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空木逐人の失敗学  作者: 卯山敬
第一章「死んだ自分と隣の世界(パラレルワールド)」
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3



 重要な職員会議があるとのことで、今日は全員強制下校だった。

 戻ってきた養護教諭に保健室から追い出され、ほとんどの生徒が下校を済ませて閑散となった廊下を歩く。一階の隅にある逐人(おいと)たちのクラス、四組から荒砂が出てきた。

「ファッ(●ソ)が……ッ」

 すれ違いざまに荒砂に睨まれて、逐人は嫌な予感を覚え教室に入る。


 中に居たのは一人の女子生徒だ。

 その女子生徒は荒砂の席の隣にある窓を開けていた。

「人のクラスでなにしてんだ、直刃(すぐは)……」

「今日はこれから風が強くなるそうだから、砂ぼこりであいつの机が汚れるように窓を開けているのよ。これであいつ、明日は朝からげんなりね。アッハッハッハッハッハ! まあ、警備員のお爺さんが戸締り確認を怠ればの話だけど、でもだからこそ窓を開けたアタシに責任は向きにくいというわけよ」

 陰湿な行為をしているのには似つかわしくない堂々とした笑顔を浮かべながら、女子生徒は振り向いた。

 清淵高校の暗い臙脂色のブレザーと黒いスカートにこれまた黒いシャツを合わせ、黒タイツを履いた暗色の服装。背は男子の平均身長くらいはあり、細身の体、冷たい瞳、切りそろえられた腰まである赤みがかった長髪と相まって、その立ち姿は血に染まった刃を思わせる。

 彼女が逐人の幼馴染でありたった一人の友人、鉈橋(なたはし)直刃だ。

「なんか荒砂の奴、怒って教室から出ていったけど、お前いったい何をしたんだ…………?」

「私の大事な幼馴染に手を出したって聞いてね、少し脅しをかけておいたのよ!」

 そういって直刃はブレザーの内ポケットから大型の十徳ナイフを取り出し、慣れた手つきでメインブレードを展開して、ズビッ! と正面に突きつける。

「…………ナイフ持っていても不良相手に喧嘩勝てるほど強くないだろ、お前」

「そうね、体は貧弱だわ。でも勝つ必要なんてないもの。荒砂はなにか後ろ暗いことでもあるのか、女子生徒相手に暴力を振るって教師に目をつけられるのは避けたがっていたわ。それに──」

 ニヤリと、とても一介の女子高生とは思えない凶悪な笑みを浮かべ

「『アタシに拳を向ける気なら殺すつもりでくることね。一度敵にまわしたらアタシ、勝つかまで徹底的にやるわよ。もちろん殴り合いなんかしないわ。アンタが帰った後、机の中身を細切れにして、花瓶を置いて、上履きに画びょうを入れて、体育着をビショビショに濡らし、あることないこと悪評を垂れ流し、最後に後ろからこのナイフで突き刺してあげる』って言ったら引きつった顔をして、帰って行ったわよ。フフッ!」

「僕のためにやってくれたんだろうけど、正直、幼馴染の凶行ドン引いてるよ……」

「押してダメなら引いてみろとは言うけれども、感謝の念は押し押しで表してもらって構わないのよ」

 涼しい調子で答えながら、足元のスクールバッグを肩にかけて直刃は教室から出る。

「さあ帰りましょう、逐人」

「ああ、──直刃」

 逐人も自分のショルダーバッグを持ち、直刃の横に並ぶ。

「僕を心配してくれるのは、まあ、悪い気はしないが……、あんまり危ないことはするなよ。不良にからまれることなんて、能力(のろい)に比べれば自衛は簡単だ。お前はたしかに敵対する相手には徹底的に攻撃して、最後は相手を叩きのすんだろうけど、相手が白旗を上げるまでお前も危険な目にあうだろ。そんなんじゃ」

「そうね、その通りだわ。でもね、それだけのリスクを冒す価値はあると私は思ってる」

 だって、と直刃は逐人を見つめて言った。

「あなたがこうして心配してくれるんだもの。それだけでリスクを冒す価値は、ある」

「……なんだそりゃ」

 逐人は思わず呆れた顔をしてしまう。


「早く学校を出ましょう、ぐずぐずしていると先生方に怒られるわ。……そうだ、ひさびさに(ウチ)によってかない?」

「なんかあるのか?」

「理由がなくちゃ女の子の家に行かないなんて、性欲が枯れてるのかしら? あなたは」

「性欲に限らず、食欲も睡眠欲も、ないわけじゃあないが、三大欲求、総じて人より一段低い自覚はある。……それを置いても、お前ん家なんてなんども行ってて、元から意識することもないけどな」

「冗談よ、食欲が低くても食べなきゃお腹は空くでしょ。親戚の農家からきゅうりが大量に送られてきたから、逐人君にって、ママが」

「きゅうりか、たしかお前苦手だったよな」

「正直、かっぱ巻きを考えた人間は正気じゃないと思ってるわね! 例えばどんぶりご飯に海苔と生のきゅうりをそのまま乗せて食べるのは普通じゃないでしょう⁉ 巻いているだけでかっぱ巻きの構成要素はそれと同じなのよっ⁉」

「言いたいことは分からんでもないが…………、まあいいや、ありがとよ。じゃあいただきに行くわ」

 名前の通り、刃のような苛烈さを持ちながら、どこまでも幼馴染想いの少女、鉈橋直刃。彼女の存在があるから、自分はまだどこかに消えていかないで、まっとうな社会の中で生活できているのではないか、そんな風に逐人は思う。

 校舎を出ると空は雲が出てきていたが、まだかろうじて青空を保っていた。



二人で学校のそばの駅に向かい、電車で五駅ほど登って自宅のある石ヶ丘(いしがおか)市の駅に着いた。

「…………(わり)ぃ、今日は帰ることにする」

「…………そうね、早く綺麗にした方が良いわ」

 ホームで『鳩の落とし物に注意!』の看板を見て、うっかり「今日はついてないし、本当に糞でも『落ちてくる』んじゃないか、いや、そんなことも『ない』か」と考えたら、能力により、逐人の肩に頭上の鳩が糞をこぼしてきた。

 能力については直刃も理解している。今日は仕方ないと、駅周辺の繁華街を抜けて住宅地に向けて進む。

 逐人の両親が亡くなるまでは二人は隣同士の家に住んでいたが、両親が死んでから空木家は売り払われ、逐人は現在、出稼ぎに出ている三つ上の兄から送られてくる仕送りで安アパートに独り住んでいる。とは言っても、アパートも元住んでいた家から歩いて十分くらいのところにあり、二人の家はそう遠いわけでもない。

 商業施設の立ち並ぶ区域と住宅地の間に建つ巨大なタワーマンション、その裏手の道を歩き、そこを過ぎたT字路で二人は別れる。

 しかし、空木逐人の不幸ながらも、かろうじてやってこられた人生は、そこに到達する前に、悲劇に向かって大きく舵をきることになる。


 最初に起きた異変は微かに上空から聞こえた、ベキリッ、という音だった。

 逐人は音の聞こえた上方を見た。すっかり曇りになった空に向け伸びるタワーマンションの壁には、壁面工事用の足場が取り付けられている。距離があるのでハッキリとは見えないが、十七階の高さにある工事用の足場の踏板、その一枚の片側が取り付けられた支柱から外れて、もう片側の支柱に吊られ縦になっている。

「危ないわね、行きましょう」

 直刃は逐人の腕を掴み、というより絡め、早足でその場を離れようとした。

「おい、引っ張んなっての」

 逐人も文句を言いつつも、引かれるままマンションの塀づたいの道を歩く。そして、同時に考える。

 踏板が、『そのまま留まる』か、『落下して下の地面に落ちる』か、『落下しても途中でなにかに引っかかって止まる』か。

 逐人の能力が発動するのは、これから起こる現象を二択で考えた時だ。つまりそれは初めから物事を三択以上で考えれば能力の発動は防げるということである。大きな事故の予兆を察知した時、逐人は物事を三択で考える癖をつけている。咄嗟のことには対応できないが、これにより命に関わるレベルの事故はある程度、回避することが可能だった。

 能力の発動さえ防げれば、それほど焦ることはない。工事用の足場は作られている途中で落下防止用のシートで覆われてこそいなかったものの、斜め十字状に鉄パイプが手すり兼柵としてかかっている。また、足場までは塀と敷地を挟んでそこそこの距離もあって、踏板がつながっている方の支柱から外れて落下したとしても、自分達にブツかることはない。


 再び微かなベキリッ、というなにかが折れる音がした。

 そして、先程、片側が支柱から外れた踏板が、今度はもう片方側の支えから落ちた。落下した踏板は下の階の踏板にぶつかり、そこで止まるかに見えた。しかし、そこで踏板は不自然に、さながら意思を持つかのごとく、わずかにバウンドしてスルリと柵の鉄パイプをかわし、さらに足場の外まで落下してきた。

「なんだってんだ?」

 逐人がその奇妙な踏板の落下に驚きの声を上げる。しかし、それ以上にありえない現象が次に起きる。

「────ッ⁉」

 先に気付いたのは直刃のほうだった。

 絡めていた逐人の腕を一度離してから強く握り直し、彼を引っ張りながら全力で走り出した。この段階で彼らは踏板が外れた位置から水平距離で二十メートル弱離れていたが、さらにその距離を離そうと直刃は駆けだしたのだ。

「どうし──────ッ、ハアッ⁉」

 逐人が引っ張られながら後ろを見た時、衝撃が彼の脳を突き抜けた。

 踏板がこちらに向かって、巨大な手裏剣のように縦に回転しながら飛んできているのだ。それも落下速度のままに。

 ──ヤッベェ、せめて────────ッ、

 数瞬の出来事だった。踏板が地上に落ちるまでにはその程度の時間しかなかった。

 咄嗟に逐人は直刃の体を引き寄せて、彼女を後ろに突き飛ばしあらん限りの力で前方へ高くへ飛んだ。

 ──せめて、直刃、だけは─────ッ‼

 逐人にはこの現象がいかなモノか分からない。ありえない軌道での踏板の落下が、テレビで取り扱われるような驚嘆すべき偶然による事故なのか、何者かの意図によるものなのか。誰かの意図によるものなら、狙いは自分なのか直刃なのか。全てが不明だった。

 だけど、そんなことは一切関係ない。

 不幸をこの身に負うことならば空木逐人の右に出るものはいないのだから。

 ──飛んできた踏板は僕に『当たる』か『当たらない』か────ッ。

 思考に伴い能力が発動する。

 体をひねり後ろを見ると、隕石のように落ちてくる踏板は、不自然な軌道をさらに変えて落下角度を深くし、前に飛んだ逐人めがけて進むようになった。倒された直刃の体の上を超えて、踏板が空中の逐人に接近する。


 そこで、逐人は初めて時間が引き伸ばされる感覚を味わった。意識が冴えわたり視界に映る全てがスローモーションで見える。死が迫る瞬間にはこうした現象が起きるとどこかで聞いたことがある。

 ──僕は死ぬのか。

 ゆっくりと迫る鉄製の凶器を眺めながら逐人は冷静にそう思った。

 特に生きていてやりたいこともなかったけれど、それでも死なないようにはやってきた。

 でも、いざ死ぬとなると本気でそれを拒む気がおきなかった。

 ──ただまあ、走馬灯が観られないのは心残りだ。

 まだ能力に目覚めていない、幸せで希望に満ち溢れていた頃をもう一度体験できないのは残念だと思って、

 ついに、踏板が逐人の顔面にブチ当る、本当にその寸前に────────、



 突如、世界がブレた。



 視覚が狂ったのか? 見える全てが二重になった。例えるなら、赤と青のセロファン越しで見ると3Dに見える二重線のイラスト。しかも、それだけじゃない。自分の体も二重にブレている。いや、自分の体に関して言えばブレているという程度じゃない、離れている。

 自分の体から自分の体が引っこ抜かれている。

 スローな世界の中、逐人は唖然とした。

 踏板が自分の方に落下してきた時も驚いたが、あれはあくまで少しだけ落下の角度を変えただけの現象だ。硬く大きいものが勢いよく迫ってくるという状況に必要以上に驚愕したが、突き詰めれば、自分でも能力を使えば起こせる事象にすぎない。

 だがこれは、そんな矮小な範囲の事象ではない。言ってしまえば、未知の法則が世界に現れたようなものだ。

 逐人の意識は離れている側の体の中にあった。もう一人の自分の体の位置は変わらず、意識を持つ逐人がそこから左へ抜けていくので、踏板の軌道から意識を持つ逐人は逃れられた。

 体はどんどんもう一人の自分と離れ、片手が重なり合うだけになる。その片手も離れきると同時に、周囲のブレは治まり、一つに戻ろうとする。視界には鉄骨に激突するもう一人の自分が見えたが、その姿もうすらいでいった。

 よく分からないが助かったのか、と逐人は考えた。


 しかし、畳みかけるように新たな現象が逐人を襲う。

 今度は、自分の元いた、踏板のある方へ向けて、ジェットコースターが落ちる時の加速感を何倍にもしたような凄まじい圧力が体にかかった。自分の体は今までのようにスローにしか動いていないのにだ。

 ──ア……、ガッ、アァ…………

 言葉にならない呻きが口の端からこぼれた。

 苦しい、苦しい。体がほとんど動いてないのに圧力ばかりがかかるので、見えない障壁に押し付けられているように感じる。

 どんどん押し付けられる力は強くなっていく。逐人は自分の意識は半分飛びかけていた。

 だが、逐人の意識が限界を迎える前に、見えない障壁が崩れた。

 今までに聴いたことのない、この世のものとは思えない、かん高い破砕音が大音量で響き、

 そこで、引き伸ばされた時間は通常に戻り、

 なにかが右腕をかすめ、

 隣からドコォ! と重い衝突音が聴こえて

 体感時間ではようやく地面に倒れこみ、

 前を見ると

 そこには、


 

 踏板に巻き込まれて血まみれになり、片腕片脚がおかしな方向を向く、空木逐人がいた。

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