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空木逐人の失敗学  作者: 卯山敬
第一章「死んだ自分と隣の世界(パラレルワールド)」
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「思ったより出るな……」

 手で鼻を押さえ、血をこぼさないように上を向きながら、無人の廊下を歩く。

 鼻血を出したのはわざとだった。

 バスケットボールが当たることを確信した逐人(おいと)は思考を切り替えて、当たったボールで鼻血が『出る』か『出ない』かの二択を瞬時に頭に浮かべた。

 逐人の能力によって引き起こされる不幸の定義は、『単純にひどい目に合うこと』だ。自分から怪我をすることを望んで能力を発動すれば、『怪我をせず望み通りに行かない』という不幸ではなく、『怪我をする』という単純な不幸が起きる。

 逐人は鼻血を出し、授業を早抜けし保健室で時間を潰そうと考えていた。授業時間ももうあまりないのでこのまま帰りのHR(ホームルーム)もふけようと思った。

しかし、


「かなわねぇなあ」

 先客がいた。

 保健室に入ると、体育着を着た女子が自分で膝小僧に絆創膏を貼っていた。小柄で色白の儚げな外見とは裏腹に弱弱しさを感じさせない真っ直ぐな瞳が逐人を捉える。

「……血まみれですね、空木君」

 小さいが良く通る澄んだ声で名を呼ばれて、逐人は身をこわばらせた。

 塔野(とうの)(わらび)────、荒砂と同じく、新学期から同じクラスになった少女であり、逐人が最も苦手とするタイプの人間。

「今、脱脂綿を探しますので、とりあえずこれで」

「モガッ」

 絆創膏も貼りかけのままおもむろに近づいてきた蕨にティッシュを顔に押し当てられ、息が詰まる逐人。

 続けて蕨は棚から脱脂綿を出してちぎり、筒状に丸めて渡してきた。どうやら養護教諭は席を空けているらしい。

「タオル持ってきますね。血まみれというのも恰好よいですが、残り一年の高校生活『鮮血の空木』などと呼ばれるのは不本意でしょう。フフッ……」

「そんな呼ぶほうが恥ずかしい呼び方する奴いねぇよ……」

 フリフリと二つにまとめたおさげを揺らしながら、保健室を動き回る蕨を見て逐人はため息をこぼす。


 蕨はおとなしそうな見た目とは裏腹に行動的なタイプだ。ただ、行動的と言っても運動部でバリバリ活躍したり、学校行事において中心になったりといったタイプではない。

 一言で言えば『善良』。

 彼女が行動的になるのは人の力になる時だ。学内きっての嫌われ者、空木逐人が相手でも自分の怪我をほうっておいて救護する。そんな性格が逐人は苦手だった。ついでに言えば彼女の独特なセンスも含めて。

「タオルをどうぞ、HRには戻れそうですか?」

「ありがとよ。いや、せっかく保健室来たんだからゆっくりしていくさ」

 手や顔についた血を濡れタオルで拭きながら、逐人は答える。

「HRで進路調査のプリントを配ると、先生が言ってましたよ?」

「別にどうでも良いよ。僕の進路に書くほどの未来なんてねぇさ」

「ニヒルを気取った言い方は感心しませんよ。仕方ありません、私が貰っておきます。明日、渡しますね」

 蕨は自分の膝でぺらぺらしていた絆創膏を貼り直し、では、と言って保健室から出ていった。


 逐人は言いようのない暗い気持ちを抱えながら、ベッドに腰をおろそうとした。しかし、軽いめまいに襲われ体が倒れそうになる。

「ウっ……」

 足をふんばることで体を起こそうとする。不安定な姿勢で体が倒れる力と体勢を戻そうとする力が拮抗し、よろめく。そこで一瞬の思考が頭をよぎる。

 ──このまま『倒れる』か『倒れない』か。

 能力が発動。逐人の足がわずかに浮き、後頭部が勢いよくベッドの柵に突っ込んだ。

()ってぇ……!」

 頭を押さえベッドにうずくまる。

 今日は能力の発動が多いなと思いながら、心に諦観が満ちていくのを感じる。

 毎日のように起こる不幸。それは逐人の精神を蝕み、心の活力を奪い、なにごとにも投げやりで厭世的な人格を作り上げた。

 能力が発現した中学一年生の頃はまだ、この呪いに対して打ち勝とうという強い意志が逐人の中にもあった。体を鍛え、勉強に精を出し、どんな不幸にも負けない屈強で聡明な人間になろうとした。

 だが、それも長くは続かなかった。今でこそ、大きな事故につながりそうな時には意図的に思考を放棄したり、逆にさまざまな可能性を考えて思考を二択以上にすることで、めったに大怪我はしなくなったが、まだ能力に慣れていない頃は、何度も重傷を負った。一年の内、半分は病院のベッドで過ごしたし、二月(ふたつき)に一回は交通事故にあった。

 加えて、そんな不幸に巻き込まれることを恐れ、かつての友人たちも次第に逐人から離れていった。しかし、それも責められない。中学一年生の移動教室は、逐人の能力により行き道のバスが大型車に勢いよく追突されて多くの怪我人を出し、中止になった。

 両親は能力が目覚める前に亡くなっており、彼の周りに残ったのは唯一の肉親である兄と、幼馴染の少女およびその一家だけだった。

 そんな環境下で、しだいに逐人は若くして自分の可能性が閉ざされていることを自覚するようになった。なにをしても上手くいくことはなく、どうやっても報われない。そう考えるようになり、ゆるやかに人生に対して失望していった。

 そして、本気でものごとに向き合うことを諦め、ニヒルを気取って生きるようになった。

 今の逐人にとって大切なのは、数少ない周りにいてくれる人たちに関わることだけだ。他のことはどうでも良いと思っている。自分自身も含めて。


「だから塔野は苦手なんだ……」

 露骨に周りに対して無関心な自分に対しても、持ち前の善良さで自分のことを思い、関わってくる。こちらは相手をどうでも良いと思っているのに、一方的に助けられるから罪悪感のようなものを覚えてしまう。

 能力関係なしに見ても自分はツイていない人間だと思う。せっかく保健室でサボれると思ったのに、すっかり胸の中には暗い感情が渦巻いてしまっている。

 チャイムが鳴った。あと少しだけ横になっていることにした。

次章はもう一人ヒロインが出ます!

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