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9〈天霧さつきの場合 六〉



 火曜日。


 外面を取り繕いこそするけれど、その分とぼけるのも上手いのが彼女達のようなタイプである。三人が揃ってるところに、私のような人間がいきなり来ても、軽くあしらわれるのが落ちだろう。まして、「貴女達がこっそり話してた噂話の出処が知りたい」なんてもの、普通なら取り合うはずもない。


 なので、ターゲットは一人……北条時子に絞る。彼女は唯一、私に対して、気まずさを見せた子。だから多少はこちらの押しに弱いはず、そう踏んだ。


 HR前。北条さんのクラスを覗くと、一人で大人しく、教室の席に突っ伏している姿を発見した。三人が集まるのは、大体が一時限目が終わった辺りからなので、今のタイミングなら、彼女一人を呼び出しやすい。近くにいた子を通じて来てもらった彼女は、一抹の喜びと戸惑いを込めた表情を見せていた。仲間からの呼び出しではないかという期待があったのだろう。その分、私を見た時の表情の落差は露骨だったけれど。


「……何の用?」


 喧々とした態度だけれど、目線を合わせてこない。仲間がいない不安か、私への気まずさか、あるいはその両方だろうか。北条さんは、口以上に目で物を言うタイプのようだった。


「ちょっと、北条さん達が話していたことで、聞きたいことがあって」


「……私が言い出したんじゃないよ。愛菜が最初に始めて、沙希がそれに乗っかったの。私はただそれを聞いていただけ」


 どうやら呼び出しの理由を、以前の悪口に関するものだと思ったらしく、北条さんは早々に、残り二人を矢面に立たせた。それが事実かは知らないけれど、少なくともこの場で自分が喧嘩をする気はないらしい。


「あぁ、違うの。それじゃなくて……ほら、北条さん、東屋さん達と一緒に話してたでしょ? それの話を聞きたいの。ニュースにもなってる、例の自殺ビルの話……」


 だからてっきり、そこを気にしてない、とわかれば、多少は態度が軟化すると思った。


「……なんで、知ってるの?」


「その、ちょっと小耳に挟んだっていうか」


「……」


「えっとね、本当に、北条さん達が悪口言ってたとか、そういう事をどうこう言いたいんじゃないの。ただ詳しいことが聞ければそれでいいから。その、自殺ビルの話って、どこから聞いたのか……」


「愛菜が言ってたの」


「……? ビルの話?」


「天霧っていつも一人でブツブツ言ってて、おまけに人の話を盗み聞きするのが好きな嫌な奴だって。いつも他の誰かが話していたことを傍で聞いてて、独り言で語ってるって」


 本当に、上手く話を運べていると思っていたのだ。だからまさか態度が軟化するどころか、北条さんが怒ることは想像もしていなくて、その剣幕に言葉を返せなかった。


「また適当なこと言ってるんだと思ってたけど、本当だったんだ。人の話盗み聞きするとか最低だし……しかも本人に話を詳しく訊こうって、どういう神経してるの? それで私が教えるって思った?」


 目の前が揺れる。顔が熱くなるのを感じる。怒り? 羞恥? わからない。身体がグラグラと揺れている。支えていたはずの両脚がどこかへ行ってしまったかのようだった。


 彼女の表情にあったのは、侮蔑だった。畳みかけるように、北条さんがこちらに一歩踏み込んで来る。


「よく知らない奴の悪口とか、私は好きじゃなかったけど……あんたのことは別。そうやって色んな奴の話、好き勝手に聞いてればいいんじゃない。今回のことだって、学校中で噂になってるんだから、片っ端から盗み聞きしてればいいよ。私はあんたみたいな奴に、絶対教えてやらないから」


 先程の逃げ腰が嘘のように、吐き捨てるように言うと、北条さんは私の返事も待たずに、さっさと教室の中へ戻ってしまった。私は呆然と立ち尽くしている。


 思考が纏まらない。遠巻きにチクチクと受けていた拒絶の言葉を、北風のように直に叩きつけられて、どうすればいいのかわからない。


 好かれていないとは思っていた。けれど、まさかここまで拒絶されるなんて。

楽観視していたのだ。葉月ちゃんは私と仲良く話してくれたから。柊木さんとはうまく話すことが出来たから。同じように、他の人達とも会話が出来るはずだと、思い込んでしまっていた。もしそんなことが出来たなら、そもそも私は一人ぼっちなんかになるはずがないのに。違う。そもそもそれが間違いなのだ。私に良くしてくれた人と、私を良く思わない人。その二種類に、同じ対応を取ったことが。


 他の生徒の視線が立ち尽くす私に刺さり、居たたまれずに、私も逃げるように、その場を立ち去った。


 あとに残った生徒たちが何を話すのか。それを想像しようとする思考回路を、必死に遮断しながら。


 階段を駆け下り、そのまま階段下の物置場に潜り込む。


 暗くて、狭くて、湿った場所。誰も来ない場所で、必死に心を落ち着ける。わめき出したくなる衝動を抑え込む。


 私が悪いんだ。私が彼女の逆鱗に触れたんだ。当たり前の怒りだ。ぐうの音も出ない。無神経にも程がある。まず最初に謝罪をするべきだった。盗み聞きしてごめんって。やったのは私じゃなくて葉月ちゃんだけど、そんなことを北条さんに言っても仕方がない。私が悪いんだ。私が考えなしに動くから。そうだ、全部全部全部―――


「さつき?」


 名を呼ばれ、ビクッと身を震わせる。ゆっくりと顔をあげると、心配そうにこちらを覗き込んでくる、葉月ちゃんの顔があった。



 ★★★★



「何それ、ひどくない? 盗み聞きが最低とか、あいつらにだけは言われたくないんだけど。自分のこと棚に上げて何偉ぶってるのよって感じ」


 階段下と、そこから繋がる廊下に、私にしか聞こえない葉月ちゃんの怒りの声が響く。駆け付けた葉月ちゃんが、すごく驚いて、心配してくれて、そのまま導かれるように、北条さんに言われたことを、ぼそぼそと語ってしまった。


「さつきは悪くないよ。そもそも噂話をしたのはあっちなんだから、その責任は自分で取らないとだめだもん。さつきのことをゴチャゴチャ言うのはお門違いだよ」


「ん……ありがと……」


 葉月ちゃんは、いつも私の味方になってくれる。どんな時も、どんな理由でも。本当に、泣きそうになる。


「……そう言えば、他の生徒達から、手掛かりになりそうな話、聞いた?」


「んー……あんまり」


 葉月ちゃんの端的な報告に、ガクリとうなだれる。


 人前では静かにしている生徒達も、自分のグループの間では口を閉じずにはいられない。そう踏んで、彼女にそれらを盗み聞きしてもらおうと思っていたのに。私がよほど悲し気な顔をしたのか、葉月ちゃんは慌てて言葉をつづけた。


「いや、正確に言うとね? 一応色んな話があったにはあったけど……どれもなんか適当なんだよね。『自殺した女の霊が怨霊として憑りついてる』って言うくせに、肝心の女性の情報は何もなかったりとか……『実は過去の自殺も本屋の店主が犯人』なんて明らかに今回の事件受けてから考えたようなものだし。

 どれもこれも、テレビでやってたことを自分たちで混ぜっ返して作ったようなものばかり。カップル自殺の話も、二件目の話もさつきが調べた以上の情報は無し……多分みんな、昨日まで過去の死亡事故自体知らなかったんだよ」


 体育座りのまま顔を伏せ、改めて考える。葉月ちゃんの予想は多分正しい。口を閉じずにいられないような、北条さんグループのような子達が既に知っていたなら、それ以前から噂話は広まってしかるべきなのだ。であれば、今回をきっかけに溢れ出した物は、全て何も知らない人間が好き勝手に肉付けした四方山話の域を出ないのだろう。


「……そうなると、むしろ不思議なのは……なんで彼女達は噂話を知ってたのかな」


「あの三人娘? 新聞とかの記事を見たんじゃないの?」


「それだと噂の出処が彼女達ってことになっちゃうよ。それだと困るなぁ……。」


 洞淵ビルでの二件の事故を知り、それらを幽霊騒ぎで結びつけ、騒ぎ立てる。確かに筋は通っているけど……。


「……ううん、やっぱりおかしいよ。私でさえ、彼女たちの話を聞いて、それを根拠に新聞記事を探せたんだもん。その記事だって、二つの事故の関連性なんて全く書いてないし……あの子達がノーヒントで二つの記事を見つけられるほど、地方新聞を読み込んでるとも思えない。多分、何か情報源があるんだよ」


 では、その情報源とは何なのか。


 北条時子、東屋愛菜、西村沙希の三人は、一体どこから、洞淵ビルで起きた過去二件の自殺を知ったのか。


「自分で調べるタイプじゃない、って言うなら、やっぱり人伝に聞いたんじゃない?」


「だとしたら、なんでその人が知ってるの、って話になるね」


「逆に考えてみたら?」


「逆?」


 顔を上げ、葉月ちゃんを見る。


「あの三人がどうやって事故のことを知ったのか、じゃなくて、あの事故を伝えられる情報源は何か、とか」


「情報源……。新聞記事以外に? 橋川守は、新聞の取材を受けてからは、人と話せる状態じゃなくなったっていうし」


「まだあるじゃん。不良グループ」


「あ」


 呆けた声が出た。二件目の事故の現場にいた、橋川守と、自殺した田町京香が身を寄せていた不良グループ。カップル心中はともかく、田町京香の自殺に関しては立派な関係者だ。取材に応じた、という記述は見当たらなかったけど……。


「……そっか、彼らが身内に話して、それが巡り巡って北条さん達の所に来た、ってことも考えられる……」


「その前提で一回調べてみたら? 北条さんに不良な友達がいるかどうか、とか」


 確かに可能性はある。面白半分に言いふらしてないなら、その分情報のルートは調べやすい。


「ありがとう、ちょっとそれで考えてみる。葉月ちゃんも……悪いけど、一応引き続き学校の中の噂を集めといて」


「それは別にいいけど……本当に大丈夫?」


 葉月ちゃんの顔は、珍しく心配そうにしていた。


「うん、多分大丈夫」


 だから安心させるように、ニッコリと微笑み返す。もう大丈夫。目一杯落ち込んだし、目一杯慰めて貰ったのだから。



★★★★



 屋敷入口の扉は、開くたびにギシギシと、毎度嫌な音と手応えをこちらの身体に響かせてくる。何度か開け閉めを繰り返していれば多少マシになるが、一日置くと再び元に戻ってしまうので、油を差す気にもなれない。


 そんな扉の手応えが感じられず、それが先客の存在を教えてくれた。覗いてみると、お弁当箱に詰められた小さなおかずをモソモソと食べる、柊木さんの姿があった。私に気付くと、慌ててお茶を飲んで口の中身を流し込んだ。


「っ……ごめん、また来ちゃった」


「ううん、いいって。お弁当、自分で作ってるの?」


「まぁ、ね……ずっと食べないわけにも行かないし……どうせ買うなら、出来合いも材料も同じだから、ならちゃんとしたもの食べないとって」


 柊木さんの手元にあるお弁当は、おかず一つ一つが丁寧に作られていた。形の整った卵焼き、タコの形のウィンナー、串に刺さったプチトマト……。ただお腹に詰めることしか考えてないわけじゃない、見栄えを考えた王道なお弁当だった。


「……お父さんが、さ」


 食べかけのお弁当を見下ろしながら、柊木さんが呟く。


「お父さんが作るお弁当、いつもこうなんだ。いつもお母さんが作るのは、日によって違ったりするし、私も今どき子供っぽいからって、最近は嫌だったんだけど……お弁当作るか―って思った時、頭の中に、これが浮かんで……」


「……本当に、仲良かったんだね」


 柊木さんが小さく頷く。


 柊木家の風景を想像する。慣れない手つきでお弁当を作ろうとする義孝さん。それを後ろでハラハラしながら指導する加奈子さん。そしてそれをわくわくした目で見ている、幼い柊木さん。


「天霧さんの所は?」


 気恥ずかしくなったのか、誤魔化すように話題を変えてきた。


「んー、別に悪くはないんじゃない? 普通だよ、普通」


「アンタとはどうなの?」


「あー……」


 その質問にはちょっと口ごもる。


「……過保護気味、みたいな?」


「いいじゃん。心配してくれるってことでしょ」


「私の心配っていうか……うん、そうね、そんな感じ。あんまり人に話せるようなエピソードないんだよね」


 柊木さんは少し頷いて、それ以上突っ込んでは来なかった。うぅ……もう少し何か絞り出せばよかったかなぁ。


「そ、それにしても、柊木さんの両親って、性格正反対なんだね!」


 いやこれは良くない。絶対によくない。けど柊木さんは少し、頬を綻ばせた。


「そうでもないよ。自分に正直な所、っていうか……周りの目とか、そういうの、気にする人達じゃなかったから。そういうところで気が合ったんじゃないかな……でも、そうだね、確かに、それ以外は反対かも」


 柊木さんの口は食事を止め、言葉を紡ぎ続けた。頭に浮かぶ思い出をつらつらとなぞるように。そうしなければ、頭と胸が一杯になってしまう、とでも言いたげに。


「……お父さんもお母さんも、そういうところがあるんだよね。お母さんは、なんでもそつなく作るけど、その分飽きっぽいみたいで、本当に毎日、違うお弁当で……小学校の頃の運動会だって、毎年中身を変えてたんだ。気まぐれで猫みたいだ、ってお父さん言ってた。……お父さんはお父さんで、普段は大人しいけど、これ、って決めたことは絶対に意地でも押し通すタイプ、って言うか……不器用……ううん、一途、なのかな。一回ね、聞いたことがあるんだ。なんでいつも同じお弁当しか作らないの、って。てっきりそれしか作り方を知らないからだと思ってたけど……」


「違うの?」


 柊木さんが首を横に振る。


「アタシが、初めてそのお弁当を見た時すごく喜んだらしくて、その時のことが忘れられないんだって。……馬鹿だよね、私だって、いつまでも子供じゃないのにさ……。本屋のオカルトコーナーだって、お母さんは定期的にラインナップを替えよう、って言い続けてたけど、結局ずっと変わらないままだった。……アタシが、好きだって言ったから……アタシが、……アタシの、ために……っ」


 慌ててハンカチを渡そうとしたけど、手で制され、彼女は口元まで出かかっていた嗚咽を、お茶で無理矢理飲み下した。


 一旦言葉を切り、もう一度お茶を口にする。そして深く深呼吸をすると、


「……弁護士がね。パパと、面会をしないかって」


「……」


「きっとアタシと話せば、気分も落ち着くって……。弁護士さんも、信じてないんだ。そりゃあ、信じるわけないよね。悪霊が自分を操って殺した、なんて」


 柊木義孝は、なおも無実を訴え続けている。柊木さんが弁護士から聞き出した話では、状況証拠は充分に揃っているらしい。双方の頬や腕には、争った際についたであろう、引っ掻いたような痕があり、それぞれの爪にはお互いの皮膚や血液が付いていた。


 柊木加奈子の衣服は無理矢理引っ張ったように伸び、掴み掛かるような形で、柊木義孝の汗や指紋も検出された。屋上で言い争いになり、もみ合うようにして、そのまま突き落とした、という状況が成り立つ。


 それでも、柊木義孝は認めない。不慮の事故と言い張るのですらなく、そもそも争った記憶すらない。ビルに近づこうとした覚えもない、と。精神鑑定を狙ってるのか、と勘繰られ、心証は悪くなる一方らしい。何度そう諭しても、主張を変えていない。自分は妻を殺そうとなんてしていない、殺したのは自分じゃない。そう訴え続けているという。


「……アタシが頼んでおいて今更だけどさ……本当に、悪霊の仕業なのかな」


「きっとそうだよ。だって全然無関係な人が、同じビルで飛び降りて死ぬなんておかしいもん」


 そうだ。三人が同じ場所で、同じ死因、というのは異常だ。そこには因果関係がなければ説明が付かない。それこそ、超常的な、因果関係が。


「……うん、そうだよね。……アタシくらいは、信じてあげないと……パパが、ママを殺すわけない、って……」


 自分に言い聞かせるように呟く。見ると水筒を持つ手は少し震えていて、その姿はとてもいたたまれなかった。


「……大丈夫、絶対大丈夫だから」


 思わず、手が出ていた。彼女の手を上から包むように、こちらの手を添える。


 柊木さんはただうん、うん、と、嗚咽を堪えるように頷いていた。



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