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8〈天霧さつきの場合 五〉



 そんなわけで、自室に閉じこもるだけの日曜を飛ばして、月曜日。


 更に学校をしばらく休んだらどうか、としつこく食い下がる両親を振り切るようにして、いつも通り徒歩で学校へ向かう。送り迎えまでしようとしてきたが、丁重にお断りした。


 通学路を通る時、商店街の入り口をちらりと覗いてみたが、まだ朝だからか、どの店もシャッターを下ろしていて、人っ子一人いなかった。


 一昨日通った時の賑やかさが幻であったかのように、閑散とした商店街。


 その沈黙の中心には、柊木書店があった。


 シャッターが下りている以外、何もおかしなところはない。テレビの取材の一つもあるのではないかと思っていたが、それは日曜日から今日にかけての間で既に終わったらしい。


 というか、そもそも店主が逮捕されているのだから、店に行っても誰もいないのだ。


 なにせ、殺害されたのは、店の唯一の店員の人だったのだから。


(……悪い人じゃ、なかったんだけどな)


 どちらも、愛想のよい人達だった。本を買う時くらいしか見かけていないけれど。


 不気味に静まり返っている商店街を背に、通学路に戻る。ここにいないとするなら、ひょっとしたら学校の近くに、テレビの人なんかがいたりするのだろうか、とも思ったが、思惑は外れ、だれもいなかった。というか、先生達がしっかりと周りを見張ってて、そういった記者らしき人を追い出していた。


 昨年起きた震災の時に何度か話題に出てきた、テレビクルーや雑誌記者達の無神経な行動。それらの実績が、大人たちをより神経質にさせているようにも感じられる。あるいは商店街の人達も、そうやって取材を拒否していたのかもしれない。




「さつきさつき! あの不良っ子のお父さんが逮捕されたって本当!? あのビルで人殺ししたんだって!?」


 廊下で出会うや否や、矢も楯もたまらず、と言った様子で私に向かって突進してくる葉月ちゃん。いつになくテンションが高い。彼女にとって、ここ最近では断トツで大きなニュースなのだろう。


 でもね、仮にも私のお友達判定をした相手のことに対してそのテンションはどうかと思うよ。


 教室に入ると、クラス中の視線が一瞬こちらを向き、そして失望したようにすぐに離れていく。いつも通り席に座ると、普段より声を落として葉月ちゃんと会話する。流石にこの場だと、聞き耳を立てられかねない。


「柊木神凪、だっけ? あの子も巻き込まれて重傷だとか、色々聞くよ」


「それは流石に出鱈目だろうけど……あの子達が言ってたの?」


「んーん、他のクラスの子。悪口も一杯あったよ、やっぱり不良の親は不良なんだ、とか」

 周りを見回しても、排他的なこのクラスらしいというべきか、事件について言葉を交わす生徒の姿は見当たらない。


 見当たらない、が、目は口ほどに物を言うという奴か、揃いも揃ってソワソワと、教室の扉へチラチラと視線を向けていた。まるで、このクラスの誰かが来ることを待ち望んでいるかのように。


 そして来たとしても、彼女に話しかけようとする人間は、ここにはいないのだろう。それが逆に気味が悪い。いっそヒソヒソと小さな声で事件の話でもしていてくれた方が、収まりがいい。堂々と不謹慎に騒ぐ葉月ちゃんや、噂好き三人娘の方が、まだ見ていて気が滅入らない。


 不意に、携帯が小さく震える。開いてみると、メールが届いていた。机を挟んで対面にしゃがみこんでいる葉月ちゃんは、少しでも続報がないかと周囲を見回している。


「ねぇ、今日は図書室行く?」


「ごめん、今日も予定が出来ちゃった……明日一緒にお話ししよ? 学校に広まってる噂のこと、もう少し知りたいし」


「ん、わかった。じゃあ私の方で集めとくね」


 チャイムが鳴り、それをきっかけに、葉月ちゃんが教室を出ていく。入れ替わりに先生が入ってくると、普段とは違う注意事項が述べられた。曰く、知らない人、怪しい人に話しかけられても相手にしないように、と。


 クラスの待ち人……柊木神凪は、その日初めてホームルームに来なかった。先生は話題にすら出さず、クラスメイトの落胆の溜息が、音もなく響く。


 噂に惑わされない誠実な自分を装いきれない彼らに対して別種の溜息をつきながら、先生に隠れてこっそりメールを再確認する。


『放課後、私の家に来て』


 柊木書店の二階は、そのまま柊木家の自宅になっている。少し考え、返信を入力する。


『今から行きます。話をするなら、いいところがあります』


 送信してから、どうやって抜け出すかを全く考えていないことに気が付いた。まぁいいや、どうにかなるでしょう。



 ★★★★



 定期的な掃除の甲斐もあって、秘密基地は人に見せても恥ずかしくない外観になっている……と、思う。


 人目の心配はないけれど、一応カーテンは閉じる。天井にぶら下げたカンテラの明かりがチカチカと、私達を照らす。柊木さんは何も言わず、こちらに引っ張られるがままに、ソファの上に座った。


 とりあえずテーブルの上に、自分用で確保していたジュースやお菓子を適当に並べる。本当はもっとちゃんとした料理を用意するべきなのだけれど、今の彼女を一人にする気にはなれず、また人目のある場所へ連れ回すわけにも行かなかった。


「……ごめんね」


 押し付けるように持たせたペットボトルのお茶を一口含み、ようやく放たれた柊木さんの声は、泣きはらした子供のような、小さなえづきが残っていた。


「別にいいよ、どうせ家にあったのを持ってきてるだけだし。お菓子も食べていいからね」


「そうじゃなくて……学校」


 どうやら私が学校を抜け出してきたことに罪悪感を持っているようだった。やっぱりいい子だ。


「ううん、大丈夫。それに、来てよかったって思ってるよ」


 それは本音だ。


 柊木書店の扉を開け、真っ暗な部屋から顔を覗かせた柊木さんは、明らかに憔悴していた。顔を彩るのは普段の煌めいた化粧ではなく、薄汚れた涙の跡と、薄暗い隈。彼女の在り方を表すかのように真っ直ぐに、艶やかに伸びていた髪はすっかりボサボサで、シャワーすら浴びてないようだった。


 シンプルなスウェット姿だったことを差し引いても、普段とは似ても似つかぬやつれ具合は、幽霊と見紛うほどだった。ひとまずシャワーを浴びて着替えて貰いはしたが、外へ行く、と私が言うと、彼女は明らかに怯える様子を見せた。私が手を取り、屋敷まで誘導したのだけれど、その際もずっと、周囲を気にしているようだった。


「とりあえず食べよ? ご飯もほとんど食べてないでしょ……って言っても、お菓子なんだけど……」


「ううん、ありがと」


 小さく笑顔を作ってくれたが、それでも無理をしているのはよくわかる。余計な気を回させてしまった。対面に座り、しばらく無言のまま、お互いに小さなドーナツ菓子をモソモソと齧る。やがてポツリと、柊木さんが口を開いた。


「……本当に、ありがとね。正直、あの家にも、あまり居たくなかったから」

「本当は私の部屋が一番いいんだけど……反対されるのは目に見えてたから。やっぱり、取材とかそういうのが来たの?」


 小さく柊木さんが頷く。


「それもあるけど……ずっと見られてる気がするの。窓の外から誰かが覗き込んでるんじゃないかとか、どこかにカメラとか仕掛けられてるんじゃないかって……おかしいよね」


「ううん、わかるよ。って言っても、私は学校の雰囲気をちらっと見ただけだけど……皆、すごく遠巻きに柊木さんのことを見ようとしてた」


 曰く、警察から電話が来たのは、日も明けてない早朝だったという。事情を聴いて茫然としたまま自宅に戻ると、いくつものカメラが、無人の我が家を撮影しており、彼女の姿を認めると、一斉にマイクやカメラが向けられたらしい。


 必死に自宅の中へ逃げ込んだ彼女の憔悴した様子と、未成年であることも相俟って、マスコミはその場は一旦撤退し、一瞬撮られた彼女の姿が、テレビに映ることもなかった。


 だが窓から隠れるように見下ろしていると、店の前を通り過ぎる人達は、揃ってシャッターの閉じた店舗を、次いでその上にある居住階を、ジッと見つめてきた。それが、何よりも彼女を追い詰めたのだ。


 誰もが今回の事件に興味を持ち、知りたがっている。事の詳細を、事態の展開を。ただ表立って騒いでいないだけ、火の手が上がっていないだけで、火種は草原の下に行き渡っている。


 カップルの無理心中も、田町京香の自殺も、誰も興味を持たなかったわけじゃない。ただ誰も知る機会がなかっただけ。話題に足る情報が行き渡らず、あるいは他の大事に掻き消され、結果誰の耳にも入らなかった、というだけの話だった。


「でも、なんで私なの? ……あぁいや、別に嫌とかじゃなくてね? 私なんかでいいのかな、って」


 柊木さんが目を伏せるのを見て、しまった、と気付く。加奈子さんが言っていたことをすっかり忘れていた。


「……こんなこと……多分、天霧さんにしか相談出来ないから」


 再びこちらを見る彼女の目は、本当に私だけしか頼れない、という切実さを湛えていた。


「パ……お父さんのこと、どこまで知ってる?」


「……洞淵ビルの屋上で、えっと……加奈子さんを、突き落としたって」


 実の娘の前で改めて口にするには、あまりにも残酷な事実だ。柊木さんも辛そうに顔をしかめる。


「うん。そうだって……でも、おかしいんだよ」


「おかしい?」


「うちの本屋、確かにそういうオカルトなものはたくさんあるけど、……お父さんもお母さんも、別にそういうのに興味があるわけじゃないんだ。アタシが好きだからって集めてくれてただけで……」


 そう言われて私も気付く。あのビルは不良のたまり場になるような廃墟だ。物好きでもない人間が、進んで入る場所には思えない。ましてや屋上まで上がろうなんて。


「……昨日、お父さんに面会した。……お父さん、やってないって。気が付いたらあそこにいて、ママが落ちていたんだって。……ねぇ、あのビル、悪霊がいるんでしょ?」


 柊木さんが私を相談役に選んだのは多分、他に相談できる相手がいないから、というだけではない。「そういう話」に真面目に付き合ってくれる候補が、私しかいなかったからだ。


 柊木さんの声は震えている。理性で抑えきれなくなったのか、言葉遣いも素に戻っている。


「パパ、その悪霊に憑りつかれたんじゃないかな? ……だって、だって、パパがママを殺す理由なんて、何もないよ……っ、二人とも、あんなに仲良くしてて……っ」


「わ、わ……っ、大丈夫? えっと、タオルタオル……!」


 そこまで話すと、柊木さんは堰を切ったように泣き出した。慌てて隣に寄り添い、手ぬぐいを渡す。それからしばらくの間、薄暗く埃っぽい応接間の中には、一人の女の子の嗚咽だけが響いていた。



 ★★★★



「……で、路地に入ったら、あとは道なり。戻る時は逆ね。それで商店街と行き来できるから。鍵はかけてないし、好きに使ってくれていいから」


 日が傾きかけた頃。柊木さんは家に帰ると言った。家まで送ろうかとも思ったけれど、


「そこまでは流石に世話になれないよ……っていうのも今更だけど。アタシと一緒にいるところは、あまり見られない方がいいんじゃない? 今は夕方だから、人通りも多いし」


 屋敷で寝泊まりすることも提案したが、そうやって逃げ出すのも、なんだかあらぬ噂を立てられそうだから、と、結局どちらも丁重に断られた。


 路地の隙間に消えていく柊木さんを見送ってから屋敷に戻ると、ソファの上にだらしなく座りながら、お姉ちゃんがゴミ箱を不愉快そうに見ていた。


「ちゃんと片づけますよ」


「当たり前」


 中身をゴミ捨て用の袋に移し、口を縛る。


「さつきちゃんが引き受ける義理、なかったんじゃない?」


「頼られたからには断れないよ。それに、可哀想だし」


「あの子はただ感情を吐き出す相手が欲しかっただけで、貴女に解決まで期待はしてないと思うけど」


「だったらなおのこと、出来る限りのことをやってあげないと、彼女の心が安らがないよ」


――わかった、私の方で調べてみる。大丈夫、そういうの得意だからっ


 泣きはらす彼女を宥める中での自分の言葉は、決して間違いだとは思っていない。あんな風に追い詰められている子を見て、ただ話し相手になるだけ、なんて冷たいにも程がある。ましてや彼女は、私しか感情を吐き出せる相手がいないのだ。ならこちらも出来る限り親身になるのが道理というものだ。


「ま、どうせ動くのはさつきちゃんだし、別にいいけどね。当てはあるの? というかそれ以前に……本気でいると思っているの? 洞淵ビルの悪霊」


「それをこれから調べるんじゃない」


「どうやって」


「前は誰も知らないから、碌な話が出てこなかった。今回の件はテレビでもしっかり取り上げられたし、学校中に話も広まってる。何か新しい話が出てくるかもしれないでしょ。もし悪霊の仕業なら、そこに怪しい何かが……」


「いたとして見えるの?」


「うっ……」


 その不安は確かにある。


「それに、いたらどうだっていうのかな。さつきちゃんが悪霊の存在を証明しても、柊木義孝が解放されるわけじゃないよね」


 それも、そうだ。


 いくら幽霊の仕業だと言い切れる何かがあったとしても、そんなものを仮に警察に届けた所で、そうだったんですね、と義孝さんの無罪を認めるわけがない。私の奔走は、何も事態を解決しない。


「……ううん、それは違う。事態は変わらずとも、柊木さんの心持ちが変わる。父親が犯罪者なのと、晴らせぬ冤罪を被った被害者なのとでは、天と地ほども違うよ。……少なくとも、罪悪感なんてものを、感じる必要はなくなる。父親が無罪であると明確に信じて、寄り添えさえすれば、きっと柊木さんは、今よりは立ち直ることが出来る。たとえそれが、世間に認められない事実であっても、彼女の支えになるなら、必要なことだと思う」


 返事はない。興味を失ったらしい。負け惜しみに睨み付けてから、ごみ袋を放って屋敷を後にする。


 大丈夫、当てはある。


 噂を話していた張本人。彼女達なら、何か新しい情報を持っているか……それでなくても、私の知らない何かを知っているかもしれない。


 やってやりますとも。初めて私を頼ってくれた子。初めての友達。私が救わずして、誰が救うというのか。



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