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『──石ヶ丘市でマンションの壁面工事用の足場が落下し、道路を歩いていた男子高校生に直撃する事故がありました。少年は病院に搬送されましたが、意識不明の重体です。落下した足場が設置されていた場所は事故現場から二十メートル以上離れており、落下の原因とともに、なぜ離れたところにいた男子高校生にぶつかったのかの調査が進められています。続いてのニュースです。同じく石ヶ丘市で五日前に起きたひき逃げ事件ですが、犯人はいまだ特定されておらず──』
蕨を待っている間にテレビを見てみると、ニュースで逐人が巻き込まれた踏板の落下事故が取り上げられていた。
──これでますます、僕がこのルートで生きるのは不可能になったな。
報道で実名は出なかったが、マスコミ関係者は自分の名前を知ってしまっているだろう。こうなってしまったら、このルートの人々にとってイレギュラーな、『もう一人の空木逐人』である自分にもう社会的な居場所は残されていない。病院に運ばれた時点でもう一人の自分が社会的に認知されることは承知していたが、報道機関で取り上げられると、もうどうしようもないという実感が強くなる。
「便所、行っておくか」
おそらく、蕨は、生徒会長とやらに連絡をとったり、荷物をまとめたりに時間がかかっているのだろう。まだ戻ってこない。悪いと思ったが、逐人は勝手にトイレを探すことにした。
歩きながら、もし、もう一人の自分が意識を取り戻し、自分と対面したらどうなるのだろう想像してみた。
──いや、僕みたいな奴がもう一人とか考えたくもねぇな……。
自己嫌悪の強い自分がもう一人の自分と会ってしまったらどうなるか。きっとろくなことにならないだろう。
──ただ、問題はメンタル面だけで、実際に争いにはならないだろうな
せめてもの救いがあるとすれば、もう一人の自分の性格も自分と同じなら、積極的に自分に干渉してこないであろう点である。自分がもう一人の自分の社会的な立場を奪おうとせず、おとなしく俗世を離れ野山にでもこもれば、わざわざ干渉はしてこないだろう。面倒事に積極的に首を突っ込む空木逐人ではない。それは自分が一番分かっている。
そんなことをつらつらと思考しながら廊下に出ると、すぐ左に鍵のついた木製のドアを見つけた。鍵には差込口はなく、青い半円が表示されている。『開き』マーク。おそらくここがトイレだろうとあたりをつけて逐人はドアを引いて開けた。
そこには、片脚をスカートからぬいた体勢で背中を向けた蕨がいた。
ちょうど前かがみになっていて、小ぶりなお尻を逐人の方に向ける恰好になっている。上はブレザーを脱いでおりワイシャツがわずかにお尻にかかっていたが、逐人の目にはハッキリと清楚な白いパンツと、そこから伸びるこれまた透き通るように白い太ももが映った。
室内には水道や鏡、洗濯機などがあり、蕨の足元のかごにはジーンズとシャツが見えた。どうやらここはトイレではなく洗面所であり、奥に風呂場があることから脱衣スペースも兼ねていて、蕨は動きやすい恰好に着替えようとしていたようだ。
以前、誤って直刃の着替えを目撃した時に教えられた、ラッキースケベという言葉を思い出し、
逐人はその場で顔面から床に落ち、ドゴォッ‼ と鈍い音を響かせた。
「キャア!」
蕨が悲鳴をあげた。しかし、それは着替えを覗かれたことに対してではなく、まるで頭にだけ急激に重力がかかったかのごとく、逐人が顔面から床めがけて落下するように倒れたことに対してのものだった。
派手な激突音と共に、落下の際に首からグキリと嫌な音も鳴っていた。逐人の身を案じて、蕨はスカートが脱げたままで逐人のそばに寄る。
逐人は膝を曲げてすねを地面につけており、手は頭の前方横にひらを床につけて置かれていて、その姿はまるで不格好な土下座をしているかのようだった。
いや、『まるで』ではなくこれは土下座なのだ。
人間は自分の身に危険がおよぶ時に、それを反射的に回避しようとする。
例えば、普通の人ならば転びそうになった時、無意識に足がバランスをとろうと動くだろう。
しかし、空木逐人は違う。
逐人は自分からバランスを崩し、倒れそうになると同時に、頭から床に『倒れる』か『倒れない』かを思考した。
それに伴い、彼の能力が発動。
逐人の頭は引っ張られるように地に向かい、反射的な足の動きよりも早くその場で顔面が床に叩きつけられた。常人には不可能な迅速なる土下座を行ったのだ。
「大丈夫ですか! 空木君!」
蕨は咄嗟に周囲を警戒しながら、逐人に声をかける。逐人の土下座という名のアクロバティック自傷行為を、敵の収束者による攻撃と勘違いしたらしい。
逐人としては早くスカートでもズボンでもはいてほしいのだが、その意図は当然のように彼女には通じていなかった。
逐人はどちらかといえば冷静沈着なタイプで不測の事態にも強いのだが、不幸慣れしすぎて感覚が少々ズレているためか、逆に幸運に対しては滅法弱い。宝くじで大金を当てても喜びよりも戸惑いが先に来て、どうしたら良いか混乱してしまうようなものなのだが、そのハードルが常人よりかなり低いのだ。
女の子(客観的に見てかわいい)の下着を見たという、幸運に対しては上手く対応できないし、そもそも、後に相手から受ける怒りや抱える気まずさを考えれば、実際は幸運とは言いがたいという事実にも気付けない。
そして彼はさらなる悪手を打ってしまう。
「塔野」
逐人は土下座体勢のまま顔だけをあげた。蕨の足元から見上げるようにして言う。
「あー、あれだ……、ナイスアングル」
釈明するなら、逐人の発言は、早急に自分が倒れたことが敵襲ではないということを伝え、一刻も早く蕨のあられもない格好を改善させるために、汚れ役を引き受ける自己犠牲精神に基づくものだった。
しかし、そんな気持ちが伝わるはずもなく、直後、今度こそ羞恥からの悲鳴があげられ、逐人の頭を加減なき踏みつけが襲った。