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第一章 死んだ自分と隣の世界
『正義』にあって『正しさ』にないもの。それは『平等』だ。
多数の幸福は少数の犠牲の上に成り立っている。
犠牲となるものの善悪は問われず、そこに『正義』は介在しない。
されど、その多数の幸福こそが『正しさ』なのだ。
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空木逐人がもう一人の自分と邂逅する一時間前。
まだ、彼自身がそんな奇妙な目にあうとは思ってもいなかった頃。
逐人は体育着を着て私立清淵高校の体育館にいた。
ダン、ダン、とボールが床を叩く小気味良い音がする。パスを求める声が響き、ボールがリングをくぐると歓声が沸いた。
6時間目、体育、バスケットボール。二つのハーフコートで男子生徒による五対五のゲームが行われている。
「人数が余ったのは、僕にしては運がマシか……」
逐人は片方のコートのハーフラインのそばで壁に寄りかかって試合を眺めていた。六人チームの中の見学役。体育教師は適当なところで、チームメイトと交代するようにと言っていたが、面倒なので積極的にコートに上がろうとはしない。チームメイトもやる気のない人間にコートに入られても迷惑なだけなので声をかけてこない。
点数は開始三分で二対十二。逐人のいるチームが劣勢だった。
「荒砂っ!」
チームメイトの一人がフリーになっていた荒砂という少年にパスを出した。荒砂がシュートフォームをとる。
その時、逐人はぼんやりと考えた。
──シュートは『入る』か『入らないか』。
能力が発動する。
荒砂が乱れのないフォームでシュートを放つ。ボールは綺麗にリングに吸い込まれるかのように見えた。
がしかし、放たれたボールは空中で左にズレてリングにぶつかり弾かれた。リバウンドを敵チームに拾われて一転、カウンターを受ける。
これが逐人の能力だった。彼の持つ能力はこれから起こる現象を二択で考えた時に自動で発動し、考えた現象の内、彼にとって単純な意味合いで不幸な方の現象を起こす。たとえ他の現象が起きそうな状態でも、物理法則を無視した動きが生じて、不幸な未来を確定する。
今の場合、シュートの成否を二択で考えたために、シュートが『外れる』という不幸な結果を呼んだのだ。逐人が能力を使わなければ、おそらくはボールはネットを鳴らして自チームに得点を与えていたが、能力の力が軌道をズラしたため、それは叶わなかった。
敵チームのシュートが見事に決まる。荒砂は苛立たしげに舌打ちし、逐人を睨みつけた。
それから数分してゲームは終わり、逐人のいるチームは四対十七で敗北した。
「クッソ、『疫病神』と同じチームじゃ勝てねぇべよ」
「たまったもんじゃねーな、本当によー」
チームメイト二人がワザと逐人に聞こえるようにボヤいた。
『疫病神』とは逐人の蔑称だ。逐人自身もその呼び方は自分にピッタリだと思っているので、言い返すようなことはしない。
──事実を言い返しても、しょうがないしな。
実際、先のゲームでも彼の能力によって荒砂のシュートは外れたし、他にもパスがあらぬ方向に飛んだり、逆に相手のめちゃくちゃなシュートが入ったりもした。
それだけじゃない、日頃の高校生活でも逐人の周りにでは事故や失敗が多発している。
逐人のクラスの教室の備品はよく壊れる。逐人のいるチームはミスが多くなる。逐人のそばでは怪我人が出やすい。地震が起きた時には逐人がいた教室だけ他の教室より多く物が落ちたし、学校のそばの道路で軽トラがスリップした時は逐人のいた教室の方に突っ込んできた。
皆、逐人の能力を知っているわけではない。しかし、彼のそばでだけ異常な頻度で不幸なことが起きれば、具体的な根拠がなくても彼が不幸を呼ぶ原因だと思うようになる。三年生になるころには『厄病神』という名は学年中に知れわたり、クラス替えでは、逐人と同じクラスになった多くの生徒がそのことを落胆したし、体育では逐人と同じチームだと負けるというジンクスが語られている。
逐人の能力は自力では止められない。起きうる現象を二択で考えた時に自動で発動してしまう。これがなかなか厄介なもので、人間、自然に思考していると多くのことを二択で考えてしまう。例えば、先程のシュートでも瞬間の思考では『入る』か『入らない』かの二択でしか考えられなかった。どんなふうに入るか、何秒後に入るか、など細かい点を考慮してさまざまなパターンを脳内に作るのは時間が必要になるし、意図してやらないとできないことだ。
「次のゲーム! 今、見学してた奴は出ろー!」
教師のだみ声が体育館に響いた。逐人は仕方なくチームメイトの一人と交代してコートに入る。
荒砂は露骨に苛立った顔をした。
まだ、五月中旬でクラス替えしてから一ヶ月と少ししか経っておらず、他人に無関心な逐人はあまりクラスメイトとの顔と名前は覚えていなかったが、荒砂左右吉のことは前から知っていた。
そこそこ良い偏差値の進学校である清淵高校では珍しい不良生徒。長身で引き締まった体を持ち、時代外れのリーゼント気味な髪型が特徴的な男で、クラスが違う頃から逐人に絡んできた。
笛がピーッ! と鳴ってゲームが始まる。
逐人は無気力に敵陣のゴールの下をフラフラと歩いていた。やる気のない逐人にはあまりマークがつかなかったので、たまにパスが飛んできてが、面倒くさそうにシュートをしても毎回外した。
逐人のいるチームが劣勢の中、残り一分弱というところでハーフライン手前にいた荒砂にボールが渡った。逐人は敵陣のゴールの下からそれを視界に捉えた。
「空木! パス!」
珍しく荒砂が自分にパスをしようとしてきて逐人は驚いた。しかし、そのフォームがドッジボールで相手にボールを投げるような姿であることに気付いて、相手の意図を理解する。
──あいつ、僕にボールを当てる気か。
その能力ゆえに人に煙たがられながら生きてきた逐人だからこそ、すぐに察しがついた。回避しようと走りだそうとする。だが、下手に早く気付いたゆえに、中途半端に思考する時間ができてしまったのが災いした。
ボールを『かわせる』か『かわせない』か、考えてしまった。
荒砂の投げた速球は一直線に進んできたが、その軌道が斜め上に浮き上がる。
結果、ボールは顔面に当たり、逐人は尻もちをついて倒れた。
あまりに綺麗に直撃して周りの生徒は唖然としている。
「おっ、おい……」
投げた荒砂自身でさえ呆気にとられている。なにも顔面に直撃させる気まではなかったようだ。
逐人は鼻からドロリ、と血を出しながら、のそりと起き上がった。
「すんません、鼻血出たんで保健室行ってきます」
出血量に反して平然としながらそういって、逐人は体育館を後にする。
次章からちゃんと(?)ヒロインが出てきます。