5〈天霧さつきの場合 三〉
大小様々な宝石が並んでいる。
金、あるいは銀色のフレームに収められているそれらは、どれもただ整えているのではなく、最も美しさの際立つ数値を計算して、形状を決めているのだという。
あぁ、だからここまで美しいのか、と納得も出来る反面、疑問も湧き出た。すなわち、写真越しに感じるこの美しさは、私を魅了するこの感覚は、宝石そのものに由来するものなのだろうか、と。
仮にこの写真に収められている物たちが全てガラス、あるいはプラスチックの模造品であったとしても、本物の宝石がされているのと同じ加工を施されたのだとすれば、私はそれを見分けることが出来るだろうか。自信はない。
であれば、私が今感じている魅力は、宝石の持つ美しさではなく、これらに対して施された加工、いわば化粧の仕方に対するものであり、あるいは、宝石というネームバリューそのものに圧倒されているだけ、なのではなかろうか。
「……そんなに面白い?」
「あ、ごめん。どこ見る?」
ストローから口を離した柊木さんの声にハッと我に返り、慌ててファッション雑誌のページをめくろうとする。
「いや、別にそんなつもりじゃなくてさ。ずっとそのページばかり見てるから」
「あー……うん、そうだね……」
宝石の美しさというものについて考えてました、なんて言えるはずもない。
嫌味を言われたのかと勘違いして過剰に反応してまった自分への気恥ずかしさに、俯いてしまう。
「……私は、これとか好きだよ。天霧さんは、どれが好き?」
指差されたネックレスはシンプルな造形で少し意外だったけど、思い返してみれば、服装こそ「らしい」着こなしをしている彼女だが、身に付ける装飾品自体は、意外に素朴なものが多かった。彼女が持ち込んだ雑誌なので、ここにある多くが、彼女の趣味に合うものなのだろう。
「えっと……んー、どれも綺麗だと思うけど……」
「あんまり買う事には興味ない?」
「や、別にそんなことないけど……あぁ、でも、あんまり高いのは、別に……って感じかな……欲しがってどうこうなるものじゃないし、多分似合わないし……」
柊木さんの顔が見れない。卑屈な答えに気分を害していないかと気が気じゃない。
遊びに行く、などと言っても、上倉町は、田んぼがないだけで所詮田舎町。駅に足を延ばさなければコンビニ弁当も買えず、そしてその付近ですらショッピングモールもなく、あるのは活気のないオフィスビル(なんてお洒落な名前!)と、いくつかの食事処くらいで、ゲームセンターの一つもありはしない。
なので、私達学生が遊びに行くとなれば、身内に丸見えな商店街周辺を廻るか、図書館でのんびり勉強でもするか。知人の目から少しでも逃れたいときは、駅を跨いで他所の町に行くか、こうして比較的人通りの多い、駅前のファストフード店の席でファッション雑誌を広げて、暇を潰すのが精々だったりする。
それだけでも、私にとっては貴重な時間。高校の友達とこんな風に過ごせる日を、ずっと夢見ていた。そんな待ち焦がれた時間だというのに、当の私と言えば、見るにも聞くにも堪えない醜態を晒していた。
「そんなことないでしょ。ほら、これとか似合うんじゃない?」
柊木さんは会話を繋いでくれるが、お洒落にあまり気を遣うタイプじゃない私には、どうもピンとこない話で、曖昧に笑いながら頷くことしか出来ない。そのことが、より自分を惨めにさせる。
(何やってるんだろう、私)
初めてのお誘いに浮かれて、どこへ行くのかも、何をするのかも考えず、ただノコノコと後ろを付いていくだけ。柊木さんとの間で、こうして交わす話題の内容を想像すらしなかった。
否、想像はしていたのだ。私好みの話題で盛り上がる様子を、私好みの反応をしてくれる柊木さんを、相手の話題に上手い冗談を返せる自分を、そんな「上手くいった自分」だけを想像していた。
柊木さんが何か話している。ネイルとか、髪を染めたりしないのかとか、そんな話。聞かなくちゃ、と耳を傾け、目を合わせようとするけど、なんだか卑屈に、機嫌を伺うような格好になっている気がする。
話の内容に頭が付いてこない。興味のない話題への付き合いがまるで出来ない。動かない身体が情けなくて、何度もポテトへ手を伸ばす。
なんて無様。上手くいくための経緯など、一切考慮していなかった。友人と遊ぶということを、あまりにも気楽に考えていた。まぁ上手くいくだろう、と。そんなはずないのに。
普段から遊び慣れているならいざ知らず、前日からソワソワソワソワ、この日のことしか考えられなくなるような初心者が、そんな心構えで、まともな時間を築けるはずがないのだ。
親しき仲にすら礼儀が必要なのに、昨日今日連絡先を交換したばかりの相手と、気の置けない会話など出来るはずがないではないか。そしてそのしわ寄せを、自分のみならず、こんな私を誘ってくれた、柊木さんにまで押し付けている。
惨め、惨め、惨め。
いっそ消えてしまいたい。自己評価がどんどんと下がっていく。ガラスの向こう、外を歩く人達が、私を嘲笑っている気がしてくる。
こんなはずじゃないのに。もっと楽しめるはずなのに、もっと楽しいはずなのに。
「あのさ」
「……あ、っごめん、なに?」
さっきまでより強い口調に、ハッと意識が引き戻される。目の前にいる彼女は、まっすぐ私を見ていた。学校で会った時と同じ目をしていた。
「言いたいことあるなら、好きに言いなよ。一緒にいてもつまんない、とかさ」
「や、そんなこと」
「嘘。だってアンタ、さっきから私の顔色見てばっかりで、全然何にも集中できてないじゃない。私の話、聞いてないでしょ」
そう言われて、私の目の前のテーブルに、ポテトがいくつか落ちているのに気付いた。口に運んでいるつもりでいたのに。
本当に、無様。情けない。表面だけをどうにか取り繕おうとして、墓穴を掘りっぱなし。楽しそうに笑う柊木さんを見たかったのに。私と一緒にいて楽しいって、思って欲しかったのに、思うだけの自分勝手な、努力ともいえない努力は、見事にから回って、逆効果になっていた。
「……本当に、無理しなくていいよ。ごめんね、無理に誘って」
そういう柊木さんの声は、いつもの凛としたものより、心なしか力なく聞こえて、
「そんなことない!」
思わず、テーブルを叩いて立ち上がった。
「えっと……た、確かにこう、柊木さんとの話し方とか、全然分かんないし……というか、同級生の子と話すの自体すごく久しぶりだから、本当に何も頭に浮かんでこなかったけど……でも、別に嫌って訳じゃないから……誘ってくれたの、本当に嬉しかったし……!」
「わ、わかった、わかったから一回座りなって……ね、人が見てるから……」
宥められ、我に返り、周りの視線に気付く。自分の言葉が頭の中で反響し、数瞬遅れて、羞恥に顔が赤くなって、そっと席に座り直す。小さく、小さく、亀が甲羅に潜ろうとするように。亀じゃないし、甲羅もないから、ただ身を縮こまらせるしか出来ないけど。
「……えっと、なんか、ごめんね」
さっきとは違うごめんね。恥ずかしいけど、少しほっとした。
「ううん、私こそごめん、全然お話、盛り上がれなくて……でも本当、嫌とかじゃ、ないから。話したいこととか、訊きたいこと、一杯あるし……その、趣味のこととか……あ」
趣味。そこでようやく思い出した。隣の椅子の鞄を引き寄せ、いそいそとナプキンで手を拭い、中身を漁る目的の物はすぐ手に取れた。『心霊スポット大全』。引っ張り出し、ページの折れを確認してから、訝しむ柊木さんへ差し出す。
「これ、読み終わったから……」
「え、もう? 早くない?」
「読みたい所は、全部読んだから……あとは、一緒に読んだら、楽しいかな、って」
チラリと、彼女の顔を伺う。
綺麗な顔。ハーフと間違えそうな、鼻筋の通った整った顔立ち。少しラメを入れているのか、キラキラとしている。私なんかよりずっと大人っぽい。彼女の顔をちゃんと見たのは、今日はこれが初めてかもしれない。
柊木さんは呆気にとられながらも、本を受け取ってくれた。そしてその時ようやく、彼女がハンバーガーにも、ポテトにも手を付けていないことに気付いた。
「……ありがとね。じゃあ、早速一緒に見てもいい?」
「っ……うん!」
★★★★
「……でね、アタシやっぱり、ホラーっていうのは、とにかく恐怖一色であるべきだと思うの。ほら、ホラー物……特に長編のやつとかって、どうしても途中で怪異の正体だとかルーツだとか、そういうのを究明しにかかるでしょう? そういうのって、悪い……とまでは言わないけど、不粋だと思うのよ。他にも人間同士のいざこざとか、理不尽に怪異の被害に合う人の無念……というか、言っちゃえば胸糞悪さかな。そういうのが出てくると、恐怖とは違う感情が邪魔してくるっていうか……。
あとスプラッタもダメ。あれが見せて来る恐怖って、グログローデロデローから感じる、所謂生理的嫌悪というか、悍ましさ? がメインでしょう? 私が好きなのは、そういうのじゃない、ただただ怖い物なの。京極夏彦って……あ、知ってる? 流石! あの人の書いた『鬼景』っていうのがね、すごく好きなの! 正確にはちょっとスプラッタ入っちゃってるかもだけど……でもこれ以上なく『未知の恐怖』っていうのが書かれてて最高なの!
わかる? 恐怖っていうのは、本来未知のものに対して抱く警戒心なのよ。スプラッタホラーもサイコホラーも、その根っこは同じなの。ただどうしても、さっき言ったみたいに他の要素で肉付けする形になっちゃうから、アタシは苦手なのよね……」
捲し立てるように話し続ける柊木さんに驚き、呆気に取られてしまっている。
柊木さんは、好きなホラーとかあるの? と訊いたのだ。目次を二人で覗き込みながらの、何気ない言葉だったが、一瞬の間をおいて帰ってきた彼女の返事と表情は、今日一番弾んでいた。
「コズミックホラー……クトゥルフ神話ってあるでしょう。あれも、常人の理解を超えた存在、現象を目の当たりにすることの恐怖っていうのが本命なの。けどあっちはあっちで、あんまりにもテーマが恐怖の本質に近づきすぎちゃってるのよね。その分肝心のモンスター側のデザインが、人の嫌悪感を逆撫でするためのものでございます、って感じがありありと出ちゃってて、逆にそこで興醒めしちゃうのよ。まぁそこは結局人間の考えるものだから仕方ないといえば仕方ないんだけど……」
思えば不思議な話だった。話題を尽きぬよう気を遣ってくれていた彼女が、なぜ共通の趣味であったオカルトについて言及しなかったのか。
一呼吸置いたところで、ようやく私の顔を見て我に帰ったのだろう。気恥ずかしげに目を逸らし、誤魔化すようにコーラに口をつけた。
「……えっと、そういうわけだから、ワタシは特定のジャンルが、っていうより、短編、掌編の漫画や小説のホラーを読むのが好き、かな」
やっと理解する。柊木さんは、本当に好きなのだ。それこそ、語り出したら止まらなくなってしまうくらいに。だから遠慮していたのだ。私に引かれるのが怖くって。
私と、どこまで踏み込めるかわからなくって。
「……私ね」
一呼吸置いて。
「私はね、そういう小説とかより、直接スポットを巡ったりするのが好き」
「あー、肝試し的な?」
「ううん、そうじゃなくて。いや、そうなのかもしれないけど。……私、本物の幽霊を見たいの」
柊木さんは、相槌を挟むことなく、続きを促してくれた。
「見たことがあるの、幽霊。でも、それが本当に幽霊なのか、今でもわからなくて……いくら調べても、結局本物の幽霊だ、っていう証明にはならないの。私の頭がおかしくなってるだけ、っていう方が説得力あるのよ。ほら、私にしか見えないわけだし」
「……だから、本物を?」
「それか、本当に幽霊とかが視える人、かな。その人が私と同じものを見てくれたら、それは本物の幽霊で、この世にはそういうもの……少なくとも幽霊は、本当にいる、ってことになるでしょう?」
「はー……なるほどねー……」
感嘆なのか、呆れなのかわからない声。
「……やっぱり変、かな」
「ううん、いいと思うよ。アタシはそれはどうかとは思うけど、悪いことじゃ無いと思う」
「?」
どうかと思う、と言うのは、奇妙な返答だった。
「あぁいや、っていうのはね? アタシが好きなのは、突き詰めると未知に対する警戒心が根幹にある恐怖なの。さっきのクトゥルフの話とかがそうなんだけど、人の想像を超えたもの、の割に発想が人の想像の範疇に収っちゃうと、アタシ的には萎えちゃって……。
で、それって逆も同じなの。幽霊って結局のところ、いるのかいないのかわからないから怖いわけでしょう? だってわからないから、それ以上の解明が出来てないのだし。でももし「幽霊は実在する!」ってなったらさ……そうなったら次にやることは、幽霊に対する解明でしょう? そしたらもう、怖いなんて言えないよ、アタシは」
「あー、そっか」
正体が知れれば、そこに恐怖はない。
クラスのみんなが私を避け始めた時、最初は訳が分からず、とても怖かった。
けど奔走し、その理由が明確に分かってからは、ただ落ち込み、ため息をつくのみだ。あぁ、そりゃあそうだ、と。
嫌悪感は残るけれど、人によっては怒りを覚えるだろうけど、そこに右も左も分からなかった時の恐怖はもうない。避けられる原因、その発端が存在すると明確になったなら、あとはそこに対する対処を考えるだけなのだ。
まぁ、私は対処することから逃げて現状維持なわけだけれど。
柊木さんは、そういう意味で私とは似ているようで対極だ。
自分に降りかかるものは対処すべく詰め寄ることを躊躇わないけれど、趣味に関してそんな野暮はしない柊木さん。
周り全てから都合のいい距離感を保ちながら、その癖ホラーについてはとことん解明をしたがる私。
テーブルの上で本を広げ、向かい合いながらお互いに覗き込む。
『心霊スポット大全』の名の通り、全国津々浦々にある有名スポットが地域ごとに、一ページずつ使って解説されている。私もちゃんと読んだのは一部だけだ。
「天霧さんの読みたかったところって?」
「上倉町。ちょっと知りたい所があって」
「それって、例の幽霊ビル?」
「洞淵ビルね。何かヒントとかないかなーって思ったんだけど」
「アタシもお母さんから聞いて調べてみたけど、本当にどこにも載ってなかったね。ネットにもなにもなかった」
柊木さんが、この地域のスポット一覧に目を落とす。雑木林に放置された、一つだけ首のない七つの地蔵。夕立の日にだけ現れる屋敷。目撃者の自宅までの道のりを尋ねてくる老婆が出る道……。地元の人間ですら首を捻る、でっち上げ紛いの噂話。
地方の村にある放棄された工事現場や、都心の一画にある、持ち主すらわからぬ銅像。そんな、怪しげな噂があるかすら怪しいものまで取り上げて、全国網羅、を謳っていた大全にも、ビルのことは載っていなかった。
「マイナー、とかそういう話じゃないみたいなんだよね、こうなると」
「天霧さんはどこで知ったの?」
「あー……まぁ、ちょっとね……」
柊木さんの視線がチラリと、刺すようにこちらを向く。他の人が話しているのを盗み聞きした、なんて言ったら、なんだか怒られそうで、思わず濁してしまった。
内心を見透かされたように、はぁ、と溜息をつかれる。
人から溜息をつかれるのは、自分への失望が強く伝わってきて、すぐにもこちらを見限って来そうで、すごく怖かった。
だけど今の柊木さんを見ても、そんな不安はあまり出てこなかった。苦笑交じりに私を見る彼女が、「仕方ないな」と、呆れながらも受け入れているような気がした。
「実は天霧さんが事件の目撃者なんじゃないかな、って思ったんだけどね。実は通報した噂の第三者だった、とか」
「ないない、私も人づてに聞いたんだよ。同じ時間に無関係の女性が二人も死ぬなんて、なんかありそうなものなんだけど……洞淵ビルの屋上には、最初に飛び降り自殺をした女性の悪霊が憑りついている、とか」
「……ねぇ、せっかくだしこれから行ってみない?」
「え、行くって、洞淵ビル?」
「場所はわかるんでしょ? アタシはあの辺り全然行かないからわかんないし。どうせやることもないし、アタシも見てみたいしさ。ほら、行こ、ね?」
大全やファッション誌を手早くしまうと、慣れた手つきでプレートを片付け、あれよあれよと準備を済ませてしまう。その行動力に唖然としていた私がようやく立ち上がった時には、柊木さんはとっくに準備を終えていた。
「ほら」
数歩歩き、様子を伺うように私を見る。
あぁ、やっぱり私はダメな子だ。さっきまで散々自己嫌悪していたのに、そんな自己嫌悪で、柊木さんに迷惑をかけていたのに。
今はすごくはしゃいでいる。彼女が私の本音を聞いてくれたこと、それを受け入れてくれたことが嬉しくて。こんな私と、なおも一緒にいてくれることが心を弾ませていて。
私はこのままでいいんだと、根拠もなく、確信してしまっている。だから私は、いつまで経ってもダメなのだ。
柊木さんの目をまっすぐ見るのが申し訳なくて、一瞬その背後へ視線を向ける。
向かいのビルから反射した日光が私を襲う。太陽が真上にない。店に入ったのは昼過ぎなのに。そんなに長い間彼女は、オドオドとした態度の私に付き合ってくれていたのだ。目を逸らした先で更に自分の愚かさを突きつけられた気がして、私は自分を誤魔化すように、眩んだ目を伏せて、数度瞬かせた。