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空木逐人の失敗学  作者: 卯山敬
第一章「死んだ自分と隣の世界(パラレルワールド)」
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「はっ………………………………………………? あんっ?」

 呆ける。

 続けざまに起こった埒外の現象に、脳が追い付かない。

「なによ、これ……」

 後ろから直刃(すぐは)の声がした。

 逐人(おいと)は目を固くつむり、もう一度前方を見る。

 そこにはたしかに、空木逐人が倒れている。

「逐人、よね…………?」

 立ち上がった直刃が疑問を口にする。

「たぶん……、そうだ。あれ、確認してみるか」

「違う、あなたがよ」

「はあ?」

 底冷えするような静かで重い声で、直刃が問う。

 ただでさえ、なにが起きたか分からないのに、同じ立場だと思っていた直刃からも訳の分からないことを言われ、逐人の頭は混乱に拍車がかかる。

 おそらく踏板がかすめたのであろう、右腕がビリビリと痛んだ。


「……認識が食い違っているようね」

 直刃は顎に手をあてて、考え込むようにした。

「アタシにはあなたが突然出現したように見えた。私を庇って前に飛んだ逐人は踏板を受けて、それと同時にあなたが、その横に現れたわ」

 ──どういうことだ?

 逐人自身の認識では、直刃を庇ったのは他でもない自分のはずで、倒れている空木逐人こそが突然現れたなにかだった。

「いや、待ってくれ直刃。お前を突き飛ばしたのはたしかに僕のはずだ。……少なくとも僕の認識では」

「偽物……ではなさそうね。今日なにをしたか覚えている?」

「HRをサボって、その後、お前が荒砂を脅した後の教室に戻って……、これからお前の家に行くつもりだったけど、鳩に(フン)を落とされたから真っ直ぐ帰ることにした」

 言いながら肩を見ると、たしかにそこには乾いた糞の跡が残っている。

「あってるわ。あなたを逐人と信じましょう。──とすると、考えられる可能性としては、あなたも、向こうのあなたも空木逐人であるということかしら……」

 逐人の感覚では倒れている方の空木逐人が自分自身とは考え難かった、しかし、直刃が言うには、むしろ、あちらの自分こそが元々いた空木逐人らしい。


「で、どうしましょうか?」

「どうするってなにを?」

「一一五番をかけるべきか、よ」

「電報を送るのか……?」

「…………ごめんなさい、アタシも冷静さを欠いているのよ。一一九番、救急車を呼ぶか、ね」

 逐人は言われてそのことに気が付いた。

 今も倒れた空木逐人はだくだくと血を流している。

「本来なら、すぐにでも一一九番すべき状況よ。言うまでもなく、向こうの逐人は瀕死の重傷だわ。なんであれ、逐人が死にそうならば、アタシはほうっておくわけにはいかない。だけど」

 直刃は冷静に現状を分析し、それを言葉にする。

「あれが空木逐人で、あなたも空木逐人だというならば、病院に運ばれて向こうの逐人が社会的に認知されたら、あなたはこの世界に居場所がなくなる。世紀のびっくり人間どころじゃすまないわ。これほどまでにありえない現象の張本人となれば、今まで通りの生活はまずできない。悪ければ、この現象を解くためのモルモットにされてしまうでしょうね」

 直刃の言っていることは残酷ながらも正確だった。同じ人間が二人いるという現象が世間に知られたら、平穏な生活など不可能だ。マスコミに取り上げられ、国家組織に身柄を預けられ、科学者の元で研究される未来が待っていることは否定できない。

「だから、あなたを守るなら、あちらの逐人は闇に葬らねばならない。──もちろん、白昼堂々、死体遺棄する手段があればだけど」

「それは…………」

 口ではそんなことを言っているが、直刃が実際にそんなことをする気がないことは逐人には分かっていた。倒れている方の空木逐人を、直刃が空木逐人だと認識している限り、見捨てるとは思えない。

 幼馴染思いの少女なのである。


 と、そこまで二人が対応を考えたところで、事態は容赦なく進行した。

 同じ人物が二人いるという状況を認知されたくなければ、すぐになんらかの行動をとるべきだった。まだ四時になったばかりで帰宅する人は少ないとはいえ、踏板の落下音は大きく周辺住宅に響いている。

 しかし、不幸な状況に慣れている逐人と、物事を冷徹に客観視できる直刃でも、さすがにこの非現実的事態には即断即決とはいかなかった。

 キキィーッ、と自転車の急ブレーキの音がした。

 前方の分かれ道からかごのない小さな赤い自転車が現れ、倒れた方の空木逐人の隣まで走り、止まったのだ。

 乗っているのは逐人が保健室であったクラスメイト、制服姿の塔野(とうの)(わらび)

「空木、君……? え……?」

 倒れているのが逐人だと判断され、さらに立っている方の逐人も見られてしまった。

 蕨は一瞬逡巡しつつも、自転車から降り、立っている逐人と直刃の元に駆け寄ってきた。

 逐人はこの状況をまずいと思うが、同時に知り合いなら頼み込んで見なかったことにしてもらえるかもと希望的観測を抱く。

「空木君、何が」

「止まれ」

 気づけば直刃が十徳ナイフを抜いていた。

 隣にいた逐人も、向かってくる蕨も気づかないうちに。

 肉体的な早業ではない。直刃は体育の成績で一をとるほど運動能力は低い。いきなり人にナイフを向ける人間をか弱い女の子と言うのは抵抗があるが、まぎれもない、ひ弱いもやしっ子である。当然、予備動作なしで構えをとるような武術的動きとは無縁だ。

 しかし、彼女は人にナイフを向けることに、そして、必要があれば人を刺すことにさえ躊躇いがない。だから、普通の人間が持つ精神的な予備動作がなく、それゆえに気付く間もなく素早くナイフを抜くことができる。


「……待ってください」

 蕨は背負っていたピンクのリュックサックの口に手を伸ばそうとした。

「止まれと言ったのは」

 それに対して、直刃はナイフをスッと蕨の手元の動きに合わせて動かすことで、機先を制す。

「なにもあなたの息の根に対して言ったわけじゃないわ。だから、リュックの中にあるなにかを出さないでくれないかしら? アタシもあなたを斬りつけたくはないから」

 直刃の出す凄みに蕨は怯む。逐人はその間なにもできないでいた。

「そのまま何も見なかったことにして後ろに下がりなさい。余計なことに時間を使ってこれ以上人に見られると困るの。自転車に乗って素早くね」

「…………下がります」

 そう言って蕨は両手を挙げて後ろ歩きで自転車のところまで下がる。自転車に乗ると、ちらりと倒れた空木逐人を一瞥し、それからUターンして分かれ道の方に進む。

 しかし蕨は倒れた逐人から十メートルもしない所にある自販機の横で再び自転車を降り、直刃に向き直った。

 両者の距離は二十五メートル程度。

 険しくなった直刃の顔を見て逐人は声を上げ警告をする。

「逃げろ塔野! こいつはやると決めたら本当にやるぞ!」

 しかし、蕨は離れず、隣の自販機に右の手のひらをつけた。

 その瞬間、



 バヂンッ、と電気がハジけるような音がして自販機の光が強くなり、ガラガラと何本かの缶飲料を落として、そのまま電源が消えた。



「「っ⁉」」

 逐人と直刃は、突然の自販機の故障に意識を奪われる。


 その隙に蕨は鞄から桃色のペンライトを出してナイフのように構えた。そして、そのまま自転車を片手で押しながら、逐人たちのもとに戻ってくる。

「私は空木君と同質の、いわゆる能力や異能と呼ばれるものをもっています」

 示威するようにペンライトを光らせ、それを振ると、今度はペンライトがスパーク音と共にひときわ強く光り、先が割れた。

「そして、この現象も完全には把握できていませんが、お二人の知らない知識を基に、ある程度の推測ができます」

 もう一本ペンライトを出してどんどん近づいてくる蕨相手に、直刃はすでに場の主導権を握られていることを認めたようだ。先ほどのように暴力をちらつかせて話を進めるようなことはしなかった。

 逐人は能動的に動けずに状況を見守るしかなかった。

「加えて、私は空木君のこれからの、状況の解決のための行動の支援も可能です」

 蕨はすぐそばまで近づいた。

 そこでようやく、逐人は直刃の前に出る。万が一、二人が闘うような展開になったら直刃に勝ち目はない。直刃のナイフはあくまで脅しのためのもので、正面切っての喧嘩ができるほどの力は彼女にない。

 とはいえ、前に出たのは直刃に対しての牽制の意味合いの方が強かった。蕨から敵意のようなものは感じない。

 …………少女二人が火花を散らす中、当事者である自分が流れに身を任せることしかできていないことに居心地の悪さを感じていた逐人は、やっとできることを見つけたと場違いにもホッとした気持ちになった。


「推測ができるというなら、教えてほしいわね。私には皆目見当もつかないのだけれど、この状況」

 直刃は核心から聞くことにしたようだ。

 それに対して蕨は、包み隠さず、前置きも入れず真摯に答える。

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 パラレルワールド。その言葉を聞いて、きっと自分こそがここじゃないルートとやらに行くべき方なのだと、逐人は思った。

 空木逐人は不幸な目にあっている方がふさわしい。踏板にぶつかり体がぐしゃぐしゃになっている空木逐人こそ正しい道を歩んだ自分なのだと。

「空木君、あなたの力にならせてもらえませんか?」

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