだった。

「おい」

 ブーメランを投げた男を睨み付ける。が、男は逐人の警戒に反する動きをした。

「すまない! 大丈夫かい⁉」

 男は心配げに逐人のもとにかけてくる。

 直刃もそれに続いて逐人の方に駆け寄ってきた。どうやら男とはいさかいこそあったものの、明確な敵対関係ではないらしい。

「無事、再会できて嬉しいわ、逐人」

「ああ。で、そいつは?」

「彼は──」

「良かった! 怪我はないようだね! まさかこうも絶妙のタイミングで、というか、最悪のタイミングでやってくるとは! だからやめておこうと言ったんだ、鉈橋くん」

 逐人が男を指し、尋ねたところに、その男が割って入ってきた。申し訳なさそうにする男の顔を近くで見て、逐人には覚えがあった。

王生(いくるみ)君、なにをしているのですか?」

 遅れてきた蕨が男に言った。

「いやね、鉈橋くんに、アタシたちの力になってくれるというならどんな不思議な力を使えるか示せと詰め寄られてね。少し驚かそうと確率収束を使ったんだ」

 そうだ、この男は、たしか清淵高校の生徒会長だ──、爽やかな短髪。白人系の血が混ざっているのか青みがかった瞳。自信に満ちた笑み。逐人はようやく全校集会の壇上で見たことのある姿を思い出す。

「空木君、知っているとは思いますが、彼が清淵高校の生徒会長であり、私たちの力になってくださる収束者、王生満糸(みつし)君です」

「ハッハッハッ! ヨロシク、空木くん。いや、同級生で同性だ。空木と呼ばせてくれ。俺のことも気軽に呼び捨てしてくれると嬉しいよ」

 大いに笑いながらそう言って、王生は左手をハンカチでごしごしと拭いてから差し出してきた。

「すまない、多汗症でね」

 キラリと光るような笑顔で握手を求められ、しぶしぶといった様子で逐人も手を出す。

「……ああ、よろしく。王生」

「さて! 全員そろったようだね。こんなところにいても仕方ない。これからどうする?」

 握手した手を離して、王生が言った。

 しかし、憮然とした表情で直刃はその前に、と言う。

「まだ、あなたの力を教えてもらってないわ。アタシも協力してくれる相手を、実はこいつが逐人に踏板をぶつけてきた敵なんじゃ? なんて疑うようなまねはしたくないし、あなたの能力? について説明してくれない?」

「こだわるね。ハハハッ、自分が一杯食わされた力は気になるかい? 鉈橋くん」

 王生がわざとらしく挑発をするように笑う。

「一杯食わされた? それはさっきのブーメランのこと? ──まあ、逐人が来なかったら当たっていたことは否定しないわ。でもね」

 強気の態度で直刃は左膝を曲げて足をあげ、つま先を示す。

 そこには、飛び出し式の仕込みナイフが靴から顔を出していた。

「まさか、ただの女子高生が靴にナイフなんか仕込んでるはずないなんて思ってるのかしら? だとしたら平和で尊い感性ね。──本気の闘いだったら、あなたのブーメランでアタシはやられてたけど、あなたも無事じゃすまなかったわよ」

「……ハハハッ。気づかなかったよ。恐いな君は……」

 王生は頬をひくつかせながら降参するように両手をあげた。

「……あんまり威圧するなよ、直刃。でもまあ、お前の能力については僕も教えてほしいぜ、王生。こっちから頼っておいてなんだが、お前のことは塔野から紹介されただけで、どんな奴か知らないからな」

 社交的な性格でない逐人だが、直刃の王生への態度が刺々しいために二人の間に入らざるおえなくなる。

「というか、まず『確率収束』ってのがなんなのか教えてほしい。蕨に説明してもらおうとしたところで話が途切れちまってたからな」

 ここに来る途中も現状についての解説をしてもらっていたため、ずっと聞きそびれていたことだった。

王生はそうなのか、とうなずいた。


「確率収束というのは、まだ確定していない未来を『始原の一(オールド・ワン)』に誤認させることで物理的制約を超えた現象を起こす力のことなのだよ」

「誤認?」

「この世界は生物や自然現法則が現象を起こし、それが事象として『始原の一(オールド・ワン)』に観測され、確定する。それについては話しましたね」

 蕨が言う。

「それは逆に言えば、『始原の一(オールド・ワン)』の観測結果を狂わせれば、この世界で起きることを歪めることが可能ということです」

 また難しい話をされるのかと逐人は眉間にしわを作る。

「未来には無数の可能性があります。それは、『始原の一(オールド・ワン)』ですらまだ確定できていないものです。どの可能性が実際に起こるかは、生物や自然がどのように動くかで決定され、それを『始原の一(オールド・ワン)』が観測して確定します。私たち収束者はその無数の可能性のうち特定のものを、起こる前に、『この可能性が起きる』と『始原の一(オールド・ワン)』に先に誤認させているのです。そうすると先に確定が済んでしまい、実際に起きる現象もそちらに引きずられます」

「………………」

「具体例を出しましょう。確認しますが、空木君の確率収束は、自分に不幸なことが起こる未来を確定させる、というものでよろしいのですよね」

「ああ、それであってるよ。そういや僕の能力(のろい)のこととか前から知ってたのか?」

「…………、空木君が収束者なのは前から気付いていましたから」

 ほんの少し蕨は視線を曇らせた。

「なにか今日、能力が発動したことは?」

 先の土下座の一件を例示しなかったのは蕨本人が忘れたかったからか、逐人に対する気遣いか。

「あんたと保健室で会う前に、体育で人の投げたボールがぶつかった」

「では、それで考えてみましょう」

 蕨はボールを投げる仕草をする。

「投げられて空木君に向かうボールには、これからどうなるか、さまざまな可能性があります」

「『僕を直撃する』。『僕にかする』。『僕にかわされる』とかか?」

「そういった、ありえそうな可能性ではなくても、『体育館の照明が落下してきて撃ち落とされる』なんて、普通はありえないけれど、物理的には不可能と言えなくもないくらいの可能性でも良いのさ。とにかく無数の可能性がそこにはある」

 横から王生が口を挟んだ。

「空木君の能力は、この段階で『自分に直撃する』という可能性が実際に起きたと『始原の一(オールド・ワン)』に先に誤認させているんです。そうすると、この世界で起きる現象は『始原の一(オールド・ワン)』の認識により確定され、ボールはその確定に従うため物理法則を無視して曲がってでも空木君の方に飛んできます」

「ああそういうことか。ややこしいがなんとなくは理解できてきたな」

「簡単に言えば、因果律の逆転と言ったところですね」

「その表現はあまり簡単ではないのではないか、塔野くん……?」

 キリッとした顔で言う蕨に変わり王生が説明する。

「言うなれば、運命を決定し未来をその通りにする能力。それが『確率収束』さ」

「運命、ね……」

 嫌な言葉だ、と思った。

 逐人は自身の能力──確率収束というらしい──に対し、あらためて隠しきれない嫌悪感を覚えた。

 コントロール不能とはいえ、自分が不幸な運命の中にいるのは、自身の能力によるものであることを強く認識させられる。


「さっき塔野に聞いたが、収束者が使える確率収束は一人一種類なんだよな? 王生がさっきやってたのはどんな確率収束なんだ?」

 自分の気持ちを悟られるのを嫌い、王生に質問をする。言われて、王生は包帯にくるまれた右腕を掲げた。

「俺の確率収束は、そうだな。言葉で説明するよりも見てもらった方が良いだろう」

 王生は地面に落ちていた小石を拾い、それを直刃に渡した。そして、大股で数歩後退して彼女と距離をとる。

「俺に向かって投げてみてくれ。どこめがけてでも良い。加減はいらんよ」

「分かったわ」

 直刃は素直に頷き、すぐさま石を投げつける。人に固いものを投げるという行為に対して欠片も躊躇いのない投げっぷりだった。

 けれど、

「……」

 小石は王生から遠く離れた斜め上に飛んでいった。

 衝撃を砂に吸収され、音もなく石は地面に落ちる。

「大暴投だな。ハッハッハッハッ」

 笑う王生。その声に嘲りの色こそないが、どうやら癇に障ったらしく直刃は逐人に向かって、

「アタシったらノーコンだから外してしまったわ。逐人、代わりにお願いね」

 ブレードの展開された大型十徳ナイフを手渡した。

「いやいや、危ねぇから」

「ハッハッ、別にナイフでも構わないよ」

「へぇ?」

 変わらず爽やかだが、発言から受け取る側にはどこか不敵に見える笑みで王生は言った。直刃も不機嫌な顔を変え、面白いと笑みで返す。

「…………じゃあ、投げるぞ」

 逐人には本当に大丈夫なのかよという気持ちがあったが、本人が良いというなら最悪どうなっても自己責任だよなと割り切ってナイフを振りかぶる。

 王生は先程、直刃のナイフを受けた包帯に包まれた右腕を体を守るように前に出した。

 逐人はナイフをスローイングし、刃が王生の左太ももめがけて空を滑った。

 その刃はしかし、王生の右腕に進路を変えて包帯を裂き、金属音を鳴らして地面に落ちた。わずかに裂けた包帯の隙間から、金属製の籠手のようなものが覗いている。

「これが俺の確率収束、『銀腕王(ヌァザ)』の確率収束さ」

 王生は左手で包帯を解く。

「俺が『始原の一(オールド・ワン)』に誤認させて確定させられる未来は、『なんらかの害が自分に向かってきた時、その害が右腕だけに及ぶ未来』だ。ナイフを投げつけられれば、俺の身には刃が刺さるという害が向かってきたことになる。その害が自分の右腕に来る未来を確定させることで、ナイフの軌道を変更、誘導したんだ」

 彼の右腕には肘の手前から手首まで、腕の前面に鉄板を曲げたギプスのようなものが取り付けられていた。これでナイフを受けたようだ。

「害がどこにくるか分かれば、そこを守れば良い。この『銀腕』で攻撃を防ぐのが僕の確率収束の使い方だね」

「少し、僕の力に似ているな。さっきのブーメランは? 普通にブーメランが戻るよりも急な角度で戻ってきたが」

 逐人の問いを聞き、王生は右手を正面に掲げて親指と人差し指、中指をグーパーと動かした。それを見て逐人は気付く。

「! ……薬指と小指、動かないのか?」

「ああ、昔、怪我をしてね。──俺の右手はこの通りだからね。飛んでくる物をキャッチなんてことが上手くできないんだ。だから、自分で投げて跳ね返ってきた物や危険性のない物も『害』として確率収束の適用範囲になるのだよ」

「じゃあ、さっきのブーメランも害として右腕に誘導したから、物理法則を超えてUターンしてきたのか」

「そんなところだね。あとは、発現理由については別に言わなくても良いだろう?」

「発現理由?」

 首をひねる逐人に答えたのは蕨だった。

「言っていませんでしたが、イレギュラーたる自動発動型以外の収束者は強い負の願いを抱いた人が稀にその願いに伴った確率収束を発現し、収束者になるのです。これはプライバシーに関わることですし訊かないのがマナーですね」

「へぇ……、まっ、どんな確率収束についてか聞かせてくれりゃ十分さ。なあ直刃。……直刃?」

 逐人が直刃の方を見ると、直刃は握った手を口元に置いて目を伏せていた。直刃は深く物事を考え込む時にこのような仕草をとる癖があった。

「…………、そうね、十分、ね。じゃあ、これからどうしましょう?」

 普段の様子に戻った直刃の言葉を受けて、蕨が今後の方針を示した。

「また、私の家に向かいましょう。いろいろと情報を共有したいですし、日を跨ぐ前に解決できる問題でもないので食事や睡眠も考えないといけません。とりあえずは我が家を拠点に、犯人からの強襲に備えつつ信頼できる業界人の助けを呼べるようになるのを待つ。その間も自分たちで空木君を本来のルートに戻す方法を考え、できる限りのことをする。学校は──、仕方ないので休みましょう。王生君は」

「悪いけど、俺は学校には行かせてもらうよ」

 王生は腕を組みながら言う。

「俺が、ほとんど話したことのない空木や鉈橋くんの力になるのは、君たちが俺の学校の生徒だからだ。俺は生徒会長としてここに来ている。そして生徒会長の仕事は他にもあるし、困っている生徒もは他にもいる。それらの統治活動をほうっておくわけにはいかないからね」

 ただまあ、と王生は続ける。

「もちろん、状況が動いたら授業中だって駆けつけるさ。ハッハッハッ、大丈夫、俺は、俺の清淵高校の全ての生徒の味方さ」

 グッと親指を立ててキラリと王生は微笑んだ。

 学校を「俺の」と言うほどの、生徒会長としての自負。それが王生にとっての逐人たちを助ける理由らしい。

「………………そうか、頼りにさせてもらうぜ、王生」

 直刃が露骨にケッ、と言うような表情をしているため、またも柄にもない人当たりの良さそうな微笑みを作らざるおえなくなる逐人。

 王生の自身に満ちた笑顔や爽やかな物腰は逐人にとっても、あまり相いれないものを感じるが、どうにも直刃のフォローで積極的に良好な態度をとっているようになってしまう。

 どうして、直刃はこうも王生に対しつっけんどんなのだろう?

 そんなことを考えながら、逐人は三人と共に蕨の家に戻るために歩き出した。

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